アマテラス外周宙域。
漆黒の機体が、防衛部隊の包囲網を縫うように飛んでいた。
「くそっ! 何なんだよ、あいつは!」
スバルリョーコは、操縦桿を握り直した。
黒い機体は、先ほどから何度も包囲を突破していた。迎撃部隊が進路を塞ぐたび、常識外れの加速でその隙間を抜けていく。速い。
「全機、散開! 進路を塞げ!」
『了解!』
ライオンズシックル隊のエステバリスが扇状に展開した。黒い機体が、こちらへ向き直る。
「……来るか!」
砲口が閃いた。
レールガン。
弾体が先頭のエステバリスの脇をかすめ、後方の構造物へ突き刺さる。
奇妙だった。黒い機体には、突破できる隙が何度もあった。だが、そちらへは向かわない。追いつめれば逃げ、距離が開けば速度を落とし、またこちらを挑発する。
まるで、わざと追わせているような――。
「……何を考えてやがる」
その間にも、アマテラスの防衛艦隊が続々と集結していた。
『第三防衛隊、目標捕捉!』
『第七迎撃隊、包囲に加わります!』
新たに現れた艦艇が、黒い機体の逃げ道を塞いでいく。
それでも、黒い機体は一向に焦る様子を見せなかった。
*
黒い機体、ブラックサレナのコックピット。耐Gパイロットスーツを纏った操縦者は、ヘルメットバイザー越しに戦術画面を見つめていた。
統合軍の防衛部隊が、予定した宙域へ集まりつつある。表示されているのは、敵艦の位置と速度、推定射線。そして、あらかじめ設定したユーチャリスのジャンプ座標だった。
「……もう少し」
中央区画の防衛戦力が、まだ残っている。あの迎撃網をまともに突破すれば、十三番ゲートに到着するまでに時間を取られる。たとえ突破できても、追撃部隊に背後を塞がれるだろう。
必要なのは、ほんのわずかな時間だった。
そのために、敵をここまで引きつけてきた。
操縦者は機体を横滑りさせ、正面から迫る砲撃をかわした。続けて推進器を吹かし、包囲の外周に沿って飛ぶ。背後を追う機体が増えた。
EOS(イージー・オペレーション・システム)を採用したステルンクーゲルは、IFS(イメージ・フィードバック・システム)に抵抗を持つ軍人たちに広く受け入れられ、今や統合軍の主力機となっていた。
しかい、機動性の柔軟さや近接戦闘の精密さではIFS搭載機に劣るため、熟練パイロットはエステバリスを愛用するものも多かった。
他の機体とは違う軌道を描く赤いエステバリスがある。その識別名を見た途端、操縦者の指がわずかに止まった。
「……スバル・リョーコ」
小さく、その名を口にする。
こちらの軌道にも惑わされず、正確な射撃を叩き込み、高機動のブラックサレナにもくらいついてく。さすが、と言いたくなるほどの腕だった。
けれど、今は相手をしていられない。戦術画面に、目標配置の達成を示す表示が灯った。
操縦者は、暗号化された回線を開く。
「誘導完了。予定座標でお願い」
*
「……逃げてる?」
リョーコは戦術画面を見た。黒い機体の航跡。それを追うエステバリス。さらに、その周囲へ集まってきた防衛艦隊。その位置関係に、引っかかるものがあった。
「……違う!」
リョーコが叫ぶ。
「こいつ、逃げてるんじゃねえ! オレたちを――」
言い終わるより早く、黒い機体が急加速した。
敵部隊が密集する宙域の側面へ、ほとんど直角に進路を変える。
直後、艦隊の背後で空間が歪んだ。
*
ナデシコB、艦橋。
「艦長! 新たなボース粒子反応!」
ハーリーの声が響いた。
「場所は?」
「アマテラス外周! 防衛艦隊の背後です!」
メインスクリーンが切り替わる。
青白い光が広がり、何もなかった宇宙空間に巨大な艦影が現れた。
白い艦。
流麗な船体と、独特の艦首構造。連合軍の艦艇とも、旧木連の戦艦とも異なる姿だった。
「所属識別、ありません! 艦種照合も不能です!」
ルリは目を細めた。
白い艦はジャンプを終えると同時に姿勢を整え、艦首を防衛艦隊へ向けていた。
そこへ、青白い光が集まっていく。
「……ハーリーくん! 周辺艦艇に退避警告を!」
「えっ?」
「グラビティブラストです!」
*
『第三防衛隊、応答なし!』
『第七迎撃隊、損害甚大!』
『救助を! 脱出者が――』
通信が混線する。
モニターには、次々と機体反応が消失していく様子が映っていた。
「……あの野郎!」
黒い機体は逃げていたのではない。
防衛部隊を、白い艦の射線へ誘い込んでいたのだ。
リョーコは黒い機体を探した。すでにアマテラス中央区画へ向かっている。
