X701年。
フィオーレ王国、マグノリア。
魔導士ギルド「妖精の尻尾」。
研究室の窓から、柔らかな午後の日差しが差し込んでいた。
机の上には、何枚もの設計図が広げられている。
「……よし。これなら、ある程度は対応できそうだな」
プレヒトが筆を置いた。
その隣で、セヴェルが新しく書き加えられた術式を確認している。
「ええ。魔力の供給量に上限を設ければ、本体から必要以上に魔力を取り出す危険は抑えられるでしょう」
「異常が起きた場合は、供給を自動的に停止する仕組みも組み込んだ」
「いいですね。ただし、停止後に本体の状態を確認できることも重要です」
「ああ。そのための監視術式も用意してある」
二人の会話を聞きながら、イリスは試験用の魔法陣へ視線を向けていた。
金色の瞳に、淡い魔力の流れが映る。
「……魔力の流れも、以前より安定していますね」
「そうか」
「はい。少なくとも、今の試験では不自然な滞留も見られません」
プレヒトが満足そうに頷いた。
「ならば、次の段階へ進む準備は整いつつあるな」
「とはいえ、実際に本体を封印するとなれば、まだ確認すべきことはあります」
セヴェルが釘を刺す。
「もちろんだ。急ぐつもりはない」
「……そうですね」
イリスも頷いた。
そして、隣にいるメイビスへ視線を向ける。
「メイビス?」
「……えっ?」
メイビスが顔を上げた。
「どうかしましたか?」
「い、いえ! 何でもありませんよ!」
慌てて笑顔を浮かべる。
けれど、その視線はすぐに机の上の設計図へ戻った。
中央に描かれた、大きな封印術式。
それは、やがて自分の本体を包み込むかもしれない魔法だった。
「……メイビス」
イリスが何か言いかけた、そのとき。
「さて、今日はここまでにしよう」
プレヒトが資料をまとめ始めた。
「これ以上続けても、集中力が落ちるだけだ」
「賛成です。研究には休息も必要ですからね」
セヴェルも立ち上がる。
「……そうですね!」
メイビスは、いつもの明るい声で答えた。
しかし。
イリスには、その笑顔がほんの少しだけ無理をしているように見えた。
◇
夕方。
妖精の尻尾の酒場は、今日も賑やかだった。
「おーい! マカロフ! そっちに行くと危ねえぞ!」
「だいじょうぶだもん!」
「大丈夫じゃねえから言ってんだ!」
ユーリの声が響く。
その足元を、小さな男の子が元気よく駆け回っていた。
五歳になったマカロフである。
「ははは。元気だね、マカロフは」
ウォーロッドが笑いながら、転びそうになったマカロフを支える。
「ありがと、ウォーロッド!」
「どういたしまして」
「ったく……誰に似たんだか」
ユーリが頭をかく。
「ユーリにそっくりだと思うけど?」
「お前まで言うか!」
周囲から笑い声が上がった。
そんな光景を、メイビスは酒場の入口から眺めていた。
「……ふふっ」
「楽しそうですね」
隣に立つイリスが微笑む。
「はい!」
メイビスも笑顔を浮かべた。
「昔は、こんなに賑やかな場所じゃなかったんですよね」
「そうですね。最初は、私たち五人だけでしたから」
「それが、今ではこんなにたくさんの仲間がいて……」
メイビスは酒場を見渡した。
依頼の成果を自慢する魔導士。
それをからかう仲間。
料理を囲んで笑い合う人々。
そして、父親に抱き上げられて笑うマカロフ。
どれも、特別な出来事ではない。
妖精の尻尾では、毎日のように繰り返されている光景だった。
「……大きくなりましたね」
メイビスが呟く。
「ええ」
イリスが頷いた。
「メイビスたちが作ったギルドですから」
「イリスも一緒ですよ?」
「ふふっ。そうでしたね」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのとき。
「あっ! メイビス! イリス!」
マカロフが二人に気づいた。
ユーリの腕から降りると、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「おしごと、おわったの?」
「はい! 今日はもうおしまいです!」
メイビスがしゃがみ込み、マカロフと目線を合わせた。
「マカロフは何をしていたんですか?」
「ウォーロッドとあそんでた!」
「そうなんですね!」
「メイビスもあそぼ!」
「えっ?」
