X731年。
フィオーレ王国、マグノリア。
春の柔らかな日差しが、窓から差し込んでいた。
部屋の中には、数人の男女が集まっている。
その中心にある寝台には、一人の男が横たわっていた。
「……おいおい。そんな顔するんじゃねえよ」
ユーリ・ドレアー。
かつて仲間たちと共に妖精の尻尾を創設した男は、病に侵され、すっかり痩せ細っていた。
それでも、その口元には昔と変わらない笑みが浮かんでいる。
「親父……」
寝台の傍らに座るマカロフが、唇を噛みしめる。
三十五歳になった息子を見て、ユーリは小さく笑った。
「なんだよ。もう立派な大人だろうが。そんな泣きそうな顔すんな」
「……うるせえよ」
「ハハッ……相変わらず、可愛げのねえ息子だ」
マカロフは何も言い返さなかった。
その隣には、イリスとメイビスが立っていた。
「……ユーリさん」
イリスが静かに声をかける。
「おう、イリス」
ユーリは、ゆっくりと顔を向けた。
「お前、本当に変わらねえな」
「……そうですね」
「初めて会ったときから、ずっとそのままだ」
ユーリは懐かしそうに目を細めた。
「天狼島で会ったときのこと、覚えてるか?」
「もちろんです」
イリスが微笑む。
「ユーリさんは、最初からとても賑やかな方でしたね」
「おいおい。それ、褒めてんのか?」
「ふふっ。もちろんですよ」
小さな笑いが生まれた。
メイビスも、寝台の近くへ歩み寄る。
「ユーリ……」
「なんだよ、メイビス。お前までそんな顔して」
「……だって」
メイビスの緑色の瞳が揺れていた。
「ユーリが……」
その先の言葉が出てこない。
ユーリは、しばらくメイビスを見つめていた。
そして、穏やかに笑った。
「……なあ、メイビス」
「……はい」
「あの日、お前に出会えて……本当によかった」
「……ユーリ」
「お前がいなかったら、妖精の尻尾も……マカロフも、今の俺もなかった」
「……そんなこと」
「ハハッ……最後くらい、素直に礼を言わせろよ」
ユーリは、ゆっくりと言葉を続けた。
「……ありがとうな、メイビス。俺たちの家族を作ってくれて」
「……っ!」
メイビスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
ユーリは、そんな彼女を見て笑った。
「……お前は、俺たちの自慢の初代マスターだぜ」
「……ユーリ……!」
メイビスは、もう涙を堪えられなかった。
ユーリは、天井を見上げる。
「……いろんなことがあったよなあ」
ブルースカルとの戦い。
妖精の尻尾の創設。
仲間が増え、家族ができた。
リタと出会い、マカロフが生まれた。
そして、大切な人を失った。
「……俺の人生、結構面白かったぜ」
その声は弱々しかった。
けれど、確かな満足が滲んでいた。
「……マカロフ」
「……なんだよ」
「妖精の尻尾を、頼んだぜ」
マカロフが顔を上げる。
「……親父」
「お前なら大丈夫だ。俺の息子だからな」
「……当たり前だろ」
マカロフは、父の手を強く握った。
「俺が……絶対に守ってやる」
「……おう」
ユーリは満足そうに頷いた。
そして、イリスとメイビスを見つめる。
「お前らも……たまには帰ってこいよ」
「……はい」
「妖精の尻尾は、いつまでもお前らの家だからな」
イリスは、そっとユーリの手に触れた。
「……ありがとうございます、ユーリさん」
メイビスも涙を拭いながら頷いた。
「絶対に……帰ってきます!」
「……ハハッ。そうか」
ユーリの視線が、部屋の奥へ向かう。
そこには、プレヒトとウォーロッドが立っていた。
「……お前らも、元気でな」
「……ああ」
プレヒトが短く答える。
ウォーロッドは、静かに微笑んだ。
「君と一緒に旅ができて、本当によかったよ」
「……俺もだ」
ユーリは目を閉じた。
