呪いの剣士の勘違い~放っておいてほしいのに英雄扱いされるんだが~ 作:赤坂緑語
すっかり冷え込み始めた夜の砂漠を砂船で疾走する。
涼しい夜風を浴びながら、カインは内心で大層ご機嫌だった。
せっかく綺麗にした身体に再び砂が吹き付けるのは如何ともし難いが、昨日から苦しめられていた砂鮫の返り血を綺麗に落とせただけでも儲けものだ。
ナディラの見事な操縦によって、砂船はあっという間にザハラへと帰還した。
「よしっ! それじゃあ、私は砂船を仕舞ってくるから、カインさんは先に家に入っていて。ほら、あそこでお母さんが待ってるから」
ご機嫌でルンルンだったカインは、何も考えずに頷いた。
「あぁ」
そして砂船が停止したところで、ようやくナディラが言っていた言葉を思い返す。
(お母さんが、待ってるから……?)
なんだか、おかしな言い回しだ。
まるでアディラがカインに用事があって、彼を待っているかのような――
「ちょ、ちょっと待て」
「ほら、さっさと降りて。砂船片付けられないからさ」
追い出されるように砂船から降ろされる。
地面に着地したカインは背後に人の気配を感じ、半ば観念しながら振り向いた。
「こんばんは、カインさん」
静々と頭を下げる赤髪の美女。
ナディラの母であるアディラだった。
◆◆
「狭い家ですが、どうぞ」
「……失礼する」
母と娘に前後を挟まれて圧を掛けられてしまっては、カインのコミュニケーション能力では抜け出せない。
カインは諦観を滲ませた表情で家まで案内された。
アディラとナディラの家は、謙遜するほど狭い家ではなかった。
砂漠の風を避けるため、丸みを帯びた祠のような建物である。
外から見えるこぢんまりとした外観に反して、内部にはずっと広い空間が広がっていた。
急激に冷え込んできた外とは裏腹に、ほんのりと温かみを感じる室内には仕切りの壁もあり、母娘それぞれの個室もあるようだった。
家の中央には囲炉裏のようなものがあり、その上に掛けられた鍋がぐつぐつと湯気を立てている。
暖かな光景を前に、カインは一人憂鬱な気持ちになっていた。
(人と一緒にご飯食べるなんていつぶりだ……?)
絶品の料理を複数人で囲んで食べるよりも、雑な男料理を一人で黙々と食べることを好む。
それがカインという男であった。
(砂漠の作法とか知らないし、不手際をして怒らせたらどうしよう……)
ギルドの冒険者として世界各地を旅するカインは、常に異邦人の側である。
これまで様々な土地を巡ってきたが、初めての土地では挙動不審になって何かしらをやらかしてきた過去がある。
やらかしすぎて考え込んだ結果、カインが絞り出した解決策が、
『そもそも現地人と食事をしない』
というものだった。
零か百かでしか考えられない極端な思考回路。
それがカインという男であった。
「マント、お預かりしますね」
これから行われる食事を思い、勝手に気分が沈んでいたカインにアディラが声を掛けた。
できれば食事中もマントを身に着け、全身を隠していたかったカインだが、流石にそれが不作法にあたることくらいは彼も分かる。
大人しくマントを脱ぎ、お礼を言いながらアディラに渡した。
ついでに食事をするのだからと包帯も外す。
カインの顔を初めて見ることになったアディラだったが、娘のナディラと同様に何も反応を見せなかった。
カインは彼女の大人としての心遣いを少しだけ心地よく思った。
「どうぞお掛けください。今夜は冷え込みますし、ザハラの鮫鍋を馳走させていただきます」
「……かたじけない」
「とんでもございません。むしろ、本来はもっと早くに馳走させていただくべきでした。……ナディラを助けていただいた、昨日に」
アディラは目を伏せた。
彼女はナディラとよく似ていた。