メイビスが目を丸くする。
すると、イリスがくすりと笑った。
「いいじゃないですか。少し遊んであげたらどうです?」
「そ、そうですね!」
メイビスは立ち上がり、指先を軽く振った。
すると。
ぽんっ。
小さな光が弾け、空中に色とりどりの蝶が現れた。
「わあっ!」
マカロフが目を輝かせる。
蝶たちは酒場の中をふわふわと飛び回り、やがて小さな妖精の姿へ変わった。
「すごい! すごい!」
「ふふっ。気に入ってもらえましたか?」
「うん!」
嬉しそうに笑うマカロフ。
その姿を見つめながら、メイビスも自然と笑顔になった。
――ああ。
やっぱり、好きだ。
この場所が。
この賑やかな声が。
大切な仲間たちが。
そして。
隣で優しく微笑んでいる、黒髪の少女が。
メイビスは、そっと自分の手を見つめた。
今ここにあるのは、魔法で作り出した身体。
けれど、この手でマカロフの頭を撫でることもできる。
仲間たちと触れ合うこともできる。
イリスと手を繋ぐこともできる。
――もし、これからも。
この時間を、守っていけるのなら。
メイビスの胸に、小さな思いが芽生え始めていた。
◇
その夜。
マグノリア郊外の森。
街の灯りから離れた静かな場所に、二人の少女がいた。
木々の間から、満天の星空が見える。
夜風が草を揺らし、虫の声が小さく響いていた。
イリスとメイビスは、並んで腰を下ろしている。
今、隣にいるメイビスは実体幻影ではない。
呪いを受けた、本来の身体だった。
「……綺麗ですね」
メイビスが空を見上げる。
「ええ。今日は雲もありませんから」
イリスも星空を眺めた。
しばらく、二人は何も言わなかった。
ただ、静かな夜を一緒に過ごしていた。
やがて。
「……イリス」
「はい?」
「……少し、聞いてもいいですか?」
「もちろんですよ」
メイビスは、膝の上に置いた自分の手を見つめた。
「……私の本体を封印することになったら」
少しだけ言葉を切る。
「イリスは、寂しくありませんか?」
イリスは、すぐには答えなかった。
メイビスの横顔を見つめる。
「……寂しいと思います」
「……えっ?」
メイビスが顔を上げた。
イリスは、穏やかに微笑んでいた。
「だって、今までずっと、この身体のメイビスと一緒に旅をしてきたんですから」
「…………」
「一緒に歩いて、一緒に景色を眺めて、時にはこうして星空を見上げて……」
イリスは、そっとメイビスの手を取った。
「この手の温かさも、私は大好きですよ」
「……イリス」
「だから、寂しくないと言ったら嘘になります」
メイビスの緑色の瞳が、わずかに揺れた。
けれど、イリスは続けた。
「でも、それ以上に大切なことがあります」
「……何ですか?」
「メイビスが、これからも笑っていられることです」
夜風が、二人の髪を揺らした。
「封印しなくても、一緒に旅を続ける方法はあるかもしれません」
「……はい」
「だから、無理に決める必要はありませんよ」
イリスは、繋いだ手を優しく握った。
「メイビスがどんな道を選んでも、私は隣にいます」
「…………」
「それだけは、変わりません」
メイビスは俯いた。
しばらく、何も言わなかった。
そして。
「……私、怖かったんです」
小さな声が、夜の森に響いた。
「本体を封印したら、もう元には戻れないかもしれないって」
「……はい」
「今までみたいに、こうしてイリスと一緒に座ることも、手を繋ぐことも……」
メイビスは、自分の手を見つめる。
「……できなくなるのかなって」
イリスは、黙って耳を傾けていた。
「でも……」
メイビスは顔を上げた。
「今日、ギルドのみんなを見ていたら、思ったんです」
「……何をですか?」
「私、これからもあの場所に帰りたいです」
その声には、先ほどまでとは違う強さがあった。
「マカロフが大きくなるところも見たいです。ユーリたちと、また笑い合いたいです」
「……はい」
「それに、まだ見たことのない景色も、たくさんあります!」
メイビスの瞳が、星明かりを映して輝いた。
「イリスと一緒に、もっといろいろな場所へ行きたいです!」
イリスが微笑む。
「私もですよ」
「……だから」
メイビスは、一度だけ深く息を吸った。
「私、決めました」
イリスは、静かに彼女を見つめた。
「……私の身体を封印しようと思います」
