X701年。
フィオーレ王国北東部、山岳地帯の森。
木々の隙間から差し込む朝日が、静かな森を柔らかく照らしていた。
小鳥たちのさえずりが響く中、焚き火のそばでは三人の魔導士が朝食を囲んでいる。
「……やっぱり、イリスの料理は美味しいですね!」
焼きたてのパンを頬張りながら、メイビスが幸せそうに微笑んだ。
「ふふっ。ありがとうございます。でも、そんなに慌てなくてもなくなりませんよ?」
「だって、美味しいんですもん!」
「……僕も、そう思うよ」
向かいに座っていたゼレフも、小さく笑った。
「誰かと一緒に食べる朝食が、こんなに楽しいものだったなんてね」
その言葉に、イリスは穏やかな笑みを浮かべる。
「でしたら、またご馳走しますね」
「……うん。楽しみにしているよ」
三人の間に、穏やかな時間が流れていた。
昨日まで続いていた研究の議論も、今朝はひとまずお休みだ。
アンクセラムの呪い。
封印魔法。
魔力の蓄積と継続供給。
そして、過去への干渉という未知の可能性。
どれも簡単に答えが出る問題ではない。
けれど、三人は確かに未来へ繋がる道筋を見つけていた。
「……さて」
朝食を終えたメイビスが、膝の上に置いていた研究手帳を閉じる。
「そろそろ、私たちも帰る準備をしないといけませんね」
「そうですね」
イリスは頷いた。
「もう五年ほど、妖精の尻尾に帰っていませんから」
「……五年、か」
ゼレフが静かに呟く。
「長い旅だったんだね」
「はい。でも、無駄な旅ではありませんでした」
メイビスは微笑んだ。
「ゼレフさんにも会えましたし、これから調べるべきことも見つかりました!」
「それに、ギルドにはプレヒトさんもいます」
イリスが続ける。
「封印魔法や魔力供給の研究なら、きっと力になってくれるはずです」
「ええ! プレヒトの研究熱心さは、昔から変わりませんからね!」
メイビスは楽しそうに笑った。
ゼレフも頷く。
「彼なら、僕たちとは違う視点から考えてくれるかもしれないね」
「はい!」
メイビスは勢いよく立ち上がった。
「というわけで、ゼレフさん! 私たちは一度、マグノリアへ戻ろうと思います!」
「……うん」
ゼレフは穏やかに微笑んだ。
「二人の帰る場所だものね」
その言葉に、メイビスは少しだけ目を伏せた。
帰る場所。
かつて、自分が飛び出してしまった場所。
そこには、大切な仲間たちがいる。
そして――。
自分の呪いによって命を落とした、大切な仲間の記憶も。
「……メイビス」
隣から、イリスが優しく呼びかけた。
「……はい」
「大丈夫ですよ。私も一緒ですから」
メイビスは顔を上げる。
イリスは、いつもと変わらない笑顔を向けていた。
「……ありがとうございます、イリス」
メイビスも、小さく微笑み返した。
---
昼前。
三人は、これまでにまとめた研究資料を整理していた。
古代呪術に関する記録。
魔力の変化についての観察結果。
封印魔法に関する仮説。
そして、今後の研究課題。
メイビスは手帳をめくりながら、満足そうに頷く。
「これで、ひとまず整理できましたね!」
「ええ。あとは、それぞれの場所で研究を進めるだけですね」
イリスが答える。
「……そうだね」
ゼレフも、自分の研究手帳を閉じた。
「僕も、引き続き古い記録を調べてみるよ」
「お願いします!」
メイビスは笑顔で頷いた。
そこで、イリスがふと思い出したように口を開く。
「そういえば、ゼレフさん」
「ん?」
「今後の研究成果は、どうやって共有しましょうか?」
「ああ……そうだったね」
ゼレフは少し考え込んだ。
「僕はこれからも各地を旅するつもりだから、いつも同じ場所にいるわけじゃないんだけど……」
「でしたら、定期的に戻る場所はありませんか?」
「あるよ」
「本当ですか?」
「うん。アラキタシア大陸にね」
メイビスが目を輝かせる。
「アラキタシア大陸! 西の大陸ですね!」
「そうだよ」
ゼレフは頷いた。
「そこにアルバレス帝国という国があるんだ」
「アルバレス帝国……」
イリスが聞き慣れない国名を繰り返す。
「その国に、ゼレフさんのお知り合いが?」
「うん。まあ……そんなところかな」
ゼレフは少しだけ言葉を選ぶようにしてから、続けた。
「手紙を送るなら、アルバレス帝国の皇宮宛てにしてくれるといいよ」
「……皇宮?」
メイビスが首を傾げる。
「ゼレフさん、皇宮にお住まいなんですか?」
「いつもいるわけじゃないけどね」
「ということは……」
