妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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第82話「妖精の心臓の完成」

 

 X701年。

 

 フィオーレ王国、マグノリア。

 

 魔導士ギルド「妖精の尻尾」。

 

 研究室の窓から、朝の日差しが差し込んでいた。

 

 机の上には、何枚もの設計図が広げられている。

 

 その中央に置かれているのは、複雑な術式が刻まれた魔水晶だった。

 

「……よし」

 

 プレヒトが、最後の術式を書き加えた。

 

「これで、すべての機構が繋がった」

 

「では、最終確認を始めましょう」

 

 セヴェルが魔水晶へ手をかざす。

 

 淡い光が灯り、机の上に幾重もの魔法陣が浮かび上がった。

 

 封印。

 

 蓄積。

 

 循環。

 

 供給。

 

 そして、監視。

 

 これまで別々に研究してきた魔法が、一つの大きな仕組みとして組み合わされている。

 

「供給量の制御は?」

 

「問題ない。設定した上限を超えた場合は、自動的に停止する」

 

「本体の状態に異常が発生した場合は?」

 

「そちらも同様だ。監視術式が異常を検知すれば、供給を遮断する」

 

 セヴェルが頷いた。

 

「解除機構も正常ですね。これなら、万が一の際にも対応できます」

 

「……イリス」

 

 プレヒトが振り返る。

 

「魔力の流れはどうだ?」

 

「はい」

 

 イリスは、浮かび上がった魔法陣を見つめた。

 

 金色の瞳には、幾筋もの魔力が光の糸のように映っている。

 

 複雑に交差する流れ。

 

 けれど、そのどれもが決められた経路を通り、滑らかに循環していた。

 

「……問題ありません。供給経路と循環経路の干渉も解消されています」

 

「そうか」

 

「少なくとも、今の試験では異常な魔力の滞留も見られません」

 

 プレヒトが小さく息を吐いた。

 

「ようやく、ここまで来たか」

 

「長かったですね!」

 

 メイビスが嬉しそうに笑う。

 

「最初は、小さな幻影を動かすだけでも大変だったのに!」

 

「ふふっ。何度も失敗しましたからね」

 

 イリスも微笑んだ。

 

「魔水晶が割れたときは、少し驚きました」

 

「あ、あれは予想外だったんです!」

 

「予想外の事故を防ぐのも研究の一部ですよ」

 

 セヴェルが穏やかに指摘する。

 

「うっ……それはそうですけど!」

 

 メイビスが頬を膨らませた。

 

 その様子に、イリスがくすりと笑う。

 

 研究室に、穏やかな笑い声が広がった。

 

 それから、プレヒトが静かに口を開いた。

 

「……メイビス」

 

「はい?」

 

「最終的な試験は、すべて予定どおりに終了した」

 

 メイビスの表情が引き締まる。

 

「本体の保護、魔力の循環、供給、監視。解除手段についても確認できた」

 

「……はい」

 

「ただし、実際の封印では予測できない事態が起こる可能性もある」

 

 セヴェルも頷く。

 

「だからこそ、少しでも異常があれば中断します。そこは変わりません」

 

「もちろんです!」

 

 メイビスは、はっきりと答えた。

 

 そして、イリスへ視線を向ける。

 

「……イリス」

 

「はい」

 

「いよいよですね」

 

 イリスは、穏やかに微笑んだ。

 

「ええ」

 

 その青と金の瞳には、確かな決意が宿っていた。

 

「一緒に、成功させましょう」

 

「……はい!」

 

◇

 

 数日後。

 

 マグノリア郊外の森。

 

 人の立ち入らない静かな森の奥に、地下へ続く階段が設けられていた。

 

 その先には、新しく整備された広い地下室がある。

 

 壁には幾重もの防御術式。

 

 床には、巨大な魔法陣。

 

 そして中央には、透明な魔水晶で作られた棺のような封印容器が置かれていた。

 

 メイビスの身体を保護するために用意された、特別な場所だった。

 

