X701年。
フィオーレ王国、マグノリア。
五年ぶりに帰ってきた妖精の尻尾は、今日も朝から賑やかだった。
「おい! その依頼書、俺が先に見つけたんだぞ!」
「早い者勝ちだろ!」
「だからって引っ張るな! 破れるだろうが!」
「誰か止めろー!」
広間に響き渡る怒鳴り声。
その直後、派手な物音が聞こえた。
がしゃん!
「…………」
イリス・アストレアは、目の前の光景を眺めながら、思わず苦笑した。
「……本当に、変わりませんね」
「ふふっ。そうですね!」
隣では、メイビス・ヴァーミリオンが楽しそうに笑っている。
五年前。
二人がこのギルドを離れたとき、建物は今よりも少し小さかった。
所属する魔導士も、現在ほど多くはなかった。
それでも。
賑やかな声も、仲間たちの笑顔も。
ここに流れる温かな空気だけは、何も変わっていない。
「おーい! イリス! メイビス!」
聞き覚えのある声に振り返る。
そこには、金髪の男が立っていた。
ユーリ・ドレアー。
その隣には、五歳になった息子のマカロフがいる。
「ユーリさん。おはようございます」
「おう! 昨日はゆっくり休めたか?」
「はい。おかげさまで」
イリスが微笑むと、ユーリは満足そうに頷いた。
そして、その視線がメイビスへ向かう。
「……メイビスも、元気そうだな」
「……はい。ありがとうございます」
ほんの少しだけ、ぎこちない会話。
けれど。
昨日の再会を経て、二人はこうして言葉を交わせるようになっていた。
それだけでも、大きな変化だった。
「ねえねえ!」
突然、マカロフがイリスの袖を引っ張った。
「はい?」
「イリスって、すっごく強いんだろ!?」
「……え?」
「父ちゃんが言ってた!」
「おい、マカロフ!」
ユーリが慌てて声を上げる。
しかし、息子は止まらない。
「剣を振ったら、でっかい岩も真っ二つにできるって!」
「ふふっ。そうですね。岩くらいでしたら」
「すげえええ!」
マカロフの瞳が輝いた。
「じゃあ、山も切れる!?」
「ええと……」
イリスが困ったように笑う。
すると、隣のメイビスが楽しそうに口を挟んだ。
「イリスなら、できるかもしれませんね!」
「メイビス!?」
「ふふふっ!」
「山は切りませんからね!?」
そのやり取りに、ユーリが吹き出した。
「はははっ! 相変わらずだな、お前ら!」
広間に笑い声が広がる。
マカロフも、何が面白いのかわからないまま楽しそうに笑っていた。
そんな光景を眺めながら。
メイビスは、ほんの少しだけ目を細めた。
昨日まで、こんな時間が再び訪れるとは思っていなかった。
けれど今。
確かに、自分はここにいる。
大切な仲間たちのいる場所に。
◇
昼前。
ギルドの広間では、いつの間にか人だかりができていた。
その中心にいるのは、イリスとメイビスだった。
「なあ、イリス! 五年間、どこを旅してたんだ?」
「すっごい魔法とか見つけたの?」
「珍しい魔物は?」
「お土産は!?」
次々と飛んでくる質問に、イリスは困ったように笑った。
「ええと……順番にお願いします」
「ふふっ。皆さん、そんなに慌てなくても!」
メイビスが楽しそうに笑う。
「そうですね……まずは、旅先で見た景色のお話からしましょうか!」
その言葉に、仲間たちが一斉に身を乗り出した。
イリスは少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
「……北の方では、とても大きな湖を見ました」
「湖?」
「はい。周囲を山に囲まれていて、朝になると湖面が鏡のようになるんです」
イリスは、懐かしそうに目を細めた。
「風が止むと、空も雲も山も、全部水面に映って……まるで、もう一つ世界があるみたいでした」
「へえ……!」
「綺麗そう!」
「……あそこは、本当に素敵でしたね」
メイビスが頷く。
「でも、イリスったら……」
「……え?」
「景色に夢中になりすぎて、足元の石につまずきそうになったんですよ!」
「メイビス!?」
仲間たちが笑い出した。
「ええっ!? あのイリスが!?」
「魔物相手にはあんなに強いのに!?」
「……あれは、少し考え事をしていただけです!」
イリスが頬を赤らめる。
メイビスは楽しそうに笑った。
「ふふっ。私が手を引いていなかったら、湖に落ちていたかもしれませんね!」
