X701年。
フィオーレ王国、マグノリア。
秋の柔らかな陽射しが、石畳の街路を照らしていた。
街を行き交う人々の声。
店先から漂う焼きたてのパンの香り。
遠くで鳴り響く教会の鐘。
五年前と変わらないものもあれば、見覚えのない建物や新しい店も増えている。
そんな街を見下ろす小高い丘に、二人の少女が立っていた。
「……帰ってきましたね」
黒髪を風になびかせながら、イリス・アストレアが微笑む。
その隣では、金色の髪を持つ少女が、懐かしそうに街並みを眺めていた。
メイビス・ヴァーミリオン。
妖精の尻尾の初代マスター。
そして、五年前の悲劇を境に、愛する仲間たちのもとを離れた少女だった。
「……はい」
小さく答えたメイビスの声には、喜びと不安が入り混じっていた。
イリスは、その横顔を静かに見つめる。
五年間。
二人は世界各地を旅しながら、ゼレフを探し続けてきた。
そして、ようやく再会を果たし、呪いについて語り合うこともできた。
けれど。
メイビスが本当に向き合わなければならないものは、まだ残っている。
「……イリス」
「はい」
「私……少し、怖いです」
メイビスは胸元で両手を握り締めた。
「みんなに会いたいんです。ユーリにも、プレヒトにも、ウォーロッドにも……」
「……はい」
「でも、ユーリに会ったら……何を言えばいいのか、わからなくて」
その声が震える。
「リタさんは……私のせいで……」
言葉が途切れた。
五年という歳月は、悲しみを消してはくれなかった。
あの日、ギルドで起きた出来事。
命を奪われたリタ。
泣き崩れたユーリ。
そして、何も知らずに生まれてきた小さな命。
忘れられるはずがない。
イリスは、そっとメイビスの手を握った。
「……無理に、何かを言おうとしなくてもいいと思います」
「……でも」
「ユーリさんが、今どんな気持ちなのか。私たちには、まだわかりません」
イリスは優しく続けた。
「だからこそ、会って、お話ししましょう」
「……イリス」
「私も一緒です」
メイビスが顔を上げる。
イリスは、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「五年前も、今も。これから先も」
握った手に、ほんの少し力を込める。
「私は、メイビスの隣にいますから」
「…………はい」
メイビスは目元を拭い、小さく頷いた。
そして、もう一度マグノリアを見つめる。
「……行きましょう」
「はい!」
二人は、懐かしい街へと歩き出した。
◇
街へ入る前に、二人は人通りのない森へ立ち寄った。
木々に囲まれた静かな場所。
メイビスは周囲に人や動物がいないことを確かめると、ゆっくりと目を閉じた。
淡い光が、その身体を包む。
次の瞬間。
彼女の隣に、もう一人のメイビスが現れた。
姿も、声も、表情も同じ。
高度な幻影魔法によって生み出された、実体を持つ分身だった。
「……これで大丈夫ですね」
幻影のメイビスが、自分の手を握ったり開いたりする。
「はい。いつもどおりです」
イリスは頷いた。
メイビスの本体は、呪いの影響が周囲へ及ばないよう、人の立ち入らない森の奥に留まる。
街へ向かうのは、実体を持った幻影だけ。
この五年間、何度も繰り返してきた方法だった。
「……それでは、行ってきます」
幻影のメイビスが、静かに残された本体へ告げる。
イリスは森の周囲に防御魔法を施し、安全を確かめた。
そして、二人はマグノリアへ向かった。
◇
妖精の尻尾。
その建物が見えた瞬間、メイビスの足が止まった。
「…………」
五年前と、少しだけ違う。
外壁は綺麗に塗り直され、窓も増えている。
入口の看板も新しくなっていた。
それでも。
そこに刻まれた妖精の紋章だけは、昔と変わらない。
「……大きくなりましたね」
メイビスが呟く。
「そうですね」
イリスも懐かしそうに笑った。
かつて、ほんの数人で始めた小さなギルド。
今では、多くの魔導士が集う場所になっている。
建物の中からは、賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「おい! それ俺の依頼書だろ!」
「早い者勝ちだって!」
「ちょっと! テーブル壊さないでよ!」
「誰かマスター呼んでこい!」
騒がしい。
実に騒がしい。
イリスは思わず吹き出した。
「……ふふっ。相変わらずですね」
「……はい」
メイビスも小さく笑う。