 外部からの干渉を防ぎ、万が一にも呪いの作用が外へ漏れないよう、幾重もの結界が施されている。

 

 封印容器の周囲では、プレヒトとセヴェルが最後の確認を進めていた。

 

「……こちらの準備は整った」

 

「ええ。監視機構も正常に作動しています」

 

 少し離れた場所では、イリスとメイビスが並んで立っていた。

 

 今のメイビスは、実体幻影ではない。

 

 呪いを受けた、本来の身体だった。

 

「……不思議ですね」

 

 メイビスが呟く。

 

「何がですか?」

 

「これから私が、あの中で眠るんだと思うと……」

 

 透明な封印容器を見つめる。

 

「……やっぱり、少し緊張します」

 

 イリスは、その横顔を見つめた。

 

「……そうですね」

 

 そして、そっと手を差し出す。

 

「メイビス」

 

「はい?」

 

「少しだけ、いいですか?」

 

「……?」

 

 次の瞬間。

 

 イリスは、メイビスを優しく抱きしめた。

 

「……イリス?」

 

「……こうして抱きしめるのも、しばらくは最後になりますから」

 

 メイビスの緑色の瞳が、わずかに揺れた。

 

 けれど、すぐに柔らかな笑顔を浮かべる。

 

「……そうですね」

 

 メイビスも、イリスの背中へ腕を回した。

 

 互いの温かさを確かめるように。

 

 しばらく、二人は何も言わなかった。

 

 やがて。

 

「……イリス」

 

「はい?」

 

「私、楽しみなんです」

 

「……楽しみ?」

 

「はい!」

 

 メイビスが顔を上げた。

 

「この魔法が完成したら、今までよりずっと自由に動けるようになるんですよね?」

 

「ええ。そのために、みんなで研究してきましたから」

 

「だったら、また一緒に旅ができます!」

 

 メイビスの声が弾む。

 

「今度は街にも入れますし、ギルドにも好きなときに帰れます!」

 

「ふふっ。そうですね」

 

「それに、まだまだ調べたい魔法もあります!」

 

 イリスが微笑んだ。

 

「相変わらず、研究熱心ですね」

 

「当然です!」

 

 メイビスは胸を張った。

 

「世界には、知らないことがたくさんあるんですから!」

 

 その笑顔を見て、イリスは安心したように目を細めた。

 

「……メイビス」

 

「はい?」

 

「これからも、よろしくお願いします」

 

 メイビスは、一瞬だけ目を丸くした。

 

 そして。

 

「……はい!」

 

 満面の笑顔で答える。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 二人は、もう一度だけ抱きしめ合った。

 

 それは、別れの抱擁ではなかった。

 

 これからも共に歩いていくための、小さな約束だった。

 

◇

 

「……準備はいいか?」

 

 プレヒトの声が響いた。

 

 メイビスは、封印容器の前に立っていた。

 

 その隣にはイリス。

 

 少し離れた場所で、セヴェルが監視用の魔法陣を起動している。

 

「はい!」

 

 メイビスが頷いた。

 

「いつでも大丈夫です!」

 

「では、始めよう」

 

 プレヒトが両手をかざした。

 

 床に刻まれた巨大な魔法陣が、ゆっくりと輝き始める。

 

 淡い光が地下室を満たした。

 

「第一封印術式、起動」

 

 低い声が響く。

 

 魔法陣から幾筋もの光が伸び、封印容器を包み込んだ。

 

「外部干渉遮断、正常」

 

 セヴェルが確認する。

 

「生命活動にも異常はありません」

 

「……イリス」

 

「はい」

 

 イリスは、金色の瞳で魔力の流れを追っていた。

 

 床の魔法陣から伸びる魔力。

 

 封印容器を包む光。

 

 そして、メイビスの身体を巡る魔力。

 

 すべてが、慎重に制御されている。

 

「……問題ありません」

 

「よし」

 

 プレヒトが頷く。

 

「メイビス。頼む」

 

