第1話
初夏の風が、山々を渡っていた。雨上がりの空は、どこまでも青かった。
山腹に設けられた墓地には、訪れる者も少ない。木々の葉擦れと、遠くから聞こえる鳥の声だけが、静かな空気を満たしていた。その一角に、一人の男が立っていた。
ミスマル・コウイチロウ。
地球連合宇宙軍の総司令官。
かつて幾多の戦いを指揮し、和平の成立に力を尽くした軍人である。
しかし、今の彼には、そんな肩書きなど何の意味もなかった。
墓石の前に膝をつく。供えられた花は、まだ新しい。二人の名前が刻まれた墓だった。
天河アキト。
天河ユリカ。
愛する娘と、その夫。遺骨の無い墓石をコウイチロウは見つめていた。
「……ユリカ」
小さく呼んだ。
返事はなかった。
「アキト君と元気にやっているかね」
自分で口にしておきながら、妙な質問だと思った。
ここに娘はいない。墓石が答えてくれるはずもない。
それでも、来るたびに何かを話しかけずにはいられなかった。
幼いころのユリカは、とにかく騒がしい子供だった。目を離せばどこかへ行ってしまう。
少し叱れば、大きな目に涙をためる。ところが、しばらくすれば何事もなかったように笑い、また新しい騒動を起こす。
そのたびに、コウイチロウは頭を抱えた。
そんな娘が成長し、ナデシコの艦長になった。
戦争を終わらせるために、誰よりも真剣に悩み、戦った。
そして、幼いころから想い続けていた青年と結婚した。
ようやく、幸せになれると思った。
それなのに。
声は、少し掠れていた。
隣に刻まれた名前へ目を移す。
「アキト君」
あの青年も、実に不器用な男だった。それでも、最後には自分を認めさせユリカと結婚した。
彼が頑張るからユリカも頑張るのだと、愛娘の言葉を思い出す。
「……あの子を、頼むぞ」
コウイチロウは、静かに頭を下げた。二人が新婚旅行へ旅立った日を、今でも覚えている。
ユリカは満面の笑顔だった。アキトは少し照れくさそうにしていた。
地球と木連の和平が成立し平和となった。もう戦争に巻き込まれることもない。ナデシコで出会った、二人にとって妹のような、家族となった少女とともに3人で平穏な日々を送るはずだった。
誰もが、そう信じていた。
しかし、二人を乗せたシャトルは、二度と帰ってこなかった。事故原因は特定されず、遺体も発見されなかった。
それから三年。
コウイチロウは何度も墓を訪れた。何度来ても、同じことを考えてしまう。
もしかしたら。いつか突然、あの二人が帰ってくるのではないか。
ユリカが大きな声で父の名を呼び、アキトが困ったような表情でその後ろに立っているのではないか。
そんな、ありもしない光景を。
「……さて」
コウイチロウは、ゆっくりと立ち上がった。
「また来るよ」
最後にもう一度、二人の名前を見つめた。そして、背を向けた。
長い石段を下り始めたところで、コウイチロウは二人の人影に気づいた。
石段を登ってくる、一人の女性と少女だった。
女性は黒い喪服に身を包んでいた。ほどけば腰に届くほど長いであろう髪を、後頭部で丁寧に結い上げている。頭には黒いヴェールのついた帽子をかぶり、薄い布が顔を覆っていた。そのため、表情をうかがうことはできない。
傍らを歩く少女は、対照的に真っ白なワンピースを着ていた。薄桃色の髪が、白い帽子の縁からわずかに覗いている。大きなつばを目深に下ろしているため、こちらも顔は見えなかった。
少女の腕には、白い花束が抱えられていた。こんな山奥の墓地に、珍しい組み合わせだ。
コウイチロウは、何とはなしに二人へ目を向けた。
女性は少女の歩幅に合わせるように、ゆっくりと石段を登っていた。やがて、互いの距離が近づく。
