砂漠に、男がいた。
奇妙な風貌をした男だ。
フード付きのマントに身を包み、腰には一振りの剣を帯びている。
丈夫な布袋を肩から下げているものの、それ以外の荷物は見当たらない。
見るからに旅の者。
仲間も連れず、男は一人で黙々と足を進める。
灼熱の陽光が照り付けるが、その歩みに淀みはない。
ただ一定のリズムで足を淡々と動かし続ける。
やがて、男の視線の先に人工物が映った。
それは町だった。
砂漠の中、外壁に囲まれてポツンと佇む小さな町。
黄土色の家々が砂丘の間に寄り集まり、強い日差しを受けて白く霞んでいる。
建物はいずれも角の取れた丸い造りで、ところどころにドーム状の屋根が覗いていた。
男は黙々と足を動かし、町へ入る為に門を通過しようとするが――
「止まれ、何者だ」
鋭い声に呼びかけられ、足を止めた。
小さな町とはいえ、誰でも彼でも通すというわけではない。
滅多に現れない旅人であり、尚且つ怪しげな風体をしていればなおさらだ。
門の傍にある小さなドーム状の建物から出てきた門番らしき褐色肌の男は、警戒を露にしながら尋ねる。
奇妙な男は無言で懐から一枚の紙を取り出し、門番に突き出した。
「なんだ、これは……依頼書……?」
「……」
男は答えない。ただ紙を突き出したまま、じっとしている。
不気味に思い、警戒心を高めながら紙を眺めていた門番は、不意にその紙に記されていた文字を見て驚きの声を上げた。
「砂鮫の討伐依頼……アンタ、ギルドの冒険者か⁉」
男は答えない。
だが、フードに包まれた頭が小さく上下した。
門番は目を細める。
背丈はそこまで大きくはないが、鍛えられた戦士であることは何となく伝わって来る。
腰に帯びている剣も華美な装飾こそないが、武骨ながら重厚な存在感を放っており、かなりの業物なのだと推測ができる。
突き出されている依頼書に捺印されているギルドの印も本物のようだし、このまま通してしまってもいいのだが――如何せん、怪しい。
「……砂船はどこに止めてある?」
門番は警戒しながら尋ねた。
“砂船”とは、海のように広がる砂漠を横断する為に発明された小型の船である。
細長い船体に一本の帆柱を備えた構造をしており、巨大な板へ帆を取り付けたような見た目をしている。
船底には砂鳴石と呼ばれる鉱石が組み込まれており、この鉱石が砂海に含まれる特殊な粒子と共鳴することで船体をわずかに浮上させ、砂の上を滑るように疾走する乗り物だ。
推進力の大半を担うのは風である。
風がなければ船は進まず、逆風や砂嵐に遭えばたちまち制御を失う。
乗りこなすには相応の練度を要するが、乗りこなせなければ、この町に到達することはできない。
故に、門番の問いは至極当然のものであったが、男の回答は想像を絶するものだった。
「……歩いてきた」
門番は絶句してから、憤慨した。
「嘘をつくな! ここまで歩いて来られるはずがない!」
「……砂船は、壊れた」
「壊れたから、歩いてきたと? そんな馬鹿なことが――」
と、そこまで言ってから門番は気付いた。
ほとんど風が吹いていないことに。
無風に近い今の状態では、砂船は停滞気味となる。
もっとも、近年の砂船には“風晶石”と呼ばれる鉱石が搭載されていた。
風を内部へ蓄積する性質を持つこの鉱石は発進と運転を補助する上に、砕けば爆発的な動力源となり、その瞬間的な加速は時として自然風すら凌駕する。
だが、それはあくまで補助に過ぎない。
風晶石だけで長距離を航行することは不可能であり、砂船を真に走らせるのは今も昔も風である。
その風が吹いていない今、男の言葉には説得力があった。
同時に、男の異常性にも拍車が掛かることになる。
「本当に、この砂漠を歩いて横断した、と?」
「……さっきからそう言っている」
門番の男は思わず頭を抱えた。
砂船がどこで壊れたのかは分からないが、視界に映る景色の中に砂船は見当たらない。
つまり、少なくとも遥か遠くに見えるあの砂丘を徒歩で乗り越えてここまでやって来たということになる。
おまけに、こうして見ている限りでは全く消耗しているようには見えない。
尋常ではない体力と脚力だ。
「……失礼する」
「ちょっと待て!」
話は終わったと判断したのか、先へ進もうとする男を止める。
「念の為、顔を確認させてもらえないか?」
「……」
