X779年。
フィオーレ王国、マグノリア。
妖精の尻尾。
「ナツ!! てめえ、また俺の飯食っただろ!!」
「ああ!? 名前でも書いとけよ!」
「書いてあっただろうが!!」
「知らねえよ!!」
朝から、ギルドの酒場に怒鳴り声が響いていた。
テーブルを挟んで睨み合う二人の少年。
桜色の髪をしたナツ・ドラグニルと、黒髪のグレイ・フルバスターである。
「やんのか、グレイ!」
「上等だ、ナツ!」
二人が同時に拳を振り上げた。
その瞬間。
「二人とも、喧嘩はいけませんよ?」
柔らかな声が割って入った。
振り返ると、そこには黒髪の少女が立っていた。
イリス・アストレア。
手には、焼きたてのパンが入った籠を持っている。
「だってよ、イリス姉ちゃん! こいつが!」
「グレイの飯が美味そうだったんだよ!」
「食ったの認めてんじゃねえか!!」
「ふふっ。では、ナツにはこちらをあげますから、グレイに謝りましょうね」
イリスが籠からパンを一つ取り出した。
「おっ! いいのか!?」
「はい。ただし、謝ってからですよ?」
「……わかったよ」
ナツは渋々グレイへ向き直る。
「悪かったな!」
「……ったく。最初からそうしろよ」
「これで仲直りですね」
イリスが微笑んだ。
しかし。
「……ところで、グレイ」
「ん?」
「また服を脱いでいますよ?」
「……あ」
グレイは自分の身体を見下ろした。
いつの間にか上半身裸になっている。
「いつ脱いだんだ、俺!?」
「知るかよ!」
「ナツ! てめえ笑うな!」
「ハハハハッ!」
結局、二人の騒ぎは収まらなかった。
イリスは困ったように笑いながら、パンの籠を抱え直した。
「……今日も元気ですねえ」
◇
「イリスー!」
今度は、元気いっぱいの声が響いた。
振り返ると、金色の長い髪を揺らした少女が駆け寄ってくる。
メイビス・ヴァーミリオンだった。
「見てください! 新しい幻影ができました!」
「おや。何を作ったんですか?」
「ふふん!」
メイビスが得意げに胸を張る。
そして、小さな手を掲げた。
ぽんっ。
軽い音と共に、空中に白いウサギが現れた。
「わあっ!」
近くにいたリサーナが目を輝かせる。
「ウサギさんだ!」
「ふふっ。触ってみますか?」
「いいの!?」
「もちろんです!」
リサーナが恐る恐る手を伸ばす。
すると、ウサギはぴょんっと跳ねて、少女の腕の中へ飛び込んだ。
「きゃっ!」
柔らかな感触。
温かな体温。
まるで本物のウサギだった。
「すごーい!」
「えへへ!」
メイビスは嬉しそうに笑う。
「これでも幻影なんですよ!」
「本物みたい!」
「ありがとうございます!」
その様子を見ていたエルフマンも、興味津々で近づいてきた。
「……俺も触っていいか?」
「はい!」
メイビスが頷く。
すると、今度は小さなクマが現れた。
「おおっ!」
エルフマンの顔が輝く。
「クマだ!」
「ふふっ。可愛いでしょう?」
「うん!」
そんな二人を、少し離れた場所から見つめる少女がいた。
ミラジェーン・ストラウスである。
「……あんた、変な魔法使うのね」
メイビスが振り返る。
「変、ですか?」
「だって、そんな魔法、戦いの役に立つの?」
「もちろん、使い方次第ですよ!」
「ふーん……」
ミラジェーンは腕を組んだ。
「まあ、可愛いのは認めるけど」
「ふふっ。ありがとうございます!」
「べ、別に褒めたわけじゃないわよ!」
イリスがくすくすと笑った。
「ミラジェーンも、触ってみますか?」
「……別に」
そう答えながらも、ミラジェーンの視線は白いウサギに向いている。
メイビスがにっこり笑った。
「では、もう一匹!」
ぽんっ。
今度は、小さな白猫が現れた。
「……!」
ミラジェーンの目が一瞬だけ輝いた。
しかし、すぐに顔を背ける。
「……まあ、ちょっとくらいなら」
その言葉に、イリスとメイビスは顔を見合わせた。
そして、二人揃って微笑んだ。
◇
昼過ぎ。
ギルドの一角では、エルザ・スカーレットが一冊の本を読んでいた。
その隣に、イリスが腰を下ろす。
「何を読んでいるんですか?」
「剣術の本です」
「剣術、ですか?」
「はい」
エルザは真剣な表情で頷いた。