「……それは、さすがに大げさですよ」
そんな二人の掛け合いに、広間は笑い声で満たされた。
やがて、話題は旅の食事へと移った。
「野宿ばっかりだったんだろ? 何食ってたんだ?」
「基本的には、持っていた食材で料理していました」
イリスが答える。
「魔道具もありましたから、そこまで不便ではありませんでしたよ」
「イリスの料理、とっても美味しいんですよ!」
メイビスが嬉しそうに付け加えた。
「特に焼き菓子が!」
「……メイビス、それは料理というより、おやつでは?」
「おやつも大切です!」
即答だった。
「……そこは譲らないんですね」
「もちろんです!」
仲間たちが再び笑い出した。
その中で、マカロフが目を輝かせる。
「なあ! 旅って楽しいの!?」
イリスとメイビスは顔を見合わせた。
「……そうですね」
イリスが微笑む。
「楽しいことも、たくさんありました」
「大変なこともありましたけどね!」
メイビスも頷く。
「でも、知らない場所へ行って、初めて見る景色に出会うのは……とっても素敵なことですよ!」
「へえええ!」
マカロフは両手を握りしめた。
「俺も大きくなったら、いろんなところに行ってみたい!」
その言葉に、イリスは優しく微笑んだ。
「ふふっ。きっと、素敵な旅になりますよ」
「ほんと!?」
「はい」
「やったー!」
マカロフが嬉しそうに飛び跳ねる。
少し離れた席でその様子を見ていたユーリが、静かに目を細めた。
「……そうか」
小さく呟く。
「……お前も、旅に出たいのか」
その声には、どこか懐かしさが滲んでいた。
かつて、自分も世界を見て回りたいと思っていた。
そして、リタと共に、息子の成長を見守る未来を夢見ていた。
今、その隣にリタはいない。
けれど。
息子は、こうして新しい夢を見つけている。
ユーリは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……いいじゃねえか」
その言葉は、誰に聞かせるでもない、小さな呟きだった。
◇
午後。
今度は、イリスとメイビスが仲間たちの話を聞く番になった。
「それにしても、随分大きくなりましたね」
イリスが広間を見渡す。
「五年前より、ずっと賑やかです」
「そうだろう?」
ウォーロッドが嬉しそうに笑った。
「新しく入った魔導士も多いし、依頼の数も増えたんだ」
「へえ……!」
メイビスが目を輝かせる。
「どんな魔導士が入ったんですか?」
「色々だよ。剣を使う人もいれば、遠くから魔法を撃つ人もいるし……」
ウォーロッドは、楽しそうに話し始めた。
「それに、最近は若い魔導士も増えてきたんだ」
「若い魔導士、ですか?」
「うん。まだ経験は浅いけど、みんな一生懸命だよ」
その言葉に、イリスは微笑んだ。
「……素敵ですね」
メイビスも、嬉しそうに頷く。
「妖精の尻尾が、こんなに大きくなって……」
その声には、感慨深い響きがあった。
十年前。
天狼島で出会った仲間たちと、何もないところから始めたギルド。
最初は、ほんの数人だった。
それが今では。
こんなにも多くの人々が集まる場所になっている。
「……プレヒトさんが、頑張ってくれたんですね」
イリスが呟く。
すると、近くにいたユーリが笑った。
「おう! あいつ、相変わらず仕事ばっかりしてるぞ!」
「……聞こえているぞ、ユーリ」
奥から、低い声が響いた。
プレヒトだった。
片目の眼帯が印象的な男は、分厚い書類を抱えている。
「事実だろ?」
「……誰かが管理しなければ、ギルドは回らん」
「はははっ! そういうところだよ!」
ユーリが笑う。
ウォーロッドも苦笑した。
「でも、プレヒトがいてくれたおかげで、ここまで大きくなったんだよ」
「……そうですね」
メイビスが静かに頷いた。
そして、プレヒトへ向き直る。
「……ありがとうございます、プレヒトさん」
プレヒトは、少しだけ目を細めた。
「……礼を言われるようなことではない」
「いいえ」
メイビスは首を振る。
「私がいない間も、妖精の尻尾を守ってくださって……」
その声が、少しだけ震えた。
「……本当に、ありがとうございます」
プレヒトは、しばらく黙っていた。
そして。
「……約束したからな」
静かに答えた。
「お前たちが帰ってくる場所は、残しておくと」
