機動戦艦ナデシコ 造花の黒百合   作:くろっかす

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第1話

初夏の風が、山々を渡っていた。

 

雨上がりの空は青く澄み、濡れた木々の葉が陽光を受けて輝いている。山腹に設けられた墓地は、ひっそりと静まり返っていた。時折、葉擦れの音に混じって、遠くから鳥の声が聞こえてくる。

 

その一角に、一人の男が立っていた。

ミスマル・コウイチロウ。

 

地球連合宇宙軍総司令官。かつて幾多の戦いを指揮し、地球と木連の和平成立に尽力した軍人である。だが、今の彼にとって、そんな肩書きに何ほどの意味があるというのだろう。

 

目の前にあるのは、一基の墓石だった。

 

テンカワ・アキト。

テンカワ・ユリカ。

墓誌に並んで刻まれた、二人の名前。

 

墓前には、まだ新しい花が供えられている。コウイチロウはその傍らに膝をつくと、しばらくの間、何も言わずに墓石を見つめていた。

 

遺骨はない。

 

二人を乗せたシャトルは、機体の残骸こそ発見されたものの、乗員の遺体はついに見つからなかった。それでも、帰る場所くらいは用意してやりたかった。

 

 

「……ユリカ」

 

小さく、娘の名を呼ぶ。

当然、返事はない。

 

「アキト君と、仲良くやっているかね」

 

口にしてから、我ながら妙なことを聞いたものだと思った。生きていた頃から、あの二人のことでは随分と気を揉まされた。特にユリカは、幼い頃からアキト君、アキト君と、それはもう大変な騒ぎだった。

 

少し叱れば泣き出し、かと思えば、次の日には何事もなかったように笑っている。目を離せば何かをしでかし、そのたびに父親である自分が頭を抱える羽目になった。

 

まったく、手のかかる娘だった。

 

けれど、そんな娘も大きくなった。ナデシコの艦長となり、戦争の只中で多くの人間と出会い、傷つき、悩み、それでも前を向いて進んでいった。そして、幼い頃から想い続けていた青年と結ばれた。

 

あの日のユリカの笑顔を、コウイチロウは今でも覚えている。本当に、幸せそうだった。

 

「……まったく。親というのは、勝手なものだな」

 

思わず苦笑が漏れた。娘が生まれた時には、ただ健やかに育ってくれれば、それでよいと思った。成長するにつれ、あれこれと心配事が増えた。立派な大人になってほしい。幸せな結婚をしてほしい。いつかは孫の顔も見てみたい。

 

そんなことばかり、考えていた。

 

だが今となっては、そんなものは何一つ望まない。

 

ただ、生きていてくれさえすれば。

それだけで、十分だったのに。

 

コウイチロウは、隣に刻まれた名前へと目を移した。

 

「……アキト君」

 

あの青年もまた、実に不器用な男だった。人の気持ちには鈍感なくせに、妙なところで意地を張る。ユリカには散々振り回されていたが、結局のところ、彼もまた娘を大切に想ってくれていたのだろう。

 

思い出すのは、ユリカが嬉しそうに語っていた言葉だった。アキトが頑張るから、自分も頑張れるのだと。あれほど真っ直ぐに誰かを想えることが、少し羨ましくもあった。

 

「……あの子を、頼むぞ」

 

コウイチロウは、静かに頭を下げた。

 

二人が新婚旅行へ旅立った日のことを思い出す。ユリカは満面の笑みを浮かべ、アキトはどこか照れくさそうにしていた。

 

長かった戦争は終わった。地球と木連の間には、ようやく和平が訪れた。もう、あの子たちが戦場に立つこともない。

 

ナデシコで出会った、妹のような、そして今では家族となった少女――ルリとともに、三人で穏やかな日々を送っていく。ようやく、そんな当たり前の幸せを手に入れたのだと。誰もが、そう信じていた。

 

だが、二人を乗せたシャトルは帰ってこなかった。事故原因は、今も特定されていない。

 

それから、三年。

 

コウイチロウは、何度となくこの墓を訪れていた。そして、そのたびに考えてしまう。

 

もしかしたら、あの二人はどこかで生きているのではないか。ある日突然、何事もなかったように帰ってくるのではないか。

 

玄関の扉が開いて、ユリカが大きな声で父の名を呼ぶ。その後ろには、困ったような顔をしたアキトが立っている。そんな光景を、幾度となく思い描いた。

 

……馬鹿なことを。

 

