妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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第75話「未来への仮説」

 

 X701年。

 

 フィオーレ王国北東部。

 

 山岳地帯の森に、柔らかな朝日が差し込んでいた。

 

 木々の葉が風に揺れ、遠くから小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 

 そんな穏やかな森の一角に、少し変わった光景が広がっていた。

 

「……メイビス」

 

「はい?」

 

「……これは、何でしょうか?」

 

 イリス・アストレアは、目の前に積み上げられた大量の紙束を見つめていた。

 

 古い魔法の記録。

 

 複雑な術式を書き写した羊皮紙。

 

 何冊もの手帳。

 

 そして、地面に広げられた大きな魔法陣の図面。

 

 昨日まで三人で食事を楽しんでいた野営地は、すっかり研究室のような有様になっていた。

 

「もちろん、研究資料です!」

 

 メイビス・ヴァーミリオンが、満面の笑みで答えた。

 

「昨日のお話を整理していたら、調べたいことがたくさん出てきまして!」

 

「……それはわかりますが」

 

 イリスは、足元にまで広がった紙束を見下ろした。

 

「……少し、多すぎませんか?」

 

「そんなことありませんよ!」

 

 メイビスは胸を張った。

 

「まだまだ足りないくらいです!」

 

「…………」

 

 イリスは、思わず苦笑した。

 

 その隣では、黒髪の青年が一枚の羊皮紙を興味深そうに眺めていた。

 

「……なるほど」

 

 ゼレフが、小さく呟く。

 

「この術式の組み方は面白いね。僕が知っているものとは、少し構造が違う」

 

「あっ、それは私がクロッカスで調べた古代魔法の応用なんです!」

 

「……そうなのかい?」

 

「はい! 空間魔法の研究にも使ったんですよ!」

 

「……空間魔法まで習得したんだね」

 

 ゼレフは、感心したように微笑んだ。

 

「十五年前から、随分と成長したんだ」

 

「えへへ……!」

 

 メイビスが嬉しそうに笑う。

 

 そんな二人を見て、イリスは小さく息を吐いた。

 

「……ゼレフさんまで夢中になってしまいましたね」

 

「……ああ、ごめん」

 

 ゼレフが顔を上げた。

 

「つい、興味深くて」

 

「ふふっ。謝ることではありませんよ」

 

 イリスは微笑んだ。

 

「ただ、朝食が冷めてしまいますから」

 

「……あっ!」

 

 メイビスが声を上げた。

 

「そうでした!」

 

 研究に夢中になっていた二人を見て、イリスは楽しそうに笑った。

 

 昨日、三人は友達になった。

 

 十五年ぶりの再会から、まだ二日。

 

 けれど、こうして一緒に過ごしていると、昔から何度も同じ時間を過ごしてきたような、不思議な親しみがあった。

 

 もっとも。

 

 研究に夢中になるメイビスの姿だけは、十五年前から少しも変わっていなかった。

 

 ◇

 

【第一幕 解けない呪い】

 

 朝食を終えた三人は、改めて資料を囲んだ。

 

「それでは!」

 

 メイビスが、手帳を開く。

 

「昨日のお話をもとに、今後の研究方針を考えていきましょう!」

 

「……うん」

 

 ゼレフが頷いた。

 

「まずは、何を明らかにするべきか整理した方がいいね」

 

「はい!」

 

 メイビスは、紙の中央に大きく文字を書いた。

 

『アンクセラムの呪い』

 

 その下に、いくつかの項目を並べていく。

 

『不死性』

 

『生命への干渉』

 

『感情による発動』

 

『解除方法不明』

 

「……昨日のお話では、ここまでが確認できました」

 

「……そうだね」

 

 ゼレフが頷く。

 

「ただ、これらがどういう仕組みで成立しているのかは、僕にもわからない」

 

「……ゼレフさん」

 

 イリスが口を開いた。

 

「一つ、気になっていることがあります」

 

「……何だい?」

 

「アンクセラムの呪いは、通常の魔法と同じように、魔力によって作用しているのでしょうか?」

 

「…………」

 

 ゼレフは、少し考え込んだ。

 

「……それについては、断定できない」

 

「……そうですか」

 

「呪いが発動するとき、魔力に似た反応を感じることはある。でも、それが通常の魔法と同じ原理なのかはわからないんだ」

 

