翌日。
目を覚ましたカインは身体を起こし、そして溜息をついた。
「……最悪だな」
昨日、砂鮫から浴びた血が凝固し、身体中がガチガチだ。
おまけに臭い。
もし今すぐにシャワーを貸してくれる人がいるなら、カインは金貨一枚を支払っても惜しくはないと思った。
とはいえ、嘆いていても仕方がない。
この状態では再び寝る気にもなれないので、さっさと仕事を終わらせて帰るのが一番の近道だろう。
手入れを終えた愛剣を手に取り、足早に町の中を抜けていく。
昨日、『自分一人でいけるんで(キリッ)』と啖呵を切った手前、住人たちと顔を合わせるのが気まずく、さらに全身から漂う異臭で嫌な顔をされるところも見たくなかったので、その移動速度はかなり速い。
幸いにも朝早かったことから誰とも会わずに西門へ辿り着くことができた。
早速出発し、砂鮫を狩るべく砂漠を練り歩く。
時折、砂鮫とは遭遇するものの――
「……やはり、襲ってこないか」
カインは口の中で舌打ちし、厄介な適応力を持つ砂鮫たちを睨みつけた。
昨日の無双っぷりを見て、完全にカインを危険認定したのか、群れをなす砂鮫たちは一切彼に近づかなくなっていた。
近づいて来ないならこちらから行くだけだと砂漠の上を疾走して仕留めに掛かるが、砂の海を泳ぐことに関しては砂鮫に分がある。
なかなか追いつくことができず、気が付けば午前が終わろうとしていた。
その間に仕留めた砂鮫はたったの三匹。
それも岩場に追い込んだり、苦渋の決断で剣を投擲したりしてようやく仕留められた程度である。
「まずいな……」
じりじりと照り付ける太陽を見上げる。
灼熱の砂漠の下ではカインの体力も大幅に削られていく。
何か手を考えなければ、依頼を達成できないまま帰る羽目になる。
「奥の手を使うか……」
ぶっちゃけると、使いたくはない。
だが、それでしか解決できないのであればやむを得ないだろう。
「いや、しかし……後始末が……」
こういう時、カインは優柔不断になってしまう傾向がある。
包帯に指を掛けたまま、なかなか決断できずにいる。
一人で考えを巡らせていると――
「ん?」
砂埃を上げながら何かがこちらへ近づいてくるのが見えた。
目を凝らすと、それは砂船だった。
凄まじい速度で砂の上を滑走する砂船の上には一人の少女がいて、
「……嘘だろ」
カインが思わず呟くと同時、砂船は船体を横にしてブレーキを掛け始め、神がかった操舵技術でカインの鼻先に停止した。
「こんにちは~!」
「……何をしている?」
船の上からひょっこりと顔を出す、笑顔の眩しい少女――ナディラ。
思わず半眼になりながらカインが尋ねると、彼女は生意気そうな笑みを浮かべた。
「ちょっと砂船で散歩がしたくなっただけ。そしたらたまたまカインさんがいたから、声を掛けたの」
「……たまたまか」
「そ、たまたま」
どや顔まで可愛いのは美形の特権か。
ともあれ、カインは内心で呆れ果てる一方、同時に彼女の詭弁に舌を巻いていた。
しかし、いかにナディラの操縦技術が優れていようとも、危険なことに変わりはない。
「……散歩も結構だが、さっさと家に帰れ」
カインは突き放すような言動で、強引に彼女を家へ帰そうとした。
だが、ナディラは既に覚悟を決めた少女である。
ひょいと肩を竦めると、帆を指さして言った。
「ちょっと今は風の動きが悪いから、無理かも」
「……」
砂船を操縦できないカインには当然、風のこともよく分からない。
故に、反論が難しい言葉でもあった。
無理やり帰れと言っても、風に逆らって砂船が壊れてしまっては意味がない。
どうしたものかとカインが頭を悩ませていると、
「ホイっと」
ナディラは軽快な口調と共に何かを船の上から投擲した。
それはカインのすぐ目の前に突き刺さった。
銛だ。
カインが喉から手が出るほど欲していた、遠距離武器である。
「……これは?」
「あっ、ごめん。銛を落としちゃった。せっかくだから、それはカインさんにあげるよ」
自分で持ち上げ、狙って地面へ投擲したものを“落とした”と表現していいものなのだろうか。
カインは疑問に思った。
だが、多分口に出したところで上手いこと煙に巻かれるのだろうな、という嫌な確信もあった。
「これからも落としていくかもしれないから、拾っておいてくれるとありがたいな。あっ、別に返さなくてもいいよ。私が持っていてもどうせ落としちゃうだけだから」
いけしゃあしゃあとそんなことを言いながら、ナディラは舵を手に取った。
「じゃあ、私は散歩に戻るよ。風の向きが良くなったらザハラに帰るから。またね!」
風が吹く。
颯爽と動き出した砂船を見送る。