すれ違う、そのとき。女性がふと足を止めた。黒いヴェールの奥から、こちらを見つめているようだった。
「……?」
コウイチロウが不思議に思った、そのとき。
女性は静かに頭を下げた。
隣の少女も、それに倣うように小さく会釈をする。
「……これは、ご丁寧に」
コウイチロウも軽く会釈を返した。
それだけのことだった。女性は再び歩き出し、少女もその後に続いた。
二人は何も言わず、コウイチロウの横を通り過ぎていく。すれ違いざま、女性が少女の背にそっと手を添えた。
その何気ない仕草に、コウイチロウは一瞬、懐かしいものを感じた。どこかで見たような。
そんな気がした。
だが、誰に似ていたのかは思い出せなかった。黒い喪服の女性と、白いワンピースの少女。
見ず知らずの二人に、何を重ねたというのだろう。コウイチロウは小さく首を振り、再び石段を下り始めた。
数段下りたところで、ふと足を止める。
どうしてだろう。
もう一度、あの二人の姿を見ておきたいと思った。
振り返る。
しかし。
「……おや?」
石段には、誰もいなかった。つい先ほどまで、二人が歩いていたはずの場所。
見通しのよい石段の先には、木々の間から差し込む陽光が揺れているだけだった。
「……もう行ってしまったのかな」
そう呟き、コウイチロウはしばらく墓地の方を見上げていた。
風が吹いた。木々が揺れ、葉擦れの音が静かに響く。
ふと、懐かしさの正体に思い至った。
ユリカとルリ。
あの二人が、並んで歩いていた頃の姿だ。
「……まったく」
誰にともなく苦笑する。そして、今度こそ石段を下りていった。
*
第八番ターミナルコロニー
宇宙。
ターミナルコロニー第八番、シラヒメ。
その周辺宙域には、無数の光が飛び交っていた。
しかし、それは平和な交通網を行き交う宇宙船の航跡ではなかった。
『第一防衛線、突破されました!』
『応答しろ!通信がつながらない!』
『敵機を見失った! どこへ行ったんだ!』
『システムがダウンして、コントロールがーーー』
軍用通信回線に、怒号が飛び交う。
シラヒメを防衛する機動兵器部隊は、すでに組織的な抵抗能力を失いつつあった。
外周の警備艇は大きく散開し、いくつもの機体が推進器を破壊され、漂流していた。
『敵は一機だぞ! 何をしている!』
指揮官の怒声が響く。だが、誰も答えられなかった。
彼らの前に現れたものが、あまりにも異様だったからだ。
黒い機体。全身を重厚な装甲で覆った、人型の機動兵器。
ディストーションフィールドをまとい、何もない空間から突如出現したかと思うと、通常のエステバリスでは考えられない速度で防衛網を突破していく。
防衛部隊にとって、それはまさしく幽霊だった。
『各小隊は現在位置を維持!』
『目標、中央施設群へ接近!』
『迎撃しろ!』
複数のステルンクーゲルが一斉に砲撃を開始した。閃光が、黒い機体に殺到する。
しかし、ディストーションフィールドにより直撃した砲撃は、機体の外装に届くことなく拡散した。
続いて黒い機体が動いた。急加速、そして急旋回。
直前までいた空間を、無数の光線が通り過ぎる。黒い機体は、その弾幕の隙間を縫うように進んでいった。
『うわあっ!』
悲鳴とともに、ステルンクーゲルが弾き飛ばされる。黒い機体は追撃しなかった。
そのまま中央施設群へ向かう。まるで、最初から別のものだけを目指しているかのように。
そして、黒い機体が外壁に到達する直前ーーーーーシラヒメの中央部で、巨大な閃光が迸った。
施設の外壁が裂ける。火花が散る。爆発はコロニーの内側から瞬く間に周辺区画へ広がり、巨大なコロニーの構造体を内側から破壊していった。
*