じろり、とフードの内側で視線が動いたのを門番は感じた。
“なぜ?”という疑問が無言のまま放たれている。
「この町の取り決めだ。町へ入るものの顔は予め把握しておく必要があってな」
そんな取り決めはない。
しかし、門番は己の役割として、この怪しげな男の顔を確認しておかなければならないという使命感に駆られていた。
暫くの間、無言で佇んでいた怪しげな男だが、不意にその手が動き、フードに掛けられる。
門番の男が固唾をのんで見守る中、男はフードを脱ぎ去って――
「……これでいいか?」
年若い青年だった。
黒髪に、黒曜石のように真っ黒な瞳。
顔立ちは整っていると思われるが、断定することはできなかった。何故なら、その鼻と口元を覆い隠すように包帯が巻かれていたからだ。
とはいえ、砂漠では砂が口に入り込まないように口元を隠す者は少なくない。そこまで不自然なことではなかった。
「もう、いいか?」
「あ、あぁ……すまなかった」
門番は慌てたように頭を掻く。
「実は、つい先日も怪しげな二人組が町をうろついていてな。警戒心が高まっていたんだ」
「……これがあなたの仕事なのだから、謝罪は不要だ」
素っ気なく放たれた、気遣うような言葉を受け、門番はすっかり気勢を削がれてしまった。
怪しげな風貌をしていたとはいえ、探るような真似をしてしまった自分を恥じながら、門番の男は一歩退いて男を町へ招き入れる姿勢を取った。
「“ザハラ”へようこそ。何もないところだが……まぁ、楽しんでいってくれ――っと、失礼。あんたは仕事で来たんだったな」
男はコクリと頷いた。
どこまでも口数が少ない男だが、コミュニケーションが全く取れないというわけではないらしい。
「念の為に言っておくと、町の中央にある比較的デカい建物が酒場だ。夜はみんな、そこで飲んでる。で、その裏に宿がある。この町で唯一の宿だから、知り合いがいないならそこに泊まることを勧めるよ。ギルド支部はあそこにある大きな旗の下にある」
失礼な態度の非礼を穴埋めするように、門番は親切に町のことを説明する。
包帯を巻いた男は素直にコクコクと頷いていた。
「最近は砂鮫どもが騒がしくてな……こんな辺境までわざわざ退治に来てくれたってのはありがたい話だ。奴らは素早い。砂船を借りたきゃ、西門の近くにある店を尋ねてみてくれ。アディラっていう赤毛の女が店主をやってるよ」
「……感謝する」
男は頷き、一言礼を述べてから歩き出した。
マントをなびかせ、颯爽と歩くその姿。
怪しさはあるものの、警戒が解けた今となっては悪い奴には見えなかった門番の男は、手を振りながら。その背中へ言葉を送った。
「無事に依頼を終えたら、
疑ったことへの謝罪も込めた一言だった。
それに、砂鮫を退治してくれるのであれば、この町にとっての恩人にもあたる。
門番の言葉を聞いた男の身体がピタリ、と止まった。
何故か全く動こうとしない。
暫く固まっていた男だったが、
「……すまないが、遠慮しておく」
ゆっくりと振り返ると、断りの一言を入れた。
面食らった門番ではあるが、特に気を悪くしたわけではない。
そっか、残念だなぁ~程度の心持だったのだが、何故か、男が足早に引き返してくる。
困惑する門番へ距離を詰めると、再びフードを外し、露になった包帯を指さした。
「過去に、
「呪い、だと……?」
呪い。
魔術師や魔女が行使すると言われる、悪質な術である。
様々な効果があるが、術の種類によっては対象に一生付き纏うものまであるらしい。
思わず包帯を凝視した門番は、そこで気が付いた。
包帯の隙間から何かが見えている。
それは青い文字のようなもので――生き物のように蠢いていた。
「ッ⁉」
「……驚かせてしまってすまない」
反射的に距離を取った門番は、“しまった”と思ったが、包帯の男は気にした様子もなく、むしろ謝罪の言葉を口にした。
「だが、これで分かっただろう。
「そ、そうだったのか……」
呪いという背景があるのであれば、執拗に顔を隠していたのも、必要最低限の会話に留めていたのも納得がいく。
これはこの男なりの自衛であり、他人への気遣いでもあったのだろう。
「そういう事情があるとも知らずに失礼をした。まぁ、その、なんだ……ザハラを楽しんでくれ」
衝撃の事実を知った門番はしどろもどろになりながら、口を動かす。
