妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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第84話「巡る時代、変わらぬ絆」

 

 X731年。

 

 フィオーレ王国、マグノリア。

 

 春の柔らかな日差しが、窓から差し込んでいた。

 

 部屋の中には、数人の男女が集まっている。

 

 その中心にある寝台には、一人の男が横たわっていた。

 

「……おいおい。そんな顔するんじゃねえよ」

 

 ユーリ・ドレアー。

 

 かつて仲間たちと共に妖精の尻尾を創設した男は、病に侵され、すっかり痩せ細っていた。

 

 それでも、その口元には昔と変わらない笑みが浮かんでいる。

 

「親父……」

 

 寝台の傍らに座るマカロフが、唇を噛みしめる。

 

 三十五歳になった息子を見て、ユーリは小さく笑った。

 

「なんだよ。もう立派な大人だろうが。そんな泣きそうな顔すんな」

 

「……うるせえよ」

 

「ハハッ……相変わらず、可愛げのねえ息子だ」

 

 マカロフは何も言い返さなかった。

 

 その隣には、イリスとメイビスが立っていた。

 

「……ユーリさん」

 

 イリスが静かに声をかける。

 

「おう、イリス」

 

 ユーリは、ゆっくりと顔を向けた。

 

「お前、本当に変わらねえな」

 

「……そうですね」

 

「初めて会ったときから、ずっとそのままだ」

 

 ユーリは懐かしそうに目を細めた。

 

「天狼島で会ったときのこと、覚えてるか?」

 

「もちろんです」

 

 イリスが微笑む。

 

「ユーリさんは、最初からとても賑やかな方でしたね」

 

「おいおい。それ、褒めてんのか?」

 

「ふふっ。もちろんですよ」

 

 小さな笑いが生まれた。

 

 メイビスも、寝台の近くへ歩み寄る。

 

「ユーリ……」

 

「なんだよ、メイビス。お前までそんな顔して」

 

「……だって」

 

 メイビスの緑色の瞳が揺れていた。

 

「ユーリが……」

 

 その先の言葉が出てこない。

 

 ユーリは、しばらくメイビスを見つめていた。

 

 そして、穏やかに笑った。

 

「……なあ、メイビス」

 

「……はい」

 

「あの日、お前に出会えて……本当によかった」

 

「……ユーリ」

 

「お前がいなかったら、妖精の尻尾も……マカロフも、今の俺もなかった」

 

「……そんなこと」

 

「ハハッ……最後くらい、素直に礼を言わせろよ」

 

 ユーリは、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「……ありがとうな、メイビス。俺たちの家族を作ってくれて」

 

「……っ!」

 

 メイビスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 ユーリは、そんな彼女を見て笑った。

 

「……お前は、俺たちの自慢の初代マスターだぜ」

 

「……ユーリ……!」

 

 メイビスは、もう涙を堪えられなかった。

 

 ユーリは、天井を見上げる。

 

「……いろんなことがあったよなあ」

 

 ブルースカルとの戦い。

 

 妖精の尻尾の創設。

 

 仲間が増え、家族ができた。

 

 リタと出会い、マカロフが生まれた。

 

 そして、大切な人を失った。

 

「……俺の人生、結構面白かったぜ」

 

 その声は弱々しかった。

 

 けれど、確かな満足が滲んでいた。

 

「……マカロフ」

 

「……なんだよ」

 

「妖精の尻尾を、頼んだぜ」

 

 マカロフが顔を上げる。

 

「……親父」

 

「お前なら大丈夫だ。俺の息子だからな」

 

「……当たり前だろ」

 

 マカロフは、父の手を強く握った。

 

「俺が……絶対に守ってやる」

 

「……おう」

 

 ユーリは満足そうに頷いた。

 

 そして、イリスとメイビスを見つめる。

 

「お前らも……たまには帰ってこいよ」

 

「……はい」

 

「妖精の尻尾は、いつまでもお前らの家だからな」

 