メイビスの瞳が揺れた。
五年前。
あの日、交わした約束。
それを、プレヒトは守り続けてくれていた。
「……はい」
メイビスは、嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとうございます」
◇
夕方。
ギルドの奥にある一室では、イリスとメイビスが一人の男と向かい合っていた。
セヴェル・アクエリス。
かつてブルースカルに所属していた、水の滅神魔導士。
今では、妖精の尻尾の仲間として魔法や人体の研究を続けている男だった。
「……久しぶりだな、イリス」
「はい。お久しぶりです、セヴェルさん」
イリスが微笑む。
「お元気そうで何よりです」
「ああ。君も変わりないようだな」
セヴェルはそう言ってから、少しだけ目を細めた。
「……もっとも、変わりがないこと自体が、研究対象なのだが」
「ふふっ。そうでしたね」
イリスが小さく笑う。
メイビスも、隣で微笑んだ。
「……それで、セヴェルさん」
イリスが尋ねる。
「私の身体について、何かわかりましたか?」
セヴェルは静かに首を振った。
「……残念ながら、原因について新しい発見はない」
「……そうですか」
「ただし」
セヴェルは、一枚の記録を机に置いた。
「五年前の調査結果と、現在の君の状態を比較しても、明確な老化の兆候は確認できない」
イリスは頷いた。
「……やっぱり、そうなんですね」
「ああ。だが、以前にも言ったとおり、これが永遠に続くと保証できるわけではない」
「はい。わかっています」
イリスは穏やかに微笑んだ。
「それでも、元気に過ごせていますから」
セヴェルは、小さく息を吐いた。
「……君は、本当に変わらんな」
「ふふっ。そうでしょうか?」
「身体だけでなく、性格もな」
その言葉に、メイビスが笑った。
「ふふっ。それは私も思います!」
「メイビスまで……」
イリスが困ったように笑う。
セヴェルも、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……まあ、何か変化があれば、すぐに知らせてくれ」
「はい。ありがとうございます」
イリスは深く頭を下げた。
メイビスも静かに頷いた。
五年前。
二人は、この調査結果を聞いて、未来について語り合った。
何十年でも、何百年でも。
一緒にいられるかもしれない。
その可能性は、今も消えていない。
けれど、確かな答えが出たわけでもない。
それでも。
二人は、もう必要以上に未来を恐れてはいなかった。
◇
夕暮れ。
ギルドの広間には、温かな灯りがともり始めていた。
イリスとメイビスは、窓際の席に並んで座っていた。
「……イリス」
「はい?」
「……今日、楽しかったですね」
メイビスが微笑む。
イリスも頷いた。
「はい。とても」
「五年間、色々なことがありましたけど……」
メイビスは、広間を見渡した。
「……こうして帰ってこられて、本当によかったです」
イリスは、そんな彼女の横顔を見つめた。
「……そうですね」
少しの沈黙。
そして。
「……メイビス」
「はい?」
「……また、旅に出ることになると思いますけど」
「……はい」
「……これからも、ここへ帰ってきましょうね」
メイビスの瞳が揺れた。
「……イリス……」
「何年経っても、どこへ行っても」
イリスは微笑んだ。
「妖精の尻尾は、私たちの帰る場所ですから」
メイビスは、ゆっくりと頷いた。
「……はい!」
その声は、明るかった。
「……約束です!」
「ふふっ。はい。約束です」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのとき。
「おーい! 二人とも!」
ユーリの声が響いた。
「いつまでそっちで話してんだ! 飯、冷めちまうぞ!」
「父ちゃん! 俺、イリスの隣がいい!」
「おいおい、昨日からずっとじゃねえか!」
「いいだろー!」
マカロフの元気な声。
ウォーロッドの笑い声。
プレヒトの呆れた声。
そして、仲間たちの賑やかな話し声。
イリスとメイビスは、顔を見合わせた。
「……行きましょうか」
「はい!」
二人は立ち上がった。
そのとき。
「……メイビス」
低い声が聞こえた。
振り返ると、プレヒトが立っていた。
「……少し、聞きたいことがある」
「……何でしょう?」