イリスも不思議そうに尋ねた。
「皇帝陛下とお知り合いなのでしょうか?」
「……ああ」
ゼレフは、何でもないことのように答えた。
「僕が皇帝なんだ」
「…………」
「…………」
森に、静寂が訪れた。
小鳥が一羽、枝から飛び立つ。
風が木々の葉を揺らした。
そして。
「…………え?」
最初に声を漏らしたのは、イリスだった。
メイビスは、ぽかんと口を開けている。
「……ゼレフさん?」
「うん?」
「今、何と……?」
「僕がアルバレス帝国の皇帝だって」
「…………」
「…………」
再び沈黙。
そして。
「「えええええええっ!?」」
二人の声が、森いっぱいに響き渡った。
ゼレフは思わず肩を震わせる。
「……そんなに驚くことかな?」
「驚きますよ!?」
イリスが珍しく声を上げた。
「ゼレフさん、皇帝だったんですか!?」
「う、うん」
「初耳ですよ!?」
「……言ってなかったっけ?」
「聞いてません!!」
今度はメイビスが勢いよく身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください! アルバレス帝国って、あの西の大陸にある国ですよね!?」
「そうだよ」
「それで、ゼレフさんが皇帝!?」
「……うん」
「どうして今まで黙ってたんですか!?」
ゼレフは困ったように頬を掻いた。
「……話す機会がなかったから」
「五年も探して、ようやく再会して、三日も一緒に過ごしているのに!?」
「……ごめん」
メイビスは頭を抱えた。
「まさか、昔の魔法の先生が皇帝になっているなんて……!」
「僕も、まさかこんなに驚かれるとは思わなかったよ」
「普通は驚きます!」
イリスが即座に答える。
その様子を見て、ゼレフはとうとう小さく吹き出した。
「……ふふっ」
「ゼレフさん?」
「いや……ごめん」
ゼレフは口元を押さえながら笑った。
「二人の反応が、あまりにも面白くて」
「もうっ!」
メイビスは頬を膨らませた。
「ゼレフさん、意外とお茶目なんですね!」
「……そうかもしれないね」
イリスは額に手を当て、小さく息を吐いた。
「……まさか、友達になった方が皇帝だったなんて」
「……嫌だった?」
ゼレフが、少しだけ不安そうに尋ねた。
その問いに、イリスは目を瞬かせる。
そして、ふっと笑った。
「いいえ?」
「……え?」
「ゼレフさんが皇帝でも、私たちの友達であることに変わりはありませんから」
メイビスも大きく頷いた。
「そうですよ!」
そして、いたずらっぽく微笑む。
「でも、次に会うときは『皇帝陛下』って呼んだ方がいいですか?」
「……それは、やめてほしいな」
ゼレフが苦笑する。
「僕は、二人には今までどおり接してほしい」
「ふふっ。もちろんです!」
「ええ。これからもゼレフさんと呼ばせていただきますね」
「……ありがとう」
ゼレフは、心から嬉しそうに微笑んだ。
---
それから三人は、今後の連絡方法について話し合った。
アルバレス帝国の皇宮へ手紙を送り、ゼレフが戻った際に確認する。
研究資料については、必要に応じて写しを作り、手紙に添える。
もちろん、大陸を越える以上、届くまでには時間がかかる。
ゼレフが旅に出ていれば、返事が来るまでさらに時間が必要になるだろう。
それでも、連絡を取る方法がある。
それだけで十分だった。
「皇宮には、僕宛ての私的な手紙として届けてもらえるようにしておくよ」
ゼレフが言う。
「ただ、僕の名前や研究内容は、あまり広めないでほしい」
「わかりました」
イリスは頷いた。
「こちらでも、必要以上に話すつもりはありません」
「私もです!」
メイビスも同意する。
「それに、研究成果はきちんと整理して送りますから!」
「……うん。楽しみにしているよ」
ゼレフは微笑んだ。
こうして、三人の間に新たな約束が生まれた。
離れていても、研究は続けられる。
すぐに答えが出なくても、諦める必要はない。
何年かかっても。
何十年かかっても。
三人は、それぞれの場所から同じ問題に向き合っていく。
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やがて、別れの時間が訪れた。
森の中を通る細い道。
そこが、三人の分かれ道だった。
イリスとメイビスは、マグノリアへ。
ゼレフは、再び古い記録を求めて旅を続ける。
「……それじゃあ」
ゼレフが静かに口を開いた。
「二人とも、気をつけて」
「はい!」
メイビスが元気よく答える。