窓から、春の風が吹き込む。
「……リタ」
小さな声が漏れた。
「……今、行くぜ」
そして。
ユーリ・ドレアーは、静かに息を引き取った。
「……親父?」
マカロフが呼びかける。
返事はない。
「……親父……!」
その声が震えた。
メイビスは、両手で口元を覆った。
イリスは、静かに目を閉じる。
かつて、誰よりも豪快に笑っていた男。
赤雷を操り、仲間を守り続けた魔導士。
妖精の尻尾を創設した、大切な家族。
その人生が、今、終わった。
◇
数日後。
ユーリの葬儀が執り行われた。
妖精の尻尾の仲間たちだけではない。
かつてユーリに助けられた人々も、別れを告げるために集まっていた。
マカロフは、父の墓前に花を供えた。
「……親父」
その隣に、イリスとメイビスが立つ。
「……俺、もっと強くなるよ」
マカロフが呟く。
「親父が守ってきたものを、今度は俺が守る」
メイビスは、そっと彼の手を握った。
「マカロフなら、きっとできます」
「……ああ」
イリスも微笑んだ。
「私たちも、いつでも力になりますよ」
「……ありがとな。二人とも」
春の風が、三人の間を吹き抜けた。
墓前に供えられた花が、静かに揺れていた。
◇
それからしばらくして。
ウォーロッドは、ギルドを離れることを決めた。
「……旅に出ようと思うんだ」
その言葉に、メイビスが目を丸くする。
「ウォーロッドも、ですか?」
「うん」
ウォーロッドは穏やかに頷いた。
「ユーリがいなくなって、いろいろ考えたんだ」
彼は窓の外へ視線を向けた。
「僕も、いつまでも同じ場所にいるだけじゃなくて、世界を見てみたい」
「……そうですか」
イリスが微笑む。
「素敵だと思いますよ」
「ありがとう、イリス」
ウォーロッドも笑った。
「もちろん、妖精の尻尾を忘れるわけじゃないよ」
「当たり前です!」
メイビスが元気よく答える。
「どこにいても、私たちは仲間ですから!」
「……うん。そうだね」
こうして、妖精の尻尾の創設メンバーの一人が、新たな道へ歩き始めた。
別れは、終わりではない。
それぞれの人生が、別々の場所で続いていく。
イリスとメイビスは、旅立つウォーロッドを笑顔で見送った。
---
X734年。
イシュガル大陸、北方の山岳地帯。
「……あっ!」
メイビスが突然、足を止めた。
「イリス! あそこ!」
「どうしました?」
メイビスが指差した先。
山道の向こうに、一人の黒髪の青年が立っていた。
黒い衣服。
静かな佇まい。
そして、どこか寂しげな瞳。
「……ゼレフ?」
イリスが目を瞬かせる。
青年も、二人に気づいた。
「……メイビス? イリス?」
驚いたように目を見開く。
次の瞬間。
「ゼレフー!」
メイビスが嬉しそうに手を振った。
「お久しぶりです!」
「……本当に、久しぶりだね」
ゼレフの表情が、柔らかくなる。
イリスも近づき、微笑んだ。
「お元気そうで何よりです、ゼレフさん」
「うん。二人も元気そうだ」
ゼレフは、メイビスを見つめた。
「……実体幻影も、ずいぶん安定しているみたいだね」
「はい!」
メイビスが得意げに胸を張る。
「それどころか、今はご飯も食べられるんですよ!」
「……え?」
「ふふん!」
メイビスが笑う。
「長年の研究の成果です!」
ゼレフは、しばらく呆然としていた。
そして、小さく笑った。
「……君は本当にすごいね」
「えへへっ!」
そんな三人の会話に。
「……おい」
低い声が割り込んだ。
「いつまで喋ってやがる」
岩陰から、一人の大柄な男が姿を現した。
その姿を見た瞬間。
イリスの表情が止まった。
「……え?」
男も、同じように動きを止める。
「……あ?」
数秒の沈黙。
そして。
「……ガルドさん?」
「……イリス?」
二人の声が重なった。
「「……なんで変わってないんだ!?」」