「はい!」

 

 メイビスは、静かに目を閉じた。

 

 自分自身の魔力へ意識を向ける。

 

 これまで何度も扱ってきた幻影魔法。

 

 そして、長い研究の末に組み上げた、新しい魔力供給の仕組み。

 

 自分の身体から生まれる魔力を、蓄え、循環させ、必要な場所へ送り届ける。

 

 その流れを、ゆっくりと整えていく。

 

「……魔力循環、開始します!」

 

 封印容器の内部に、淡い光が満ちた。

 

「循環経路、正常」

 

 プレヒトが告げる。

 

「蓄積機構も作動しています」

 

 セヴェルが続けた。

 

「魔力の回復量と消費量も、現時点では安定しています」

 

 イリスは、じっと魔法陣を見つめていた。

 

 金色の瞳に、魔力の流れが映る。

 

 メイビスの身体を巡る光が、幾重もの術式へと繋がっていく。

 

 そのとき。

 

「……っ!」

 

 イリスの表情が変わった。

 

「プレヒトさん! 右側の供給経路に、魔力が集中しています!」

 

「何?」

 

 プレヒトが即座に術式を確認する。

 

「……負荷が偏ったか!」

 

「供給量を下げてください!」

 

 セヴェルが声を上げた。

 

「このままでは、本体への負担が増加します!」

 

「わかった!」

 

 プレヒトが術式を操作する。

 

 同時に、イリスが防御魔法を展開した。

 

 魔力の集中した経路を外側から保護し、周囲の術式への干渉を防ぐ。

 

「……メイビス!」

 

「はい!」

 

 メイビスが目を開いた。

 

「循環経路を調整します!」

 

 指先に淡い光が灯る。

 

 複雑な魔法陣の一部が組み替わり、集中していた魔力が別の経路へ分散されていく。

 

 やがて。

 

「……安定しました!」

 

 イリスが告げた。

 

 プレヒトが大きく息を吐く。

 

「……よし。一度、供給を停止する」

 

 魔法陣の光が、ゆっくりと弱まった。

 

 セヴェルがすぐにメイビスの状態を確認する。

 

「……身体への異常はありません」

 

「本当ですか?」

 

 イリスが尋ねる。

 

「ええ。監視術式にも問題は出ていません」

 

 その言葉を聞いて、イリスはようやく肩の力を抜いた。

 

「……よかった」

 

「ふふっ」

 

 メイビスが小さく笑う。

 

「イリス、心配しすぎですよ」

 

「……心配くらいします」

 

 イリスは、少しだけ頬を膨らませた。

 

「大切な人なんですから」

 

「……!」

 

 メイビスの頬が、ほんのりと赤くなる。

 

「も、もう! そういうことを急に言わないでください!」

 

 そのやり取りに、セヴェルが小さく笑った。

 

「……さて」

 

 プレヒトが口を開く。

 

「経路の偏りは修正できた。もう一度、確認しよう」

 

「はい!」

 

 メイビスが元気よく答えた。

 

 イリスも頷く。

 

「今度は、私も最初から注意して見ています」

 

「頼んだぞ」

 

 四人は、再び魔法陣へ向き直った。

 

◇

 

 それから、しばらくして。

 

 地下室には、静かな光が満ちていた。

 

 封印容器の中で、メイビスが穏やかに目を閉じている。

 

 その身体を、幾重もの魔法陣が優しく包み込んでいた。

 

「……封印術式、正常」

 

 プレヒトが呟く。

 

「魔力循環、安定」

 

 セヴェルが続けた。

 

「本体の状態にも異常はありません」

 

 イリスは、金色の瞳で最後の確認を行っていた。

 

 魔力は、滑らかに循環している。

 

 必要な量だけが蓄えられ、供給経路へ送られていく。

 

 そして。

 

 封印の外側へ、呪いによる異常な作用が漏れ出す様子も見られなかった。

 

「……外部への干渉もありません」

 

 イリスが静かに告げた。

 