「なるほど……」

 

 イリスは、自分の金色の瞳に意識を向けた。

 

 彼女の瞳には、普段から魔力の流れが見えている。

 

 人の身体を巡る魔力。

 

 大気に漂う微かな残滓。

 

 そして、魔法が発動する際に生じる複雑な流れ。

 

 だが、ゼレフの呪いが発動したときに見えたものは、普段の魔法とは明らかに異なっていた。

 

「……私の金色の瞳には、魔力の流れが見えるんです」

 

「……そうなのかい?」

 

 ゼレフが、興味深そうに顔を上げた。

 

「はい。魔法を使用したあとの残滓も見ることができます」

 

「……それは、珍しい能力だね」

 

「私の世界でも、一般的なものではありませんでした」

 

 イリスは頷いた。

 

「昨日、ゼレフさんの呪いが発動したときにも、普段とは異なる魔力の動きが見えました」

 

「……どんなものだったんだい?」

 

「……うまく説明するのは難しいのですが」

 

 イリスは、少し考えた。

 

「通常の魔法なら、術者から魔力が流れ出して、術式を通じて現象が起こります」

 

「……うん」

 

「ですが、昨日の現象は……ゼレフさんの魔力だけで成立しているようには見えませんでした」

 

「…………」

 

 ゼレフの表情が変わった。

 

「……興味深いね」

 

「ただ、私にも正確なことはわかりません」

 

 イリスは続けた。

 

「呪いそのものを見分けられたわけではありませんし、何か別の力が存在すると断定できるほどの情報もありません」

 

「……それでも、重要な観察だよ」

 

 ゼレフが静かに答えた。

 

「僕自身では、呪いが発動している最中の魔力を客観的に観察することが難しいからね」

 

「……なるほど!」

 

 メイビスが、勢いよく手帳に書き込んだ。

 

「つまり、呪いの発動時に起きる現象を、外側から調べる必要があるんですね!」

 

「……そうなるね」

 

「でも、実際に発動させるのは危険です」

 

 イリスが言った。

 

「周囲の生命に影響が出てしまいますから」

 

「……そのとおりだよ」

 

 ゼレフも頷いた。

 

「研究のために命を危険にさらすわけにはいかない」

 

 メイビスは、少し考えてから手帳を閉じた。

 

「……それなら、まずは過去の記録を調べましょう!」

 

「……記録?」

 

「はい!」

 

 メイビスは、二人を見つめた。

 

「アンクセラムの呪いについて、私たち以外にも記録を残した人がいるかもしれません」

 

「……なるほど」

 

 ゼレフが微笑んだ。

 

「古代の呪術書や、神に関する文献を調べるということだね」

 

「はい!」

 

 メイビスの瞳が輝いた。

 

「わからないことがあるなら、まずは調べるところからです!」

 

 その言葉に、イリスも頷いた。

 

 答えは、まだ見つからない。

 

 けれど。

 

 少なくとも、次に何をするべきかは見えてきた。

 

 ◇

 

【第二幕 封じるという選択】

 

「……ところで」

 

 メイビスが、ふと思いついたように顔を上げた。

 

「呪いを解除することが難しいなら、別の方法も考えられませんか?」

 

「……別の方法?」

 

 ゼレフが尋ねる。

 

「はい!」

 

 メイビスは、新しい紙を取り出した。

 

「例えば……封印魔法です!」

 

「……封印」

 

 イリスが、その言葉を繰り返した。

 

「呪いそのものを封じ込める、ということでしょうか?」

 

「そうです!」

 

 メイビスは頷いた。

 

「呪いを消せなくても、周囲への影響だけを封じられれば、普通に生活できるかもしれません!」

 

「…………」

 

 ゼレフは、しばらく考え込んだ。

 

「……理論としては、考える価値があるね」

 

「本当ですか!?」

 

「……うん。ただし、難しい問題もある」

 

 ゼレフは、紙に簡単な術式を書いた。

 

「一般的な封印魔法は、対象となる魔力や物体、あるいは特定の現象を一定の領域に閉じ込めるものが多い」

 

「……はい」

 

「でも、アンクセラムの呪いが僕たちの身体や生命そのものと結びついているなら、呪いだけを切り離すことは難しいかもしれない」

 