防衛部隊が混乱し、迎撃網に空いた穴へ。
「……しまった!」
赤いエステバリスが加速した。
*
アマテラス中央区画。
ブラックサレナはライオンズシックル部隊を高機動ユニットのパージし撃破し、崩れた防衛網を抜けて進んでいた。
距離は稼いだつもりだったが、後方から機体反応。赤いエステバリスだ。
『お久しぶりです、リョーコさん』
黒い機体を追跡中のリョーコに通信が入る。パージされたユニットによる不意打ちで破壊された部下達はすでに撤退させている。
「……ん?」
リョーコが目を丸くした。
「おおっ! ルリか!」
『はい』
「久しぶりじゃねえか! 元気にしてたか?」
『おかげさまで』
「ははっ! 相変わらずだな、お前!」
聞き慣れた声だった。
三年前、ナデシコの艦橋で何度も耳にした声。あの小さな女の子が、今ではナデシコBの艦長なのだ。
「そういや、ナデシコBが来てるって聞いてたな」
『はい。現在、アマテラスの調査を行っています』
「なるほどな。で、お前ら、何でこんな回線につなげられるんだ?」
『非常事態ですので』
「……おい。まさか、ハッキングしてやがるな?」
『やっているのはこのハーリー君です』
『えぇ!艦長~』
リョーコは声を上げて笑った。
「ははっ! やっぱ変わってねえな、お前!」
しかし、すぐに表情を戻す。
「ルリ、あの黒い機体と白い艦、何者なんだあいつら」
『まだ、わかりません。ただ、黒い機体が向かっている場所は判明しました』
「何?」
『第十三番ゲート。公式には存在しない施設区画です』
「十三番? そんなゲート、聞いたことねえぞ」
『私たちも、先ほど見つけたばかりです』
「……お前、まさか」
『緊急事態ですので。多少、調べさせていただきました』
『この先の構造図を送ります。追跡を続けてください』
「了解! あいつを捕まえてから、ゆっくり話そうぜ!」
赤いエステバリスが加速した。
通路の奥には、巨大な隔壁が待ち受けていた。
*
巨大な扉の前で、黒い機体が停止した。
リョーコは、慎重に距離を詰める。
「……ようやく追いついたぜ」
そのとき、黒い機体が反転した。
ハンドカノンが、エステバリスへ向けられる。
「おっと!」
砲口が光った。
一発。
続けて、二発目。
リョーコは機体を横滑りさせ、砲撃の間隙をすり抜けた。
黒い機体の懐へ飛び込む。
「……もらった!」
通信ワイヤーを射出した。
細いワイヤーが、黒い機体のコックピット付近に接触する。
通信接続。
モニターに、回線確立を示す表示が現れた。
「ふう……危ねえ、危ねえ」
リョーコは、安堵の息を吐いた。
「こっちに攻撃するつもりはねえ。そのまま動かないでくれよ」
黒い機体は動かなかった。
リョーコは、通信回線を確認する。
「よし。ルリ、つながったぞ!」
『ありがとうございます』
ナデシコBからの応答。
リョーコは、黒い機体へ向き直った。
「おい、聞こえてるか?」
沈黙。
リョーコは、小さく肩をすくめた。
「オレは頼まれただけでね。この子が話をしたいんだとさ」
その言葉を合図に、ルリが通信へ加わった。
『はじめまして。連合宇宙軍少佐、ナデシコB艦長のホシノ・ルリです』
静かな声だった。
『突然すみません。いくつか、お聞きしたいことがあります』
黒い機体は、何も答えない。
『あなたは、誰ですか?』
沈黙が続いた。
ルリは、わずかに眉を寄せた。
『ヒサゴプラン関連施設を襲撃しているのは、あなたですね?』
返事はない。
『その目的は、何ですか?』
それでも、黒い機体は答えなかった。
そのとき。
黒い機体の背部から、細いマニピュレーターが伸びた。
テールバインダーに格納されていた作業用アーム。
その先端が、隔壁の管理端末へ接触する。
「……おいおい」
リョーコが呟いた。
「話を聞いてる場合じゃねえってか?」
ナデシコBの艦橋では、ハーリーが慌ただしくコンソールを操作していた。
「艦長!黒い機体がゲートの管理システムに侵入しています!」
「解析してください」
「はい!」
無数の認証コードが、画面を流れていく。
黒い機体の制御系と管理装置を接続し、その奥にあるシステムへ直接干渉している。
だが、相手はこの施設の管理系統を熟知しているかのように、複雑な認証を次々と突破していた。
まるで、この扉の向こうに何があるのかを、最初から知っているようだった。
『……あなたは、ここに何をしに来たんですか?』