思わず、互いに顔を見合わせる。
メイビスが目を丸くした。
「……お知り合いなんですか?」
ゼレフも、不思議そうに二人を見ている。
「……知り合いなの?」
「ええ。昔、少し」
イリスが苦笑する。
「少し、だと?」
ガルドが眉をひそめた。
「てめえ、俺の腕を斬り落としただろうが!」
「……ああ、そうでしたね」
「忘れてたのかよ!?」
「いえ、覚えていますよ」
イリスは穏やかに微笑んだ。
「ただ、ずいぶん昔のことですから」
「……チッ」
ガルドが舌打ちする。
その様子を見て、ゼレフが小さく息を吐いた。
「……なるほど。君たちにも、いろいろあったんだね」
「はい!」
メイビスが笑う。
「昔、妖精の尻尾を創設する前に戦った相手なんです!」
「……そうだったんだ」
ゼレフは、改めてガルドを見た。
「君が昔負けた相手って、イリスだったの?」
「……悪いかよ」
「いや。少し驚いただけだよ」
ガルドは不機嫌そうに顔を背けた。
しかし、イリスは彼の姿をじっと見つめていた。
「……それにしても」
「あ?」
「ガルドさんも、まったく老化していませんね」
「……てめえもだろ」
ガルドが鼻を鳴らす。
「何十年経っても、そのままじゃねえか」
「……そうですね」
イリスは、少しだけ考え込んだ。
自分が老化しない理由は、今もわかっていない。
しかし、目の前の男もまた、昔とほとんど変わらない姿をしている。
「……何か、理由があるんですか?」
「さあな」
ガルドは肩をすくめた。
「少なくとも、普通の人間とは違う身体になってるらしいぜ」
その言葉に、ゼレフが静かに口を開いた。
「……その話も含めて、少し話そうか」
◇
同日。
山岳地帯の小さな研究施設。
四人は、石造りの建物の中にいた。
机の上には、数多くの魔法書と研究資料が積まれている。
「……なるほど」
メイビスが興味深そうに資料を眺めた。
「滅竜魔法、滅神魔法、滅悪魔法……」
「うん」
ゼレフが頷く。
「それぞれ異なる性質を持つ魔法因子を、一つの肉体に共存させる研究だよ」
「……かなり難しそうですね」
イリスが呟く。
「難しいどころじゃないよ」
ゼレフは苦笑した。
「普通なら、肉体が耐えられない」
メイビスが資料を見つめる。
「でも、理論上は不可能ではない……?」
「そう。まだ仮説の段階だけどね」
ゼレフは、ガルドへ視線を向けた。
「彼は、その研究に協力してくれているんだ」
「……協力?」
イリスが首を傾げる。
ガルドは、腕を組んだまま笑った。
「俺は強くなりてえ。それだけだ」
「……なるほど」
「てめえに負けたままってのも、気に食わねえしな」
イリスは苦笑した。
「……まだ覚えていたんですね」
「当たり前だろうが!」
メイビスが、くすくすと笑った。
「ふふっ。イリス、ずいぶん恨まれていますね」
「……困りましたね」
そんな二人を見て、ゼレフは小さく微笑んだ。
しかし、その表情には、どこか複雑なものがあった。
「……ゼレフさん?」
イリスが声をかける。
「……ううん。何でもないよ」
ゼレフは首を振った。
「ただ……二人は、本当に変わらないなと思って」
「そうでしょうか?」
「うん」
ゼレフは、静かに笑った。
「昔から、ずっと楽しそうだ」
メイビスが、イリスの手を握る。
「もちろんです!」
「……ふふっ」
イリスも微笑んだ。
「私たちは、これからも一緒ですから」
その言葉を聞いて、ゼレフは目を細めた。
「……そうだね」
羨ましい。
そんな感情が、胸の奥をよぎった。
けれど。
同時に、嬉しくもあった。
自分が大切に思う友人たちが、今も笑っている。
それだけで、少しだけ救われる気がした。
◇
やがて、別れの時間が訪れた。
「それでは、ゼレフさん。またお会いしましょう」
「うん。二人とも、気をつけて」