「……なるほど」

 

 メイビスが、真剣な表情で頷いた。

 

「それに、封印が不完全だった場合、外へ影響が漏れる危険もある」

 

「……そうですね」

 

 イリスも、術式を眺めながら考え込んだ。

 

「私の世界にも、魔力や呪いを封じる魔法はありました」

 

「……そうなのかい?」

 

「はい。ただ、アンクセラムの呪いほど特殊なものに通用するかは、わかりません」

 

「……それでも、異なる魔法体系の封印術式を比較する価値はありそうだね」

 

 ゼレフが答える。

 

 そのとき。

 

「……あっ!」

 

 メイビスが、小さく声を上げた。

 

「それなら、発想を変えてみませんか?」

 

「……発想を?」

 

「はい!」

 

 メイビスは、紙に大きな円を描いた。

 

「呪いだけを封印できないなら、呪いを受けた人自身を、外界から完全に隔離する方法です!」

 

「…………」

 

 イリスは、思わずメイビスを見つめた。

 

「……それは」

 

「もちろん、今すぐそうするという話ではありませんよ?」

 

 メイビスは、慌てて付け加えた。

 

「ただ、研究の方向性としてです!」

 

 ゼレフは、描かれた円を見つめていた。

 

「……確かに、対象を完全に隔離できる封印なら、外部への影響を遮断できる可能性はある」

 

「……でも」

 

 イリスが、静かに口を開いた。

 

「封印された人は、外へ出られなくなってしまいますよね」

 

「……そうですね」

 

 メイビスが頷いた。

 

「それでは、呪いから周囲を守れても、本人の自由がなくなってしまいます」

 

 イリスは、少しだけ眉を下げた。

 

「……私は、メイビスと一緒に旅を続けたいです」

 

「……イリス」

 

「ですから、封印するだけでは……」

 

 そこで。

 

「……ふふっ」

 

 メイビスが、小さく笑った。

 

「何ですか?」

 

「いえ、嬉しいなと思いまして!」

 

「……もう」

 

 イリスが、少しだけ頬を赤らめた。

 

 メイビスは、そんな彼女を見つめながら微笑んだ。

 

「……でも、大丈夫ですよ」

 

「……え?」

 

「私には、幻影魔法がありますから!」

 

 その言葉に、ゼレフが顔を上げた。

 

「……幻影魔法?」

 

「はい!」

 

 メイビスは立ち上がった。

 

 そして、軽く手を振る。

 

 次の瞬間。

 

 彼女の隣に、もう一人のメイビスが現れた。

 

「……おや」

 

 ゼレフが目を見開いた。

 

「これは……」

 

「実体を持つ幻影です!」

 

 幻影のメイビスが、楽しそうに手を振った。

 

「触ることもできますし、ある程度なら魔法も使えるんですよ!」

 

「……すごいね」

 

 ゼレフは、感心したように呟いた。

 

「十五年前とは比べものにならないほど高度になっている」

 

「えへへ!」

 

 本体のメイビスが嬉しそうに笑う。

 

 やがて、幻影は光の粒となって消えた。

 

「……つまり」

 

 ゼレフが、静かに口を開いた。

 

「本体を安全な場所に置いたまま、幻影を外で活動させるということかい?」

 

「はい!」

 

 メイビスは頷いた。

 

「今でも街に入るときには、そうしていますから!」

 

「……なるほど」

 

 ゼレフは、興味深そうに考え込んだ。

 

「ただ、完全な封印状態から幻影を維持できるかどうかは、別の問題だね」

 

「……そうなんです」

 

 メイビスは頷いた。

 

「封印が魔力の流れまで遮断してしまえば、幻影を動かせなくなるかもしれません」

 

「それに、外部から魔力を供給できるかどうかもわかりませんね」

 

 イリスが付け加えた。

 

「……うん」

 

 ゼレフは、静かに頷いた。

 

「封印と魔力供給を両立させる必要がある」

 

 メイビスは、その言葉を手帳に書き込んだ。

 

『封印と幻影魔法の両立』

 

 その文字を見つめながら、彼女は微笑んだ。

 

「……まだまだ、調べることがたくさんありますね!」

 

 イリスも、小さく笑った。

 

「……そうですね」

 

 このとき。

 

 三人はまだ知らなかった。

 

