「ナディラ!」
切羽詰まった女性の声が響き渡る。
見事な腕前で砂船を止めた少女は、そのまま船の上から飛び降りた。
「お母さん!」
勢いそのままに母へ駆け寄り、抱き着く。
強く、正面から抱きしめ合う親子。
「ナディラ、無事だったか!」
「心配していたんだぞ!」
「全く、今の時期は航海を控えろと言っておったというのに……」
そして、わらわらと集まって来たザハラ中の人々。
実に感動的な光景を前に、カインは早々にその場から立ち去りたくなっていた。
できることなら、早く仕事に戻りたい。
だが、ここで何も説明せずに離れれば後々面倒になることを、彼は経験則で知っていた。悲しい経験則である。
「……えー、ゴホン」
所在なく立ちながら説明すべく口を開いたカインだったが、誰もこちらへ振り向かない。
彼の声が小さかったからだ。
こっちは一応説明を試みたけれど誰も話を聞いてくれなかった、ということで立ち去れないだろうか――?
なんて無責任なことを考えていたその時、
「あの人が……カインさんが助けてくれたんだ!」
大きな声で主張しながら、ナディラという少女がカインを指さしていた。
カインは包帯とフードの下で顔を顰めた。
ほら、来た。
全員から一斉に向けられる視線。
それは、砂漠に降り注ぐ太陽よりも厳しいものに感じられた。
とはいえ、彼は仕事人である。
仕事は全うしなければならない。
気乗りはしないが……仕事と割り切ればコミュ障も多少はマシになるカインは、渋々口を開いた。
「……俺は、最近活発化しているという砂鮫を退治するためにギルドから派遣された冒険者だ。これから仕事をするので、みなさんは家の中にいてくださ……いや、いてくれ」
喋り慣れていないせいか、たどたどしく、文法も色々とおかしかったが、幸いにも包帯と強風のお陰でそこまで不自然には聞こえなかった。
「カインさん、でよろしかったでしょうか? うちの娘を助けていただき、ありがとうございました……!」
「お母さん……」
進み出てきた赤髪の女性が涙を流しながら頭を下げてくる。
そんな母の肩を支えながら、チラチラとカインに視線を向けてくるナディラ。
感動的な光景ではあるが、同時にカインの一番苦手な光景でもあった。
こういう時、彼はどうすればいいのか分からない。
こういう、尊いものに溢れた綺麗な光景をどうすれば壊さずに済むのか、さっぱり分からない。
カインは壊すのは得意だったが、壊さないのは不得意だった。
「……」
色々と考えた末、カインはいつものように何も言わず黙っていることしかできなかった。
それしか、できることがなかった。
「――ところで、砂鮫を退治するために来ていただいたとのことですが、対応にあたるのはカイン殿お一人、ということですかな?」
何とも言えない雰囲気の中、一人の老人が進み出て話を前に進めてくれた。
「……あなたは?」
「失礼しました。儂はラシードといいまして、このザハラの町長をしているものです」
この地域特有の褐色の肌に白髪の男性。
杖こそついているものの、瑞々しい生命力が強く感じられる人物だ。
内心でありがたく思っているカインへ、ラシードは話を続ける。
「砂鮫は群れを為して行動します。最近はその群れを見かける機会が増えておりましてな。我らも対応に手を焼いておったのです。そこでギルドへ砂鮫の集団討伐を依頼したのですが……」
まさか、お前一人だなんて言わないよな……?