「今度会うときは、もっと面白い魔法を見せますね!」
メイビスが笑う。
「楽しみにしているよ」
ゼレフも微笑んだ。
そして、イリスはガルドへ視線を向ける。
「ガルドさんも、お元気で」
「……チッ」
ガルドは顔を背けた。
「次に会うときは、もっと強くなってるからな」
「ふふっ。楽しみにしていますね」
「……余裕ぶりやがって」
それでも、ガルドは剣を抜こうとはしなかった。
今はまだ、そのときではない。
彼自身も、それを理解していた。
こうして、四人は再び別々の道を歩き始めた。
---
X736年。
フィオーレ王国、マグノリア。
妖精の尻尾の酒場には、大勢の魔導士が集まっていた。
その中心に立つのは、プレヒト・ゲイボルグ。
そして、その隣には、四十歳になったマカロフ・ドレアーがいた。
「……本日をもって、私は二代目マスターを退任する」
プレヒトの言葉に、酒場が静まり返る。
「長い間、皆には世話になった。至らぬところもあっただろうが……このギルドのマスターを務められたことを、誇りに思っている」
その言葉に、仲間たちから拍手が起こった。
プレヒトは静かに一礼する。
「これからの妖精の尻尾は、次の世代が築いていく。そして、その先頭に立つのは……」
彼は隣の男を見た。
「マカロフ・ドレアーだ」
次の瞬間。
大きな歓声が響いた。
「マカロフ!」
「三代目マスター!」
「頼んだぞ!」
仲間たちが次々と声を上げる。
マカロフは、少し照れくさそうに頭をかいた。
「……まったく。大げさなんだよ、お前ら」
しかし、その表情は真剣だった。
「……俺は、まだまだ未熟だ」
酒場が静かになる。
「親父みたいに豪快でもねえし、プレヒトみたいに頭が切れるわけでもねえ」
マカロフは、一度言葉を切った。
「けどな」
その瞳に、強い光が宿る。
「俺は、このギルドが大好きだ」
仲間たちを見渡す。
「ここにいる全員が、俺の家族だ」
そして。
「だから、俺は守る」
力強く言い切った。
「妖精の尻尾を。ここにいる仲間たちを!」
大きな歓声が上がった。
その様子を、イリスとメイビスが見守っていた。
「……立派になりましたね」
イリスが微笑む。
「はい!」
メイビスも嬉しそうに頷く。
「小さかったマカロフが、ついに三代目マスターです!」
そして、二人はマカロフの前へ歩み出た。
「マカロフさん」
「……ん?」
「三代目マスター就任、おめでとうございます」
イリスが微笑む。
「私たちも、これからよろしくお願いしますね」
「……ああ」
マカロフが笑った。
「任せとけ」
続いて、メイビスが元気よく手を上げる。
「あっ! 私からも一言いいですか!」
「……お、おう?」
マカロフが少し緊張した表情になる。
メイビスは、満面の笑みを浮かべた。
「マカロフ!」
「……はい!」
「妖精の尻尾を、よろしくお願いします!」
その言葉に、マカロフは一瞬だけ目を見開いた。
そして、深く頷いた。
「……ああ!」
酒場に、再び歓声が響く。
◇
就任式が終わった後。
イリスは、酒場の片隅に立つプレヒトへ歩み寄った。
「……プレヒトさん」
「……イリスか」
「長い間、お疲れさまでした」
イリスが微笑む。
「プレヒトさんが守ってくださったからこそ、今の妖精の尻尾があるんですよ」
「……大げさだ」
プレヒトは小さく息を吐いた。
「私は、やるべきことをやっただけだ」
「……ふふっ」
イリスは、穏やかに笑った。
「それでも、感謝しています」
プレヒトは、しばらくイリスを見つめていた。
そして、その口元に微かな笑みを浮かべた。
「……そうか」
彼は、酒場の奥へ視線を向けた。
そこでは、マカロフが仲間たちに囲まれている。
「……これからは、あいつの時代だ」
「……そうですね」
イリスが頷く。
「プレヒトさんは、これからどうされるんですか?」