 イリスは、そっとユーリの手に触れた。

 

「……ありがとうございます、ユーリさん」

 

 メイビスも涙を拭いながら頷いた。

 

「絶対に……帰ってきます!」

 

「……ハハッ。そうか」

 

 ユーリの視線が、部屋の奥へ向かう。

 

 そこには、プレヒトとウォーロッドが立っていた。

 

「……お前らも、元気でな」

 

「……ああ」

 

 プレヒトが短く答える。

 

 ウォーロッドは、静かに微笑んだ。

 

「君と一緒に旅ができて、本当によかったよ」

 

「……俺もだ」

 

 ユーリは目を閉じた。

 

 窓から、春の風が吹き込む。

 

「……リタ」

 

 小さな声が漏れた。

 

「……今、行くぜ」

 

 そして。

 

 ユーリ・ドレアーは、静かに息を引き取った。

 

「……親父?」

 

 マカロフが呼びかける。

 

 返事はない。

 

「……親父……!」

 

 その声が震えた。

 

 メイビスは、両手で口元を覆った。

 

 イリスは、静かに目を閉じる。

 

 かつて、誰よりも豪快に笑っていた男。

 

 赤雷を操り、仲間を守り続けた魔導士。

 

 妖精の尻尾を創設した、大切な家族。

 

 その人生が、今、終わった。

 

◇

 

 数日後。

 

 ユーリの葬儀が執り行われた。

 

 妖精の尻尾の仲間たちだけではない。

 

 かつてユーリに助けられた人々も、別れを告げるために集まっていた。

 

 マカロフは、父の墓前に花を供えた。

 

「……親父」

 

 その隣に、イリスとメイビスが立つ。

 

「……俺、もっと強くなるよ」

 

 マカロフが呟く。

 

「親父が守ってきたものを、今度は俺が守る」

 

 メイビスは、そっと彼の手を握った。

 

「マカロフなら、きっとできます」

 

「……ああ」

 

 イリスも微笑んだ。

 

「私たちも、いつでも力になりますよ」

 

「……ありがとな。二人とも」

 

 春の風が、三人の間を吹き抜けた。

 

 墓前に供えられた花が、静かに揺れていた。

 

◇

 

 それからしばらくして。

 

 ウォーロッドは、ギルドを離れることを決めた。

 

「……旅に出ようと思うんだ」

 

 その言葉に、メイビスが目を丸くする。

 

「ウォーロッドも、ですか?」

 

「うん」

 

 ウォーロッドは穏やかに頷いた。

 

「ユーリがいなくなって、いろいろ考えたんだ」

 

 彼は窓の外へ視線を向けた。

 

「僕も、いつまでも同じ場所にいるだけじゃなくて、世界を見てみたい」

 

「……そうですか」

 

 イリスが微笑む。

 

「素敵だと思いますよ」

 

「ありがとう、イリス」

 

 ウォーロッドも笑った。

 

「もちろん、妖精の尻尾を忘れるわけじゃないよ」

 

「当たり前です!」

 

 メイビスが元気よく答える。

 

「どこにいても、私たちは仲間ですから!」

 

「……うん。そうだね」

 

 こうして、妖精の尻尾の創設メンバーの一人が、新たな道へ歩き始めた。

 

 別れは、終わりではない。

 

 それぞれの人生が、別々の場所で続いていく。

 

 イリスとメイビスは、旅立つウォーロッドを笑顔で見送った。

 

---

 

 X734年。

 

 イシュガル大陸、北方の山岳地帯。

 

「……あっ!」

 

 メイビスが突然、足を止めた。

 

「イリス! あそこ!」

 

「どうしました?」

 

 メイビスが指差した先。

 

 山道の向こうに、一人の黒髪の青年が立っていた。

 

 黒い衣服。

 

 静かな佇まい。

 

 そして、どこか寂しげな瞳。

 

「……ゼレフ?」

 