 今、何気なく語り合っている封印と幻影の可能性が、遠い未来にどのような形で実現することになるのかを。

 

 ◇

 

【第三幕 尽きない魔力】

 

「……そうなると」

 

 ゼレフが、手帳に視線を落とした。

 

「次に考えるべきなのは、魔力の供給だね」

 

「はい!」

 

 メイビスが頷いた。

 

「実体を持つ幻影は、普通の幻影よりも多くの魔力を必要とします」

 

「……そうだろうね」

 

「それに、遠くで活動させたり、強力な魔法を使わせたりすると、消費量も増えるんです」

 

 メイビスは、簡単な術式を描いた。

 

「もし本体を封印するなら、魔力の供給方法を確保しなければいけません」

 

「……なるほど」

 

 イリスは、術式を眺めた。

 

「それなら、魔力を蓄積する魔道具はどうでしょうか?」

 

「……魔道具?」

 

「はい」

 

 イリスは頷いた。

 

「私の世界には、魔力を蓄積して、必要なときに取り出す仕組みがありました」

 

「……興味深いね」

 

 ゼレフが、身を乗り出した。

 

「どのくらいの魔力を蓄積できるんだい?」

 

「……それは、魔道具の性能によります」

 

 イリスは、少し考えた。

 

「ただ、蓄積できる量には限界がありました。大量の魔力を長期間維持するとなると、難しい問題もあります」

 

「……そうだね」

 

 ゼレフが頷いた。

 

「魔力を蓄える器にも限界がある。蓄積した魔力が変質したり、術式が劣化したりする可能性もあるからね」

 

「……それなら!」

 

 メイビスが、勢いよく顔を上げた。

 

「蓄積するだけではなく、継続的に魔力を供給する仕組みも考えましょう!」

 

「……継続的に?」

 

「はい!」

 

 メイビスは、紙に新しい図を描いた。

 

「例えば、外部から魔力を集めて、必要な分だけ供給するんです!」

 

「……なるほど」

 

 ゼレフが頷く。

 

「魔力の供給源と、使用する術式を分けるということだね」

 

「そうです!」

 

「……でも」

 

 イリスが、静かに口を開いた。

 

「集められる魔力にも限界がありますよね?」

 

「……はい」

 

 メイビスは頷いた。

 

「それに、供給量が消費量を下回れば、いずれ維持できなくなります」

 

「……そのとおりだよ」

 

 ゼレフは、図面を見つめた。

 

「魔力を大量に蓄えることと、安定して供給し続けることは、似ているようで別の問題なんだ」

 

「……なるほど」

 

 メイビスが、真剣な表情で頷く。

 

「……それなら、両方を研究する必要がありますね」

 

 そう言って、手帳に二つの項目を書き加えた。

 

『魔力の蓄積』

 

『魔力の継続供給』

 

「……ふふっ」

 

 イリスが、小さく笑った。

 

「……どうしました?」

 

 メイビスが首を傾げる。

 

「いえ。メイビスらしいなと思いまして」

 

「……私らしい?」

 

「はい」

 

 イリスは微笑んだ。

 

「研究できることが増えるほど、楽しそうですから」

 

「……だって!」

 

 メイビスは、嬉しそうに笑った。

 

「新しい魔法の可能性を考えるのって、とっても楽しいじゃないですか!」

 

「……そうですね」

 

 イリスも頷いた。

 

 その隣で、ゼレフが静かに微笑んでいた。

 

「……本当に、変わらないね」

 

「……え?」

 

「十五年前も、君はそうだった」

 

 ゼレフは、懐かしそうに続けた。

 

「新しい魔法を知るたびに目を輝かせて、次から次へと質問してきた」

 

「……えへへ」

 

 メイビスが、少し照れたように笑った。

 

「……今も、同じです!」

 

「……うん」

 

 ゼレフは、穏やかに頷いた。

 

「……それが、君のいいところだと思うよ」

 

 ◇

 

【第四幕 過去という可能性】

 

 昼を過ぎた頃。

 

 三人は、少し遅めの昼食を終えていた。

 

 イリスが淹れた紅茶を飲みながら、ゼレフは手元の研究記録を眺めていた。

 

「……そういえば」

 

 彼が、ふと口を開いた。

 

「……もう一つ、考えられる方法がある」

 