「……しばらく、研究に専念しようと思っている」
「研究、ですか?」
「ああ」
プレヒトは、静かに答えた。
「まだ、調べたいことが山ほどあるのでな」
イリスは、少しだけ目を細めた。
「……プレヒトさんらしいですね」
「……ふっ」
プレヒトは、小さく笑った。
その瞳には、研究者としての静かな情熱が宿っていた。
こうして。
妖精の尻尾の歴史は、新たな時代へと進み始めた。
---
X751年。
フィオーレ王国、マグノリア。
静かな研究室に、紙をめくる音が響いていた。
「……まったく」
机に向かうセヴェルが、小さくため息をつく。
「最後まで、わからないものですね」
その手には、一冊の研究記録が握られていた。
イリス・アストレアの身体に関する調査資料。
長年にわたって記録してきた、老化の兆候が見られないという不可解な現象。
しかし、その原因は今も解明されていなかった。
「……セヴェルさん」
イリスが静かに声をかける。
セヴェルは、ゆっくりと顔を上げた。
「……イリスさん」
その顔は、以前よりもずいぶん痩せていた。
長い年月を経て、セヴェルもまた病に侵されていた。
優れた再生治癒魔法を持つ彼であっても、今回の病を治すことはできなかった。
再生させた組織にも同じ異常が生じ、治療を繰り返しても根本的な回復には至らなかったのだ。
「……無理をしないでください」
イリスが心配そうに言う。
「ふふっ。研究者というのは、最後まで研究者なのですよ」
セヴェルは、かすかに笑った。
その隣には、メイビスも立っていた。
「セヴェル……」
「メイビスさん」
セヴェルは、静かに頷く。
「妖精の心臓の管理資料は、すべてプレヒトさんに引き継いであります」
「……はい」
「長期運用に関する記録も、問題ありません」
メイビスの瞳が揺れる。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことではありません」
セヴェルは、机の上の資料を見つめた。
「……それにしても」
小さく笑う。
「あなたたちには、ずいぶん驚かされました」
「……そうでしょうか?」
イリスが首を傾げる。
「ええ」
セヴェルは頷いた。
「かつて敵として出会った少女と、これほど長い付き合いになるとは思いませんでしたから」
「……ふふっ」
イリスが微笑む。
「私もですよ」
「そして、メイビスさん」
「……はい」
「あなたの魔法研究は、本当に素晴らしいものでした」
メイビスが目を見開く。
「実体幻影で食事ができるようになるなど、当初は想像もしていませんでした」
「……セヴェル」
「どうか、これからも研究を続けてください」
セヴェルは、穏やかに微笑んだ。
「あなたたちなら、きっと私の想像もつかないものを生み出せるでしょう」
メイビスの瞳から、涙がこぼれた。
「……はい」
セヴェルは、最後にイリスを見つめる。
「……イリスさん」
「はい」
「結局、あなたが老化しない理由は、解明できませんでした」
「……そうですね」
「研究者としては、少し心残りです」
イリスは、そっと首を振った。
「……いいえ」
そして、優しく微笑んだ。
「セヴェルさんには、たくさん助けていただきました」
妖精の心臓。
メイビスの実体幻影。
長年の研究と、安全管理。
そのすべてに、彼の力があった。
「……本当に、ありがとうございました」
セヴェルは、しばらくイリスを見つめていた。
そして。
「……そう言っていただけるなら」
小さく笑った。
「研究者冥利に尽きますね」
その数日後。
セヴェル・アクエリスは、静かに息を引き取った。
◇
葬儀を終えた夜。
マグノリア郊外の丘に、二人の少女が立っていた。
夜空には、無数の星が輝いている。
「……イリス」
メイビスが、そっと声をかけた。
「はい」