違う点があるとすれば、若い頃は活発で勝ち気だっただろう顔立ちは年齢を重ねて落ち着きが出ており、娘よりも豊かな肢体には大人の色香が漂っていることだろうか。
目を伏せるだけで醸し出される色気。
だが、カインはそれどころではなかった。
(正座よりは胡坐をかいた方がいいんだろうか……? アディラさんは女座りだから、分かんないなぁ……)
気にする必要など微塵もないことで延々と悩んでいたからだ。
「ただいま~! あっ、今日は鮫鍋なんだ!」
入り口から快活な声が響き渡る。
砂船を停泊し終えたナディラである。
彼女は空いている場所に腰を下ろすと、白い歯を見せて笑った。
「カインさんがたくさん狩ってくれたから、砂鮫の具材には困らないもんね~」
「……」
こういう時、なんて返せばいいのだろうか。
カインはこういう食事の場で交わされる、特に意味のない会話――雑談が苦手だった。
「砂鮫を食べられたことはありますか?」
助け舟を出したというわけでもないのだろうが、アディラがカインに尋ねた。
これなら答えやすい。
カインは首を横に振った。
「……いや、食べるのは初めてだ」
「え~、今まで食べたことなかったんだ! もったいない」
「内地では珍味として親しまれていると聞いたことがあります。やはり珍しいのでしょうか?」
「……確かに珍味として知られていて、高級レストランくらいでしか提供していないと聞いたことがある。だから、食べるのは初めてだ」
「カインさんくらい凄腕の冒険者なら、高級レストラン入り放題なんじゃないの?」
「……そうでもないさ」
実際のところ、金銭的には入り放題……とまではいかなくとも、気が向いた時に行けるくらいの蓄えはあった。
問題は、カインがそういう格式高い店に恐怖心を抱いているということだった。
こんなにウェルカムでフレンドリーな雰囲気を醸し出しているアディラの家ですら緊張している男だ。
高級店など、入った瞬間に立ったまま失神してしまうに違いない。
「内地の料理かぁ~、食べてみたいな~」
「……砂鮫なら、ここで食べ放題だろう」
「確かにそうだけど、私は内地の料理なんてほとんど食べたことないし、そういうところに行ってみたいな~って思って」
軽い口調ながら、その声音には確かに少女の憧れが籠もっていた。
「……あれだけの腕前を持っているのなら、砂船で行けるだろう」
「いや、流石に内地まで行くとなると、私も結構な覚悟を決めないと無理だよ。内地には砂船を長く停めていられる場所もないだろうしね」
言われてみると、確かにそうだとカインは思った。
彼の場合は早々に砂船が壊れたので徒歩になったが、あれはかなり大変だった。
時間の感覚も曖昧だが、三日以上は飲まず食わずで歩き通していたような気がする。
日帰り感覚で行けるようなところではないのだろう。
「いいなぁ~、内地」
憧れを呟くナディラを、アディラは静かに見つめていた。
カインは癖で彼女の感情を読み取ろうとしたが――よく分からなかった。
その時、鍋から水が吹きこぼれた。
「鍋ができたみたいです」
蓋を取り、鍋の中をかき混ぜながらアディラは言った。
部屋の中に鍋の香りが広がる。
カインは不思議な心地になった。
嗅いだことがない、刺激的で美味しそうな香りがする。
「ザハラの近くで採れる香辛料を使っています。あとは、オアシスの近くで採れる薬味と、砂鮫の肝、ひれを加えています」
具材の解説をしながら、アディラは慣れた手つきで器へ鍋の中身をよそっていく。
カインは知らぬことではあるが、その具材はザハラの中でも特にもてなし用の品々であった。
ザハラの民が知れば、さぞかし丁重にもてなしていると判断するだろう。
「どうぞ、お召し上がりください」
手渡された器とスプーンを受け取る。
カインは器を覗き込んだ。
内地では高級食材として知られている砂鮫のフカヒレが惜しみなく盛られ、その周囲を薬味が彩っている。
