月面ドックでの生活が始まってから、およそ三か月が過ぎていた。
建造を進めていた白い戦艦、ユーチャリスはすでに実戦運用に入っている。
少女は中枢コンピューターであるアマノウズメと連携し、艦の各種システムの調整からワンマンオペレーションまで任されるようになっていた。
最初は技術者に教わるばかりだった。今では、端末を介してウズメと相談し、問題点を見つけ、調整案を提出することもある。仕事を覚える速さには整備班も驚いていたが、少女自身にはそれが特別なこととは思えなかった。
少しでも、アキトの役に立ちたかった。
ユーチャリスが携わる任務は、火星の後継者に関係する船舶や施設の探索、情報収集、破壊や妨害工作が中心だった。
敵はヒサゴプランの関係者や統合軍内に紛れ、足取りを巧みに隠している。クリムゾングループに連なる企業や施設も調査の対象となった。
そんな中、アキトが一人の少女を連れ帰った。
北辰たちがネルガルの研究施設から連れ去った子供の一人。長い実験の影響か、少女はほとんど表情を動かさず、医療スタッフの質問にも短い言葉しか返さなかった。
淡い桃色の髪。金色の瞳。
どこか、自分に似ている。
少女は、医療区画のガラス越しに、その子をしばらく見つめていた。
「……会っても、いいですか?」
イネスは検査記録を確認してから頷いた。
「長くは駄目よ。まだ、慣れない人に会うだけでも負担になるから」
「……はい」
病室の扉が静かに開いた。
*
少女が声をかけても、ベッドの上の女の子は反応しなかった。
薄桃色の髪。
白い肌。
そして、自分と同じ金色の瞳。
こちらを見つめてはいるものの、何を考えているのか、表情からはまるで読み取れない。
「……聞こえてる?」
視線はこちらに向けられているので、声は聞こえているらしい。
けれど、言葉は返ってこなかった。
「……そっか」
少女は少し考えた。
そして、ふと思いついたように顔を上げた。
「……ねえ、あなたとお話しできるかもしれない方法があるんだけど」
少女はイネスに目を向けた。
「イネス先生、ウズメに手伝ってもらってもいいですか?」
「……IFSを使うの?」
「はい。言葉を使うより、そっちの方が話しやすいかもしれないと思って」
イネスは少し考えた後、頷いた。
「いいわ。ただし、無理はさせないこと」
「……はい!」
少女は、もう一度ベッドの女の子へ向き直った。
「……あのね、私には友達がいるんだ」
女の子の金色の瞳が、わずかに動いた。
「アマノウズメっていうの。みんなウズメって呼んでるんだけどね」
少女は微笑んだ。
「ユーチャリスっていう戦艦のコンピューターなんだけど、とっても優しい子なんだよ」
女の子は、黙って少女を見つめていた。
「ウズメに手伝ってもらえば、声を出さなくてもお話しできるかもしれないの。……試してみない?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、女の子が小さく頷いた。
「……ありがとう」
少女は嬉しそうに微笑んだ。
*
医療用端末を介して、ユーチャリスのメインコンピューターとの通信が確立された。
少女の意識に、慣れ親しんだ応答が届く。
『……ウズメ、よろしくね』
すぐに肯定の信号が返ってきた。
少女は端末の表示を確認した。
IFSを使って、自分の意思で言葉を送受信するための簡単な仕組みだった。
相手の記憶や思考を勝手に読み取るものではない。
少女は、そっと女の子へ呼びかけた。
『……聞こえる?』
返事はなかった。
やっぱり難しいのだろうか。
そう思ったとき。
目の前のウィンドウに、短い文章が表示された。
『……聞こえる』
「……!」
少女は思わず顔を上げた。
女の子は相変わらず無表情だったが、確かに彼女からの返事だった。
『……よかった!』
少女は嬉しくなって、続けて言葉を送った。
『……あなたの名前、教えてくれる?』
しばらくして、返事が届いた。
『……ラピス』
『……ラピス?』
『……ラピス・ラズリ。ネルガルの研究所で生まれた』
『……ラピス・ラズリ』
少女は、その名前を心の中で繰り返した。
『……綺麗な名前だね』
ラピスから返事はなかった。
それでも、接続が切れることはなかった。
やがて、新しい文字が表示された。
『……アナタの名前は?』
少女は、少し困ったように笑った。
『……ごめんね。私、まだ名前がないんだ』
『……ない?』