「……何でしょう?」

 

 メイビスが顔を上げる。

 

「……ただ、これは今までの話以上に実現が難しい」

 

「……それでも、聞いてみたいです!」

 

 ゼレフは、少しだけ微笑んだ。

 

「……時間への干渉だよ」

 

「……時間?」

 

 イリスが首を傾げた。

 

「……うん」

 

 ゼレフは、静かに頷いた。

 

「もし、過去へ戻ることができたなら……呪いを受ける前の出来事そのものを変えられるかもしれない」

 

「…………」

 

 メイビスの瞳が、大きく見開かれた。

 

「……過去を、変える……?」

 

「……そう」

 

 ゼレフは、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「呪いを解除するのではなく、呪いを受ける原因となった出来事そのものを変える」

 

「……なるほど!」

 

 メイビスが、興味深そうに身を乗り出した。

 

「時間魔法の応用ですね!」

 

「……うん。ただし、時間を操ることと、過去そのものを書き換えることは違う」

 

 ゼレフは、紙に一本の線を描いた。

 

「例えば、物体の時間を少し戻す魔法があったとしても、それだけで世界全体の歴史を変えられるわけじゃない」

 

「……確かに」

 

 メイビスが頷く。

 

「過去に戻れたとしても、そこで起こした変化が現在にどう影響するのかは、別の問題ですね」

 

「……そのとおりだよ」

 

 ゼレフは、線の途中から枝分かれするように、もう一本の線を描いた。

 

「過去を変えた結果、今の歴史が上書きされるのか。それとも、別の可能性が生まれるのか……」

 

「……わからないんですね」

 

 イリスが尋ねた。

 

「……うん」

 

 ゼレフは頷いた。

 

「少なくとも、僕には確かめられていない」

 

 しばらく、三人は紙に描かれた線を見つめていた。

 

 やがて。

 

「……ゼレフさん」

 

 イリスが、静かに口を開いた。

 

「……何だい?」

 

「もし、過去を変えることができたとして……」

 

 イリスは、少しだけ考えた。

 

「……今の私たちは、どうなるのでしょうか?」

 

「…………」

 

 ゼレフは、答えなかった。

 

「例えば、メイビスがロウを使わなかった歴史になったら……」

 

 イリスは、隣の少女を見つめた。

 

「その後に起きた出来事も、変わってしまうかもしれません」

 

「……そうですね」

 

 メイビスが、小さく頷いた。

 

「妖精の尻尾のみんなとの思い出も……違うものになるかもしれません」

 

 彼女の脳裏に、懐かしい光景が浮かんだ。

 

 ユーリ。

 

 プレヒト。

 

 ウォーロッド。

 

 リタ。

 

 そして、マカロフ。

 

 笑い合った日々。

 

 共に歩んだ時間。

 

 失ってしまった、大切な命。

 

「…………」

 

 メイビスは、静かに目を伏せた。

 

 もし、あの日をやり直せたなら。

 

 そんな願いが、胸をよぎらなかったわけではない。

 

 けれど。

 

「……難しいですね」

 

 メイビスが、小さく呟いた。

 

「……そうだね」

 

 ゼレフが答える。

 

「過去を変えるということは、望まない出来事だけを都合よく消すこととは違うのかもしれない」

 

「……はい」

 

 メイビスは頷いた。

 

「それに、必要な魔力も想像できません」

 

「……おそらく、通常の時間魔法とは比較にならないほどの力が必要になるだろうね」

 

 ゼレフは、静かに続けた。

 

「世界の歴史そのものへ干渉するなら、なおさらだ」

 

「……つまり」

 

 イリスが微笑んだ。

 

「今すぐ実現できる方法ではない、ということですね」

 

「……うん」

 

 ゼレフも、小さく笑った。

 

「今のところは、ただの仮説だよ」

 

 メイビスは、手帳を開いた。

 

 そして、新しい項目を書き加える。

 

『過去への干渉による因果の改変』

 

「……これも、研究課題に入れておきましょう!」

 

「……いいのかい?」

 

 ゼレフが尋ねる。

 

「もちろんです!」

 

 メイビスは、明るく答えた。

 

「実現できるかわからないからといって、最初から考えないのはもったいないです!」

 

「…………」

 