あれから、もう三年なのだ。数え切れないほどの人員を動員し、あらゆる手を尽くして捜索させた。それでも、二人の消息はつかめなかった。

 

軍人としてならば、とうに結論を出している。

 

だが。

 

父親としては、どうしても諦めきれなかった。

 

「……さて」

 

コウイチロウは膝に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。

 

「そろそろ行くとしようか」

 

墓石を見下ろす。

 

「また来るよ。ユリカ、アキト君」

 

最後にもう一度、二人の名前を見つめてから、背を向けた。

 

墓地へ続く長い石段を下り始める。しばらく歩いたところで、コウイチロウは登ってくる二人連れに気づいた。

 

一人は女性。

もう一人は、まだ幼い少女だった。

 

女性は黒い喪服に身を包んでいた。長い黒髪を後頭部で丁寧に結い上げ、黒い帽子をかぶっている。そこから垂れた薄いヴェールが顔を覆い、表情を窺い知ることはできなかった。

 

対照的に、その隣を歩く少女は真っ白なワンピースを着ていた。大きなつばのある白い帽子。その縁から、長い薄桃色の髪が覗いている。少女は両腕で、大切そうに白い花束を抱えていた。

 

こんな山奥の墓地には、少々珍しい取り合わせだった。親子だろうか。

 

女性は少女の歩幅に合わせて、ゆっくりと石段を登ってくる。少女の方も、時折足元を確かめながら、一段一段、慎重に足を運んでいた。

 

やがて、互いの距離が近づいた。

すれ違おうとした、その時だった。

 

女性が、ふと足を止めた。黒いヴェールの奥から、こちらを見つめている。そんな気がした。

 

「……?」

 

コウイチロウも、思わず足を止める。女性はしばらくその場に立っていたが、やがて静かに頭を下げた。隣の少女も、それに倣って小さく会釈をする。

 

「……これは、ご丁寧に」

 

コウイチロウも軽く頭を下げた。墓地で行き会った者同士の、何ということもない挨拶だった。

 

それなのに、女性はすぐには歩き出そうとしなかった。何かを言いたげに、こちらを見つめている。

 

「……何か?」

 

思わず、コウイチロウが声をかける。

だが、女性は何も答えなかった。ただ、もう一度だけ深く頭を下げると、隣の少女を促して歩き始めた。

 

少女も、白い花束を抱え直してその後に続く。すれ違いざま、女性が少女の背にそっと手を添えた。本当に、何気ない仕草だった。

 

けれど。

 

その姿を見た瞬間、コウイチロウの胸に、奇妙な懐かしさが込み上げてきた。どこかで、見たことがある。

そんな気がした。

 

誰だっただろうか。

あの、少女を気遣うような仕草。隣を歩く幼い少女と、少し背の高い女性。

 

記憶の底で、何かが引っかかった。

だが、どうしても思い出せない。

 

コウイチロウは、小さく首を振った。見ず知らずの二人に、いったい何を重ねたというのだろう。

 

再び石段を下り始める。

一段、二段。そして、数段下りたところで、また足が止まった。

 

どうしてだろう。もう一度、あの二人の姿を見ておきたくなった。振り返る。

 

「……おや?」

 

そこには、誰もいなかった。先ほどまで二人が登っていた石段には、人影一つない。木々の間から差し込む陽光が、石段の上で揺れているだけだった。

 

「……もう、行ってしまったのかな」

 

墓地の入り口までは、まだ少し距離があるはずだった。もっとも、途中には脇道もある。そちらへ入ったのかもしれない。コウイチロウはしばらく石段の先を眺めていたが、やがて諦めたように息を吐いた。

 

風が吹いた。木々が揺れ、葉擦れの音が静かに響く。

 

その時。

 

ふと、懐かしさの正体に思い至った。

ユリカと、ルリ。

 

ナデシコで過ごしていた頃の、あの二人。天真爛漫な娘と、その傍らで少し困ったような顔をしていた、幼い少女。二人が並んで歩く姿が、記憶の中で重なった。

 

「……まったく」

 

コウイチロウは、誰にともなく苦笑した。

 

「年を取ると、いかんな」

 

そう呟くと、今度こそ石段を下りていった。背後には、初夏の陽射しを浴びた墓地が静かに佇んでいた。

 

    *

 

第八番ターミナルコロニー、シラヒメ。地球圏と木星圏を結ぶ新たな交通網、ヒサゴプラン。その一角を担う巨大な施設は、今まさに戦場と化していた。

 