 プレヒトが頷く。

 

「……よし」

 

 そして、封印容器へ向き直った。

 

「最終封印術式、起動」

 

 巨大な魔法陣が、ひときわ強く輝いた。

 

 光が幾重にも重なり、透明な封印容器の周囲へ静かに収束していく。

 

 やがて、その輝きが落ち着いたとき。

 

 そこには、穏やかに眠るメイビスの姿があった。

 

 まるで、静かな夢を見ているかのように。

 

「……封印、完了」

 

 プレヒトが告げた。

 

 セヴェルが監視術式を確認する。

 

「生命活動、正常。魔力回復も継続しています」

 

「……供給経路は?」

 

「正常です。蓄積機構も安定しています」

 

 イリスが、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……よかった」

 

 その声には、安堵が滲んでいた。

 

 けれど。

 

 まだ、終わりではない。

 

 最も重要な確認が残されている。

 

「……では」

 

 プレヒトが、別の魔法陣へ視線を向けた。

 

「実体幻影への魔力供給を開始する」

 

 イリスが顔を上げる。

 

 セヴェルも頷いた。

 

「本体の状態は安定しています。供給を開始しても問題ないでしょう」

 

「……頼む」

 

 プレヒトが術式を起動した。

 

 封印容器の周囲に、新たな光が灯る。

 

 蓄積された魔力が、供給経路を通って流れ始めた。

 

 イリスの金色の瞳に、その流れが鮮明に映る。

 

 細い光の筋が、幾重にも重なりながら一つの経路へ集まっていく。

 

「……魔力供給、正常です」

 

 プレヒトが頷く。

 

「よし」

 

 そして。

 

 地下室の中央に、淡い光が生まれた。

 

 小さな光の粒が、ゆっくりと集まっていく。

 

 輪郭が形作られる。

 

 腕。

 

 脚。

 

 長い金色の髪。

 

 そして、小柄な少女の姿。

 

 イリスは、息を呑んだ。

 

「……メイビス」

 

 光が、ゆっくりと収まっていく。

 

 そこに立っていたのは。

 

 見慣れた、一人の少女だった。

 

◇

 

「……あれ?」

 

 メイビスが、ぱちぱちと瞬きをした。

 

 自分の手を見つめる。

 

 指を動かす。

 

 腕を上げる。

 

 そして、その場で軽く跳んでみた。

 

「……わあっ!」

 

 嬉しそうな声が響く。

 

「すごいです! 身体がとっても軽いです!」

 

 メイビスは、くるりと一回転した。

 

 金色の髪が、ふわりと舞う。

 

「魔力の流れも、今までとは全然違います!」

 

 その様子を、プレヒトとセヴェルが見守っていた。

 

「……供給量は安定しているな」

 

「ええ。本体にも異常はありません」

 

 セヴェルが微笑む。

 

「どうやら、成功したようですね」

 

 プレヒトは、しばらく何も言わなかった。

 

 そして。

 

「……ああ」

 

 小さく頷いた。

 

「成功だ」

 

 その声には、深い安堵が込められていた。

 

 メイビスは、嬉しそうに二人へ振り返った。

 

「プレヒトさん! セヴェルさん!」

 

「何だ?」

 

「ありがとうございます!」

 

 満面の笑顔で頭を下げる。

 

「二人のおかげで、ここまで来られました!」

 

 プレヒトは、少しだけ目を細めた。

 

「……礼を言うのは、まだ早い」

 

「えっ?」

 

「これからも、定期的な確認は必要だからな」

 

「ふふっ。そうですね!」

 

 セヴェルも頷く。

 

「ですが、今は喜んでもいいでしょう」

 

「……はい!」

 

 そして。

 

 メイビスは、ゆっくりと振り返った。

 

 その先にいたのは。

 

 黒髪の少女。

 

 青と金の瞳を持つ、大切な人。

 

「……イリス」

 

 イリスは、じっとメイビスを見つめていた。

 

 目の前にいるのは、実体幻影。

 