「もっと強くなりたいので」
「……なるほど」
イリスが本を覗き込む。
そこには、剣の構えや足運びについての説明が書かれていた。
「難しそうですね」
「はい。でも、覚えればきっと役に立つと思います」
「ふふっ。そうですね」
イリスは微笑んだ。
「ただ、本を読むだけではわからないこともありますよ」
「……そうなのですか?」
「はい。実際に身体を動かしてみると、もっと理解できると思います」
エルザは少し考え込んだ。
そして。
「……イリスさんは、剣を使ったことがありますか?」
「ええ。少しだけ」
「本当ですか?」
「はい」
イリスが頷く。
「よろしければ、今度一緒に練習しましょうか?」
エルザの表情が明るくなった。
「ぜひ、お願いします!」
「ふふっ。では、約束ですね」
イリスが小指を差し出す。
エルザは少し戸惑った後、そっと小指を絡めた。
「約束です」
「はい。約束です」
その様子を、少し離れた場所からナツが見ていた。
「……なあ、グレイ」
「なんだよ」
「イリス姉ちゃんって、剣使えんのかな?」
「さあな」
グレイが肩をすくめる。
「あんまり強そうには見えねえけど」
「だよな!」
ナツが頷いた。
「エルザの方が強そうだぜ!」
「……お前、本人の前で言うなよ?」
「なんでだよ?」
「失礼だろ」
「別にいいじゃねえか!」
二人は顔を見合わせた。
そして。
「……でも、イリス姉ちゃんって怒んねえよな」
「まあな」
グレイが頷く。
「いつも笑ってるし」
「メイビス姉ちゃんもな!」
「ああ」
二人にとって、イリスとメイビスは優しいお姉ちゃんだった。
強い魔導士という印象は、ほとんどない。
それが、二人の本当の姿の一つであることも、まだ知らなかった。
◇
夕方。
ギルドの扉が勢いよく開いた。
「おう! 帰ったぜ!」
豪快な声が響く。
「ギルダーツ!!」
ナツが真っ先に駆け出した。
「おっ! ナツじゃねえか!」
ギルダーツ・クライヴが笑う。
「元気にしてたか?」
「おう! なあ、今度勝負しようぜ!」
「ハハハッ! 相変わらずだな!」
ギルダーツはナツの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「もっと強くなってからな!」
「なんだよー!」
その様子を見て、グレイも近づいてくる。
「また依頼帰りか?」
「ああ! ちょっと遠くまでな!」
ギルダーツは豪快に笑った。
そして、酒場の奥に視線を向ける。
「……お?」
そこには、子供たちに囲まれたイリスとメイビスがいた。
「おおっ! イリスさん! メイビスさん!」
「お久しぶりです、ギルダーツさん」
イリスが微笑む。
「お帰りなさい!」
メイビスも手を振った。
「おう! 二人とも元気そうだな!」
「はい。おかげさまで」
ギルダーツは楽しそうに笑った。
「しかし、すっかり子供たちに囲まれてるな!」
「ふふっ。毎日賑やかですよ」
「楽しいですよー!」
メイビスが嬉しそうに答える。
そんな三人の会話を聞いていたナツが、不思議そうに首を傾げた。
「……なあ、ギルダーツ」
「ん?」
「イリス姉ちゃんと知り合いなのか?」
「ああ。昔、一緒に依頼に行ったことがあるぜ」
「へえ!」
ナツが目を輝かせる。
「じゃあ、イリス姉ちゃんも戦えるのか!?」
「……ん?」
ギルダーツが目を瞬かせた。
「そりゃあ、もちろん――」
「でもよ!」
ナツが言葉を遮った。
「イリス姉ちゃん、あんまり強そうじゃねえんだよな!」
その瞬間。
ギルダーツの動きが止まった。
「…………は?」
グレイも頷く。
「まあ、優しいけどな」
「そうそう!」
ナツが勢いよく頷いた。
「ギルダーツみたいに強そうじゃねえ!」
「……お前ら」
ギルダーツは、ゆっくりとイリスへ視線を向けた。
イリスは、いつもどおり穏やかに微笑んでいる。
「ふふっ。そう見えますか?」
「おう!」
ナツが元気よく答えた。
その隣で、メイビスが肩を震わせていた。
「……ぷっ」
「メイビス?」
「い、いえ……!」
メイビスは口元を押さえる。
「ふふっ……あははっ!」
とうとう笑い出してしまった。