と、視線が物語っていた。
カインは内心で申し訳ないと頭を下げながら答えた。
「……討伐にあたるのは、俺だけだ」
「なんと……!」
そうなったことには事情がある。
当初から集団討伐の依頼で回っていたこの仕事だが――誰も受ける者がいなかったのだ。
ザハラはとにかく遠い辺境の地。
おまけに過酷な環境で知られており、そこまでの旅路を考えれば、いかに報酬が割高でも割に合わない、というのが冒険者内での認識であった。
そんな中、一人で受けられて、誰もいないような遠いところへ行きたがっていた依頼を探していたカイン。
ギルドは冒険者きっての変人――やる気がありそうな彼に依頼を回した。
四人分の報酬を独り占めできる、という条件で。
そうして意気揚々と乗り出し、ギルド名義で借りた砂船で早々に座礁し、とぼとぼ徒歩でここまでやって来て、今に至る。
カインは事情を説明しようかと思ったが……ここで、よく分からないところで人のことを気遣ってしまう彼の特性が裏目に出た。
(誰も依頼を受けたがらなかったって言ったら傷つけてしまう可能性があるな……最悪、叱責されるかもしれない)
別にそんなことはないのだが、一人でそう思い込み、そう結論づけたカインは口を開いた。
「今回の依頼は、俺一人で十分だと判断した」
切実な本音は口に出ない。
だから、彼は勘違いされてしまう。
「……そう、ですか」
(ギルドは一体何を考えている? こんな若者に全てを負わせようとしたのか? 或いは、若者特有の流行り気か……いずれにせよ、危険だな)
カインの発言を受けて一体何を勘違いしたのか。
村長であるラシードは顔を上げ、決意を籠めた瞳で言った。
「儂も手伝いましょう」
かつては立派な砂船乗りとして名を馳せ、今もその背中でザハラを纏め上げているラシードである。
当然、人望は厚い。
彼の後に続くように他の者たちも手を上げ始めた。
「俺も行くぞ!」
「砂鮫との戦いには慣れてらぁ。若い兄ちゃんにばかり任せてらんないよな!」
「俺が砂船を出すぞ!」
「銛は俺のとこの在庫を使え!」
戦意と熱気が高まっていく。
一致団結していくザハラ。
その勢いを見たカインは、
(えぇ……?)
心底困惑していた。
人がやってくれるというのであれば、大人しくしていればいい。
人と関わらずに済むのであれば、それに越したことはない。
それが彼の価値観だったから。
というか――
(無理無理無理……! 人と一緒に働くとか、連携を取るとか、絶対に無理……!)
人と一緒に任務にあたったことのないカインにとって、誰かと一緒に戦うというのは、一人で砂鮫の群れに放り込まれるよりもずっと過酷なことだった。
どうにかしてこの展開を変えられないか。
必死に頭を回すカインは、不意にとても便利なことを思い出した。
この町に入る時にも使った、あの言い訳だ。
(よしっ……!)
心の中で息を整えると、カインは彼にしては大きな声を上げた。
「聞いて欲しい」
カインの声は低いが、よく通る。
ピタリと民衆の声が止み、彼に注目が集まる。
この声も、彼がむやみやたらに言葉を発したくない理由の一つなのだが――今は置いておこう。
「……みなさんの気持ちは嬉しい。だが、一緒に戦うことはできない」
先に大事な結論を述べてから、カインはその理由を告げた。
「俺は、呪われている」
ザハラに動揺が走った。
“呪い”。その言葉は皆、知っている。
具体的な想像は出来なくとも、おぞましいものであるという想像ができる。できてしまう。
「一緒に行動していたら、その人も呪われてしまうかもしれない」
皆が衝撃に打ちひしがれる中、一際取り乱す人物がいた。
娘の帰還を喜んでいたアディラである。
「じゃ、じゃあ……ナディラも⁉」
無意識のうちに娘をカインから遠ざけるように抱きしめる母。
今にも泣き出しそうな彼女に申し訳なさを感じつつ、カインは即座に首を横に振った。
「いや、その子は見たところ大丈夫のようだ。とはいえ、俺と長く行動していると、呪われる可能性が高くなる」
可能性が高くなる。
思わず日和った言い方になってしまった。
カインは根本的に嘘をつくのが苦手な男なのである。
「だから、俺は一人で大丈夫……いや、一人でやりたいんだ」
意訳:放っておいてください。
カインは一人が好きだった。
逆に、一人以外は嫌いだった。
「討伐は、これから実施する。全員、家の中に居てくれ」
言うべきことを一方的に告げ、カインは黒いマントを翻して皆に背を向けた。
誰も動けない中、ナディラと共に帰還した砂船をスルーしてズンズンと先へ進んでいく。
唖然とその背中を見つめていたアディラは、思わず問い掛けた。
「す、砂船は……⁉」
「不要だ」
カインは言った。
「歩いていく」
マントを風になびかせながら、再び徒歩で砂漠の戦場へ赴くカイン。
その背中を止められる者はいなかった。