ルリが、もう一度問いかけた。
その瞬間。
通信に、かすかな雑音が走った。
そして。
『……見たいなら、好きにするといい』
声が聞こえた。
女性の声だった。
「……え?」
リョーコが、思わず顔を上げた。
予想していなかった。
あれほど激しい戦闘を繰り広げていた黒い機体。
どこか禍々しさを感じさせるシルエットから、無意識に女性だとは考えていなかったのだ。
「……お前、女だったのか?」
返事はなかった。
ルリも、わずかに目を見開いていた。
落ち着いた声。
感情を抑えた、どこか冷たい話し方。
しかし、声の主に、心当たりがないわけではなかった。
『……あなたは、この先に何があるのか知っているんですね?』
ルリが尋ねる。
しかし、黒い機体から返答はなかった。
代わりに、端末の認証表示が次々と切り替わる。
最後のロックが解除された。
「艦長!」
ハーリーが叫ぶ。
「第十三番ゲート、開きます!」
巨大な隔壁が、低い振動音とともに動き始めた。
黒い機体は、ゆっくりと前進した。
その後ろ姿を、リョーコはじっと見つめていた。
「……何者なんだよ、お前」
返事はない。やがて、黒い機体は扉の向こうへ消えた。
リョーコは、操縦桿を握り直す。
「……ルリ。オレも行くぜ」
『はい。気をつけてください』
「心配すんな!」
赤いエステバリスが、その後を追った。
*
第十三番ゲートの奥には、巨大な空間が広がっていた。
リョーコは、思わず息を呑んだ。
「……何だ、こりゃ」
アマテラスの内部とは思えないほど広大な空洞。そこには、無数の配管と巨大な機械設備が張り巡らされていた。
そして、その奥に。
一隻の艦があった。
「……ナデシコ?」
リョーコが呟いた。
見覚えのある艦影。かつて、自分たちが乗っていた艦。
ナデシコA。
その姿を、こんな場所で目にするとは思わなかった。
ナデシコBの艦橋でルリは、画面を見つめた。
「……どうして、ここに」
かつてのナデシコ。
その先。巨大な空間の中央に、正方形の異様な構造物が浮かんでいた。
幾重にも重なる外殻。その表面には、複雑な幾何学模様が刻まれている。
「ルリーッ!見てるかー!?」
ルリは答えられなかった。彼女もまた、目の前の光景に驚いていた。
「ありゃ、何なんだよ!?」
リョーコが叫ぶ。
三年前。
地球と木星の戦争に深く関わった、古代火星文明の遺産。
ボソンジャンプの中枢。
それが、こんな場所に隠されていた。
黒い機体は、巨大な遺跡の前で停止していた。
ただ、その閉ざされた外殻を見つめるように。
リョーコは、慎重に距離を詰めた。
「……おい」
呼びかける。
「お前、これが目的だったのか?」
返事はなかった。
「これじゃあ、あいつらが報われねえよ…。なんでこいつが、こんなとこにあるんだよ」
『それは、人類の未来のため!』
突然、通信回線に男の声が響いた。
アマテラス内部のみならず、付近を停泊するナデシコB含めた戦艦のスクリーンに、ひとりの男が映し出される。
軍服に身を包んだ壮年の男。鋭い眼光と、威圧的なまでに堂々とした態度。
その顔を見た瞬間、ルリは目を見開いた。
「……草壁春樹」
かつて木連の軍事行動を主導した男。
三年前の戦争が終わり、クーデターで失脚して以来、その消息は途絶えていた。
第十三番ゲートの内部でも、同じ映像が流れていた。
「……く、草壁?」
リョーコは、思わず声を漏らした。忘れるはずがなかった。三年前、自分たちが戦った木連。その中心にいた男だった。
「なんでこいつが――」
『リョーコちゃん!』
突然、通信に叫び声が割り込んだ。
黒い機体からだった。
「……え?」
聞き覚えのある声に、リョーコは一瞬だけ動きを止めた。
その一瞬の間に、ブラックサレナが急加速する。漆黒の機体が、リョーコのエステバリスへ向かって突進してきた。
「なっ……!」
反射的に操縦桿を倒す。
赤いエステバリスが横へ滑った。直後。鋭い金属音が、コックピットを貫いた。
「ぐあっ!」
強烈な衝撃。視界が激しく揺れ、警報が鳴り響く。
機体の左肩を、長大な錫杖が貫いていた。
ほんの一瞬、回避が遅れていれば。その先端は、間違いなくコックピットを貫いていただろう。
「……何だ、これ!」
リョーコは機体を動かそうとした。
だが、動かない。錫杖は装甲を貫通し、背後の隔壁へ深々と突き刺さっていた。
赤いエステバリスは、まるで標本のように壁面へ縫いつけられていた。
「くそっ!」