『第一防衛線、突破されました!』

『第三小隊、応答しろ! 第三小隊!』

『くそっ、どこへ行った!?』

 

軍用通信回線を、怒号と悲鳴が埋め尽くす。シラヒメ周辺宙域では、警備艇と機動兵器が入り乱れ、無数の閃光が飛び交っていた。

 

だが、戦闘と呼ぶにはあまりに一方的だった。外周に展開していた防衛部隊は、すでに半数近くが戦闘能力を失っていた。推進器を破壊された機体が宙を漂い、残った部隊も統制を失いつつある。

 

『敵は一機だぞ! 一機相手に何をやっている!』

 

指揮官の怒声が響く。

しかし、誰も答えられなかった。彼らの常識では、目の前で起きていることを説明できなかったからだ。

 

黒い機体。全身を重厚な装甲に包んだ、異様な姿の人型機動兵器。

 

その姿が最初に確認されたのは、わずか数分前だった。何の前触れもなく空間が歪み、黒い機体が出現した。直後に警戒網が反応した時には、すでに第一防衛線を突破されていた。

 

『目標、中央施設群に接近!』

『第四、第五小隊、迎撃しろ!』

 

複数のステルンクーゲルが、黒い機体の進路を塞ぐ。次の瞬間、一斉に砲撃が開始された。数十条の光が、黒い機体へと殺到する。

 

だが。

 

『なっ……!?』

 

直撃したはずの光線が、機体を包む歪んだ空間に沿って逸らされていく。ディストーションフィールド。それ自体は、決して珍しい技術ではない。しかし、その出力と制御精度は尋常ではなかった。

 

『効いていない!?』

『構うな、撃ち続けろ!』

 

さらに砲撃が重ねられる。

黒い機体は回避しなかった。真正面から弾幕へ突っ込み、そのまま突き抜けた。

 

『な――』

 

砲撃を続けていた一機が、突如として視界いっぱいに広がった黒い装甲を目にする。次の瞬間、激しい衝撃が機体を襲った。

 

『うわああっ!』

 

ステルンクーゲルが弾き飛ばされる。衝突によって姿勢制御を失った機体は、回転しながら宙を漂い始めた。だが、黒い機体は追撃しなかった。すでに次の目標へ向けて加速している。

 

『速すぎる! 照準が追いつかない!』

『第六小隊、回り込め!』

 

黒い機体が急旋回する。その直後、先ほどまで機体が存在していた空間を、無数の光線が通り過ぎた。まるで、攻撃の来る場所をあらかじめ知っていたかのようだった。迎撃に出た機体が次々と戦闘不能に陥っていく。

 

だが、不可解なことがあった。

 

黒い機体は、機動力を奪った相手には見向きもしなかった。撃破できる状況でも、執拗な追撃を加えようとはしない。ただ、邪魔をするものを排除しながら、一つの方向へ進み続けていた。

 

シラヒメの中央施設群。

その、さらに奥へ。

 

『目標、中央ブロックに到達します!』

『何としても阻止しろ!』

 

残存部隊が一斉に進路を塞ぐ。

しかし、間に合わない。黒い機体が、防衛網の最後の一角を突破した。

 

その時だった。

 

シラヒメの中央部で、巨大な閃光が迸った。

 

『なっ……!?』

 

最初に吹き飛んだのは、施設の外壁だった。内部からの凄まじい圧力に装甲板が膨れ上がり、次の瞬間、無数の破片となって宇宙空間へ飛び散った。続いて、隣接するブロックが爆発する。

 

連鎖する衝撃。

砕け散る構造材。巨大なコロニーの内側から、次々と炎が噴き上がった。

 

『中央ブロック、消失!』

 

通信に、凄まじい雑音が走る。

誰かの悲鳴が聞こえた。

それも、すぐに途切れた。

 

黒い機体は、崩壊していく中央施設の前にいた。機体を包む歪曲場に、爆発の閃光が幾重にも反射する。その黒い装甲を、炎が照らし出した。

 

だが、機体は動かなかった。まるで、崩れゆく施設の奥に何かを探しているかのように。

 

やがて、爆煙が視界を覆った。黒い機体の姿も、その向こうへと消えていった。

 

    *

 

新地球連合宇宙軍所属、戦艦アマリリス。その艦橋では、アオイ・ジュン中佐が救助活動の指揮を執っていた。

 