 イリスが目を瞬かせる。

 

 青年も、二人に気づいた。

 

「……メイビス? イリス?」

 

 驚いたように目を見開く。

 

 次の瞬間。

 

「ゼレフー!」

 

 メイビスが嬉しそうに手を振った。

 

「お久しぶりです!」

 

「……本当に、久しぶりだね」

 

 ゼレフの表情が、柔らかくなる。

 

 イリスも近づき、微笑んだ。

 

「お元気そうで何よりです、ゼレフさん」

 

「うん。二人も元気そうだ」

 

 ゼレフは、メイビスを見つめた。

 

「……実体幻影も、ずいぶん安定しているみたいだね」

 

「はい!」

 

 メイビスが得意げに胸を張る。

 

「それどころか、今はご飯も食べられるんですよ!」

 

「……え?」

 

「ふふん!」

 

 メイビスが笑う。

 

「長年の研究の成果です!」

 

 ゼレフは、しばらく呆然としていた。

 

 そして、小さく笑った。

 

「……君は本当にすごいね」

 

「えへへっ!」

 

 そんな三人の会話に。

 

「……おい」

 

 低い声が割り込んだ。

 

「いつまで喋ってやがる」

 

 岩陰から、一人の大柄な男が姿を現した。

 

 その姿を見た瞬間。

 

 イリスの表情が止まった。

 

「……え?」

 

 男も、同じように動きを止める。

 

「……あ?」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……ガルドさん?」

 

「……イリス?」

 

 二人の声が重なった。

 

「「……なんで変わってないんだ!?」」

 

 思わず、互いに顔を見合わせる。

 

 メイビスが目を丸くした。

 

「……お知り合いなんですか?」

 

 ゼレフも、不思議そうに二人を見ている。

 

「……知り合いなの?」

 

「ええ。昔、少し」

 

 イリスが苦笑する。

 

「少し、だと?」

 

 ガルドが眉をひそめた。

 

「てめえ、俺の腕を斬り落としただろうが!」

 

「……ああ、そうでしたね」

 

「忘れてたのかよ!?」

 

「いえ、覚えていますよ」

 

 イリスは穏やかに微笑んだ。

 

「ただ、ずいぶん昔のことですから」

 

「……チッ」

 

 ガルドが舌打ちする。

 

 その様子を見て、ゼレフが小さく息を吐いた。

 

「……なるほど。君たちにも、いろいろあったんだね」

 

「はい!」

 

 メイビスが笑う。

 

「昔、妖精の尻尾を創設する前に戦った相手なんです!」

 

「……そうだったんだ」

 

 ゼレフは、改めてガルドを見た。

 

「君が昔負けた相手って、イリスだったの?」

 

「……悪いかよ」

 

「いや。少し驚いただけだよ」

 

 ガルドは不機嫌そうに顔を背けた。

 

 しかし、イリスは彼の姿をじっと見つめていた。

 

「……それにしても」

 

「あ?」

 

「ガルドさんも、まったく老化していませんね」

 

「……てめえもだろ」

 

 ガルドが鼻を鳴らす。

 

「何十年経っても、そのままじゃねえか」

 

「……そうですね」

 

 イリスは、少しだけ考え込んだ。

 

 自分が老化しない理由は、今もわかっていない。

 

 しかし、目の前の男もまた、昔とほとんど変わらない姿をしている。

 

「……何か、理由があるんですか?」

 

「さあな」

 

 ガルドは肩をすくめた。

 

「少なくとも、普通の人間とは違う身体になってるらしいぜ」

 

 その言葉に、ゼレフが静かに口を開いた。

 

「……その話も含めて、少し話そうか」

 

◇

 

 同日。

 

 山岳地帯の小さな研究施設。

 

 四人は、石造りの建物の中にいた。

 

 机の上には、数多くの魔法書と研究資料が積まれている。

 

「……なるほど」

 