男は頷くと、今度こそ門を潜り抜けて町へ入った。
その孤独な背中を見送りながら、門番はポツリと呟く。
「呪いをその身に受けながら人を気遣うとは……若いのにしっかりした兄ちゃんじゃねぇか」
“呪い”と聞いて若干腰が引けてしまったのも事実だったが、それ以上に男の無口ながら誠実な態度は門番にとって好ましいもののように思えた。
奇妙な訪問者の背中を見送り終え、再び門番としての責務に戻った男は、そこで思い出した。
「あっ、そういや名前を聞きそびれたな」
◆◆
ギルドは世界中に支部が点在している強大な組織である。
当然、辺境も辺境とはいえ、この“ザハラ”にも支部は存在している。
門番に教えてもらった通り、真っすぐ旗を目指して歩いた男はギルド支部の建物に入り、受付で到着の連絡と依頼内容の確認を済ませた。
僻地ということもあってか、職員はあまりやる気があるようには見えなかったが、手続き自体は滞りなく完了した。
男はその足で酒場の裏にある宿へ向かい、ギルドに押さえてもらっていた部屋へ案内された。
砂漠に覆われ、砂嵐にも見舞われるこの地域の宿は、普通の宿とは一味違う。
案内されたのは石造りの竈を思わせる半地下の個室だった。
外から見れば砂に埋もれた小さなドームだが、内部は意外なほど広い。
壁も天井も緩やかな曲線を描いており、角というものがほとんど存在しない。
分厚い土壁は外の熱気を遮断しているらしく、室内は驚くほど涼しかった。
壁際には粗末ながら頑丈そうな木製の寝台が一つ。
男は寝台の傍に荷物を置くと、そのままベッドへ飛び込む――ことはなかった。
いきなり四つん這いになる。
寝台の下を覗き込み、魔術的な細工や侵入者の痕跡がないかを確認する。
何もないことを確かめると、今度は丸く造られた土壁を順に叩き、耳を押し当てて音の違いを探る。
空洞はない。
隠し通路もない。
人影もない。
続いて小さな採光窓を調べ、扉も調べ、部屋中を見て回り、異常や監視がないことを確かめると、男はようやく一息ついた。
それからフードを脱ぎ、包帯を外した。
幾重にも巻かれていた布が解かれ、床へと落ちる。
その下から現れた頬には、奇妙な青い文字が刻まれていた。
刺青のように見えるが、微かに蠢いているそれを刺青と呼んでいいのかは疑問が残る。
鼻筋の脇から始まったそれは左頬を這い、顎を通り、首元へと続いている。
見たこともない文字列が幾重にも連なり、蛇が獲物へ巻き付くように彼の身体へ絡み付いていた。
着替えるために上着を脱ぐ。
すると、その異様さがさらに明らかになる。
青い文字は首元だけでは終わらず、胸、脇腹、背中――と、身体中を這うように刻まれていた。
この状態の彼を見た人々は思うだろう。
“呪われている”――と。
――とはいえ、男は自身に刻まれているこの印が
知った上で、利用していた。
「……疲れた」
数日間、ぶっ通しで歩き続けた身体を解しながら、溜息をついた。
「確かに遠い場所で働きたいとは言ったけれど……限度ってもんがあるだろ、限度が」
先程まで無言の圧力を放っていた姿が嘘のように、愚痴が口から零れ出る。
彼は案外お喋りな人間だった。
――もっとも、人がいない時に限るのだが。
「おまけにレンタルした砂船は壊しちゃったし、弁償しなきゃいけないし……ついてない」
ちなみに砂船を壊した理由は、男が使い方をちゃんと教わらなかったからである。
自業自得であることは本人も理解しており、だからこそより落ち込んでいた。
「救いがあるとすれば、門番の人が親切だったことくらいか……」
あの門番のお陰で男はザハラの町で迷子にならずに済んだのだ。
基本的に人に道を尋ねるのが苦手な男にとって、あの気遣いは大変ありがたいものだった。
しかし――
『無事に依頼を終えたら、飲もう! 一杯奢るから!』
「はぁ……」
せっかく誘いを受けたにも関わらず、男は反射的に“呪い”を盾にして断ってしまった。
あの選択を後悔しているわけではないが、申し訳なくは思っていた。
「……飲み会は、無理だよ……」
男は仕事熱心な冒険者だったが、人との関わりには熱心ではなかった。
この町の人々が陽気でフランクだと直感した男は、いつものように決心する。
「……さっさと仕事を終わらせて、帰ろう」
――それが叶わぬ願いになることを、この時の男は知らなかった。