妖精と聖剣使い   作:使い手なない

84 / 86
第82.5話「黒魔道士と泥竜の出会い」

 

 X701年。

 

 イシュガル大陸。

 

 フィオーレ王国から遠く離れた、とある山岳地帯。

 

 荒涼とした大地を、一人の青年が歩いていた。

 

 黒い髪。

 

 黒い衣服。

 

 そして、どこか寂しげな瞳。

 

 その青年の名は、ゼレフ。

 

 歴史上、最も凶悪な黒魔道士として恐れられる存在だった。

 

「……静かだね」

 

 ゼレフが呟く。

 

 周囲には、人の気配がない。

 

 風が岩肌を撫で、乾いた砂を運んでいく。

 

 彼は、しばらく空を見上げていた。

 

 そして、ふと思い出す。

 

 金色の髪をした、小柄な少女。

 

 黒髪に青と金の瞳を持つ少女。

 

 メイビスとイリス。

 

 かつて自分が魔法を教えた少女と、異世界からやってきた聖剣使い。

 

 長い孤独の中で、再び出会うことのできた友人たち。

 

「……二人とも、元気にしているかな」

 

 自然と、口元が緩んだ。

 

 最後に会ったときも、二人は楽しそうに笑っていた。

 

 互いを大切に思い、支え合いながら生きている。

 

 たとえ困難があっても、二人なら乗り越えていくのだろう。

 

「……羨ましいな」

 

 小さな声が、風に消えた。

 

 自分にも、あんなふうに誰かと生きる未来があったなら。

 

 そんなことを考えてしまう。

 

 けれど。

 

 ゼレフは、自分の手を見つめた。

 

 アンクセラムの呪い。

 

 命を大切に思えば思うほど、周囲の命を奪ってしまう理不尽な呪い。

 

 それは、今も彼を縛り続けている。

 

 イリスとメイビスは、自分を友人と呼んでくれた。

 

 その事実は、嬉しかった。

 

 だからこそ。

 

 自分の存在が、いつか二人を傷つけてしまうことを恐れていた。

 

「……僕には、僕のやるべきことがある」

 

 ゼレフは、静かに歩き始めた。

 

 その胸には、一つの研究構想があった。

 

 滅竜魔法。

 

 滅神魔法。

 

 そして、滅悪魔法。

 

 本来、異なる性質を持つ三つの魔法。

 

 それらの因子を、一つの存在に宿すことができたなら。

 

 さらに、その存在をエーテリアスへと変質させたなら。

 

 通常の魔導士とは異なる、まったく新しい魔力の仕組みが生まれるかもしれない。

 

 そして、その先には。

 

「……無限の魔力」

 

 ゼレフが呟いた。

 

 それは、まだ仮説にすぎない。

 

 三つの魔法因子が共存できる保証もない。

 

 エーテリアス化によって、期待した結果が得られるとも限らない。

 

 それでも。

 

 研究する価値はある。

 

 ゼレフは、そう考えていた。

 

◇

 

 同じ頃。

 

 山岳地帯の一角で、激しい轟音が響いていた。

 

「オラァッ!!」

 

 巨大な岩塊が砕け散る。

 

 土煙が舞い上がり、地面に深い亀裂が走った。

 

 その中心に、一人の大柄な男が立っていた。

 

 ガルド・ヴォルグ。

 

 泥の滅竜魔導士。

 

 かつてブルースカルの幹部として活動していた男だった。

 

「……チッ」

 

 ガルドが舌打ちする。

 

 足元には、砕けた岩と泥が散乱していた。

 

「こんなもんじゃ、全然足りねえ」

 

 拳を握りしめる。

 

 泥が腕を這い上がり、硬質な装甲のように固まった。

 

「もっとだ……!」

 

 ガルドは、地面へ拳を叩きつけた。

 

 轟音。

 

 大地が波打ち、泥の柱が幾本も噴き上がる。

 

「もっと強くならねえと、意味がねえんだよ!」

 

 かつて、自分は敗北した。

 

 妖精の尻尾。

 

 そして、あの黒髪の聖剣使い。

 

 イリス・アストレア。

 

 あの少女は、自分の腕を斬り落とした。

 

 その光景は、今も鮮明に覚えている。

 

 速さ。

 

 剣技。

 

 そして、圧倒的な力。

 