 メイビスが興味深そうに資料を眺めた。

 

「滅竜魔法、滅神魔法、滅悪魔法……」

 

「うん」

 

 ゼレフが頷く。

 

「それぞれ異なる性質を持つ魔法因子を、一つの肉体に共存させる研究だよ」

 

「……かなり難しそうですね」

 

 イリスが呟く。

 

「難しいどころじゃないよ」

 

 ゼレフは苦笑した。

 

「普通なら、肉体が耐えられない」

 

 メイビスが資料を見つめる。

 

「でも、理論上は不可能ではない……?」

 

「そう。まだ仮説の段階だけどね」

 

 ゼレフは、ガルドへ視線を向けた。

 

「彼は、その研究に協力してくれているんだ」

 

「……協力?」

 

 イリスが首を傾げる。

 

 ガルドは、腕を組んだまま笑った。

 

「俺は強くなりてえ。それだけだ」

 

「……なるほど」

 

「てめえに負けたままってのも、気に食わねえしな」

 

 イリスは苦笑した。

 

「……まだ覚えていたんですね」

 

「当たり前だろうが!」

 

 メイビスが、くすくすと笑った。

 

「ふふっ。イリス、ずいぶん恨まれていますね」

 

「……困りましたね」

 

 そんな二人を見て、ゼレフは小さく微笑んだ。

 

 しかし、その表情には、どこか複雑なものがあった。

 

「……ゼレフさん?」

 

 イリスが声をかける。

 

「……ううん。何でもないよ」

 

 ゼレフは首を振った。

 

「ただ……二人は、本当に変わらないなと思って」

 

「そうでしょうか?」

 

「うん」

 

 ゼレフは、静かに笑った。

 

「昔から、ずっと楽しそうだ」

 

 メイビスが、イリスの手を握る。

 

「もちろんです!」

 

「……ふふっ」

 

 イリスも微笑んだ。

 

「私たちは、これからも一緒ですから」

 

 その言葉を聞いて、ゼレフは目を細めた。

 

「……そうだね」

 

 羨ましい。

 

 そんな感情が、胸の奥をよぎった。

 

 けれど。

 

 同時に、嬉しくもあった。

 

 自分が大切に思う友人たちが、今も笑っている。

 

 それだけで、少しだけ救われる気がした。

 

◇

 

 やがて、別れの時間が訪れた。

 

「それでは、ゼレフさん。またお会いしましょう」

 

「うん。二人とも、気をつけて」

 

「今度会うときは、もっと面白い魔法を見せますね!」

 

 メイビスが笑う。

 

「楽しみにしているよ」

 

 ゼレフも微笑んだ。

 

 そして、イリスはガルドへ視線を向ける。

 

「ガルドさんも、お元気で」

 

「……チッ」

 

 ガルドは顔を背けた。

 

「次に会うときは、もっと強くなってるからな」

 

「ふふっ。楽しみにしていますね」

 

「……余裕ぶりやがって」

 

 それでも、ガルドは剣を抜こうとはしなかった。

 

 今はまだ、そのときではない。

 

 彼自身も、それを理解していた。

 

 こうして、四人は再び別々の道を歩き始めた。

 

---

 

 X736年。

 

 フィオーレ王国、マグノリア。

 

 妖精の尻尾の酒場には、大勢の魔導士が集まっていた。

 

 その中心に立つのは、プレヒト・ゲイボルグ。

 

 そして、その隣には、四十歳になったマカロフ・ドレアーがいた。

 

「……本日をもって、私は二代目マスターを退任する」

 

 プレヒトの言葉に、酒場が静まり返る。

 

「長い間、皆には世話になった。至らぬところもあっただろうが……このギルドのマスターを務められたことを、誇りに思っている」

 

 その言葉に、仲間たちから拍手が起こった。

 

 プレヒトは静かに一礼する。

 

「これからの妖精の尻尾は、次の世代が築いていく。そして、その先頭に立つのは……」

 