 本来の身体ではない。

 

 それでも。

 

 その笑顔は、何も変わっていなかった。

 

「……メイビス」

 

 イリスが、小さく名前を呼ぶ。

 

 すると。

 

「イリス!」

 

 メイビスが駆け出した。

 

 そして、そのままイリスへ飛びつく。

 

「わっ……!」

 

 イリスが驚いた声を上げた。

 

 けれど、すぐにメイビスを受け止める。

 

 小さな身体が、腕の中に収まった。

 

 確かな重み。

 

 柔らかな温かさ。

 

 背中へ回された腕。

 

 それは、今までと何も変わらない抱擁だった。

 

「……ふふっ」

 

 メイビスが、嬉しそうに笑った。

 

「ちゃんと、抱きしめられますね!」

 

「……ええ」

 

 イリスも、そっと腕に力を込めた。

 

「……ちゃんと、抱きしめられます」

 

 しばらく、二人はそのままでいた。

 

 やがて。

 

「……イリス」

 

「はい?」

 

 メイビスが、少しだけ身体を離す。

 

 そして、いつもの明るい笑顔を浮かべた。

 

「ふふっ。お待たせしました!」

 

 イリスは、目を細めた。

 

「……ええ」

 

 優しく微笑む。

 

「おかえりなさい、メイビス」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 メイビスの緑色の瞳が、嬉しそうに輝いた。

 

「はい!」

 

 そして、満面の笑顔で答える。

 

「ただいまです、イリス!」

 

 再び、二人は抱きしめ合った。

 

 その姿を見て、セヴェルが静かに微笑む。

 

「……よかったですね」

 

「ああ」

 

 プレヒトも、小さく頷いた。

 

 長い研究の末に完成した魔法。

 

 その中心には、封印された一人の少女がいる。

 

 けれど。

 

 彼女の時間は、止まっていない。

 

 彼女の未来も、終わっていない。

 

 その証拠に。

 

 今、目の前では。

 

 二人の少女が、幸せそうに笑っていた。

 

 ――妖精の心臓(フェアリーハート)。

 

 それは、少女の身体を封印するためだけの魔法ではない。

 

 大切な人と、これからも共に生きるために生まれた魔法だった。

 

◇

 

 数日後。

 

 妖精の尻尾の酒場。

 

「……それで、本当に完成したのか!?」

 

 ユーリが、驚いた声を上げた。

 

「はい!」

 

 メイビスが元気よく答える。

 

「大成功です!」

 

「すげえじゃねえか!」

 

 ユーリが豪快に笑った。

 

「さすがメイビスだな!」

 

「ふふっ。私だけの力じゃありませんよ!」

 

 メイビスは、隣にいるイリスへ視線を向けた。

 

「みんなで完成させた魔法ですから!」

 

「そうですね」

 

 イリスが微笑む。

 

「プレヒトさんとセヴェルさんにも、たくさん助けてもらいました」

 

「……本当に、よかったね」

 

 ウォーロッドが穏やかに笑った。

 

「これで、また二人で旅ができるんだね」

 

「はい!」

 

 メイビスが大きく頷く。

 

「今度は、もっといろいろな場所へ行けます!」

 

「ははは。相変わらず元気だね」

 

 そのとき。

 

「メイビスー!」

 

 小さな声が響いた。

 

 マカロフだった。

 

 嬉しそうに駆け寄ってくる。

 

「おしごと、おわったの?」

 

「はい! 終わりましたよ!」

 

「じゃあ、あそぼ!」

 

「ふふっ。いいですよ!」

 

 メイビスがしゃがみ込み、マカロフの頭を撫でた。

 

「今日は何をして遊びましょうか?」

 

「ちょうちょ!」

 

「また蝶ですか?」

 

「うん! いっぱい!」

 

 メイビスが楽しそうに笑う。

 

「わかりました!」

 

 指先を軽く振ると、色とりどりの蝶が現れた。

 

「わあっ!」

 