『……うん。研究所での番号はあるんだけど、それは名前じゃないから』
エリナは、自分の好きな名前をつければいいと言ってくれた。
けれど、まだ何も思いついていない。
『……私は、誰なんだろうね』
思わず、そんな言葉がこぼれた。
以前なら、胸が苦しくなる問いだった。
けれど、今は少し違う。
ユリカの記憶だけではない。自分自身が経験したことも、少しずつ増えている。
いつか、自分にふさわしい名前を見つけられたらいいと思っていた。
しばらくして、ラピスから新しい言葉が届いた。
『……どうして、私に話しかけるの?』
少女は目を瞬かせた。
『……ラピスと、お話ししてみたかったから』
『……何を話せばいいの?』
『……何でもいいんだよ。好きなことでも、嫌なことでも』
『……何でも?』
『……うん』
長い沈黙。
『……命令?』
少女は少し考えた。
それから、困ったように微笑んだ。
『……お願い、かな』
『……お願い?』
『……うん。私、ラピスのことをもっと知りたいんだ』
少女は、ゆっくりと言葉を送った。
『でも、嫌だったら話さなくてもいいよ』
しばらくして、返事が届いた。
『……わからない』
『……そっか』
『……何を話したらいいのか、わからない』
少女は少し考えた。
『……じゃあ、一緒に探そうか』
ラピスは答えなかった。
けれど、接続を切ろうともしなかった。
*
その日の夕方。
月面ドックの自室に戻る途中、少女はプロスペクターに呼び止められた。
「おや、お嬢さん。ちょうどよいところに」
「……プロスペクターさん?」
「実は、あなたにお渡ししたいものがございまして」
そう言って、プロスペクターは小さな手帳と一本のペンを差し出した。
「……これは?」
「私からの、ささやかな贈り物でございます」
少女は不思議そうに手帳を開いた。
何も書かれていない、真っ白なページが並んでいる。
「……でも、記録なら端末でできますよ?」
「ええ、もちろん。ですが、手で書くというのも、考えがまとまってよいものですよ」
プロスペクターは、穏やかに微笑んだ。
「私も、大事なことはこうして書き留めるようにしておりましてね。仕事のことでも、日々の出来事でも、何でも構いません」
「……何でも、ですか?」
「はい。誰かに見せる必要はありません。ご自分が感じたことを、ご自分の言葉で書けばよいのです」
少女は、手の中の手帳を見つめた。
「……ありがとうございます。大切にしますね」
「それは何よりです」
*
その夜。
少女は自室の机に向かい、もらったばかりの手帳を開いた。
何を書こうか、少し迷う。
やがて、ペンを握り、ゆっくりと文字を綴った。
『今日は、ラピスという女の子とお話しした。とても綺麗な名前だった』
そこで一度、手を止める。
そして、次の行に書き足した。
『また、お話しできたら嬉しい』
少女は、書き終えたページを眺めた。
文字は少し不揃いだったが、何だか気に入った。
端末に入力するのとは、少し違う。
自分の手で、今日あったことを書き残す。
それが、少しだけ特別なことのように思えた。
少女は手帳を閉じ、机の引き出しに大切にしまった。
それから、少女は時間を見つけてはラピスのもとを訪れるようになった。
ウズメを介したIFS通信で、少しずつ会話を交わすようになった。
最初は「わからない」という返事ばかりだったが、少女がユーチャリスでの出来事やウズメの話をすると、時折質問が返ってくるようになった。
ある日、話題は料理のことになった。
『……料理?』
『うん。前にね、オムライス作ったことがあるんだ』
『……オムライス?』
『卵でご飯を包んだ料理だよ。アキトさん、昔は料理人だったんだって』
しばらくして、文字が表示された。
『……どんな味?』
『……おいしい、と思う』
『……思う?』
『……うん。私、まだあんまり上手じゃないから』
少女は苦笑した。
やがて、新しい文字が現れた。
『……料理、食べてみたい』
「……え?」
少女は思わず声を上げた。
ラピスが、自分から何かをしたいと言ったのは初めてだった。
『……私の料理でいいの?』
『……うん』
少女の顔が、ぱっと明るくなった。
『……じゃあ、今度何か作ってあげるね!』
*
それから数日後。
医療スタッフの許可を得て、少女はラピスを自分の部屋に招いた。
月面ネルガル施設の居住区にある、小さな一室。