その言葉は、夜の森に静かに響いた。
「……メイビス」
「もちろん、怖くないわけじゃありません」
メイビスは、少しだけ笑った。
「でも、怖いからって、何もしないままでいたくないんです」
そして、イリスの手を握り返す。
「私、自分の未来を、自分で選びたいです」
その瞳に、もう迷いはなかった。
「呪いを受けたから、仕方なく封印されるんじゃありません」
「…………」
「これからも、イリスと一緒に生きていくために」
メイビスは、まっすぐにイリスを見つめた。
「私は、この道を選びます」
イリスは、しばらく何も言わなかった。
やがて。
「……わかりました」
優しく微笑む。
「それがメイビスの選んだ道なら、私は応援します」
「……はい!」
「ただし」
イリスは、少しだけ真剣な表情になった。
「安全だと確認できるまでは、絶対に無理をしないでくださいね?」
「もちろんです!」
「本当ですね?」
「ほ、本当ですってば!」
メイビスが慌てて答える。
その様子に、イリスがくすりと笑った。
「ふふっ。なら、安心です」
「もう! イリスったら!」
二人の笑い声が、静かな森に響いた。
やがて、メイビスはイリスの肩へそっと寄りかかった。
「……イリス」
「はい?」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
「……これからも、よろしくお願いしますね」
イリスは、繋いだ手を少しだけ握った。
「ええ。こちらこそ」
そして、二人は再び星空を見上げた。
そこには、数え切れないほどの星が輝いていた。
これから先、どれほど長い年月が流れるのか。
どんな景色を見ることになるのか。
まだ、何もわからない。
けれど。
その未来を、一人で歩くわけではない。
それだけは、確かだった。
◇
翌日。
妖精の尻尾の研究室。
「……本当に、いいんだな?」
プレヒトが静かに尋ねた。
机の向こうには、メイビスが立っている。
その隣にはイリス。
そして、セヴェルも二人を見つめていた。
「はい!」
メイビスは、はっきりと頷いた。
「私、本体を封印することに決めました!」
プレヒトは、しばらくメイビスを見つめていた。
「……そうか」
そして、ゆっくりと頷く。
「ならば、私たちも全力を尽くそう」
「ありがとうございます!」
「ただし、実行は安全性を十分に確認してからだ」
「はい!」
続いて、セヴェルが口を開いた。
「メイビスさん。一つだけ、約束してください」
「何でしょうか?」
「研究の途中で、身体に少しでも異常が確認された場合は、必ず中断すること」
「……はい」
「それから、封印後に異常が起きた場合にも対応できるよう、解除手段を用意する必要があります」
「わかりました!」
セヴェルは小さく頷いた。
「ならば、私も最後まで協力しましょう」
「ありがとうございます、セヴェルさん!」
メイビスが嬉しそうに笑う。
イリスも、穏やかな表情で三人を見つめていた。
「……では」
プレヒトが机の上へ一枚の設計図を広げた。
「残る課題を整理しよう」
そこには、四人がこれまで研究してきた術式が描かれていた。
封印。
蓄積。
循環。
供給。
そして、監視。
それぞれの魔法が、一つの大きな仕組みとして繋がっている。
「……そういえば」
メイビスが、ふと顔を上げた。
「この魔法、まだ名前がありませんよね?」
「……名前?」
プレヒトが尋ねる。
「はい!」
メイビスは設計図を見つめた。
「せっかく、みんなで作っている魔法なんです。名前をつけませんか?」
「……なるほど」
セヴェルが小さく微笑む。
「確かに、いつまでも『あの封印術式』では味気ないですね」
「でしょう?」
メイビスが嬉しそうに頷く。
「何か、いい名前はないでしょうか……」
しばらく考え込む。
そのとき、イリスが口を開いた。
「……メイビス」
「はい?」
「この魔法は、メイビスがこれからも生きていくためのものですよね」
「……はい」
「そして、妖精の尻尾の仲間たちと、これからも繋がっていくための魔法でもあります」
メイビスは、静かに頷いた。
イリスは微笑む。
「なら、私たちのギルドにちなんだ名前でもいいかもしれませんね」
「……妖精の尻尾に?」
「ええ」
メイビスは、机の上の設計図を見つめた。
複雑な術式の中心。