 ゼレフは、少しだけ目を見開いた。

 

 そして。

 

「……そうだね」

 

 穏やかに微笑んだ。

 

「……そのとおりだ」

 

 彼も、自分の研究手帳を開いた。

 

 そこに、短い一文を書き留める。

 

『過去への干渉――因果改変の可能性』

 

 ただ、それだけだった。

 

 この時点では、具体的な術式も、実現するための手段も存在しない。

 

 あまりにも遠い、理論上の可能性。

 

 けれど。

 

 その小さな一文が、長い年月を経て、ゼレフの運命に深く関わることになるとは。

 

 今の三人には、まだ知る由もなかった。

 

 ◇

 

【第五幕 未来への仮説】

 

 夕暮れ。

 

 森の木々が、茜色の光に染まり始めていた。

 

 三人は、今日一日でまとめた研究資料を眺めていた。

 

「……ふぅ」

 

 メイビスが、大きく伸びをした。

 

「たくさん考えましたね!」

 

「……そうですね」

 

 イリスが微笑んだ。

 

「朝からずっと研究していましたから」

 

「……でも、楽しかったです!」

 

 メイビスは、嬉しそうに笑った。

 

「……僕もだよ」

 

 ゼレフが、静かに答えた。

 

「……久しぶりに、誰かと魔法について語り合えた」

 

「……ゼレフさん」

 

 イリスが、彼を見つめる。

 

 ゼレフは、少しだけ照れたように微笑んだ。

 

「……一人で研究していると、どうしても同じ考え方に囚われてしまうことがある」

 

「……そうですね」

 

 イリスが頷いた。

 

「他の人の意見を聞くことで、気づけることもありますから」

 

「……うん」

 

 ゼレフは、二人を見つめた。

 

「……今日、それを改めて感じたよ」

 

 メイビスは、手帳を開いた。

 

「それでは、今日のまとめです!」

 

 彼女は、三つの項目を指差した。

 

「まず一つ目!」

 

『封印魔法による呪いの影響の隔離』

 

「呪いそのものを封じる方法と、対象を外界から隔離する方法を調べます!」

 

「……うん」

 

 ゼレフが頷く。

 

「ただし、封印が本当に呪いの作用を遮断できるかどうかは、まだわからない」

 

「はい!」

 

 メイビスは、次の項目を指差した。

 

「二つ目!」

 

『魔力の蓄積と継続供給』

 

「幻影魔法や封印魔法を長期間維持するための、魔力供給方法を研究します!」

 

「……これは、私も協力できそうですね」

 

 イリスが微笑んだ。

 

「異世界の魔道具について、覚えている範囲で資料をまとめてみます」

 

「ありがとうございます、イリス!」

 

 メイビスが嬉しそうに笑った。

 

「そして、三つ目!」

 

『時間干渉と過去改変』

 

「呪いを受ける前の歴史に干渉できるかどうか、その可能性を調べます!」

 

「……ただし」

 

 ゼレフが、静かに付け加えた。

 

「これは、特に慎重に考える必要があるね」

 

「……はい」

 

 メイビスも頷いた。

 

「過去を変えることが、必ずしも望んだ結果に繋がるとは限りませんから」

 

「……そうですね」

 

 イリスも、静かに答えた。

 

 メイビスは、最後にもう一つ、小さく書き加えた。

 

『呪いそのものの解明を継続する』

 

「……そして、もちろん!」

 

 彼女は、二人を見つめた。

 

「根本的な解除方法を探すことも、諦めません!」

 

「……うん」

 

 ゼレフが、穏やかに頷いた。

 

「それが、一番大切なことだね」

 

 三人は、しばらく手帳を見つめていた。

 

 今日一日で、呪いが解けたわけではない。

 

 新しい魔法が完成したわけでもない。

 

 研究課題が増えただけとも言える。

 

 それでも。

 

 昨日まで漠然としていた問題が、少しずつ形になり始めていた。

 

「……ゼレフさん」

 

 イリスが、静かに口を開いた。

 

「……何だい?」

 

「これから、どうされるおつもりですか?」

 

「……そうだね」

 

 ゼレフは、少し考え込んだ。

 

「僕は、引き続き各地の古い記録を調べてみようと思う」

 

「……なるほど」

 

「長い年月をかけて調べてきたけれど、まだ見落としているものがあるかもしれない」

 