新地球連合宇宙軍所属、戦艦アマリリス。
その艦橋では、アオイ・ジュン中佐が緊急救助活動を指揮していた。
「救助艇を第二居住区へ向かわせてください! 周辺の民間船にも避難誘導を要請します!」
「了解!」
「負傷者の収容状況は?」
「現在、百二十七名を収容。まだ多数の救難信号が残っています!」
「できる限り、助けてください!」
ジュンは、メインスクリーンに映るシラヒメを見つめた。これで四つ目だった。
ヒサゴプランに関係するコロニーが、次々と失われている。しかも、いずれも原因不明の爆発事故として処理されていた。
そんな偶然が、何度も続くはずがない。
しかし、統合軍は調査への介入を認めず、連合宇宙軍に与えられる情報は極端に限られていた。
「……いったい、何が起きているんだ」
ジュンが呟いた、そのときだった。
「艦長!」
観測員の声が鋭くなる。
「ボース粒子反応! シラヒメ外縁宙域で急激に増大!」
「何ですって?」
「空間歪曲を確認! 人型の質量反応があります!」
「映像を!」
メインスクリーンが切り替わった。
コロニーの残骸。
漂流する機動兵器。
その向こうに、熱源センサーがとらえた影があった。
「……何だ、あれは?」
謎の機動兵器。しかし、通常のエステバリスやステルンクーゲルよりも大きい。
全身を覆う異様なシルエット。
「……まさか」
ジュンは息を呑んだ。
「ボソンジャンプ?」
*
地球連合宇宙軍統合参謀本部
事故調査委員会
「……以上が、アマリリスで確認した事実です」
ジュンは、報告を終えた。会議室の正面には、軍関係者と調査委員たちが並んでいた。しかし、その誰もが、ジュンの報告を歓迎しているようには見えなかった。
沈黙。やがて、一人の委員が口を開いた。
「アオイ中佐」
「はい」
「君は、全長八メートル程度の人型兵器が単独でボソンジャンプを行った、と報告しているね」
「そのとおりです」
「それは、現在の地球・木星双方の技術水準から見て、極めて考えにくいことだ」
「ですが、実際に観測しています」
ジュンは、努めて冷静に答えた。
「映像記録とボース粒子の観測データも提出しました」
委員は、書類へ目を落とした。
「爆発直後の宙域では、観測装置に異常が生じることもあるだろう」
「複数の独立した観測機器が、同時に同じ異常を示したとお考えですか?」
「君の判断を責めているわけではない」
「では、なぜ――」
「ただ、混乱した状況では、優秀な軍人でも判断を誤ることがある」
ジュンは、言葉を失った。最初から、信じる気がないのだ。
「……今回の報告は、観測情報の誤認によるものとして扱う」
ジュンは、目を見開いた。
「……そんな」
「コロニー爆発事件については、引き続き事故調査委員会と統合軍が調査を行う。連合宇宙軍には、必要に応じて協力を求めることとする」
それが、査問会の結論だった。
ジュンには、もう何も言えなかった。
*
「……くそっ!」
会議室を出たジュンは、執務室の壁に拳を叩きつけた。
「何が事故調査委員会だ……!あいつらハナから調査する気なんかないんだ」
「こらこら。建物を壊されちゃ困るなあ」
背後から、のんびりとした声が聞こえた。
ジュンが振り向く。部屋の主であるムネタケ参謀長だった。
「……参謀長」
ムネタケは、ゆっくりと茶をすすった。
「事件は事故調査委員会と統合軍の合同捜査とあいなり、かくして宇宙軍は統合軍の蚊帳の外。しかし、放っておくわけにはいかないだろう?」
ジュンは、眉をひそめた。
「ですが、査問会では……」
「査問会は査問会。我々は我々だよ」
ムネタケは、また笑った。
「だからさ、行ってもらうことにしたよ・・・ナデシコにね」