 彼は隣の男を見た。

 

「マカロフ・ドレアーだ」

 

 次の瞬間。

 

 大きな歓声が響いた。

 

「マカロフ!」

 

「三代目マスター!」

 

「頼んだぞ!」

 

 仲間たちが次々と声を上げる。

 

 マカロフは、少し照れくさそうに頭をかいた。

 

「……まったく。大げさなんだよ、お前ら」

 

 しかし、その表情は真剣だった。

 

「……俺は、まだまだ未熟だ」

 

 酒場が静かになる。

 

「親父みたいに豪快でもねえし、プレヒトみたいに頭が切れるわけでもねえ」

 

 マカロフは、一度言葉を切った。

 

「けどな」

 

 その瞳に、強い光が宿る。

 

「俺は、このギルドが大好きだ」

 

 仲間たちを見渡す。

 

「ここにいる全員が、俺の家族だ」

 

 そして。

 

「だから、俺は守る」

 

 力強く言い切った。

 

「妖精の尻尾を。ここにいる仲間たちを!」

 

 大きな歓声が上がった。

 

 その様子を、イリスとメイビスが見守っていた。

 

「……立派になりましたね」

 

 イリスが微笑む。

 

「はい!」

 

 メイビスも嬉しそうに頷く。

 

「小さかったマカロフが、ついに三代目マスターです!」

 

 そして、二人はマカロフの前へ歩み出た。

 

「マカロフさん」

 

「……ん?」

 

「三代目マスター就任、おめでとうございます」

 

 イリスが微笑む。

 

「私たちも、これからよろしくお願いしますね」

 

「……ああ」

 

 マカロフが笑った。

 

「任せとけ」

 

 続いて、メイビスが元気よく手を上げる。

 

「あっ! 私からも一言いいですか!」

 

「……お、おう?」

 

 マカロフが少し緊張した表情になる。

 

 メイビスは、満面の笑みを浮かべた。

 

「マカロフ!」

 

「……はい!」

 

「妖精の尻尾を、よろしくお願いします!」

 

 その言葉に、マカロフは一瞬だけ目を見開いた。

 

 そして、深く頷いた。

 

「……ああ!」

 

 酒場に、再び歓声が響く。

 

◇

 

 就任式が終わった後。

 

 イリスは、酒場の片隅に立つプレヒトへ歩み寄った。

 

「……プレヒトさん」

 

「……イリスか」

 

「長い間、お疲れさまでした」

 

 イリスが微笑む。

 

「プレヒトさんが守ってくださったからこそ、今の妖精の尻尾があるんですよ」

 

「……大げさだ」

 

 プレヒトは小さく息を吐いた。

 

「私は、やるべきことをやっただけだ」

 

「……ふふっ」

 

 イリスは、穏やかに笑った。

 

「それでも、感謝しています」

 

 プレヒトは、しばらくイリスを見つめていた。

 

 そして、その口元に微かな笑みを浮かべた。

 

「……そうか」

 

 彼は、酒場の奥へ視線を向けた。

 

 そこでは、マカロフが仲間たちに囲まれている。

 

「……これからは、あいつの時代だ」

 

「……そうですね」

 

 イリスが頷く。

 

「プレヒトさんは、これからどうされるんですか?」

 

「……しばらく、研究に専念しようと思っている」

 

「研究、ですか?」

 

「ああ」

 

 プレヒトは、静かに答えた。

 

「まだ、調べたいことが山ほどあるのでな」

 

 イリスは、少しだけ目を細めた。

 

「……プレヒトさんらしいですね」

 

「……ふっ」

 

 プレヒトは、小さく笑った。

 

 その瞳には、研究者としての静かな情熱が宿っていた。

 

 こうして。

 

 妖精の尻尾の歴史は、新たな時代へと進み始めた。

 

---

 

 X751年。

 

 フィオーレ王国、マグノリア。

 

