早朝、僕は隣に誰かいるような気配を感じて目を覚ました。昨日はテントで寝たのだから、隣に誰かいてもおかしくは無いのだが、寝る前に感じたものよりさらに近くに気配があるのだ。
「ん~……だれ?」
眠い目を擦りながら確認すると、どうやら秋穂さんが寝がえりを打って僕の方に近づいてきただけだった。
「うにゅ……」
一度目を覚ましたのだから、これ以上うだうだしていても仕方ないだろう。今日も授業があるのだし、何時もより多い朝食を作らなければいけないのだから、僕は勢いで布団から抜け出て顔を洗う為に移動した。
「あら、元希君。早起きね」
「おはようございます、恵理さん」
「うん、おはよう」
僕と同じように顔を洗いに来た恵理さんに挨拶を済ませて、僕も顔を洗うべく水を溜める。その横で恵理さんが僕の顔をじっと見ているのが気になり、僕はそっちに視線を向けた。
「あの、何でしょうか?」
「ううん、ただ元希君の顔を眺めてるだけよ」
「気になるんですけど……」
「気にしないで」
気にするな、と言われても、一度気にしてしまったものを再び気にしないようにする事は難しい。いっそのこと恵理さんの事を完全に無視する境地にでも辿り着かなければ不可能だと言えるかもしれない。
「どうやら貞操は無事のようね」
「っ!? げほ、ごほ……なんですかいきなり!」
何とかして恵理さんを無視して、顔を洗いうがいをしていたところにこの言葉、咽ない訳が無い。
「元希君の身体情報が昨日と同じだから安心したわ。私の知らないところで元希君が大人になってないのは嬉しいわ」
「だから何の話ですかー!」
「何って……」
「うわぁー! 言わなくて良いです!!」
「そう?」
自分で聞いておいてなんだけど、これ以上は精神面に多大なるダメージを受けるだろうと察知して恵理さんの口を塞いだ。
「元希君、こんな朝早くから五月蠅いですよ」
「涼子さん……すみません。おはようございます」
「姉さん、また元希君に何か余計な事でも言ったんですか?」
「別に。ただ元希君が大人の階段を上って無かったのを喜んだだけよ」
「当たり前です! 私が同じテントにいるんですから、そんな行為は認めません」
胸を張りながら、涼子さんは僕を抱き上げた。
「それに、元希君の相手を誰かに取られるくらいなら、今すぐにでも私が相手しまうので」
「あら、それは聞き捨てならないわね。元希君の初めての相手はこの私って決まってるのよ」
「誰が決めたのかしら、そんなあり得ない事を。元希君の相手はこの私ですので、姉さんの出る幕はありません」
何だかおかしな雰囲気が漂い始めている。僕は何とかして涼子さんの腕から逃げ出し、二人を止めるように動いた。
「お、落ち着いてくださいよ! こんな朝早くから姉妹喧嘩なんて止めて下さい!」
「「………」」
「な、なんですか……」
二人の間に入って喧嘩を止めようとしたら、二人揃って僕の事を眺めている。愛しむような目を向けられ、僕は多少しどろもどろになりながらも二人に訊ねた。
「必死になって私たちの喧嘩を止めようとする元希君……なんて可愛らしいのかしら」
「こんなに可愛く止められたのなら、止めるしかないわね。涼子ちゃん、ここは休戦と行きましょうか」
「そうですね。元希君の可愛らしさに免じて、姉さんの妄言は聞かなかった事にしてあげます」
「あら? 妄想を垂れ流していたのは涼子ちゃんでしょ。私は未来に起こるであろう事実しか話して無いのだけども」
再び火花が飛び散りそうになったので、僕は恵理さんと涼子さんの背中を一緒に押した。風の魔法で。
「ほら、朝ごはんの準備もあるんですから、何時までも喧嘩してないでくださいよ」
「……そうね。お姉ちゃんなんだから少しは妹の妄想に付き合うくらいの器量が必要よね」
「姉さんの妄言は昔からですし、今更まともに取り合う必要も無かったですね」
二人が揃って笑いだしたので、僕はがっくりと肩を落とした。何一つ僕が言いたかった事を理解してくれてないんだと分かったからだ。
「やっぱり元希君は私のお嫁さんになるわね」
「そんな未来は永遠に訪れませんよ。元希君は私の旦那様になるんですから」
「……誰か助けて」
料理中も僕を挟んで――僕の頭上で火花を飛び散らす二人に、僕は止める事を諦めて助けを求めた。だがまだ誰も起きていない時間なので、求めたところで誰かが来てくれるわけでもないのだが……
「(これだったら大型モンスターを相手にしてる方がまだマシだよ……)」
相手が魔物だったら魔法で攻撃して、撃退なら撃破なりすれば良い。だけど相手が人間で、しかも通ってる学校の理事長と教師なのだから、攻撃などすれば大問題に発展するかもしれない。
それに加えて恵理さんは早蕨荘の大家だ。万が一怪我でも負わせれば寮から追い出される可能性だってあるのだ。僕は二人の言い争う声を聞きたくなかったので、自分の耳の周りに風の魔法で障壁を作った。必要な事は聞こえるようにしていたのだが、終始二人の声が僕の耳に届く事は無かった。
まだまだ続く、元希君の受難……