 メイビスが頷いた。

 

「それなら、私たちも協力します!」

 

「……ありがとう」

 

 ゼレフは、微笑んだ。

 

「ただ……君たちは、そろそろ妖精の尻尾へ戻ることも考えているんじゃないかな?」

 

「……!」

 

 メイビスが、少しだけ目を見開いた。

 

「……そうですね」

 

 イリスが答える。

 

「もう五年も帰っていませんから」

 

 妖精の尻尾。

 

 懐かしい仲間たち。

 

 ユーリ。

 

 プレヒト。

 

 ウォーロッド。

 

 そして、成長したであろうマカロフ。

 

 五年という月日は、決して短くない。

 

「……みんな、元気にしているでしょうか」

 

 メイビスが、小さく呟いた。

 

「……きっと、元気ですよ」

 

 イリスが、優しく微笑んだ。

 

「手紙でも、元気そうでしたから」

 

「……はい」

 

 メイビスも、少しだけ笑った。

 

 ゼレフは、そんな二人を見つめていた。

 

「……帰る場所があるんだね」

 

「……はい」

 

 イリスが頷いた。

 

「……私たちの、大切な場所です」

 

「……そうか」

 

 ゼレフは、穏やかに微笑んだ。

 

「……それは、いいことだね」

 

 その声には、どこか寂しさが滲んでいた。

 

 イリスは、それに気づいた。

 

「……ゼレフさん」

 

「……何だい?」

 

「……また、お会いしましょうね」

 

「…………」

 

 ゼレフが、目を瞬かせた。

 

「……また?」

 

「はい」

 

 イリスは、自然に微笑んだ。

 

「友達になったんですから」

 

「…………」

 

「研究のことで相談したいことも、きっと出てくると思います」

 

 メイビスも、大きく頷いた。

 

「そうですよ!」

 

「……メイビス」

 

「それに、まだまだ聞きたいことがたくさんありますから!」

 

 ゼレフは、思わず笑った。

 

「……ふふっ」

 

「……何ですか?」

 

「……いや」

 

 ゼレフは、首を横に振った。

 

「……君たちらしいなと思って」

 

 そして、少しだけ考えた。

 

「……それなら、互いの研究成果を共有する方法も考えようか」

 

「……共有する方法?」

 

 メイビスが尋ねる。

 

「……うん」

 

 ゼレフは頷いた。

 

「僕は一つの場所に留まることが少ないから、普通の手紙では届かないこともある」

 

「……なるほど!」

 

 メイビスの瞳が輝いた。

 

「それなら、魔法を使った連絡手段を考えてみましょう!」

 

「……また研究が増えましたね」

 

 イリスが、くすりと笑う。

 

「いいじゃないですか!」

 

 メイビスは、楽しそうに答えた。

 

「友達と連絡を取るための魔法なんですから!」

 

「……そうだね」

 

 ゼレフが、穏やかに頷いた。

 

「……それは、ぜひ考えてみたいな」

 

 夕暮れの森に、三人の笑い声が響いた。

 

 ◇

 

 夜。

 

 野営地には、温かな明かりが灯っていた。

 

 イリスが用意した夕食を囲みながら、三人は今日の研究について語り合っていた。

 

「……それにしても」

 

 ゼレフが、ふと呟いた。

 

「……今日は、不思議な一日だったよ」

 

「……不思議?」

 

 イリスが尋ねる。

 

「……うん」

 

 ゼレフは、手元のカップを見つめた。

 

「長い間、僕は一人で研究を続けてきた」

 

「…………」

 

「何かを発見しても、それを話す相手はいなかった」

 

 静かな声だった。

 

「新しい疑問が生まれても、一人で考えるしかなかった」

 

 メイビスは、黙って耳を傾けていた。

 

「……でも、今日は違った」

 

 ゼレフは、二人を見つめた。

 

「君たちと話しているうちに、今まで考えもしなかった可能性が、いくつも見えてきた」

 

「……ゼレフさん」

 

「……答えは、まだ見つかっていないけれど」

 

 ゼレフは、静かに微笑んだ。

 

「……一人では見つけられなかった答えも、三人なら見つけられるかもしれないね」

 

 その言葉に。

 

「……はい!」

 