けれど、その手はまだ震えていた。
イリスは何も言わず、そっと隣に立つ。
そして。
二人は、ギルドの扉を開いた。
◇
ぎい、と木製の扉が音を立てた。
その瞬間。
「いらっしゃーい!」
受付にいた女性が、明るい声を上げた。
「依頼のご相談ですか? それとも入会希望――」
そこまで言って、言葉が止まる。
扉の前に立つ二人の少女。
黒髪に、青と金の瞳。
そして、金色の髪を持つ、小柄な少女。
女性は何度も瞬きをした。
「……え?」
近くにいた魔導士が振り返る。
「どうした?」
「いや……あの二人……」
「……まさか」
ざわり。
ギルド内の空気が変わった。
古くから所属している魔導士たちが、次々と立ち上がる。
「……イリス?」
「メイビス……マスター?」
誰かが、信じられないという声を漏らした。
イリスは少し照れくさそうに微笑む。
「……皆さん、お久しぶりです」
そして、メイビスも。
「……お久しぶりです」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「イリスだああああっ!!」
「メイビスさんもいるぞ!!」
「本物か!?」
「五年ぶりじゃないか!!」
歓声が爆発した。
何人もの魔導士が駆け寄ってくる。
「どこ行ってたんだよ!」
「元気だったのか!?」
「全然変わってないじゃないか!」
「二人とも、帰ってきたんだな!」
次々とかけられる言葉。
イリスは笑顔で答えながら、懐かしい顔を探した。
そのとき。
「……イリス?」
奥から、聞き覚えのある声がした。
振り返る。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
片目を覆う眼帯。
普段は冷静なその男も、今ばかりは驚きを隠せずにいた。
「……プレヒトさん!」
イリスが嬉しそうに声を上げた。
プレヒトはしばらく二人を見つめていたが、やがて深く息を吐いた。
「……本当に、帰ってきたのか」
「はい!」
「……そうか」
短い言葉。
けれど、その表情には確かな安堵が浮かんでいた。
「……おかえり、二人とも」
その一言に、イリスの胸が温かくなる。
「ただいまです、プレヒトさん!」
メイビスも、小さく頭を下げた。
「……ただいま、プレヒト」
プレヒトは、そんな彼女を見つめる。
何か言いたそうに唇を開きかけて。
けれど、今は何も問わなかった。
代わりに、いつもの落ち着いた声で告げる。
「ウォーロッドもいる。呼んでこよう」
「えっ、プレヒト? 今、僕の名前を呼んだ?」
ちょうどそのとき。
奥の廊下から、緑色の髪をした男が顔を出した。
「何かあったの? さっきから随分と騒がし――」
そして。
ぴたりと動きを止める。
「…………え?」
数秒後。
「イリス!? メイビス!?」
ウォーロッドが駆け寄ってきた。
「本当に!? 本当に帰ってきたの!?」
「はい! お久しぶりです、ウォーロッドさん!」
「うわあ……!」
ウォーロッドは嬉しそうに笑った。
「よかった……! 本当によかった!」
その声には、五年間の心配が滲んでいた。
メイビスも、ようやく自然な笑顔を浮かべる。
「……ただいま、ウォーロッド」
「うん!」
ウォーロッドは大きく頷いた。
「おかえり、メイビス!」
その言葉に、メイビスの瞳が潤んだ。
けれど。
まだ、一人。
会わなければならない人がいる。
◇
「……ユーリは?」
メイビスが、小さく尋ねた。
その瞬間。
プレヒトとウォーロッドの表情が、わずかに変わった。
「……奥にいる」
プレヒトが答える。
「今、マカロフと一緒だ」
「……マカロフ」
メイビスが、その名前を繰り返した。
あの日、生まれたばかりだった赤ん坊。
リタが命を落とした、あの日。
「……もう、五歳なんですね」
「……ああ」
プレヒトは静かに頷く。
「元気に育っているよ」
その言葉に、メイビスは少しだけ安心したように微笑んだ。
けれど、すぐに俯いてしまう。
そんな彼女の手を、イリスがそっと握った。
「……行きましょうか」
「…………はい」
プレヒトが奥の扉へ向かう。
ウォーロッドも、静かに道を開けた。
ギルド内の魔導士たちは、誰も騒がなかった。
皆、何かを察していた。
やがて。
プレヒトが、奥の部屋の扉を軽く叩いた。
「ユーリ」
「ん? どうした?」
懐かしい声。
メイビスの肩が、小さく震えた。
「……客だ」
「客?」
扉が開く。
そこに立っていたのは、金髪の男だった。