少女が選んだ料理は、チキンライスだった。ホシノ・ルリが好きだったから、ラピスももしかしたら好きになってくれるかもしれないと思ったからだ。
「……よし、できた!」
少女は出来上がったチキンライスを皿に盛りつけた。
少々色が濃く、ところどころ焦げていたが、それなりに形にはなっている。
ラピスは、テーブルの前にちょこんと座って待っていた。
この数週間で、必要最低限ながら声を出して会話をするようになっていた。
もっとも、相変わらず表情は乏しい。嬉しいのか、悲しいのか。少女にも、まだよくわからなかった。
「……はい、ラピス。どうぞ」
「……うん」
ラピスはスプーンを手に取った。
チキンライスを一口すくい、口へ運ぶ。
そして。
「…………!」
金色の瞳が、大きく見開かれた。
少女は身を乗り出した。
「……どう? おいしかった?」
ラピスは答えなかった。
しばらく口を動かしていたが、やがてゆっくりと飲み込む。
次の瞬間、その顔がみるみるうちに険しくなった。
眉間に深い皺が寄り、口元が硬く結ばれる。
まるで苦虫を噛み潰したような、何とも言えない渋い顔だった。
「……え?」
少女は目を瞬かせた。
初めて見る、ラピスの表情だった。
そのとき、部屋のインターホンが鳴った。
「……入るぞ」
現れたのは、アキトだった。
実はアキトも、救出したラピスの様子が気になっていた。
時折医療区画へ顔を出しては、イネスや医療スタッフから経過を聞いていたのだ。
今日も病室を訪れたのだが、ラピスの姿がない。
医療スタッフによれば、少女の部屋に招かれ、手料理をご馳走になるのだという。
それを聞いた瞬間、妙な胸騒ぎがした。
三か月前、少女が初めて作ったオムライス。
あのときの不慣れな手つきを、アキトは覚えていた。
自分には味がわからなかったが、果たして、あれから料理の腕前は上達したのだろうか。
そんな心配をしながら部屋を訪れたところだった。
「……アキトさん!」
少女が振り返った。
「ちょうどよかったです! 今、ラピスにチキンライスを食べてもらっていて……」
「……そうか」
アキトはテーブルへ目を向けた。
皿の上の、妙に赤黒いチキンライス。
そして、それを前にして、見たこともないような顔をしているラピス。
「…………」
アキトは黙り込んだ。
「……ラピス?」
少女は心配そうに顔を覗き込んだ。
「……どうしたの? 具合が悪い?」
ラピスは、ゆっくりと少女を見上げた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……マズイ」
「…………え?」
あまりにも率直な感想だった。
アキトが、思わず顔を背けた。
それから、皿を覗き込んだ。
「……お前、レシピ通りに作ったのか?」
「はい! 調べたらたくさんレシピがあったので、美味しそうなところを全部まとめて、いいとこ取りしてみました」
「…………」
アキトは黙り込んだ。
「……あ、でも、ラピスは甘い方が好きかなと思って、お砂糖を入れました」
「…………」
「それから、蜂蜜も少し。お砂糖だけより風味が出るかなって」
「…………」
「あと、隠し味にお醤油とマヨネーズとオイスターソースを入れるとおいしくなるって書いてあったので……」
「……待て」
アキトが遮った。
「……お前、それを全部入れたのか?」
「……はい」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「それと、パラパラに作るには火力が大事って聞いたので、強火でガッと炒めてみました」
「…………」
アキトは額に手を当てた。
「……まずは基本のレシピ通りに作れ」
「……え?」
「……余計なアレンジはするな。基本もできてないうちから、勝手に材料を増やすな」
「……はい」
少女は、しゅんと肩を落とした。
「……それから、味見はしたのか?」
「…………」
少女の動きが止まった。
「……してないのか」
「……はい」
「……味見くらいはしたほうがいい」
「……はい……」
アキトは深いため息をついた。
そのとき、ふと昔のことを思い出した。
そういえば、ナデシコでも似たようなことがあった。
ユリカ。
メグミちゃん。
リョーコちゃん。
何かにつけて手料理を振る舞おうとしてきたものだが、そのたびにひどい目に遭った。
中には、食べた途端に倒れたことさえある。
今になって思えば、不思議な話だった。
……何で、みんな揃いも揃って味見をしなかったんだ?