「救難信号はどうなっていますか!」

「まだ複数残っています! ですが、周辺の瓦礫が多すぎて救助艇が接近できません!」

「警備艇を回してください! 航路を確保できるはずです!」

「了解!」

「収容状況は?」

「負傷者百二十七名! 重傷者を優先して医療ブロックへ搬送中です!」

「救助可能な人は、全員助けてください!」

 

ジュンは次々と指示を出しながら、メインスクリーンへ目を向けた。そこには、無残に破壊されたシラヒメの姿が映し出されていた。かつて巨大な円筒を形作っていた外壁は裂け、内部の構造物が宇宙空間へ露出している。破片がゆっくりと漂い、その合間を救助艇が縫うように飛んでいた。

 

ジュンは唇を噛んだ。

これで、四つ目だった。ヒサゴプランに関係するコロニーが、立て続けに失われている。そして、そのいずれもが、原因不明の爆発事故として処理されていた。

 

そんな偶然が、何度も続くものだろうか。

 

しかも、今回のシラヒメには戦闘の痕跡がある。防衛部隊が正体不明の機動兵器と交戦したことも、すでに確認されていた。それなのに、統合軍からは事故調査への介入を控えるよう通達が来ている。

 

「……いったい、何が起きているんだ」

ジュンが呟いた、その時だった。

 

「艦長!」

観測員の声が、鋭く響いた。

「シラヒメ外縁宙域に、ボース粒子反応!」

「何だって?」

「反応、急激に増大! 空間歪曲を確認!」

「映像を出してください!」

 

メインスクリーンが切り替わる。

シラヒメの残骸。

漂流する機動兵器。

その向こうに、何かがいた。

 

「……何だ、あれは?」

ジュンは、思わず身を乗り出した。

黒い、人型の機動兵器。

全身を覆う重厚な装甲。見慣れたエステバリスやステルンクーゲルとは、明らかに異なるシルエットだった。

 

「拡大できますか!」

「やっています! ですが、光学映像にノイズが……!」

 

画像が乱れる。その間にも、ボース粒子の反応は増大し続けていた。

 

「空間歪曲、さらに拡大!」

黒い機体の周囲で、星々の光が奇妙にねじ曲がる。次の瞬間。

 

機体が、青白い光に包まれた。

 

「……まさか!」

ジュンが叫ぶより早く、黒い機体は消えた。あとには、何も残っていなかった。

 

「目標、消失! 反応も確認できません!」

「転移反応の解析は!?」

「……ボソンジャンプと、極めて類似しています」

 

ジュンは、言葉を失った。人型の機動兵器が、単独でボソンジャンプを行った。そんなことが、可能なのか。

しかし、今、確かに見た。

 

「……記録は?」

「すべて保存しています!」

「すぐに司令部へ送ってください。観測データも、映像も、全部です!」

「了解!」

 

ジュンは、黒い機体が消えた空間を見つめていた。あれは、いったい何だったのか。

 

そして。

 

あの機体と、シラヒメの爆発には、どんな関係があるというのだろう。

 

    *

 

地球連合宇宙軍統合参謀本部。

事故調査委員会。

 

「……以上が、アマリリスで確認した事実です」

報告を終えたジュンは、正面に並ぶ委員たちを見渡した。誰もが難しい顔で書類に目を落としている。だが、そこに真相を解明しようとする熱意があるようには見えなかった。しばらくの沈黙の後、一人の委員が口を開いた。

 

「アオイ中佐」

「はい」

「君の報告によれば、全長八メートル程度の人型機動兵器が、単独でボソンジャンプを行ったということだね」

「そのとおりです」

「……ふむ」

 

委員は眼鏡を直した。

「しかし、それは現在の地球、木星双方の技術水準を考えれば、極めて考えにくい現象だ」

「ですが、実際に観測しています」

ジュンは、努めて冷静に答えた。

 

「映像記録に加え、ボース粒子の観測データも提出しています。少なくとも、通常の機動兵器による移動では説明できません」

「その件については、こちらでも検討している」

「でしたら――」

「ただし、爆発直後の宙域では、観測機器に異常が発生する可能性も否定できない」

 

ジュンの表情が強張った。

「……複数の独立した観測機器が、同時に同じ異常を示したとお考えですか?」

「そう断定しているわけではないよ」

委員は穏やかな口調で答えた。

 