「ゼレフさんも、お元気で!」
「……うん」
ゼレフは微笑んだ。
けれど、その笑顔には、ほんの少しだけ寂しさが混じっていた。
長い年月。
ゼレフは、誰かと親しくなることを避けてきた。
大切に思えば思うほど、呪いは周囲の生命を奪う。
だからこそ、人との距離を置き続けてきた。
それなのに。
この数日間は、不思議なほど穏やかだった。
一緒に食事をして。
研究について語り合って。
くだらないことで笑い合って。
そして、友達になった。
そんな時間が、終わろうとしている。
「……ゼレフさん」
イリスが、静かに呼びかけた。
「……何かな?」
「そんな顔をしないでください」
「……え?」
イリスは微笑んだ。
「これでお別れというわけではありませんよ?」
メイビスも隣で頷く。
「そうですよ! 私たちは友達なんですから!」
「……友達」
「はい!」
メイビスは満面の笑みを浮かべた。
「また会いに来ます! 今度はもっとたくさん、お話ししましょう!」
「それに、ゼレフさん」
イリスが続ける。
「次に会うときも、美味しい料理をご馳走しますね」
「……ふふっ」
ゼレフは小さく笑った。
「それは楽しみだね」
「もちろん、おやつもありますよ!」
メイビスがすかさず付け加える。
「……メイビス。それは私が作る前提ですよね?」
「えへへっ」
「もう……」
イリスは呆れたように笑った。
ゼレフも、声を立てて笑う。
三人の笑い声が、静かな森に響いた。
やがて、ゼレフは二人を見つめた。
「……ありがとう」
その声は、とても穏やかだった。
「僕は、長い間……誰かと次に会う約束をすることなんて、考えていなかった」
イリスとメイビスは、黙って耳を傾ける。
「でも、今は違う」
ゼレフは微笑んだ。
「また会える日が、楽しみなんだ」
「……ゼレフさん」
「だから……また会おう」
メイビスは、大きく頷いた。
「はい!」
イリスも、優しく微笑む。
「約束ですよ」
「……うん。約束だ」
三人は、最後にもう一度笑い合った。
そして。
イリスとメイビスは、マグノリアへ向かう道を歩き始めた。
ゼレフは、その背中を見送る。
二人の姿が木々の向こうへ消えるまで、ずっと。
「……また会う日まで」
小さく呟いた言葉は、柔らかな風に乗って消えていった。
けれど、ゼレフの表情に、かつてのような孤独の影はなかった。
今の彼には、次の再会を楽しみにできる友達がいる。
それだけで。
長い旅路が、ほんの少しだけ明るく感じられた。
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森を抜けた先。
緩やかな丘陵地帯を、二人の少女が歩いていた。
「……イリス」
「はい?」
「ゼレフさん、皇帝だったんですね……」
「……まだ驚いているんですか?」
「だって、皇帝ですよ!?」
メイビスは両手を広げた。
「昔、一緒に魔法の勉強をしたゼレフさんが、今では一国の皇帝なんですよ!?」
「ふふっ。確かに、驚きましたね」
イリスも笑った。
「でも、ゼレフさんはゼレフさんですよ」
「……そうですね!」
メイビスは楽しそうに頷いた。
それから、しばらく二人は並んで歩いた。
遠くには山々が連なり、青空には白い雲がゆっくりと流れている。
やがて、メイビスがぽつりと呟いた。
「……五年、ですか」
「……ええ」
「ユーリたち、どうしているでしょうね」
「きっと元気にしていますよ」
イリスは微笑んだ。
「プレヒトさんは、相変わらず研究に夢中でしょうし」
「ふふっ。そうでしょうね」
「ウォーロッドさんも、きっと変わらず穏やかなのでしょうね」
「ええ!」
メイビスの表情が明るくなる。
「それに、マカロフも大きくなったでしょうね!」
「もう五歳ですからね」
「私たちのこと、覚えているでしょうか?」
「……生まれたばかりでしたから、難しいかもしれませんね」
「そうですよね……」
メイビスは少し残念そうに笑った。
けれど。
その笑顔が、ふと曇る。
マカロフ。
その名前を口にするたび、思い出してしまう。
あの日のことを。
小さな命の誕生を喜んだ、その直後。
自分の呪いによって、リタの命が奪われた。
「…………」
メイビスの足が、少しだけ遅くなる。
イリスは、その変化に気づいていた。
けれど、すぐには何も言わなかった。
ただ、歩調を合わせる。
「……イリス」
「はい」
「……私、ちゃんと帰れるでしょうか」
その声は、小さかった。
「……みんなに、会ってもいいんでしょうか」