目の前では、少女が恐る恐る自分の料理を口に運んでいる。
「…………っ!」
甘い。
それなのに、苦い。
何とも形容しがたい味が、口いっぱいに広がった。
「……あ、甘い……苦い……」
少女は、しょんぼりと俯いた。
「……うん。ごめんね、ラピス……」
しかし、すぐに顔を上げた。
「で、でも、愛情を込めて作ったから……!」
せめて、その気持ちだけは伝えたかった。
ラピスは、じっと少女を見つめた。
そして、いつもの抑揚のない声で告げた。
「……デモ、マズイ」
「…………」
二度目の直球を受け、少女は完全に撃沈した。
そのとき、アキトが不意に顔を背けた。
頬から首筋にかけて、ナノマシンが淡く光っている。
よく見ると、肩もわずかに震えているようだった。
少女は目を瞬かせた。
……もしかして。
「……アキトさん?」
「……何だ」
顔を背けたまま、短い返事が返ってくる。
「……笑ってませんか?」
「……いや」
そう答えるアキトの肩が、また小さく震えた。
……絶対、笑ってる。
「……もう。そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
少女は、むっと頬を膨らませた。
アキトは顔を背けたまま、何も答えなかった。
ラピスは、そんな二人を不思議そうに見比べると、何事もなかったように皿を遠ざけた。
「……ラピスまで……」
少女は、がっくりと肩を落とした。
*
月面ネルガルドック。
整備ハンガーの中央に、見慣れた漆黒の機体が鎮座していた。
ブラックサレナ。
ただし、その姿は少女の知るものとは少し違っていた。
機体の背部には、大型の電子戦ユニットが接続されている。
張り出したセンサードーム。増設された通信装置。そして、通常のブラックサレナには存在しない、もう一つのコックピット。
少女は、その機体を見上げた。
「……できたんですね」
「ああ。ようやく形になった」
隣に立つ整備主任が頷いた。
「ブラックサレナE型電子戦ユニット装備。お嬢ちゃんが考えた仕様を、どうにか実用化したってわけだ」
少女は、機体の背部を見上げた。
ユーチャリスの調整に参加するようになってから、アキトの戦闘を支援するための装備について、何度も技術者たちと話し合ってきた。
アキトの操縦技術は優れている。
けれど、どれほど強い機体でも、一機でできることには限界があった。
敵の通信を妨害すること。
施設の管理システムへ侵入すること。
そして、必要な情報を手に入れること。
そうした仕事なら、自分にも手伝えるかもしれない。
「ただし、あまり無茶はするなよ」
整備主任が、機体の背部を指差した。
「大型のセンサーに重力波通信装置、専用の演算機器。積めるだけ積んだおかげで、ずいぶん大きくなっちまった。ユニット自体が小回りも利かないし、格闘戦なんざ考えない方がいい」
「……はい」
「それに、ユーチャリスのウズメをそのまま載せられるわけじゃない。処理できる情報量にも限界がある」
少女は頷いた。
ユーチャリスではウズメの助けを借りて、膨大な情報を処理することができた。
しかし、この小さなユニットには、戦艦と同じ設備を搭載する余裕はない。
できることと、できないこと。
それを見極めながら戦わなければならなかった。
「……でも、これならアキトさんと一緒に行けるんですね」
「ああ。あいつがブラックサレナを動かして、お嬢ちゃんが電子戦を担当する。役割分担ははっきりしてる」
少女は、もう一度機体を見上げた。
漆黒の装甲。
その背に取り付けられた、新しいユニット。
今度は、自分もあの機体に乗るのだ。
「……ありがとうございます」
少女は、深く頭を下げた。
「……私、頑張ります」
「頑張るのはいいが、ちゃんと帰ってこいよ」
整備主任は、少し困ったように笑った。
「せっかく造ったんだ。初出撃で壊されちゃ、こっちもたまらんからな」
「……はい!」
少女は頷いた。