五年前よりも、少し大人びた顔立ち。
けれど、その瞳の輝きは、かつてのままだった。
ユーリ・ドレアー。
妖精の尻尾の創設者の一人。
そして。
リタの夫だった男。
「……誰が来たって?」
ユーリは何気なく顔を上げた。
その視線が、イリスを捉える。
「…………」
そして。
その隣に立つ、金髪の少女へと移った。
「…………メイビス?」
声が、掠れた。
メイビスは、何も言えなかった。
五年ぶりに見るユーリの顔。
ずっと会いたかった。
けれど、ずっと怖かった。
「……ユーリ……」
ようやく、その名前を呼ぶ。
ユーリは、しばらく動かなかった。
その表情には、驚きがあった。
懐かしさがあった。
そして。
決して消えることのない、深い悲しみがあった。
「…………」
長い沈黙。
メイビスは、震える唇を開いた。
「……私……」
言わなければ。
謝らなければ。
何度謝っても、許されることではない。
それでも。
「……ごめん、なさい……」
声が震える。
「……リタさんのこと……私……」
それ以上、言葉にならなかった。
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
ユーリは、そんなメイビスを静かに見つめていた。
そして。
ゆっくりと、目を閉じた。
「……メイビス」
「…………はい」
「俺は……今でも、リタに会いたい」
その言葉に、メイビスの胸が締めつけられる。
「……あいつがいなくなって、五年経った」
ユーリは、静かに続けた。
「マカロフが笑うたびに、あいつにも見せてやりたいって思う」
「…………」
「初めて歩いた日も、初めて俺を父ちゃんって呼んだ日も……」
その声が、少しだけ揺れた。
「……全部、リタにも見せたかった」
メイビスは、俯いたまま涙を流した。
イリスも、何も言わなかった。
ユーリの言葉を、ただ静かに聞いていた。
「……だからさ」
ユーリは、小さく息を吐いた。
「正直、まだ……どうしたらいいのか、わからねえ」
「…………はい」
「お前を責めたくなる日も、あった」
その言葉を、メイビスは受け止めた。
目を逸らさずに。
「……はい」
「でもな」
ユーリは、ゆっくりと顔を上げた。
「……お前が、あの日からずっと苦しんでることも、わかってる」
メイビスの瞳が揺れる。
「それに……」
ユーリは、ほんの少しだけ笑った。
「お前は、俺たちの仲間だろ」
「…………っ」
「俺たちで作ったんだ。このギルドを」
天狼島で出会った日。
マグノリアへ向かった日。
仲間たちと笑い合った日。
たくさんの思い出が、胸をよぎる。
「……だから」
ユーリは、一歩だけ近づいた。
そして。
五年間、言えなかった言葉を口にした。
「……おかえり、メイビス」
その瞬間。
メイビスの表情が、くしゃりと歪んだ。
「…………っ!」
涙が、止まらなかった。
「……ユーリ……!」
「……ああ」
「……私……私……!」
言葉にならない。
謝罪も、感謝も、悲しみも。
何もかもが溢れてしまう。
それでも。
メイビスは、震える声で答えた。
「……ただいま……ユーリ……!」
ユーリは、静かに頷いた。
許したわけではない。
忘れたわけでもない。
リタがいない現実は、これからも変わらない。
それでも。
帰ってきた仲間を、迎えることはできる。
その小さな一歩が。
五年間止まっていた時間を、ほんの少しだけ動かした。
◇
「……父ちゃん?」
不意に、小さな声がした。
部屋の奥。
そこから、一人の男の子が顔を覗かせていた。
金色の髪。
大きな瞳。
まだ幼さの残る、五歳ほどの少年。
「……マカロフ」
ユーリが振り返る。
「どうした?」
「なんか、みんな泣いてる」
少年は不思議そうに首を傾げた。
そして、イリスとメイビスを見つめる。
「……だれ?」
その問いに、メイビスが息を呑んだ。
イリスは、そっと彼女の背中に手を添える。
ユーリは少し考えてから、息子の頭を撫でた。
「……父ちゃんの、大事な友達だ」
「ともだち?」
「ああ」
ユーリは、二人へ視線を向ける。
「こっちがイリス。こっちがメイビスだ」
マカロフは、ぱちぱちと瞬きをした。
「……よろしく!」
元気な声。
その無邪気な笑顔に、イリスの頬が緩む。
「はい。よろしくお願いします、マカロフ君」
イリスは膝を折り、少年と目線を合わせた。
「私はイリス・アストレアといいます」
「イリス!」
「ふふっ。はい」