「……メイビス姉ちゃん?」
ナツが首を傾げる。
「何がおかしいんだ?」
「い、いえ! なんでもありません!」
メイビスは笑いをこらえながら答えた。
ギルダーツも、しばらく呆然としていたが。
「……ハッ」
やがて、口元を吊り上げた。
「ハハハハハッ!!」
豪快な笑い声が、ギルド中に響き渡った。
「おもしれえ! こいつはおもしれえぞ!」
「なんだよ!?」
ナツが叫ぶ。
ギルダーツは笑いながら、イリスへ向き直った。
「……なあ、イリスさん」
「はい?」
「そういや、昔の約束、覚えてるか?」
イリスが目を瞬かせる。
そして、すぐに微笑んだ。
「もちろんですよ」
「おっ!」
ギルダーツの目が輝く。
「じゃあ、そろそろどうだ?」
「……ふふっ」
イリスは少し考えた後、頷いた。
「いいですよ」
「よっしゃ!」
ギルダーツが拳を握る。
その様子を見ていたナツが、目を丸くした。
「……何の話だ?」
ギルダーツは、にやりと笑った。
「俺とイリスさんで、ちょっと勝負しようって話だ!」
「…………え?」
ナツが固まった。
グレイも目を見開く。
「……勝負?」
「ああ!」
ギルダーツが頷く。
「模擬戦だ!」
「ええええええっ!?」
ナツの叫び声が、ギルド中に響いた。
◇
「ちょ、ちょっと待てよ!」
ナツが慌ててイリスの前に立った。
「イリス姉ちゃん! ギルダーツはすっげえ強いんだぞ!?」
「はい。知っていますよ」
イリスが微笑む。
「以前、一緒に依頼へ行きましたから」
「だったら!」
ナツが両手を広げる。
「怪我するぞ!?」
「ふふっ。心配してくれるんですね」
「当たり前だろ!」
その言葉に、イリスは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます、ナツ」
「……いや、だから!」
そこへ、グレイも近づいてくる。
「俺もやめといた方がいいと思うぜ」
「そうでしょうか?」
「ギルダーツの魔法、すげえ危ねえんだぞ?」
「ふふっ。そうですね」
イリスは穏やかに頷いた。
そんな様子を見ていたエルザが、真剣な表情で口を開く。
「……イリスさん」
「はい?」
「本当に大丈夫なのですか?」
「ええ。大丈夫ですよ」
イリスは微笑んだ。
「それに、模擬戦ですから。お互いに怪我をしないよう気をつけます」
エルザは少し考え込んだ。
そして、静かに頷く。
「……わかりました」
その隣では、ミラジェーンが腕を組んでいた。
「……ふーん」
「ミラジェーン?」
「別に。あんたがそこまで言うなら、見ててあげるわよ」
「ふふっ。ありがとうございます」
「だから、別に心配してるわけじゃないってば!」
そんなやり取りを、ギルダーツは楽しそうに眺めていた。
「ハハハッ! こりゃあ、当日が楽しみだ!」
そのとき。
「……騒がしいと思ったら、何をしておる」
奥から、マカロフが姿を現した。
「おっ! マスター!」
ギルダーツが手を上げる。
「イリスさんと模擬戦することになったぜ!」
「…………ほう?」
マカロフの眉が上がった。
そして、イリスへ視線を向ける。
「……イリスねえちゃん、本当か?」
「はい。以前からのお約束でしたので」
「……そうか」
マカロフは、しばらく二人を見つめていた。
やがて。
「……ふっ」
小さく笑った。
「面白いことになりそうじゃな」
「だろ!?」
ギルダーツが笑う。
しかし、ナツは納得していなかった。
「じっちゃん! 止めなくていいのかよ!?」
「ん?」
「イリス姉ちゃんが怪我しちまうぞ!」
「……ほう」
マカロフは、ナツを見下ろした。
「お前は、そう思うのか?」
「当たり前だろ!」
「……ふむ」
マカロフは顎髭を撫でた。
そして、意味ありげに笑う。
「ならば、自分の目で確かめてみるといい」
「……え?」
「世の中には、見た目だけではわからんこともあるからのう」
ナツは首を傾げた。
「……なんだよ、それ」
マカロフは答えなかった。
ただ、楽しそうに笑っていた。
◇
その夜。
子供たちが帰り、ギルドが静かになった頃。
イリスとメイビスは、窓際の席で温かい紅茶を飲んでいた。
「……ふふっ」
メイビスが笑う。