*
出撃準備を始めようとした少女を、ゴートが呼び止めた。
「……これを」
差し出されたケースの中には、黒を基調とした一着のスーツが収められていた。
「……私に、ですか?」
「君専用に仕立てたアンダースーツだ」
少女は、興味深そうにスーツを手に取った。
「今日出撃すると聞いた。通常のパイロットスーツと同じ感覚で使えるようにしてある。その上から耐Gスーツを装着してくれればいい。防弾・防刃性能を持たせ、急所には軽量プロテクターも組み込んである」
「……ということは、このまま戦闘服としても使えるんですか?」
「生身で襲撃を受ける可能性も考慮した。通常のパイロットスーツより、防護性能は格段に高いはずだ」
ゴートは、少しだけ残念そうに続けた。
「ただ、本来は小型ディストーションフィールド発生装置も組み込む予定だったが、今回は間に合わなかった」
「……ディストーションフィールドまで?」
「君の能力を考えれば、それだけの備えは必要だろう」
少女は、スーツを見つめた。
ゴートには、銃の扱い方や護身術も教わっていた。
訓練のたびに、彼は繰り返し言っていた。どれほど優れた能力を持っていようと、不意を突かれれば命を落とすのだと。
少女は、大切そうにスーツを抱えた。
「ありがとうございます、ゴートさん」
「……礼は結構だ。必ず帰還するように」
それだけ告げると、ゴートは立ち去っていった。
「……まったく、あの人らしいわね」
傍らで見ていたエリナが、苦笑した。
「あなたのために、随分こだわっていたみたいよ」
「……そうだったんですか」
「ええ。でも、戦うためのものばかりじゃ、つまらないでしょう?」
「……え?」
「そうそう、私もあなたに渡したいものがあるの」
エリナは、小さな箱を差し出した。
「前に約束したでしょう?」
少女が蓋を開けると、中には深い青色のアクセサリーが収められていた。
光を受けると、透明な石の奥に淡い輝きが浮かぶ。
「……綺麗」
思わず声が漏れた。
「あなた、髪が長いでしょう? いつも適当にヘアゴムでまとめているみたいだから」
「……あ、はい」
「少しはおしゃれもしなさいよ。せっかく綺麗な髪をしてるんだから」
少女は、箱の中から深い青色のバンスクリップを手に取った。
自分の髪に、似合うだろうか。
箱の中には他にも同じ青色の石をあしらったイヤリングやペンダント、髪留めなどが収められていた。
「……これ全部、ですか?」
「そう。何個あっても悪いものじゃないでしょ」
「……でも、こんなにたくさん……」
「何よ。気に入らない?」
「い、いえ! すごく綺麗です。でも……」
少女は、少し困ったように笑った。
「……私、ほとんど戦闘服か訓練用の服なので」
「だから、それを何とかしなさいって言ってるの」
エリナは呆れたように肩をすくめた。
「クリップなら普段から使えるでしょう?イヤリングとかはお休みの日にでもつければいいわ」
「……お休みの日?」
「そうよ。今は仕方ないけど、いつか外に遊びに出る日が来るんだから」
少女は目を瞬かせた。
遊びに行く。
そんなことは、考えたこともなかった。
これまでは、アキトの役に立つために、できることを増やそうと必死だった。
ユーチャリスの調整。
戦闘訓練。
情報収集。
気づけば、そればかり考えていた。
「……そう、ですね」
少女は、手の中のアクセサリーに目を落とした。
「ほら、ちょっと貸してみなさい」
「……え?」
「髪よ。まとめてあげる」
エリナは少女の背後へ回ると、黒銀色の長い髪を手に取った。
指先で丁寧に梳き、髪をまとめていく。
少女は、少しくすぐったそうに身じろぎした。
「……動かないの」
「……はい」
「まったく。こんなに綺麗な髪なのに、もったいないわね」
エリナは、ヘルメット内でも邪魔にならないように、きれいに髪を結いまとめ、深い青色のクリップで髪を留めた。
それから少し離れ、仕上がりを確かめる。