「しかし、混乱した状況下では、優秀な軍人でも判断を誤ることはある。君の報告を否定しているわけではない。慎重な評価が必要だと言っているんだ」

「ですが、あの機体は確かに――」

「アオイ中佐」

別の委員が、言葉を遮った。

 

「君の職務への熱意は理解している。しかし、現時点で未知の新兵器の存在を公に認めることは、いたずらに混乱を招きかねない」

「混乱……?」

ジュンは思わず聞き返した。

「四つものコロニーが爆発しているんですよ! 今回に至っては、防衛部隊が正体不明の機動兵器と交戦しているんです! それを――」

 

「中佐」

低い声が、会議室に響いた。

「発言には注意したまえ」

ジュンは、口をつぐんだ。

委員長は、机上の資料を閉じた。

 

「今回の報告については、観測情報の誤認の可能性が高いものとして扱う。コロニー爆発事件の調査は、引き続き事故調査委員会と統合軍が行う」

「……では、宇宙軍は?」

「必要に応じて、協力を求めることとする」

 

それが、結論だった。

ジュンは拳を握り締めた。

 

あれだけの規模の事件が繰り返されている。

 

それなのに。

 

彼らは、何を見ようとしているのだろう。

 

「……了解しました」

絞り出すように、それだけ答えた。

 

    *

 

「……くそっ!」

執務室に戻ったジュンは、堪えきれずに壁を殴りつけた。鈍い音が響く。

 

「何が事故調査委員会だ……! あいつら、ハナから調査する気なんかないんだ!」

「こらこら。建物を壊されちゃ困るなあ」

 

背後から、のんびりとした声が聞こえた。ジュンが振り向く。部屋の主、ムネタケ参謀長が、湯呑みを片手にこちらを見ていた。

 

「……参謀長」

「若いねえ、アオイ君。血気盛んなのは結構だけど、少しは落ち着いたらどうだい?」

「ですが!」

「うんうん、わかるよ。君の言いたいことは」

 

ムネタケは、茶を一口すすった。

「事件は事故調査委員会と統合軍の合同捜査とあいなり、かくして宇宙軍は統合軍の蚊帳の外、と」

どこか芝居がかった口調だった。

 

「しかしまあ、そういうことなら仕方がない。お偉方がそうお決めになったんだからねえ」

「……では、このまま放っておくんですか?」

「まさか」

ムネタケは、あっさりと答えた。

 

ジュンが目を瞬く。

「え?」

「放っておくわけにはいかないだろう? 四つもコロニーがやられているんだ。五つ目がないとは限らない」

 

ムネタケは、机の上に一枚の書類を置いた。

「だからさ、行ってもらうことにしたよ」

「……どこへですか?」

ムネタケは、にやりと笑った。

「ナデシコにね」

 

    *

 

ターミナルコロニー、タギリ。その近傍を、一隻の白い戦艦が航行していた。

 

試験戦艦ナデシコB。かつて火星戦争を終結へと導いた戦艦、ナデシコ。その名を受け継いだ新世代の艦である。

 

艦橋は、驚くほど静かだった。必要最小限の乗員が配置され、いくつものコンソールには複雑な情報が絶え間なく表示されている。だが、乗員たちに慌ただしさはない。艦内のほぼすべてが、高度に自動化されているからだった。

 

「艦長! タギリの誘導管制との接続、完了しました!」

元気のよい声が、艦橋に響いた。

マキビ・ハリ。

通称、ハーリー。

まだ十一歳の少年である。黒髪をオールバックに整え、精一杯大人びた表情を作っているが、頬には年相応の幼さが残っていた。

 

「ありがとうございます、ハーリーくん」

艦長席から、静かな声が返ってきた。

ホシノ・ルリ。

 

十六歳。

 

長い銀髪と金色の瞳を持つ少女は、背もたれに身体を預けたまま、メインスクリーンを見つめていた。

 

電子の妖精。その卓越した情報処理能力から、かつてそう呼ばれた少女は、今やナデシコBの艦長となっていた。

 

「次の中継ポイントを経由すれば、アマテラスですね」

「はい! 航行システムも、すべて正常です!」

ハーリーが胸を張る。

「いつでもジャンプできます!」

「そうですか」

ルリが小さく頷いた。

 

その時だった。

 

「いやあ、今日も平和だねえ」

艦橋の後方から、気の抜けた声が聞こえた。高杉サブロウタ。かつては木連の軍人だった男も、今では地球側の宇宙軍に籍を置いている。相変わらず派手な髪型に、相変わらずの軽薄そうな笑顔。その姿は、いかにもこの場の緊張感とは無縁だった。