「……また、大切な人がいなくなってしまいましたね」
「……そうですね」
イリスは、静かに頷いた。
ユーリ。
セヴェル。
長い年月を共に過ごしてきた、大切な仲間たち。
彼らはもう、帰ってこない。
けれど。
「……メイビス」
「はい?」
「私は、二人と出会えてよかったと思っています」
イリスは、夜空を見上げた。
「一緒に笑って、旅をして、たくさんのことを教えていただきました」
「……はい」
「だから、寂しいですけれど……」
イリスは、メイビスへ微笑んだ。
「その思い出まで、悲しいものにはしたくありません」
メイビスは、しばらくイリスを見つめていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……そうですね」
二人は、そっと手を繋いだ。
「ユーリも、セヴェルも……私たちがずっと泣いていたら、困ってしまいますよね」
「ふふっ。ユーリさんなら、きっと笑い飛ばしてしまいますね」
「はい!」
メイビスが、小さく笑った。
「セヴェルなら、研究を続けなさいって言いそうです!」
「……そうですね」
二人は、顔を見合わせた。
そして、静かに笑った。
長い年月の中で、人は出会い、別れていく。
変わらないものなど、ほとんどない。
それでも。
受け継がれていく想いがある。
守り続けられる場所がある。
そして、共に歩む人がいる。
「……行きましょうか、メイビス」
「はい!」
メイビスが、イリスの手を強く握った。
「これからも、たくさんの景色を見に行きましょう!」
「ふふっ。もちろんです」
二人は、満天の星空の下を歩き始めた。
かつて共に笑った仲間たちの想いを、胸に抱きながら。
新しい時代へ。
まだ見ぬ未来へ。
妖精と聖剣使いの旅は、これからも続いていく。
【こそこそ妖精話】
~三代目マスターの威厳~
X736年。
妖精の尻尾、ギルド酒場。
マカロフが三代目マスターに就任して、数日が経った。
マカロフ「よし! 今日からは俺がしっかりギルドをまとめていくぞ!」
ギルドメンバーA「おおっ! さすが三代目!」
ギルドメンバーB「頼もしいぜ!」
マカロフ「ふっ。当然だ。これからはマスターとしての威厳というものをだな……」
メイビス「あっ! マカロフ!」
マカロフ「ん?」
メイビス「見てください! イリスと一緒にお菓子を作ったんですよ!」
イリス「ふふっ。マカロフさんの分もありますよ」
マカロフ「おっ、本当か!?」
メイビス「はい! 昔から好きでしたよね?」
マカロフ「おう! ねえちゃんたちの作る菓子は昔からうまいからな!」
マカロフは嬉しそうに焼き菓子を受け取った。
ギルドメンバーA「……ねえちゃん?」
ギルドメンバーB「……三代目が?」
マカロフ「……あ」
メイビス「どうしました?」
マカロフ「い、いや! 何でもねえ!」
イリス「ふふっ。マカロフさん、昔から甘いものが大好きでしたものね」
メイビス「そうそう! 小さい頃なんて、もっと欲しいってよくおねだりしてました!」
マカロフ「ちょっ!? メイビスねえちゃん!?」
ギルドメンバーA「メイビスねえちゃん……」
ギルドメンバーB「三代目、可愛いところあるんだな……」
マカロフ「お前ら! 変な顔で見るんじゃねえ!!」
メイビス「ふふっ。マカロフは何歳になってもマカロフですね!」
イリス「ええ。立派なマスターになっても、私たちにとっては可愛い弟みたいなものですから」
マカロフ「……勘弁してくれよ、イリスねえちゃん」
その日。
三代目マスターの威厳は、焼き菓子一つで見事に崩れ去った。
なお、翌日からギルドでは「三代目は甘いものに弱い」という噂が広まったという。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。