これを内地で食べようと思ったら、いくら支払わなければならないのか分かったものではない。
(これなら、作法とかは関係なさそうだな)
内心で一安心しながら、カインは頭を下げた。
「いただきます」
スプーンでザハラ特製鍋を口へ運ぶ。
小気味良い歯応えのフカヒレを噛み締めながら飲み込む。
「美味い……」
思わず言葉が漏れた。
ここ数日、彼が食べていたものといえば、持参した堅いパンや干し肉、薬草くらいのものであった。
食べ慣れたその食事も決して嫌いではなかったが――この夕食と比べれば遥かに劣ると言わざるを得ない。
フカヒレの旨味が身体に染み渡っていく。
寒い砂漠の夜に、温かいスープが身体の芯から温めてくれる。
香辛料や薬味も主役の味を邪魔することはなく、むしろ上手く引き立てていた。
カインは次々によそってくれるアディラに流されるまま、黙々と鍋を食べ続けた。
「……ごちそうさまでした」
手を合わせ、頭を下げてから、カインは思った。
流石に食べ過ぎたかもしれない……。
「美味しそうに食べていただけて何よりでした」
そう言って、アディラは微笑んだ。
娘の太陽のような笑みとはまた違う。
穏やかな月のような笑みだった。
「……カインさん」
食後の穏やかな空気が流れる中、不意にアディラは口を開いた。
何か自分が不作法をしてしまっていたのかもしれないと思ったカインは、慌てて背筋を正し、聞く姿勢を取る。
「申し訳ありませんでした」
果たして、彼女が口にしたのは謝罪の言葉だった。
謝られる筋合いなど全くなく、むしろこちらから礼を言おうと思っていたカインは首を傾げた。
「……なんのことです?」
「昨日の、私の態度のことです」
アディラは言った。
「あなたが“呪われている”と知った時、私は反射的にナディラのことを心配し、あなたから引き離すようなことをしました。……娘の命の恩人に対して、あまりにも無礼な態度でした。申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるアディラ。
カインは驚きのあまり、白目を剥いて気絶しそうになった。
どう考えたって悪いのはカインである。
彼は人と関わりたくないという思いから、
『呪いがあるから近づかない方がいいかも~』
なんて無責任なことを言ったクソ野郎だ。
呪われている人間と娘が接触していれば、心配して引き離そうとするのが普通である。
ナディラの良い子具合を見ても、アディラが素晴らしい母親であることはよく分かる。
故に、彼女が謝る筋合いなど全くないのだ。
とはいえ、彼女が己の行いに罪悪感を抱いてしまっているのは事実である。
その原因はカインにあるのだから、彼が責任をもって解消するほかないだろう。
「……気にする必要はない。母として、あなたは何も間違っていないのだから」
「しかし……!」
「……ナディラは、とてもいい子だと思う」
「!」
ストレートな褒め言葉を受け、ナディラは琥珀色の瞳をキラキラと輝かせた。
その顔に自然と笑みが浮かぶ。
じっと自分を見つめる彼女の視線を努めてスルーし、カインは続きを述べる。
「それは、貴女が素晴らしい母だから……だと思う」
「カインさん……」
同時に、自分がこんなにひねくれ者で、人見知りで、変人なのは、こういう母がいなかったからだとも思っていた。
自分の性格の歪みを、顔も思い出せない実の母親のせいにしていく。
それがカインという男であった。
「……貴女はこれからも娘のことを第一に考えるべきだ。俺は、たまたまこの町に立ち寄っただけの異分子に過ぎない。砂嵐のようなものなのだから、気遣いは不要だ」
言ってから、カインは思った。
我ながら結構いいことを言ったな、と。
特に砂嵐は言い得て妙だった。
彼は嵐だ。