「……クソが」

 

 ガルドが歯を食いしばった。

 

 あのときは、セヴェルに助けられた。

 

 だが、それは自分の力で勝ち取った生存ではない。

 

 その事実が、何より気に入らなかった。

 

「次は……絶対に負けねえ」

 

 低い声が響く。

 

「誰にもだ」

 

 そのときだった。

 

「……ずいぶん熱心なんだね」

 

「あ?」

 

 ガルドが振り返る。

 

 少し離れた岩の上に、黒衣の青年が立っていた。

 

 いつからそこにいたのか。

 

 まったく気配を感じなかった。

 

「……誰だ、てめえ」

 

「僕かい?」

 

 青年は、穏やかに微笑んだ。

 

「ゼレフだよ」

 

 その瞬間。

 

 ガルドの表情が変わった。

 

「……あ?」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……ゼレフ?」

 

 男は、ゆっくりと口角を吊り上げた。

 

「ハッ!」

 

 豪快な笑い声が響く。

 

「黒魔道士ゼレフだと!?」

 

「うん。そう呼ばれているね」

 

「……面白えじゃねえか!」

 

 ガルドが笑う。

 

「まさか、こんな場所で伝説の黒魔道士に会えるとはな!」

 

 ゼレフは、少し意外そうに目を瞬かせた。

 

「……怖くないのかい?」

 

「ああ?」

 

「僕の名前を聞いて、逃げ出す人も多いからね」

 

 ガルドは、鼻で笑った。

 

「くだらねえ」

 

 泥をまとった拳を鳴らす。

 

「強え奴が目の前にいるってのに、逃げてどうすんだよ」

 

「……なるほど」

 

 ゼレフが微笑む。

 

「君は、変わった人だね」

 

「褒め言葉として受け取っとくぜ」

 

◇

 

「……それで?」

 

 ガルドが腕を組んだ。

 

「伝説の黒魔道士様が、俺に何の用だ?」

 

「少し、興味が湧いたんだ」

 

「興味?」

 

「君の魔法にね」

 

 ゼレフは、ガルドの腕を見つめた。

 

「泥の滅竜魔法。それも、体内に滅竜魔法の因子を宿している」

 

「……ほう」

 

 ガルドの目が細くなる。

 

「見ただけでわかんのか」

 

「ある程度はね」

 

 ゼレフは、穏やかに答えた。

 

「それに、君はずいぶん強さに執着しているようだ」

 

「当たり前だろ」

 

 ガルドが即答する。

 

「弱え奴は、強え奴に踏み潰される。それだけの話だ」

 

「……そうか」

 

「俺は、踏み潰す側でいたいんだよ」

 

 ガルドが笑った。

 

「誰にも負けねえ。誰にも従わねえ。そんな力が欲しい」

 

 ゼレフは、しばらく黙っていた。

 

 ふと、二人の少女の姿が脳裏をよぎる。

 

 イリスとメイビス。

 

 彼女たちは、大切な誰かを守るために力を使う。

 

 目の前の男は違う。

 

 ただ、自分自身のために強さを求めている。

 

 それでも。

 

「……君は、とても正直なんだね」

 

「あ?」

 

「自分の望みを、迷わず口にできる」

 

 ゼレフが小さく笑った。

 

「少し、羨ましいよ」

 

「……変な奴だな、てめえ」

 

「よく言われるよ」

 

 ゼレフは、穏やかに答えた。

 

 そして。

 

「ガルド・ヴォルグ」

 

 初めて、男の名を呼んだ。

 

「君に、一つ提案がある」

 

◇

 

「……提案だと?」

 

「うん」

 

 ゼレフは、ゆっくりと口を開いた。

 

「君は、もっと強くなりたいんだよね?」

 

「ああ」

 

「だったら、僕の研究に協力してみないかい?」

 

 ガルドの眉が動く。

 

「……研究?」

 

「少し、危険な研究だけどね」

 

 ゼレフは、足元に小さな魔法陣を描いた。

 

 三つの異なる紋様が浮かび上がる。

 

「滅竜魔法」

 

 一つ目の紋様が輝く。

 

「滅神魔法」

 

 二つ目の紋様が灯る。

 

「そして、滅悪魔法」

 

 三つ目の紋様が現れた。

 

「……こいつらが、どうした?」

 