 マカロフが歓声を上げる。

 

 その様子を、イリスが微笑みながら見つめていた。

 

「……本当に、よかったですね」

 

 隣にいたウォーロッドが頷く。

 

「うん。二人とも、嬉しそうだ」

 

 イリスは、メイビスへ視線を向けた。

 

 楽しそうに笑う少女。

 

 マカロフと遊ぶ姿。

 

 仲間たちに囲まれた、温かな時間。

 

 それは、五年前に失いかけた日常だった。

 

 けれど、今は違う。

 

 メイビスは、もう一人ではない。

 

 そして。

 

 これから先も、ずっと。

 

 自分たちは、共に歩いていく。

 

◇

 

 夕暮れ。

 

 妖精の尻尾の建物を出た二人は、マグノリアの街を歩いていた。

 

 茜色の空。

 

 行き交う人々。

 

 店先から漂う焼き菓子の香り。

 

 どこにでもある、穏やかな街の風景。

 

 メイビスは、楽しそうに周囲を見渡していた。

 

「……ふふっ」

 

「どうしました?」

 

 イリスが尋ねる。

 

「いえ!」

 

 メイビスが笑顔を浮かべる。

 

「こうして、普通に街を歩けるのが嬉しくて!」

 

「……そうですね」

 

 イリスも微笑んだ。

 

 以前は、メイビスの本体を街へ連れてくることができなかった。

 

 呪いによって、周囲の命を奪ってしまう危険があったからだ。

 

 実体幻影で街を訪れることはできた。

 

 けれど、その活動には本体との距離や魔力消費による制約があった。

 

 今は違う。

 

 妖精の心臓から、安定した魔力が供給されている。

 

 これまでよりも、ずっと自由に動くことができる。

 

「……イリス!」

 

 メイビスが、突然振り返った。

 

「はい?」

 

「次は、どこへ行きましょうか!」

 

 その瞳は、好奇心で輝いていた。

 

 イリスは、少しだけ考える。

 

「……そうですね」

 

 そして、微笑んだ。

 

「まだ行ったことのない場所も、たくさんありますから」

 

「はい!」

 

「古代魔法の研究も続けたいですし……」

 

「それに、イリスの故郷へ繋がる手掛かりも!」

 

 メイビスが、嬉しそうに続けた。

 

 イリスは、少し驚いたように目を瞬かせる。

 

「……覚えていてくれたんですね」

 

「もちろんです!」

 

 メイビスが胸を張る。

 

「約束しましたから!」

 

 その言葉に、イリスは柔らかく微笑んだ。

 

「……ありがとうございます」

 

「ふふっ。どういたしまして!」

 

 メイビスが、そっと手を差し出した。

 

「さあ、イリス!」

 

 イリスは、その手を見つめる。

 

 そして、迷うことなく握った。

 

「はい!」

 

 二人は、並んで歩き始めた。

 

 夕日に照らされたマグノリアの街。

 

 その先には、まだ見ぬ世界が広がっている。

 

 かつて、天狼島で出会った二人の少女。

 

 共に笑い、共に戦い、時には涙を流した。

 

 長い旅の中で、大切なものを失ったこともあった。

 

 それでも。

 

 二人は、歩みを止めなかった。

 

 絶望の中でも、互いの手を離さなかった。

 

 そして今。

 

 新しい未来への扉が、開かれた。

 

 妖精の心臓。

 

 それは、終わりではない。

 

 これから始まる、長い物語のための希望。

 

 どれほど長い年月が流れても。

 

 どれほど遠い場所へ旅をしても。

 

 二人には、帰る場所がある。

 

 大切な仲間たちがいる。

 

 そして何より。

 

 隣には、かけがえのない人がいる。

 

「……メイビス」

 

「はい?」

 

「これからも、たくさんの景色を見に行きましょうね」

 

 メイビスは、満面の笑顔で答えた。

 

「はい! もちろんです!」

 

 繋いだ手を、少しだけ強く握る。

 