 メイビスが、嬉しそうに頷いた。

 

「私も、そう思います!」

 

 イリスも、自然に微笑んだ。

 

「……そうですね」

 

 そして、二人を見つめる。

 

「焦らず、一つずつ進めていきましょう」

 

「……うん」

 

 ゼレフが頷いた。

 

「……ありがとう、二人とも」

 

 メイビスは、少しだけ首を傾げた。

 

「……どうして、お礼を言うんですか?」

 

「……え?」

 

「友達なんですから、当たり前じゃないですか!」

 

「…………」

 

 ゼレフは、しばらく黙っていた。

 

 やがて。

 

「……そうだったね」

 

 小さく笑った。

 

「……僕たちは、友達だった」

 

「……ふふっ」

 

 イリスも笑った。

 

「忘れないでくださいね?」

 

「……うん」

 

 ゼレフは、穏やかに答えた。

 

「……忘れないよ」

 

 森の向こうには、満天の星空が広がっていた。

 

 アンクセラムの呪い。

 

 封印魔法。

 

 魔力の供給。

 

 そして、過去への干渉。

 

 今日生まれた仮説は、どれもまだ小さな可能性にすぎない。

 

 実現できる保証など、どこにもなかった。

 

 それでも。

 

 三人は、明日について語り合っていた。

 

 長い孤独を生きてきた黒魔導士。

 

 大切な人を失いながらも、未来を望む少女。

 

 そして、二人と共に歩むことを選んだ異世界の聖剣使い。

 

 彼らがこの日書き残した研究の記録は、やがて長い年月を経て、思いもよらない形で未来へ繋がっていく。

 

 けれど、今はまだ。

 

 誰も、その行く末を知らない。

 

 ただ、温かな食卓を囲みながら。

 

 三人は、明日も続く研究について楽しそうに話していた。

 

 ――第75話 終――

 




【こそこそ妖精話】
~天才魔導士が二人いると~

 その日、イリス・アストレアは一つの事実を学んだ。

 ――天才魔導士が二人揃うと、研究はなかなか終わらない。

メイビス「ゼレフさん! この術式、もう少し改良できると思いませんか!?」

ゼレフ「……そうだね。ここの魔力循環を変えれば、効率が上がるかもしれない」

メイビス「ですよね! それなら、こちらの術式も組み込んで……!」

ゼレフ「……ああ、それは面白い発想だね」

 地面に広げられた羊皮紙。

 次々と書き足されていく魔法陣。

 そして、止まらない二人の会話。

 その隣で、イリスは静かに紅茶を淹れていた。

イリス「……お二人とも、そろそろ休憩しませんか?」

メイビス「あと少しです!」

ゼレフ「……もう少しで、計算がまとまりそうなんだ」

イリス「……そうですか」

 イリスは微笑んだ。

 そして、三十分後。

イリス「……お二人とも?」

メイビス「ゼレフさん! ここ、逆にしたらどうでしょう!?」

ゼレフ「……なるほど。それなら、こちらも変更した方がいいね」

イリス「…………」

 さらに、一時間後。

イリス「……メイビス」

メイビス「はいっ!」

イリス「お昼ご飯ができましたよ」

メイビス「あと五分です!」

ゼレフ「……僕も、あと少しだけ」

イリス「…………」

 イリスは、静かに二人を見つめた。

 そして。

イリス「……では、おやつもなしですね」

メイビス「えっ!?」

 メイビスが、勢いよく顔を上げた。

ゼレフ「……おやつ?」

 ゼレフまで手を止める。

イリス「はい。今日は蜂蜜入りの焼き菓子を作ろうと思っていたのですが……」

メイビス「食べます!!」

ゼレフ「……僕も、少し気になるな」

イリス「……ふふっ」

 イリスは、満足そうに微笑んだ。

イリス「では、まずはお昼ご飯を食べましょうね?」

メイビス「はーい!」

ゼレフ「……うん。そうしよう」

 こうして、二人の天才魔導士は、ようやく研究を中断した。

 ちなみに。

 その日の午後、イリスは研究資料の端に小さな注意書きを追加したという。

『研究中でも、食事と休憩は忘れないこと』

 その下には、メイビスの字で、

『おやつの時間も!』

 さらに、ゼレフの字で、

『……賛成』

 と書き加えられていた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。

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