「三つの魔法は、それぞれ異なる性質を持っている」

 

 ゼレフは、魔法陣を見つめた。

 

「通常なら、一人の人間がすべてを扱うことは極めて難しい」

 

「……だろうな」

 

「でも、もし三つの魔法因子を一つの存在に宿すことができたら?」

 

 ガルドの目が、わずかに見開かれた。

 

「……何?」

 

「さらに、その存在をエーテリアスへと変質させる」

 

 ゼレフが指を動かす。

 

 三つの紋様が重なり合い、複雑な魔法陣へと変化した。

 

「肉体そのものを変え、魔力の生成や循環の仕組みを作り替えるんだ」

 

「……おいおい」

 

 ガルドが笑う。

 

「そいつは、とんでもねえ話じゃねえか」

 

「そうだね」

 

 ゼレフも頷いた。

 

「成功すれば、これまでにない力を得られる可能性がある」

 

「どれくらいだ?」

 

「……わからない」

 

「あ?」

 

「まだ、理論の段階だからね」

 

 ゼレフは、正直に答えた。

 

「三つの因子が共存できるかどうかも不明だ。肉体が変化に耐えられる保証もない」

 

「……」

 

「最悪の場合、命を落とす可能性だってある」

 

 ガルドは、黙って聞いていた。

 

 ゼレフは続ける。

 

「ただし、もし僕の仮説が正しければ……」

 

 魔法陣の中心に、小さな光が生まれた。

 

「無限の魔力に近づけるかもしれない」

 

 沈黙。

 

 風が吹き抜ける。

 

 やがて。

 

「……ククッ」

 

 ガルドの肩が震えた。

 

「クハハハハッ!!」

 

 大きな笑い声が、山々に響き渡った。

 

「最高じゃねえか!!」

 

 ゼレフが目を瞬かせる。

 

「……本当に、そう思うのかい?」

 

「ああ!」

 

 ガルドは、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「滅竜、滅神、滅悪……全部まとめて俺の力になるってんだろ?」

 

「成功すれば、だけどね」

 

「十分だ!」

 

 ガルドが拳を握りしめた。

 

「そんな面白え話、断る理由がねえ!」

 

 ゼレフは、静かに男を見つめた。

 

「……危険だよ?」

 

「何度も言わせんな」

 

 ガルドが笑う。

 

「強くなれる可能性があるなら、俺は賭けるぜ」

 

 その瞳には、迷いがなかった。

 

◇

 

「……一つ、確認しておきたい」

 

 ゼレフが口を開いた。

 

「何だ?」

 

「僕は、君に力を与えると約束することはできない」

 

「……」

 

「研究が失敗する可能性もある。期待した結果が得られないかもしれない」

 

 ゼレフは、真っ直ぐにガルドを見つめた。

 

「それでも、協力してくれるのかい?」

 

 ガルドは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……おい、ゼレフ」

 

「何だい?」

 

「てめえは、何でそんな研究をしてんだ?」

 

 今度は、ゼレフが黙る番だった。

 

 少しだけ考える。

 

 自分は、何を求めているのだろう。

 

 魔法の可能性。

 

 未知の領域。

 

 そして、今まで誰も到達したことのない力。

 

 それらを追い求める理由は、一つではなかった。

 

「……僕にも、知りたいことがあるんだ」

 

「知りたいこと?」

 

「うん」

 

 ゼレフは、遠くの空を見つめた。

 

「今の僕には、できないことがたくさんある」

 

 呪い。

 

 死。

 

 そして、失われた命。

 

 どれほど魔法を研究しても、思いどおりにならないことがある。

 

「……だから、もっと知りたい」

 

 ゼレフが静かに言った。

 

「魔法が、どこまで可能性を広げられるのか」

 

 ガルドは、しばらくゼレフを見つめていた。

 

 そして、鼻で笑う。

 

「……なるほどな」

 

「?」

 

「てめえも、結局は欲しいもんがあるってことか」

 

 ゼレフは、少し驚いたように目を瞬かせた。

 

 それから。

 

「……そうかもしれないね」

 

 小さく笑った。

 

「だったら、話は早え」

 

 ガルドが右手を差し出す。

 

「俺は力が欲しい」

 

「……うん」

 

「てめえは研究を進めたい」

 

「そうだね」

 

「なら、利害は一致してるじゃねえか」

 

