「急に押しかけてごめんなさい! でも、どうしてもあなたと話がしたくって……」
侵入者の正体がナディラだと知ったカインは、すぐに拘束を解いた。
とはいえ、警戒を解いたわけではない。
剣は荷物に立て掛けたものの、即座に利き腕で取れる位置にある。
この距離なら、彼女が瞬きをした瞬間にその首を落とせるだろう。
カインの向かい側に腰を下ろしたナディラは、恥ずかしそうに頭を掻きながら話を切り出した。
「まずは、その……助けてくれてありがとう、ございました! あなたがいなかったら私、砂鮫に食べられて死んでた」
深々と頭を下げる少女。
年頃の少女にこんなに深い角度で頭を下げられたことなどないカインは心底困惑していたが、このままの状態が続く方が気まずかったので、渋々口を開いた。
「気にしなくていい。ギルドからの依頼に従っただけだ」
「それでも、お礼を言いたいの」
「……」
頭を下げたまま微動だにしない少女。
カインは内心でオロオロしつつ、威厳があるような気がする低い声で答えた。
「分かった、受け取ろう」
ナディラはバッと顔を上げ、嬉しそうに白い歯を見せて笑った。
快活で、麗しく、太陽のような笑みだった。
「……礼を言いに来たのであれば、受け取った。もう家に帰りなさい」
これで用事は済んだと判断したカインは、夜も遅いのだから彼女を家に帰そうとした。
単純に二人きりが気まずかったのもあるが、年頃の少女がこんな得体の知れない男のところにいては母親を心配させてしまうだろうという、彼にしては至極真っ当な気遣いでもあった。
「ごめん、まだ話は終わってないの」
だが、ナディラはまだ終わっていないと告げる。
彼女は黄金のような琥珀の瞳でカインを見つめ、
「私も、砂鮫狩りに同行させて」
無茶なお願いを口にした。
「……ダメだ」
当然、にべもなく断るカイン。
だが、ナディラは簡単には諦めなかった。
「私、この町の中では一番砂船の扱いが上手いんだ。運送の仕事でよく他の町にも行っているし、きっとあなたの役に立てるよ?」
その言葉は誇張ではないだろう、とカインは直感的に思った。
事実、カインが助けに入る直前までの彼女の操縦は見事なものだった。
実際に砂船を操縦して大破させた彼から見て、彼女の操舵技術には神がかったものがあるとさえ断言できる。
それに正直なところ――カインは砂船を欲していた。
徒歩で砂漠を横断し、走ってナディラの危機に駆け付けられたとしても、決して消耗しないわけではないのだ。
その点、砂船は風さえ味方につけられれば驚くような速度で砂漠を渡れるし、体力も温存できる。
遠巻きにこちらを警戒している砂鮫にも追いつけるだろうし、間違いなく狩りは捗るだろう。
「それに、上手く言えないんだけど……最近、風が妙なんだ。不吉な予感を教えてくれているというか、このままじゃ大変なことになるような感じがするというか……」
「……」
「嘘じゃないよ!」
「……疑っているわけではない」
言いづらそうにしながらも、自分の感覚を言語化しようとする少女。
カインは、この少女が嘘をついているわけではないと判断した。
砂船の操舵といい、この地域で感覚を育ててきた感受性豊かな少女なのだろう。
「私は、この町で育った。だから、町に迫る危機があるなら見過ごすことはできない」 「……」