 

「サブロウタさん!」

案の定、ハーリーが振り向いた。

「仕事中ですよ!」

「してるだろ、仕事」

「さっきから全然コンソールを見てないじゃないですか!」

「見る必要がないんだよ」

 

サブロウタは複数のガールフレンドからのビデオメールを見ながら涼しい顔で答えた。

「うちには優秀な艦長と、優秀なオペレーターがいるからねえ」

「そ、そういう問題じゃありません!」

「いやいや、信頼してるってことさ。ハーリー君も、そろそろ先輩の信頼に応えてくれないと」

「だったら、サブロウタさんも少しは働いてください!」

「いやあ、手厳しい」

 

サブロウタは、楽しそうに笑った。ハーリーは頬を膨らませ、何か言い返そうとしたが、結局思いつかなかったらしい。不満げにコンソールへ向き直る。

 

その様子を、ルリは黙って見ていた。口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。

 

かつてのナデシコでも、こんなやり取りは日常茶飯事だった。誰かが騒ぎ、誰かが怒り、また別の誰かがそれを面白がる。そんな、少し騒がしくて、どこか居心地のよい場所。

 

もう、あの頃のナデシコはない。

けれど。

ここにも、仲間がいる。

 

ルリは小さく息を吐き、再びメインスクリーンへ目を戻した。

「……艦長!」

ハーリーが、急に真面目な声を出した。

 

「次のゲートへの進入許可が出ました!」

「了解しました」

ルリは頷いた。

「全艦、ジャンプ航行準備」

「了解!」

 

メインスクリーンに、巨大なチューリップ型の転移ゲートが映し出される。ヒサゴプラン。かつて軍事目的で利用されていたボソンジャンプ技術は、今や人類の新たな交通網として整備されつつあった。人と物資が、地球と木星の間を行き交う。長い戦争の末に、ようやく手に入れた平和の象徴。

 

だが、その施設が次々と破壊されている。そして今度の事件では、奇妙なものが目撃された。

 

一機の、黒い機動兵器。

 

「……ハーリーくん」

「はい!」

「事故のあったコロニーの配置図を、もう一度出してください」

「了解!」

画面が切り替わり、ヒサゴプランの航路図が表示された。四つの地点が、赤く明滅している。これまでに爆発事故が発生したコロニーだった。

 

「……ずいぶん、離れていますね」

ハーリーが呟いた。

「通常航行では、短期間にすべてを回るのは難しいと思います」

「そうですね」

 

ルリは、画面を見つめた。

四つのコロニー。それぞれの間には、相当な距離がある。もし、同一の犯人による連続襲撃なのだとすれば。そして、ジュンの報告が正しいのだとすれば。

 

「……ボソンジャンプ、ですね」

ルリが、小さく呟いた。

「え?」

ハーリーが振り向く。

 

「……艦長は、信じているんですか?」

「何をですか?」

「例の、黒い機体です」

ハーリーは、少し声を潜めた。

「だって、人型兵器が単独でボソンジャンプなんて……今まで聞いたこともありませんし」

「そうですね」

「映像だって不鮮明ですし、本当にいたかどうかも……」

 

ルリは、少しだけ首を傾げた。

「ハーリーくん」

「はい?」

「信じるとか、信じないとか。そういう問題じゃありませんよ」

「……え?」

ルリは、静かに微笑んだ。

「いるかどうか、確かめに行くんですよ」

 

ハーリーは、しばらくきょとんとしていた。やがて、慌てて姿勢を正す。

「は、はい!」

背後で、サブロウタが小さく笑った。

「ま、そういうことだね」

 

ルリは、もう一度メインスクリーンへ目を向けた。そこには、転移ゲートが大きく映し出されている。その向こうに、何が待ち受けているのか。今は、まだわからない。

 

「ナデシコB」

少女の声が、静かな艦橋に響いた。

「ジャンプ開始」

 

白い艦体が、青白い光に包まれる。空間が歪み、周囲の星々が引き延ばされていく。

 

次の瞬間。

 

ナデシコBは、極彩色の光の向こうへと消えた。




初めまして、最近youtubeで一挙放送があり昔妄想していたネタを書いてみました。
見返すとユリカが思った以上にいい女でした。当時はルリルリの陰に隠れていましたが・・・時代が悪かったのか。

まずは劇場版完結を目標にがんばります。
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