イリスは足を止めた。
メイビスも立ち止まる。
風が、二人の髪を揺らした。
「……メイビス」
イリスは、ゆっくりと口を開いた。
「怖いですか?」
「……はい」
メイビスは俯いた。
「みんなに会いたいんです。ユーリにも、プレヒトにも、ウォーロッドにも……」
声が、少し震える。
「でも……」
その先の言葉は、続かなかった。
イリスは、静かにメイビスの手を取った。
「……無理に笑わなくてもいいんですよ」
「……イリス」
「怖いなら、怖いと言ってください」
イリスは優しく微笑んだ。
「私が、ちゃんと聞きますから」
メイビスの瞳が揺れる。
「……私、本当に……帰りたいんです」
「はい」
「みんなに……会いたいです」
「……ええ」
イリスは、その手をそっと握り直した。
「でしたら、一緒に帰りましょう」
「……一緒に?」
「もちろんです」
イリスは笑った。
「私は、メイビスと共に生きていくと決めましたから」
その言葉に、メイビスは目を見開く。
五年前。
絶望の中で、自分を抱き締めてくれた少女。
呪いを恐れず、そばにいてくれた少女。
あの日、イリスが告げた言葉を、メイビスは今も覚えている。
『私は、この世界でメイビスと共に生きていきます』
「……イリス」
「はい」
「……ありがとうございます」
メイビスは、少しだけ涙を浮かべながら微笑んだ。
イリスも微笑み返す。
「どういたしまして」
そして、二人は再び歩き始めた。
手を繋いだまま。
まだ、呪いは解けていない。
メイビスの心の傷も、完全には癒えていない。
帰った先で、何が待っているのかもわからない。
それでも。
帰りたい場所がある。
会いたい人たちがいる。
そして、隣には大切な友達がいる。
それだけで、前へ進む理由には十分だった。
「……イリス!」
「はい?」
「帰ったら、まず何をしましょうか!」
メイビスが、少しだけ明るい声で尋ねた。
イリスは考える。
そして、くすりと笑った。
「そうですね……まずは、みなさんにただいまと伝えましょうか」
「……はい!」
メイビスは、大きく頷いた。
「それがいいですね!」
青空の下。
二人の少女は、故郷へ続く道を歩いていく。
約五年間に及ぶ旅が、終わろうとしていた。
けれど、それは新しい物語の始まりでもある。
遠く離れた森には、再会を約束した友達がいる。
そして、これから帰る場所には、大切な仲間たちが待っている。
――また会う日まで。
その約束を胸に。
二人は、妖精の尻尾を目指して歩き続けた。
第76話 また会う日まで 完
【こそこそ妖精話】
~皇帝陛下のお仕事~
メイビス「……ゼレフさん」
ゼレフ「何かな?」
メイビス「皇帝って、普段はどんなお仕事をしているんですか?」
ゼレフ「……そうだね。国のことは、信頼できる人たちに任せていることが多いかな」
イリス「……それは大丈夫なんですか?」
ゼレフ「優秀な人たちだからね」
メイビス「じゃあ、ゼレフさんは普段何をしているんですか?」
ゼレフ「魔法の研究をしたり、各地を旅したり……」
イリス「…………」
メイビス「…………」
イリス「……ゼレフさん」
ゼレフ「うん?」
イリス「それ、皇帝というより自由な冒険者では?」
ゼレフ「……そうかもしれないね」
メイビス「いいですね! 私も皇帝になったら、毎日魔法の研究をします!」
イリス「メイビス。皇帝になる目的が研究なんですか?」
メイビス「もちろんです! 大きな図書館も作れますし!」
ゼレフ「……それは、いい考えだね」
イリス「ゼレフさんまで!?」
メイビス「それから、お城には大きなお菓子工房も作ります!」
ゼレフ「……お菓子工房?」
メイビス「はい! 毎日違うお菓子を研究するんです!」
ゼレフ「……なるほど。興味深いね」
イリス「……嫌な予感がします」
メイビス「ゼレフさん! 今度、アルバレス帝国のお城を見学させてください!」
ゼレフ「うん。機会があれば、案内するよ」
メイビス「やったー!」
イリス「……ゼレフさん」
ゼレフ「何かな?」
イリス「くれぐれも、皇宮をお菓子研究所にしないでくださいね?」
ゼレフ「……努力するよ」
イリス「そこは約束してください!!」
――後に、アルバレス帝国の皇宮へ届く手紙には、魔法研究の資料に混じって、お菓子のレシピが添えられるようになったとか、ならなかったとか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。