そして。
メイビスも、ゆっくりと膝を折った。
「……私は、メイビス・ヴァーミリオンです」
「メイビス!」
「……はい」
少年は、じっと彼女の顔を見つめる。
「……なんで泣いてるの?」
メイビスは、少しだけ困ったように笑った。
「……嬉しかったんです」
「うれしいのに?」
「……はい」
「ふーん……」
マカロフは、しばらく考え込んだ。
そして。
にっこり笑った。
「じゃあ、よかった!」
その言葉に。
メイビスは、思わず笑ってしまった。
「……ふふっ」
涙を零しながら。
それでも、確かに笑った。
ユーリは、そんな二人を静かに見つめていた。
◇
それからしばらくして。
ギルドの広間には、再び賑やかな声が戻っていた。
「イリス! 旅の話聞かせてくれよ!」
「五年間も何してたんだ!?」
「メイビスさん、相変わらず小さいな!」
「誰ですか今の!」
「うわっ! 聞こえてた!」
笑い声が響く。
プレヒトは呆れたように肩をすくめ、ウォーロッドは楽しそうに笑っていた。
ユーリも、マカロフと一緒に少し離れた席へ腰を下ろしている。
すべてが元どおりになったわけではない。
けれど。
確かに、何かが変わり始めていた。
イリスは、そんな光景を眺めながら、隣の少女へ声をかけた。
「……メイビス」
「はい?」
「……帰ってきて、よかったですね」
メイビスは、ゆっくりと広間を見渡した。
懐かしい仲間たち。
新しく増えた魔導士たち。
笑い声。
温かな灯り。
そして。
五年前と変わらず、そこにある妖精の紋章。
「…………はい」
メイビスは、胸元に手を当てた。
ずっと、帰りたかった。
けれど、帰ってはいけないと思っていた。
自分には、もう居場所などないのだと。
そう思っていた。
でも。
「……イリス」
「はい」
「……ありがとうございます」
イリスは、少しだけ首を傾げた。
「何がですか?」
「……一緒に、帰ってきてくれて」
その言葉に。
イリスは、優しく微笑んだ。
「……当たり前ですよ」
そして、メイビスの手を取る。
「ここは、私たちの帰る場所ですから」
「…………はい」
メイビスは、涙の残る瞳で微笑んだ。
その視線の先には、仲間たちの笑顔があった。
かつて、天狼島で始まった小さな出会い。
そこから生まれた、一つのギルド。
悲しみも。
後悔も。
喜びも。
何もかもを抱えながら。
それでも、ここに帰ってくることができた。
メイビスは、静かに呟いた。
「……ただいま、妖精の尻尾」
その声は、賑やかな広間の中に溶けていった。
けれど。
隣にいたイリスには、確かに届いていた。
そして、彼女もまた。
大好きな仲間たちを見つめながら、そっと微笑んだ。
五年ぶりの帰還。
それは、失われたものを取り戻す旅ではない。
失ったものを抱えたまま、それでも未来へ歩き出すための。
新しい一歩だった。
――第77話 おわり。
【こそこそ妖精話】
~五年ぶりの大騒ぎ~
ウォーロッド「それにしても、二人とも本当に変わらないね!」
イリス「ふふっ。ウォーロッドさんたちは、少し大人っぽくなりましたね」
ユーリ「少しって何だよ、少しって! こっちは五年も経ってんだぞ!」
メイビス「ユーリは、昔よりお父さんらしくなりましたね!」
ユーリ「そりゃ父親だからな!」
マカロフ「父ちゃん、いつも朝寝坊するぞ!」
ユーリ「マカロフ!? それは言わなくていい!」
ウォーロッド「あはは! ユーリ、昔から朝は弱かったもんね」
プレヒト「五年経っても、そこは変わらんらしい」
ユーリ「お前らなぁ……!」
メイビス「ふふっ。懐かしいですね!」
イリス「はい。やっぱり、妖精の尻尾は賑やかです」
マカロフ「なあなあ! イリスとメイビスは強いのか!?」
ウォーロッド「ものすごく強いよ!」
マカロフ「父ちゃんより!?」
ユーリ「おい、何でそこで俺と比べる!?」
イリス「ええと……どうでしょう?」
メイビス「ふふっ。今度、ユーリに確かめてみましょうか!」
ユーリ「おい待て! 帰ってきて早々、俺を巻き込むな!」
マカロフ「父ちゃん、がんばれー!」
プレヒト「……相変わらず、騒がしい連中だ」
ウォーロッド「でも、嬉しそうだね。プレヒトも」
プレヒト「……否定はせん」
イリス「ふふっ!」
メイビス「やっぱり、帰ってきてよかったです!」
――おしまい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。