 ゼレフは、差し出された手を見つめた。

 

 そして、少しだけ困ったように微笑む。

 

「……握手は、やめておこうか」

 

「あ?」

 

「僕には、少し厄介な呪いがあるんだ」

 

 ガルドが眉をひそめる。

 

「呪い?」

 

「うん。場合によっては、近くにいる人の命を奪ってしまう」

 

「……ほう」

 

「だから、必要以上に近づかない方がいい」

 

 ガルドは、数秒ほど黙っていた。

 

 そして、差し出した手を引っ込める。

 

「……チッ。面倒くせえな」

 

「ごめんね」

 

「謝んな。俺はまだ死ぬつもりはねえ」

 

 ガルドは、獰猛に笑った。

 

「最強になる前に死んじまったら、笑い話にもならねえからな!」

 

「……ふふっ」

 

 ゼレフも、小さく笑った。

 

「君は、本当に面白い人だね」

 

「そいつはどうも」

 

 ガルドが肩をすくめる。

 

「で、どこへ行くんだ?」

 

「研究を進められる場所へ案内するよ」

 

「アルバレスか?」

 

 その言葉に、ゼレフが少しだけ目を細めた。

 

「……よく知っているね」

 

「噂くらいは聞くさ」

 

 ガルドが笑う。

 

「まあ、どこだって構わねえ」

 

 そして、拳を鳴らした。

 

「強くなれるならな」

 

◇

 

 夕暮れ。

 

 二人の男が、荒涼とした大地を歩いていた。

 

 一人は、世界に恐れられる黒魔道士。

 

 もう一人は、強さを渇望する泥の滅竜魔導士。

 

 目的も、性格も、歩んできた道も違う。

 

 それでも。

 

 二人には、共通するものがあった。

 

 今の自分にはない、何かを求めていること。

 

「……なあ、ゼレフ」

 

「何だい?」

 

「その研究、いつ始めるんだ?」

 

「まずは、君の身体と魔法因子を詳しく調べる必要があるね」

 

「……チッ。面倒くせえ」

 

「研究には、準備が必要だからね」

 

「さっさと強くなりてえんだがな」

 

「焦って失敗したら、意味がないだろう?」

 

「……そりゃそうだ」

 

 ガルドが、つまらなそうに鼻を鳴らす。

 

 ゼレフは、その様子を見て小さく笑った。

 

 不思議なものだ。

 

 つい先ほど出会ったばかりの男と、こうして言葉を交わしている。

 

 友人と呼べる関係ではない。

 

 互いに、相手を完全に理解しているわけでもない。

 

 ただ、目的が一致しただけ。

 

 それでも。

 

 誰かと並んで歩くという行為は、ゼレフにある光景を思い出させた。

 

 イリスとメイビス。

 

 いつも楽しそうに笑いながら、隣を歩いていた二人。

 

「……」

 

 ゼレフは、ほんの少しだけ目を伏せた。

 

 自分たちが、あの二人のようになれるとは思わない。

 

 そもそも、求めているものが違う。

 

 けれど。

 

 誰かと同じ目的に向かって進むこと。

 

 それ自体は、決して悪いものではないのかもしれない。

 

「……ゼレフ?」

 

「……ああ、ごめん」

 

 ガルドの声に、ゼレフが顔を上げる。

 

「何でもないよ」

 

「変な奴だな、てめえは」

 

「そうかもしれないね」

 

 ゼレフは、穏やかに微笑んだ。

 

 そして、再び歩き始める。

 

 この出会いが、何をもたらすのか。

 

 研究は成功するのか。

 

 三つの魔法因子は、一つの存在に共存できるのか。

 

 エーテリアス化によって、無限の魔力へ至る道は開かれるのか。

 

 その答えは、まだ誰にもわからない。

 

 ただ一つ、確かなことがある。

 

 この日。

 

 黒魔道士ゼレフと、泥竜ガルド・ヴォルグは出会った。

 

 そして、互いの目的のために手を組んだ。

 

 遠く離れたマグノリアでは、二人の少女が新しい未来へ向かって歩き始めている。

 

 その一方で。

 

 世界の別の場所でも、もう一つの物語が動き始めていた。

 

 それが、いつかどのような運命へ繋がるのか。

 

 今はまだ、誰も知らない。

 

 ――第82.5話 終――

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。