この町に留まることはなく、破壊を齎し、立ち去っていく嵐なのだ。
――そう考えると少し格好良く聞こえるが、要するに好き放題暴れ回って立ち去るだけの傍迷惑な男である。
「俺は、呪われている。だから――」
と、そこでカインは突然言葉を切った。
「カインさん……?」
ナディラが首を傾げる中、カインは半ば立ち上がりながら鋭い視線をあちこちへ飛ばしていた。
(家の外からたくさんの気配を感じる。気のせいではなさそうだが……敵意は感じない)
「……なんでもない」
もしかしたら集団で動いていた住民がアディラの家の前を通っただけかもしれない。
座り直したカインは気を取り直して口を開いた。
「とにかく、俺のことは気にしないでくれ。俺は一人で大丈夫だ。一人で依頼を達成し、報酬を得て帰る。それが、俺の仕事だからだ」
「……でも、砂鮫を狩る為には砂船がいるでしょ? 今日だって、私、役に立ったでしょ!」
「君の援護が的確だったことは認めよう。だが、危険だ」
無下もなくそう言い切り、次いでカインは言った。
「十五回」
「……何の数字?」
「君の砂船が砂鮫に襲われた回数だ」
「ッ!」
ナディラは目を見開いた。
彼は銛を投擲しながら戦っており、決してナディラの方を気にする余裕などなかったはずだ。
しかし彼はしっかり見ていた。
ナディラを視認し、彼女を守りながら砂鮫と戦っていたのだ。
「確かに君の操縦技術は素晴らしい。だが、砂鮫は狡猾だ。いつまでもこのパターンで狩れるとは限らない」
「……でもっ! カインさんを一人で戦わせるなんて――」
「それが仕事だ」
何度も口にしている事実を、改めてカインは告げた。
「……君たちが風を読んで砂船を操るように、俺は敵を追って剣を振るう。そこに何の違いがある? 協力はありがたいが、君を危険に巻き込んでいてはアディラさんに申し訳が立たない」
アディラは静かに瞳を伏せた。
カインの意見に同意し、彼に感謝すると同時に――娘の想いを汲んでやれないことを気に病みながら。
「……母が大事なのだろう? 帰る場所があるというのは幸せなことだ。それは君だけでなく、アディラさんにとってもな」
「……」
いつも快活に輝いているナディラの表情が曇る。
「君の気遣いはありがたかったが……もう一人で危険な散歩はよせ。少なくとも、俺が仕事を終えるまではな」
いつもより強い口調でそう言い切ると、カインは立ち上がった。
同時に立ち上がったアディラが、綺麗に畳んでいたマントを差し出す。
礼を言ってそれを受け取り、カインは一気に広げたそれを手慣れた仕草で身に纏った。
「カインさんは……!」
縋るようにナディラが問いかける。
「カインさんには、帰る場所はないの……?」
「ない」
答えは端的だった。
カインに帰るべき場所などない。
拠点はあるが、それだっていつ失っても構わないような物置でしかない。
カインは旅人だ。
帰る場所を持たない旅人なのである。
――ご近所付き合いが煩わしくて家を持たない、とは流石に言えなかった。ダサいので。
「……アディラさん」
「アディラとお呼びいただいて大丈夫ですよ」
いや……流石にそれはまずいのではないか?
特に深い意味も考えず、常識的にそう考えたカインは彼女の名前を呼び捨てにすることもなく、今日の感想を伝えた。
「……砂鮫鍋、美味しかった。ありがとう」
「そう言っていただけるのであれば幸いです。またいつでもお越しください」
「……失礼する」
また来るとは言わずに立ち去るカイン。
アディラは頭を下げ、その背中を見送った。
「ご武運をお祈りしております」
カインは二人の家を後にした。
水浴びに、美味しいご飯。
ようやく一人になれることを喜びながら、上機嫌で歩く。
――そして、自ら進んで一人になろうとする彼の背中を見つめる者たちの視線に気付かないまま。