 そして。

 

「さあ、イリス! 次はどこへ行きましょうか!」

 

 二人の笑い声が、夕暮れの街に響いた。

 

 その先に待つのは、まだ誰も知らない未来。

 

 星々のように数え切れない出会いと冒険。

 

 そして、永い時を共に歩む、二人の少女の物語。

 

 ――第三章「永劫編」完――

 

 ――第82話 終――

 




【こそこそ妖精話】
~増えすぎた魔力~

 X701年。

 妖精の尻尾、研究室。

 妖精の心臓が完成してから、数日が経過していた。

 メイビスは、自分の実体幻影を見つめながら、不思議そうに首を傾げていた。

メイビス「……あれ?」

イリス「どうしました、メイビス?」

メイビス「……なんだか、以前より使える魔力がものすごく増えている気がするんですけど……」

イリス「……そうですね」

 イリスは、金色の瞳でメイビスの魔力を観察した。

イリス「……気のせいではありませんね」

メイビス「えっ!?」

イリス「以前とは比べものにならないほど、魔力が供給されています」

メイビス「や、やっぱりですか!?」

 メイビスは、自分の両手を見つめた。

メイビス「すごいです……! これだけ魔力があれば、今まで魔力消費が大きすぎて使えなかった魔法も……!」

プレヒト「……当然だろう」

 設計図を整理していたプレヒトが、顔を上げた。

プレヒト「そのために、あれだけ研究していたんだからな」

メイビス「それはそうですけど! 実際に使ってみると、想像以上なんです!」

セヴェル「もっとも、無制限に魔力を取り出せるわけではありませんよ」

メイビス「……あっ」

セヴェル「供給量には安全上の上限がありますし、本体の状態も定期的に確認する必要があります」

メイビス「わ、わかっています!」

 そう答えながらも、メイビスの瞳は好奇心で輝いていた。

メイビス「……でも、これなら空間魔法の研究も、もっと進められそうですね!」

イリス「ふふっ。そうですね」

メイビス「今まで魔力消費が大きすぎて試せなかった術式もありますし……あっ! 妖精の輝きの応用も面白そうです!」

プレヒト「……メイビス」

メイビス「それから、もっと大規模な幻影魔法も……!」

セヴェル「……聞いていませんね」

 メイビスは、嬉しそうに次々と指を折っていく。

メイビス「ふふふ……! これは、いろいろ試してみたくなりますね!」

イリス「……メイビス」

メイビス「はい?」

イリス「試すなら、街の外にしましょうね?」

メイビス「……えっ!?」

 メイビスが目を丸くした。

メイビス「ま、まだ何も言ってませんよ!?」

イリス「ふふっ。顔に書いてあります」

メイビス「そんなにわかりやすいですか!?」

プレヒト「……かなりな」

セヴェル「ええ。非常に」

メイビス「二人まで!?」

 研究室に、楽しそうな笑い声が響いた。

 そして。

メイビス「……ところで、イリス?」

イリス「はい?」

メイビス「今から少しだけ、街の外へ行きませんか?」

イリス「……魔法の実験ですか?」

メイビス「はいっ!」

イリス「ふふっ。やっぱり」

プレヒト「……くれぐれも無茶はするなよ」

セヴェル「帰ってきたら、魔力供給の状態を確認させてくださいね」

メイビス「もちろんです!」

 メイビスは、嬉しそうにイリスの手を取った。

メイビス「さあ、イリス! 行きましょう!」

イリス「はいはい。わかりましたから、そんなに引っ張らないでください」

 研究室を飛び出していく二人。

 その背中を見送りながら、プレヒトが小さく息を吐いた。

プレヒト「……あれだけの魔力を手にして、真っ先に考えることが実験とはな」

セヴェル「ふふっ。実にメイビスさんらしいですね」

プレヒト「……まったくだ」

 こうして。

 妖精の心臓を手に入れた天才魔導士の、新しい研究生活が始まったのであった。

 ――おしまい♪


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。

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