恐らくだが、風の向きはしばらく良くならないのだろう。
風のことは知らないが、それだけは分かった。
「……いい性格をしてるよ、全く」
呆れたように呟きながら、目の前に突き刺さっている銛を引き抜く。
そしてカインは、振り向きざまにそれを全力で投擲した。
凄まじい速度で飛翔した銛は、遠巻きにカインを見ていた砂鮫の一匹を貫いた。
「落とし物の回収と行くか」
午後の砂鮫狩りは捗りそうだ。
◆◆
午前の体たらくから一変し、午後の砂鮫狩りは随分と好調だった。
ペースだけでいけば、昨日よりもいいかもしれない。
やり方としてはシンプルだ。
散歩中――ということになっているナディラが次々に地面へ落としていった銛を回収し、砂船に吸い寄せられた群れや、遠巻きにカインを警戒していた砂鮫の群れへ投擲する。
以上。
それだけで、砂鮫の群れは次々に壊滅していった。
カインが銛を投擲している間、ナディラは砂船を巧みに操りながらカインの周辺を動き回り、そして銛を落とし続けた。
時にはカインが投擲した銛まで回収し、再び投下するという機転まで利かせてくれる。
何とも気が利く少女である。
彼女の存在を大変ありがたく思っていたカインではあるが、しかし時間が経つごとにまずいことをしている自覚も湧いてきた。
(あれだけ強く突き放した少女の手を借りるって……ダサくないか?)
ダサいかダサくないかで言えば、間違いなくダサい。
だが、今考えることではなかった。
(しかも、ギルドの規定では未成年の協力を得るには保護者の同意が必要不可欠だったはず。同意なんてもらっていないし、あのお母さんから同意を得るのは難しそうだな……)
なんて心配をしているカインだが、こんな辺境の地でそこら辺の細かいルールが適用されるのかと言われると、かなりグレーゾーンである。
大体、こういうのは皆、制度の隙間を突いて臨機応変にやっているものだ。
だが、ルールや罰則といったものに対して必要以上に敏感なのがカインという男であった。
(どうするかなぁ……どう説得したら大人しくしてくれるんだろう)
ナディラは意志が強く、そして聡明な少女である。
カインの語彙力では、上手く言葉の裏をかかれて今日と同じようなことを繰り返すだろう。
(うーん、参ったなぁ……)
基本的に身体の頑丈さと剣技以外はポンコツなのがカインという男である。
これといった名案が浮かぶわけもなく、気が付けば周囲から砂鮫たちの影は消えていた。
「ここら一帯の砂鮫は狩り尽くしたみたいだね」
砂船を寄せたナディラは周囲を見渡しながら言った。
突き放したはずなのに、砂船ごと隣にいる現状を半ば受け入れつつあるカインは頷く。
「あぁ……だが、まだいるだろう」
確証はない。
だが、カインの直感はそう告げていた。
ナディラも同意するように頷く。
「多分、砂鮫たちを活性化させている原因が解消されない限りは、まだまだ現れるだろうね。今は町から離れたところをうろついているだけだからいいけれど、これがザハラ付近にも来るようになったら……大変なことになる」
ザハラは、この砂漠で長らく生き残ってきた町である。
当然、砂鮫たちが攻めてきても迎撃するための備えはできている。
だが、ナディラが感じる風たちは、そんなものでは到底足りないと告げているように思えた。
「……もう日が暮れる。今日のところは帰還することにしよう」
「そうだね。散歩は終わりにしないと」
片目を閉じて悪戯っぽく笑うナディラ。
健康的で快活な印象とは裏腹な、魅惑的なウインク。
男ならあっという間に堕落させられそうな仕草と表情だったが、ギルドの規定を脳内で反芻し、
(犯罪者になりたくない……!)
と必死になっていたカインには、その魅力を受け取る余裕がなかった。
「ところでさ、そのまま帰るつもり?」
「……そうだが?」
砂と血でトッピングされたカインの全身を眺めたナディラは、何気ない口調で言った。
「水浴びしていかないの? いや、別にしたくないならいいんだけど……」
「――――」
カインの呼吸が止まった。
彼は朝起きた時、全身を覆うあまりの不快感にこう思ったのだ。
――今、シャワーを貸してくれる者がいるのであれば、金貨一枚を差し出しても惜しくはない、と。
水浴びと言っている以上、厳密にはシャワーではないのかもしれない。
だが、そんなことは些末事だった。
その場から跳躍し、砂船の上に着地したカインは、驚いているナディラへ向かって若干血走った目で言った。
「是非、案内してくれ」
未成年の協力を得るには保護者の同意が必要不可欠――というギルドの規定は、水浴びという甘美な誘惑の前にあっさり敗北した。