推進器を吹かす。機体が激しく振動するものの、錫杖はびくともしない。
そのとき、前方の空間が揺らいだ。
ひとつ。
ふたつ。
そして、さらに。ボソンジャンプ特有の青白い光とともに、脚部が省略された異形の機動兵器が姿を現した。
その中央に、ひときわ異様な機体が浮かんでいた。深紅の装甲。
不気味なほど静かな佇まい。夜天光。
そのコックピットに座る男を、黒衣の操縦者は知っていた。
北辰。
「……っ!」
ブラックサレナが動いた。リョーコ機と六連の間に、漆黒の機体が割って入る。
ディストーションフィールドが展開された。六連の一機が放った攻撃が、見えない壁に阻まれる。
そのままブラックサレナは一歩も退かず、壁面に縫いつけられたエステバリスを庇うように立ちはだかった。
「……お前」
リョーコは、呆然とその背中を見つめた。つい先ほどまで、自分たちは敵同士だった。
なのに、今は。黒い機体が、こちらを守っている。
なぜ。
問いかけようとした、そのときだった。
『一夜にて、天津国にまで伸び行くは、瓢の如き宇宙の螺旋……』
低い声が響いた。夜天光のコックピットからだった。
その声を聞いた途端、ブラックサレナの動きが止まった。
『……また会えたな』
男の声が、愉快そうに弾んだ。
『その黒き鎧。借り物にしては、随分と馴染んでおるようだ』
ブラックサレナは答えない。
『だが、所詮は借り物よ』
北辰は、低く笑った。
『……偽りの復讐者よ』
その言葉に、ブラックサレナの操縦者は奥歯を噛みしめた。バイザーの向こうで、視線が鋭くなる。
『哀れよな。亡き者の影を追い、その姿をまとい、憎しみまで背負おうとは』
「……黙れ」
かすかな声だった。
『ほう?』
北辰が、愉快そうに笑う。
『怒りもまた、あやつの真似か?』
ブラックサレナのハンドカノンが持ち上がった。
砲口が、夜天光を捉える。
発砲。
二条の光が、赤い機体へ向かって伸びた。
しかし、夜天光はまるで舞うように機体を翻し、その射線から消えた。
同時に、六連が動いた。
「……っ!」
四方から迫る攻撃。
ブラックサレナが機体をひねり、ディストーションフィールドで受け止める。
火花が散った。漆黒の装甲が軋む。一機を押し返す。だが、別の一機が背後へ回り込む。
その狙いは、ブラックサレナではなかった。
壁に縫いつけられた、赤いエステバリス。
「……リョーコさん!」
ブラックサレナが、咄嗟に機体を反転させた。
敵の攻撃を正面から受け止める。青白いフィールドが大きく揺らいだ。
「……おい!」
リョーコは、思わず叫んだ。
「何で、オレを……!」
返事はなかった。
漆黒の機体は、ただ黙って敵の前に立っていた。その背中を見つめながら、リョーコは先ほど聞いた声を思い返していた。
リョーコちゃん。
あの呼び方。あの声。
あんなふうに自分を呼ぶ人間を、リョーコはひとりしか知らなかった。
「……お前」
喉が乾いた。胸の奥で、何かが激しく脈打っていた。
「……お前、ユリカだろ?」
黒い機体が、わずかに動きを止めた。
「そうなんだろ?」
リョーコは、返事を待った。
「……だって、さっき」
声が震えた。
「オレのこと、リョーコちゃんって……」
ブラックサレナは、何も答えない。
「……ユリカなんだろ?」
沈黙。
その間にも、六連は少しずつ包囲を狭めていた。
やがて、通信が入った。
『……時間は稼ぎます』
先ほどとは違う、感情を抑えた声だった。
『迎えもくるでしょう、早く撤退してください』
「……何、言ってんだよ」
『ここは、私が引き受けます』
「そうじゃねえ!」
錫杖が貫通したエステバリスの手足パーツをパージさせ、拘束から解放されたリョーコが叫んだ。
「オレが聞きたいのは、そんなことじゃねえんだよ!」
しかし、返事はなかった。ブラックサレナは、六連へ向き直った。
ハンドカノンを構える。夜天光が、ゆっくりと両腕を広げた。
『……滅』
その一言を合図に。
六連が、一斉に襲いかかった。
*
「……くそっ!」
リョーコは、損傷したエステバリスの中で悪態をついた。リョーコを救出したのはサブロウタのスーパーエステバリスだった。
「こんなときに……!」
後方ではユリカが戦っている。
あの黒い機体。あの声。リョーコちゃん。忘れられるはずがなかった。
三年前、ナデシコの艦橋で何度も聞いた声だった。
「……ユリカ」
リョーコは、小さく呟いた。
「……何で、何も言ってくれねえんだよ」
何一つ、答えは出なかった。