プレヒトは、メイビスを見つめた。
「……お前が使っている実体幻影についてだ」
メイビスが瞬きをした。
「……実体幻影、ですか?」
「ああ」
プレヒトは静かに頷いた。
「……以前から気になっていたが、改めて詳しく調べてみたい」
「……ふふっ」
メイビスの瞳が、好奇心で輝いた。
「……面白そうですね!」
プレヒトは、少しだけ口元を緩めた。
「……明日、時間をもらえるか?」
「もちろんです!」
メイビスは嬉しそうに答えた。
イリスも微笑む。
「私も、お手伝いしますね」
「……助かる」
プレヒトが頷いた。
そのやり取りを見ていたユーリが、呆れたように笑う。
「おいおい! お前ら、帰ってきた途端に研究かよ!」
「ふふっ。だって、面白そうなんですもの!」
メイビスが笑った。
「……まったく」
ユーリは肩をすくめた。
けれど、その表情は、どこか嬉しそうだった。
◇
夜。
妖精の尻尾の広間には、笑い声が響いていた。
五年前と変わらないもの。
五年間で変わったもの。
失われたもの。
新しく生まれたもの。
そのすべてが、今の妖精の尻尾を形作っている。
イリスは、隣で楽しそうに笑うメイビスを見つめた。
そして、ふと思った。
五年前。
あの日、メイビスの手を握って、共に生きると誓った。
あれから五年。
呪いは、まだ解けていない。
未来がどうなるのかも、わからない。
けれど。
自分たちは、こうして帰ってきた。
大切な仲間たちのいる場所へ。
イリスは、そっと微笑んだ。
――これからも、きっと。
旅に出て。
新しい景色を見て。
知らない魔法を調べて。
そして、また帰ってくる。
その繰り返しが、いつか長い年月になっていくのだろう。
けれど。
どれほど遠くへ行っても。
どれほど時間が流れても。
帰る場所がある。
待っていてくれる仲間がいる。
それだけで、旅はきっと、もっと素敵なものになる。
メイビスが、イリスへ微笑みかけた。
「……イリス」
「はい?」
「……また、みんなで笑いましょうね」
イリスは、優しく頷いた。
「……はい。何度でも」
二人は、顔を見合わせて笑った。
温かな灯りの下。
妖精たちの物語は、これからも続いていく。
――第78話 終――
【こそこそ妖精話】
~二代目マスターの威厳~
X701年。
妖精の尻尾、ギルド本部。
新人魔導士「なあ、二代目マスターって、昔からあんなに真面目だったのか?」
イリス「ふふっ。そうですね。プレヒトさんは、昔から頼りになる方でしたよ」
メイビス「でも、意外と負けず嫌いなんですよ!」
新人魔導士「えっ!? あのマスターが!?」
ユーリ「おう! 昔なんか、俺と張り合って何度も勝負してたからな!」
プレヒト「……おい、ユーリ」
ユーリ「しかも、負けるとすっげえ悔しそうな顔すんだよ!」
メイビス「ふふっ! ありましたね、そんなこと!」
ウォーロッド「僕も覚えてるよ。二人とも、なかなか勝負をやめなくてね」
新人魔導士「へええ! なんだか意外です!」
プレヒト「……お前たち、いい加減にしろ」
イリス「でも、プレヒトさんが努力家なのは、今も昔も変わりませんよね」
プレヒト「……イリス」
イリス「皆さんが安心して依頼に行けるのも、プレヒトさんがギルドを守ってくださっているからです」
新人魔導士「……確かに! やっぱりマスターってすごいんですね!」
プレヒト「……ふむ」
メイビス「それに、昔はよくユーリさんの後片付けもしていましたし!」
ユーリ「おい!?」
ウォーロッド「今もあんまり変わってないね」
プレヒト「……まったく、お前たちは……」
マカロフ「なあ、父ちゃん! マスターって、父ちゃんより強いの!?」
ユーリ「はっはっは! そりゃ、勝負してみなきゃわかんねえな!」
プレヒト「……断る」
マカロフ「えーっ! 見たい!」
メイビス「私もちょっと見たいです!」
イリス「ふふっ。私も興味がありますね」
ウォーロッド「僕も久しぶりに見てみたいな」
プレヒト「…………」
プレヒト「……全員、仕事に戻れ!!」
その日、ギルド中に響き渡った二代目マスターの怒声は、五年前とまったく変わっていなかったという。
――こそこそ妖精話 おわり。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。