 静かな研究室に、紙をめくる音が響いていた。

 

「……まったく」

 

 机に向かうセヴェルが、小さくため息をつく。

 

「最後まで、わからないものですね」

 

 その手には、一冊の研究記録が握られていた。

 

 イリス・アストレアの身体に関する調査資料。

 

 長年にわたって記録してきた、老化の兆候が見られないという不可解な現象。

 

 しかし、その原因は今も解明されていなかった。

 

「……セヴェルさん」

 

 イリスが静かに声をかける。

 

 セヴェルは、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……イリスさん」

 

 その顔は、以前よりもずいぶん痩せていた。

 

 長い年月を経て、セヴェルもまた病に侵されていた。

 

 優れた再生治癒魔法を持つ彼であっても、今回の病を治すことはできなかった。

 

 再生させた組織にも同じ異常が生じ、治療を繰り返しても根本的な回復には至らなかったのだ。

 

「……無理をしないでください」

 

 イリスが心配そうに言う。

 

「ふふっ。研究者というのは、最後まで研究者なのですよ」

 

 セヴェルは、かすかに笑った。

 

 その隣には、メイビスも立っていた。

 

「セヴェル……」

 

「メイビスさん」

 

 セヴェルは、静かに頷く。

 

「妖精の心臓の管理資料は、すべてプレヒトさんに引き継いであります」

 

「……はい」

 

「長期運用に関する記録も、問題ありません」

 

 メイビスの瞳が揺れる。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言われるほどのことではありません」

 

 セヴェルは、机の上の資料を見つめた。

 

「……それにしても」

 

 小さく笑う。

 

「あなたたちには、ずいぶん驚かされました」

 

「……そうでしょうか?」

 

 イリスが首を傾げる。

 

「ええ」

 

 セヴェルは頷いた。

 

「かつて敵として出会った少女と、これほど長い付き合いになるとは思いませんでしたから」

 

「……ふふっ」

 

 イリスが微笑む。

 

「私もですよ」

 

「そして、メイビスさん」

 

「……はい」

 

「あなたの魔法研究は、本当に素晴らしいものでした」

 

 メイビスが目を見開く。

 

「実体幻影で食事ができるようになるなど、当初は想像もしていませんでした」

 

「……セヴェル」

 

「どうか、これからも研究を続けてください」

 

 セヴェルは、穏やかに微笑んだ。

 

「あなたたちなら、きっと私の想像もつかないものを生み出せるでしょう」

 

 メイビスの瞳から、涙がこぼれた。

 

「……はい」

 

 セヴェルは、最後にイリスを見つめる。

 

「……イリスさん」

 

「はい」

 

「結局、あなたが老化しない理由は、解明できませんでした」

 

「……そうですね」

 

「研究者としては、少し心残りです」

 

 イリスは、そっと首を振った。

 

「……いいえ」

 

 そして、優しく微笑んだ。

 

「セヴェルさんには、たくさん助けていただきました」

 

 妖精の心臓。

 

 メイビスの実体幻影。

 

 長年の研究と、安全管理。

 

 そのすべてに、彼の力があった。

 

「……本当に、ありがとうございました」

 

 セヴェルは、しばらくイリスを見つめていた。

 

 そして。

 

「……そう言っていただけるなら」

 

 小さく笑った。

 

「研究者冥利に尽きますね」

 

 その数日後。

 

 セヴェル・アクエリスは、静かに息を引き取った。

 

◇

 

 葬儀を終えた夜。

 

 マグノリア郊外の丘に、二人の少女が立っていた。

 

 夜空には、無数の星が輝いている。

 

「……イリス」

 

 メイビスが、そっと声をかけた。

 

「はい」

 

「……また、大切な人がいなくなってしまいましたね」

 

「……そうですね」

 

 イリスは、静かに頷いた。

 

 ユーリ。

 

 セヴェル。

 

 長い年月を共に過ごしてきた、大切な仲間たち。

 