「……うん。よく似合ってるわ」
「……本当ですか?」
「本当よ。もう少し自分に自信を持ちなさい」
少女は、傍らの鏡を覗き込んだ。
黒銀色の髪に、青い飾りが映えている。
いつもと少し違う、自分の姿。
それが何だか嬉しくて、少女は小さく微笑んだ。
「……ありがとうございます、エリナさん」
「どういたしまして」
エリナも微笑んだ。
少女は、もう一度鏡を見た。
綺麗なものを身につける。
たったそれだけのことなのに、こんなに気持ちが変わるとは思わなかった。
「……大事にします」
「ええ。そうしてちょうだい」
エリナは、静かに頷いた。
目の前にいる少女は、これからまた危険な任務へ向かう。
優れたIFS能力も、A級ジャンパーとしての資質も、その身を守ってくれるとは限らない。
だからこそ、できる限りのことをしてやりたかった。
けれど。
それだけではない。
綺麗なものを見つけて喜び、似合っていると褒められて笑う。
そんな、年相応の時間をもっと過ごしてほしかった。
「……行ってきます」
「ええ。残りのアクセサリーは後で部屋に届けておくわ」
エリナは、少女を見送った。
「……気をつけてね。あ、伝え忘れるところだったけど、これは全部―――」
*
ブラックサレナの出撃準備は、すでに整っていた。
少女は新設されたコックピットへ乗り込み、操縦席に身体を預けた。
ゴートがくれたアンダースーツを着込み、耐Gスーツの接続を確認する。
ヘルメットを装着すると、視界に各種情報が展開された。
機体の状態。
センサーの稼働状況。
通信装置の接続確認。
そして、ブラックサレナ本体との連携状況。
少女は、ゆっくりと息を吐いた。
ユーチャリスでは何度も実戦を経験した。
けれど、こうしてアキトと同じ機体に乗るのは初めてだった。
自分が失敗すれば、アキトまで危険にさらしてしまう。
そう考えると、少し緊張した。
『……聞こえるか』
通信機から、低い声が響いた。
「……はい、アキトさん」
『……準備はいいか』
「……はい。各システム、正常です」
少女は、もう一度機体の状態を確認した。
問題はない。
何度もシミュレーションを繰り返してきた。
ウズメの助けを借りながら、装備の扱い方も覚えてきた。
あとは、実際の戦場で役に立てるかどうかだった。
『……無理はするな。危険だと思ったらユニットはすぐに分離する。ユニット自体にもジャンプフィールド発生装置は備え付けてあるから、最悪ユニット単独でも戻れるはずだ』
「……わかりました」
少女は頷いた。
アキトの声は、いつもどおり落ち着いていた。
けれど、少女には、その言葉が少し嬉しかった。
自分の身を案じてくれている。
それだけのことが、今は何よりもありがたかった。
『……頼むぞ』
「…………!」
少女は、思わず顔を上げた。
頼むぞ。
短い言葉だった。
けれど、少女にとっては特別な意味があった。
アキトが、自分を必要としてくれている。
ユリカの代わりではなく、今ここにいる自分を。
「……はい!」
少女は、力強く答えた。
「……任せてください、アキトさん」
*
整備ハンガーの巨大な隔壁が開かれた。
ブラックサレナが、ゆっくりと浮上する。
漆黒の機体。取り付けられた、新しい翼。
今回の目的は、火星の後継者が関与していると疑われる研究施設への侵入だった。
これまでの情報収集によって、ようやく候補となる施設の所在が絞り込まれていた。
少女の役目は、施設の管理システムへ侵入し、内部の情報を調べること。
そこにユリカがいるのか。
あるいは、彼女の行方につながる手掛かりが残されているのか。
まだ、何もわかっていない。
それでも、今までより一歩、近づけるかもしれなかった。
『……行くぞ』
「……はい!」
機体を包むフィールドが展開される。
少女は、最後にもう一度システムを確認した。
そして、意識を集中させた。
アキトとともに戦う。