「お願いします! 私を、一緒に連れて行ってください……!」
必死に頭を下げて頼み込む少女。
だが、カインには彼女を同行させる気はなかった。
もちろん大前提として、彼が人見知りで、知らない人間と長時間同じ空間にいることに耐えられない――ということもある。
ただ、今回はそれ以上に――
「危険だ」
ギルドに雇われた者として、彼は誠実な忠告を送った。
「俺の剣は砂鮫を一刀両断できる。だが、君の砂船を守り切ることはできない」
四方八方から襲われれば、いかにカインの剣技が優れていようとも迎撃は間に合わない。
あっという間に砂船は沈められてしまうだろう。
彼が守れるのは、自分の身だけなのだ。
「家で大人しくしていろ。砂鮫は俺が何とかする。……その不吉な予感についても、独自で調査をしてみよう」
カインとて、少女をがっかりさせるような趣味はない。
だが、こればかりは仕方がなかった。
――ナディラを抱きしめ、温かい視線を向けてくれたあの母の視線が凍てつくのは、彼にとって耐えがたいことだったから。
「それに、忘れたのか? ……俺は、呪われている」
「ッ!」
ナディラの表情が強張る。
しかし、気丈にもすぐ持ち直すと、自分の身体を見下ろしながら言った。
「でも、私は呪われてないよ……? あっ、それにね! これ見て!」
「……なんだ、それは」
ナディラが民族衣装の内側から取り出したのは、一つの首飾りだった。
中央には緑色の宝石のようなものがはめ込まれており、かなり値が張る品のように見える。
「“呪い避けの加護”だよ。亡くなったおばあちゃんから貰ったんだ。これがあれば、呪われることはないんだって」
胸を張って自信満々に首飾りを見せつけるナディラ。
カインはじっとその装飾品を眺めながら、内心で焦っていた。
(ヤバ……これ、本物じゃないか……)
彼は呪いにはそれなりに精通している。
故に、すぐに看破した。
ナディラが持っているその装飾品が本物であることを。
(どうして辺境の地にこんな逸品があるんだ? これ、王族とかが持っているようなやつだぞ……?)
自身の審美眼を信じるのであれば、彼女が身に着けている装飾品の価値は、それこそ計り知れない。
故にカインは首を捻ったが――すぐにどうでもいいことだと考えるのをやめた。
「……確かに立派な加護を持っているようだが、“呪い”というのは術者と掛けられた側の相互作用によって効果が変動する。今は何の被害も受けていなくとも、これから先、いつ呪われてもおかしくはない」
ナディラは端正な眉を顰めた。
「その呪いって、どんなものなの?」
「……詳細は教えられない」
まさか人を寄せ付けないための建前です、などと言うわけにもいかず、カインは言葉を濁した。
「……とにかく、君を連れていくことはできない」
「でも……!」
「……君のお母さん、泣いていただろう」
「ッ!」
痛いところを突かれたようにナディラは表情を歪めた。
彼女とて忘れたわけではない。
カインに助けられて帰還した時の、母の顔を。
泣きながら嬉しそうに笑っていた、あの表情を。
「これ以上、心配を掛けるものじゃない。……待ってくれている人がいるのは、幸せなことだぞ」
「……あなたは?」
「ん?」
「カインさんは、待ってくれている人はいないの……?」
問われたカインは、
(なんでそんなこと聞くんだろ?)