「今日は面白かったですね!」
「そうですね」
イリスも微笑んだ。
「ナツたちが、あんなに心配してくれるとは思いませんでした」
「ふふふっ!」
メイビスは楽しそうに笑った。
「イリスが弱いと思われているなんて!」
「……そんなにおかしいですか?」
「はい!」
即答だった。
イリスは少しだけ頬を膨らませる。
「……もう、メイビスったら」
「えへへ!」
メイビスは嬉しそうに笑った。
そして、イリスの隣へ身体を寄せる。
「でも、私は知っていますよ」
「……何をですか?」
「イリスが、とっても強いことも」
メイビスは微笑んだ。
「とっても優しいことも!」
イリスは目を瞬かせた。
そして、柔らかく笑う。
「……ありがとうございます、メイビス」
「えへへ!」
窓の外には、満天の星が広がっていた。
かつて、二人が仲間たちと共に作り上げた場所。
妖精の尻尾。
長い年月を経て、そこには新しい家族が増えていた。
喧嘩ばかりする少年たち。
真面目で努力家な少女。
素直になれない少女と、その優しい弟妹たち。
みんな、まだ小さな妖精だった。
これから、どんな魔導士へと成長していくのだろう。
「……メイビス」
「はい?」
「明日も、賑やかになりそうですね」
メイビスは満面の笑みを浮かべた。
「はい!」
そして、楽しそうに答える。
「とっても楽しみです!」
その頃。
ギルドの別の場所では、ギルダーツが一人、楽しそうに笑っていた。
「……ハハッ」
思い出すのは、かつてのS級クエスト。
山を覆い尽くすほどの魔法を、たった一振りで消し去った少女の姿。
あのとき、自分は思い知った。
世の中には、まだまだとんでもない強者がいる。
「……今度こそ、どこまでやれるか試してえな」
ギルダーツは拳を握った。
そして、にやりと笑う。
「楽しみにしてるぜ、イリスさん!」
こうして。
妖精の尻尾の新しい世代にとって、忘れられない一日が近づいていた。
いつも優しく微笑んでいる、黒髪のお姉ちゃん。
その本当の強さを、彼らはまだ知らない。
【こそこそ妖精話】
~お姉ちゃんを守れ!~
X779年。
妖精の尻尾、ギルド酒場。
ナツ「なあ、グレイ。やっぱりイリス姉ちゃん、危なくねえか?」
グレイ「……まあ、相手がギルダーツだからな」
エルザ「私も少し心配だ。イリスさんは優しい方だが、戦っている姿を見たことがない」
ミラジェーン「まったく。あの人、いつもニコニコしてるし、危なっかしいのよね」
リサーナ「でも、イリスお姉ちゃん、きっと何か考えてるんじゃないかな?」
ナツ「よし! 決めた!」
グレイ「……何をだよ」
ナツ「俺たちでイリス姉ちゃんを守るぞ!」
エルフマン「お、おう! 俺も手伝う!」
エルザ「……模擬戦なのだから、途中で割り込んではいけないぞ?」
ナツ「じゃあ、危なくなったら止める!」
グレイ「それならいいんじゃねえか?」
少し離れた席。
メイビス「……ぷっ」
マカロフ「……くくっ」
メイビス「マカロフ、聞きました?」
マカロフ「……ああ。聞いとる」
メイビス「イリスを守るそうですよ!」
マカロフ「……ギルダーツの方を心配した方がよさそうじゃがな」
メイビス「ふふふっ! そうですね!」
そこへ、イリスが焼き菓子を持ってやってきた。
イリス「皆さん、おやつができましたよ」
ナツ「イリス姉ちゃん!!」
イリス「はい?」
ナツ「安心しろ! 俺たちがついてるからな!」
イリス「……?」
グレイ「何かあったら俺たちが助けるからよ」
エルザ「どうか無理だけはしないでください」
イリス「……ふふっ」
イリス「ありがとうございます。皆さん、とっても頼もしいですね」
その後ろで。
メイビス「……あははははっ!」
マカロフ「……ぶはっ!」
イリス「……二人とも?」
メイビス「い、いえ! なんでもありません!」
マカロフ「……くくっ。いやあ、平和じゃのう!」
なお、この話を後から聞いたギルダーツは。
ギルダーツ「……おいおい! 俺の心配は誰もしてくれねえのか!?」
と、盛大に笑ったという。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。