そのために、ここまで来たのだから。
次の瞬間。
ブラックサレナの姿が、青白い光に包まれた。
ボソンジャンプ。
漆黒の機体は、新たな翼とともに月面ドックから消え去った。
*
青白い光が収束すると、漆黒の機体は暗い宇宙空間に姿を現した。
ブラックサレナには、大型のE型電子戦ユニットが接続されている。
眼前には、巨大な研究施設が浮かんでいた。
ヒサゴプランに関連する企業の名義で建設された、民間の研究施設。
表向きは輸送機器の開発と保守を行う拠点だったが、ネルガルが入手した情報によれば、火星の後継者が秘密裏に利用している疑いがあった。
施設の周囲には、複数の警備艇が巡回している。
ブラックサレナは光学ステルスを維持したまま、ゆっくりと施設へ接近した。
『……状況は』
アキトの声が、通信機から響いた。
「……警備艇、六隻。外部監視網も稼働しています。予定していた搬入口は、今のところ使用可能です」
『……わかった』
今回の目的は、施設の破壊ではない。
火星の後継者が何を研究し、どこに拠点を構え、誰を拘束しているのか。
その情報を手に入れることだった。
これまでの作戦では、敵の施設を破壊できても、肝心の研究資料や関係者の所在までは掴めないことが多かった。
だからこそ、今回は可能な限り内部へ接近し、情報を持ち帰る必要があった。
「……アキトさん、右側の監視装置が停止しました。今なら通れます」
『……了解』
ブラックサレナは、施設外壁に沿って滑るように移動した。
少女が事前に調べておいた保守作業用の搬入口。
そこには大型機材を搬入するための広い整備区画があり、警備設備も施設の主要区画に比べれば手薄だった。
少女は外部通信を傍受し、警備艇の巡回経路を確認する。
さらに、保守用端末の通信に紛れ込ませた偽の認証情報を使い、搬入口の開閉装置にアクセスした。
「……認証、通りました。開きます」
巨大な隔壁が、ゆっくりと開き始める。
アキトは機体を加速させ、隙間へ滑り込ませた。
数秒後。
隔壁が再び閉じられる。
ブラックサレナは、施設内部の巨大な整備空洞へ侵入していた。
*
「……侵入成功。これより情報収集を開始します」
『……頼む』
少女は、コックピットに身体を預けた。
IFSを通じて、Eユニットの電子戦システムへ意識を集中させる。
大型センサーが施設内の通信を捉え、膨大な情報が少女のもとへ流れ込んできた。
警備システム。搬送設備。研究区画の運用記録。
施設内で使用されている端末の接続状況。
そのすべてが、複雑に絡み合っている。
少女はアクセス可能な経路を探し、次々と認証を試みた。
「……警備系統の一部に侵入できました。施設内の配置図を取得します」
『……奥へ進めるか』
「……少し待ってください」
取得した図面を照合する。現在地は、施設外縁部の整備区画。
そこから先には、複数の隔壁と厳重な警備区域が存在していた。
施設の中心部には、通常の研究施設には不釣り合いなほど大規模な独立区画が設けられている。
「……ここ、何でしょう?」
少女は、アクセスできた情報を順次吸い出し、ブラックサレナ本体へ保存しながら、その区画を拡大した。
通常の管理系統からは、ほとんど情報を取得できない。
記録上は存在しているのに、内部の設備や人員配置が確認できなかった。
『……何かわかったのか』
「……いえ。ただ、妙な区画があります」
少女は、取得した情報をアキトへ転送した。
「この区画だけ、管理システムが独立しています。外部からはほとんどアクセスできません」
『……研究区画か』
「……おそらく」
少女は、別の通信経路を探した。
Eユニットの演算装置は、ユーチャリスの中枢コンピューターであるウズメに及ばない。
処理できる情報量にも限界があり、複数の系統へ同時に侵入するのは難しかった。
それでも、施設内の搬送記録、消費電力、医療物資の搬入履歴。
一見すると無関係な情報を、一つずつ照合していく。