 彼らはもう、帰ってこない。

 

 けれど。

 

「……メイビス」

 

「はい?」

 

「私は、二人と出会えてよかったと思っています」

 

 イリスは、夜空を見上げた。

 

「一緒に笑って、旅をして、たくさんのことを教えていただきました」

 

「……はい」

 

「だから、寂しいですけれど……」

 

 イリスは、メイビスへ微笑んだ。

 

「その思い出まで、悲しいものにはしたくありません」

 

 メイビスは、しばらくイリスを見つめていた。

 

 そして、ゆっくりと頷いた。

 

「……そうですね」

 

 二人は、そっと手を繋いだ。

 

「ユーリも、セヴェルも……私たちがずっと泣いていたら、困ってしまいますよね」

 

「ふふっ。ユーリさんなら、きっと笑い飛ばしてしまいますね」

 

「はい!」

 

 メイビスが、小さく笑った。

 

「セヴェルなら、研究を続けなさいって言いそうです!」

 

「……そうですね」

 

 二人は、顔を見合わせた。

 

 そして、静かに笑った。

 

 長い年月の中で、人は出会い、別れていく。

 

 変わらないものなど、ほとんどない。

 

 それでも。

 

 受け継がれていく想いがある。

 

 守り続けられる場所がある。

 

 そして、共に歩む人がいる。

 

「……行きましょうか、メイビス」

 

「はい!」

 

 メイビスが、イリスの手を強く握った。

 

「これからも、たくさんの景色を見に行きましょう!」

 

「ふふっ。もちろんです」

 

 二人は、満天の星空の下を歩き始めた。

 

 かつて共に笑った仲間たちの想いを、胸に抱きながら。

 

 新しい時代へ。

 

 まだ見ぬ未来へ。

 

 妖精と聖剣使いの旅は、これからも続いていく。

 




【こそこそ妖精話】
~三代目マスターの威厳~

 X736年。

 妖精の尻尾、ギルド酒場。

 マカロフが三代目マスターに就任して、数日が経った。

マカロフ「よし! 今日からは俺がしっかりギルドをまとめていくぞ!」

ギルドメンバーA「おおっ! さすが三代目!」

ギルドメンバーB「頼もしいぜ!」

マカロフ「ふっ。当然だ。これからはマスターとしての威厳というものをだな……」

メイビス「あっ! マカロフ!」

マカロフ「ん?」

メイビス「見てください! イリスと一緒にお菓子を作ったんですよ!」

イリス「ふふっ。マカロフさんの分もありますよ」

マカロフ「おっ、本当か!?」

メイビス「はい! 昔から好きでしたよね?」

マカロフ「おう! ねえちゃんたちの作る菓子は昔からうまいからな!」

 マカロフは嬉しそうに焼き菓子を受け取った。

ギルドメンバーA「……ねえちゃん?」

ギルドメンバーB「……三代目が?」

マカロフ「……あ」

メイビス「どうしました?」

マカロフ「い、いや! 何でもねえ!」

イリス「ふふっ。マカロフさん、昔から甘いものが大好きでしたものね」

メイビス「そうそう! 小さい頃なんて、もっと欲しいってよくおねだりしてました!」

マカロフ「ちょっ!? メイビスねえちゃん!?」

ギルドメンバーA「メイビスねえちゃん……」

ギルドメンバーB「三代目、可愛いところあるんだな……」

マカロフ「お前ら! 変な顔で見るんじゃねえ!!」

メイビス「ふふっ。マカロフは何歳になってもマカロフですね!」

イリス「ええ。立派なマスターになっても、私たちにとっては可愛い弟みたいなものですから」

マカロフ「……勘弁してくれよ、イリスねえちゃん」

 その日。

 三代目マスターの威厳は、焼き菓子一つで見事に崩れ去った。

 なお、翌日からギルドでは「三代目は甘いものに弱い」という噂が広まったという。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。
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