そこには、魔力を蓄え、循環させ、必要な場所へ送り出すための機構が描かれている。
まるで。
身体の隅々へ、命を送り届ける心臓のように。
「……あ」
メイビスが、小さく声を上げた。
「……思いつきました!」
ぱっと顔を上げる。
その緑色の瞳が、嬉しそうに輝いていた。
「この魔法の名前は……」
イリスが微笑む。
プレヒトとセヴェルも、静かに耳を傾けた。
そして。
「――妖精の心臓(フェアリーハート)!」
メイビスは、満面の笑顔で告げた。
「私たちのギルドの名前と、魔力を送り続ける心臓を合わせた名前です!」
しばし、沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは、イリスだった。
「……素敵な名前ですね」
「本当ですか!?」
「ええ。メイビスらしいと思います」
メイビスが嬉しそうに笑う。
プレヒトも、小さく頷いた。
「……悪くない」
「ふふっ。プレヒトさん、それは褒めているんですか?」
「もちろんだ」
セヴェルも微笑んだ。
「ええ。よい名前だと思いますよ」
「やりました!」
メイビスが両手を上げる。
その姿を見て、イリスが楽しそうに笑った。
研究室には、穏やかな空気が流れていた。
まだ、魔法は完成していない。
安全性の確認も、残されている。
それでも。
四人が目指す未来には、確かな名前が与えられた。
妖精の心臓。
それは、少女を閉じ込めるための魔法ではない。
大切な人たちと、これからも共に生きていくための魔法。
そして。
長い孤独を知る二人の少女が、新しい未来へ踏み出すための希望だった。
――第81話 終――
【こそこそ妖精話】
~ふたりのお姉ちゃん~
X701年。
妖精の尻尾の酒場。
今日も元気いっぱいのマカロフが、イリスとメイビスのもとへ駆け寄ってきた。
マカロフ「イリス! メイビス! あそぼ!」
メイビス「ふふっ、いいですよ! 何をして遊びましょうか?」
マカロフ「まほう!」
イリス「魔法ですか? ふふっ、いいですね」
メイビス「それじゃあ、まずは私から!」
メイビスが指先を振ると、色とりどりの蝶が現れた。
蝶たちは空中を舞い、やがて小さな妖精へと姿を変える。
マカロフ「わあっ! ようせいだ!」
メイビス「ふふふっ! まだまだですよ!」
今度は小さな妖精たちが輪になって踊り始めた。
マカロフ「すごーい! メイビス、すごい!」
メイビス「えへへっ! ありがとうございます!」
イリス「では、私も少しだけ」
イリスが手をかざすと、淡い光が集まり、小さな星々が生まれた。
星々はマカロフの周囲をゆっくりと巡り、きらきらと輝く。
マカロフ「おほしさまだ!」
イリス「ふふっ。気に入ってもらえましたか?」
マカロフ「うん! イリスもすごい!」
メイビス「むむっ……イリス、なかなかやりますね!」
イリス「ふふっ。メイビスこそ」
マカロフ「もっと! もっと!」
その言葉に、二人は顔を見合わせた。
メイビス「それなら……!」
イリス「一緒にやってみましょうか?」
二人が同時に魔法を使う。
光の星々が舞う中を、小さな妖精たちが飛び回る。
やがて、星々が集まって大きな光の輪を作り、その中央を妖精たちがくぐり抜けた。
マカロフ「わあああっ!」
マカロフは目を輝かせ、何度も手を叩いた。
マカロフ「ふたりとも、だいすき!」
メイビス「……!」
イリス「……ふふっ」
突然の言葉に、メイビスは嬉しそうに頬を染めた。
メイビス「わ、私もマカロフが大好きですよ!」
イリス「私もですよ、マカロフ」
マカロフ「えへへ!」
マカロフは二人の手をぎゅっと握った。
マカロフ「イリスとメイビス、ぼくのおねえちゃん!」
メイビス「お、お姉ちゃん……!」
イリス「ふふっ。可愛い弟ができましたね、メイビス」
メイビス「そ、そうですね!」
そこへ、様子を見ていたユーリが近づいてきた。
ユーリ「おいおい、マカロフ。父ちゃんはどうした?」
マカロフ「とうちゃんも、だいすき!」
ユーリ「おう! そうかそうか!」
マカロフ「でも、とうちゃんはおねえちゃんじゃない!」
ユーリ「そりゃそうだろ!!」
酒場に、楽しそうな笑い声が響いた。
――おしまい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。