と不思議に思いつつ答えた。
「いない」
「ッ! 一人もいないってこと……?」
「あぁ。一人もいない」
(というか、一人でもいられると困るしな……自由万歳)
捻くれたことを考えるカインは、物心ついた頃より天涯孤独の身である。
故に、自分の帰りを待ってくれる人がいる幸せを実感したことはほとんどないし、むしろ待っている人がいることで自身の生活リズムを崩される方を煩わしく思っていた。
「――だからって、一人でずっと無茶な戦いをし続けていい理由にはならないよ……」
「……ん?」
ボソッとナディラが何かを呟いたのを聞き、カインは耳を傾ける。
ナディラは顔を上げ、今にも泣きそうな琥珀色の瞳でカインを見つめた。
「……実はね、今日、ずっとあなたの戦いを見ていたんだ」
ナディラは静かに切り出した。
その言葉を受け、カインは一日中、何時間も飽きもせずに彼を見ていた存在の正体を悟った。
「ずっと、ずっと、何時間も一人で戦っていて――あなたは、これまでもずっと、一人で戦ってきたんだね」
悲しそうな声音で語られるが……カインにとっては、そんな風に憐れまれる意味が分からない。
だって彼にとっては、それが自然であり、人と一緒に戦う方が面倒だったから。
あと彼は、ああいう単純作業のような仕事を好んでいた。
頭を使わなくていいからだ。
それでいて、無双した気分にもなれるので。
「何が言いたいのかよく分からないが……俺は仕事でここに来て、代金分の働きをしているだけだ。だから何も気にする必要はないし、君を連れていくこともできない」
カインは素直に思っていることを口にした。
彼にしてはかなり適切で、親切で、ちゃんとした説明だった。
――それくらい言わないと、何となくこの少女にはちゃんと伝えておいた方がいい気がしたので。
「話は以上だ。……呪いのこともある。もう、帰ってくれ」
ついでに突き放すようなことも言っておく。
少女が再びカインの寝床に侵入してきて、せっかくの一人時間を邪魔しないよう釘を刺しておくために。
何かを言いたげにしていたナディラだったが、カインの真剣な眼差し――『早く一人にさせてください、お願いします……!』――を見て、渋々と頷いた。
琥珀色の瞳を伏せた後、観念したように立ち上がる。
そして、ナディラは頭を下げた。
「夜遅くにごめんなさい。お邪魔しました」
「……あぁ」
立ち去る背中を見送る。
これでようやく一人になれる。
カインは密かに安堵した。
ホッと一息ついてから手を下ろし、ふと違和感を覚えた。
ゆっくりと視線を落とすと、そこには白い包帯が――
「……やっべ」
思わず己の口元に手をやると、そこには何も巻かれていない肌の感触が伝わる。
カインはがっくりと肩を落とした。
別に顔を見られたからどうこうなるわけではないが、間違いなく頬に刻まれたおぞましい刺青は見られただろう。
人に素顔を見せるつもりはなかったカインは、小さく溜息をついた。
「けど、別に顔を顰めた様子はなかったな……」
敵かどうか区別がつかなかったため、カインは彼女の表情を正面からしっかり観察していた。
だから確信を持って言える。
カインの素顔を見たナディラの表情に、侮蔑や嫌悪はなかった。
そういう表情を、これまで嫌というほど見てきたからこそ、断言できる。
そのことにホッとしている自分がいることに、彼はまだ気が付いていなかった。
「あ、あの――!」
思考に耽っていたところへ、急に入り口から元気な声が聞こえた。
カインは慌てて姿勢を正す。
「……なんだ?」
少し声が裏返っていたかもしれない。
だが、急いで引き返してきたらしいナディラは特に気にした様子もなく言った。
「えっと……また、お話してくれる?」
慌てて姿勢を戻したせいで擬態が追い付いていなかったカインの頭の中は混乱状態で、彼女が何を言ったのか上手く認識できていなかった。
認識できていないくせに、返事だけは返さなければならないという謎の義務感に駆られたカインは、言葉を返す。
「あぁ……」
言ってから、気が付いた。
(「あぁ……」って、あぁ⁉)
肯定する気などなかったのに、返事だけを聞けばナディラに了承を出しているように聞こえる。
慌てて否定するほどの胆力がカインにあるはずもなく――
「ありがとっ!」
ナディラは太陽のような笑みを浮かべ、手を振った。
「おやすみ!」
そのままくるりと背中を向け、風のように去っていく。
太陽のように暖かく、砂嵐のようにせわしなく、風のように素早い。
まるで砂漠そのもののような少女だな、とカインは思った。
パチパチと理解が追い付いていない子供のように目を瞬かせた後、カインは決断した。
「……取り敢えず、寝るか」
人は、それを現実逃避という。
カインはベッドに寝転がると、身体が汚れていることも忘れ、気絶するように眠りへ落ちた。