*
ターミナルコロニー、タギリ。その近傍を、一隻の白い戦艦が航行していた。
試験戦艦ナデシコB。
かつて火星戦争の中心となったナデシコの名を受け継ぐ、新世代の戦艦だった。
艦橋には、必要最小限の乗員が配置されている。静かな電子音。
「……艦長。タギリの誘導管制との接続、完了しました!」
少年の声が響いた。マキビ・ハリ。
通称、ハーリー。年齢は十一歳。
黒い髪をオールバックに整えた、まだ幼さの残る少年だった。髪型もあわせて背伸びをしているような印象がある。しかし、その情報処理能力は極めて高く、ナデシコBの運用において重要な役割を担っていた。
「ありがとうございます、ハーリーくん」
艦長席から、静かな声が返ってきた。
ホシノ・ルリ、十六歳。
長い銀髪。金色の瞳。その卓越した情報処理能力から、彼女は一つの異名で呼ばれていた。
電子の妖精。
「次の中継ポイントを経由すれば、アマテラスですね」
「はい!」
ハーリーが元気よく答えた。
「航行システム、すべて正常です!」
「そうですか」
ルリは頷いた。
そのとき。
「いやあ、今日も平和だねえ」
軽い声が、背後から聞こえた。
高杉サブロウタ。
元木連の軍人でありながら、今では地球側の宇宙軍に所属している。派手な髪型。軽薄そうな笑顔。
「サブロウタさん!」
ハーリーが、すぐに振り向いた。
「仕事中ですよ!」
「してるだろ、仕事」
「さっきから全然コンソールを見てないじゃないですか!」
「見る必要がないほど、うちの艦長とハーリーくんが優秀ってことさ」
「そ、そういう問題じゃありません!」
サブロウタは、楽しそうに笑った。
ルリは、何も言わずにメインスクリーンを見つめていた。
その口元が、ほんの少しだけ緩む。
こうしたやり取りにも、もう慣れていた。
かつてのナデシコとは違う。
しかし、ここにも確かに仲間がいる。
そう感じられる時間だった。
「……艦長!」
ハーリーが、突然姿勢を正した。
「次のゲートへの進入許可が出ました!」
「了解しました」
ルリは頷いた。
「全艦、ジャンプ航行準備」
メインスクリーンには、巨大なチューリップ型の転移ゲートが映っていた。
ヒサゴプラン。人類が新たに築き上げた、宇宙の交通網。
だが、その施設が次々と失われている。今回の任務は、その原因を調べることだった。
「……ハーリーくん」
「はい!」
「事故のあったコロニーの配置図、もう一度確認してください」
「了解!」
画面に、四つのコロニーの位置が表示された。それらは、いずれもヒサゴプランに属していた。
しかし、互いに大きく離れている。通常航行では、短期間にこれらすべてを襲撃することは難しい。
だからこそ。
「……ボソンジャンプ、ですね」
ルリは、小さく呟いた。そのとき、ハーリーが振り向いた。
「……艦長は、信じているんですか?」
「何をですか?」
「……例の黒い機体です」
ルリは、少しだけ首を傾げた。
「どうして、そう思うんですか?」
「だって、まだ本当にいたかどうかも……」
ルリは、静かに微笑んだ。
「いるかどうか、確かめに行くんですよ」
ルリは、静かに命じた。
「ナデシコB、ジャンプ開始」
白い艦体が、青白い光に包まれた。
次の瞬間。
ナデシコBは、極彩色の光の向こうへ消えた。
令和の時代に、ナデシコSSを書かんとするなり
初めまして、最近youtubeで一挙放送があり昔妄想していたネタを書いてみました。
見返すとユリカが思った以上にいい女でした。当時はルリルリの陰に隠れていましたが・・・時代が悪かったのか。
曇らせても前向きさを失わない女性いいよね・・・。
まずは劇場版完結を目標にがんばります。