やがて、ある記録が目に留まった。
「……あれ?」
通常の研究区画とは別に、特殊な生命維持装置の管理記録が存在していた。
使用電力は一定。
稼働開始から現在まで、一度も停止していない。
しかも、その装置へ定期的に供給されている薬剤や医療資材は、長期のコールドスリープに使用されるものだった。
少女は、記録を追った。
管理番号。
搬入日時。
収容区画。
そして、被験者の識別情報。
「…………」
指先が止まった。
表示された名前を、もう一度確認する。
ミスマル・ユリカ。
「……え?」
思わず声が漏れた。
心臓が、大きく跳ねた。
少女は慌てて記録を照合した。
同姓同名の別人という可能性は、ほとんど考えられない。
けれど、これが古い記録である可能性はあった。
何より、自分自身がユリカのクローンなのだ。
名前と遺伝情報だけで、本人だと断定するわけにはいかない。
少女は、現在稼働している生命維持装置の管理系統を探した。
独立した監視回線。
厳重な認証。
通常の経路からはアクセスできない。
それでも、装置の稼働状況を確認するため、一部の情報が施設の保守管理系統へ送信されていた。
少女は、その通信を捕捉した。
心拍。
呼吸管理。
脳波。
生命維持装置の状態。
いずれも、現在進行形で更新されている。
「……生きてる……?」
少女は、さらに記録を追った。
過去の収容履歴と現在の管理番号が一致する。
さらに、ネルガルに残るユリカ本人の医療記録と照合した。遺伝情報だけでなく、過去の診療履歴に結びつく個体識別情報も一致していた。
コールドスリープ装置は、今も施設の中心部で稼働していた。
少女は、通信回線を切り替えた。
「……アキトさん」
『……何だ』
声が震えた。
「……見つけました」
『……何を』
「……ユリカさんを」
通信の向こうが、静かになった。
「……ユリカさんが、この施設にいます」
『…………』
返事がない。
少女は続けた。
「生命維持装置の稼働記録を確認しました。現在も生体情報が更新されています。収容履歴も一致しています」
『……本当か』
低い声だった。
けれど、普段のアキトとは少し違って聞こえた。
「……はい」
少女は、もう一度情報を確認した。
「間違いありません。ユリカさんは生きています。今、この施設の中にいるんです」
『…………』
しばらく、沈黙が続いた。
少女は、アキトの返事を待った。
ユリカ。
自分と同じ顔をした、本物のミスマル・ユリカ。
アキトが、ずっと探し続けていた人。
その人が、すぐ近くにいる。
胸の奥に、言葉にできない感情が込み上げた。
けれど、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
『……場所は』
アキトの声が響いた。
少女は、すぐに答えた。
「施設中心部の区画です。ただ、こちらから直接入れる経路は限られています」
『……そこまで行けるか』
「……調べてみます」
少女は、再び管理システムへ意識を集中させた。
*
異変が起きたのは、その直後だった。
施設内の通信量が、急激に増加した。
警備系統に、新たな認証要求が発生する。
それまで取得できていた情報の一部が、次々と遮断されていった。
「……ッ!」
『……どうした』
「こちらの侵入に気づかれました」
少女は、残された通信経路を確認した。
施設の警備部隊が動き始めている。
各区画の隔壁が閉鎖され、保安システムが緊急運用へ切り替わっていく。
そして、先ほど発見したユリカの生命維持装置。
その管理記録に、新しい指示が追加された。緊急移送、その先は別の研究施設。
搬送には、施設内に設置されたジャンプゲートを使用するらしい。
「……アキトさん!」
『……何だ』
「ユリカさんが移送されます!」
『……何!?』
「こちらの侵入を察知して、緊急移送を始めたみたいです!」
少女は、搬送経路を確認した。
コールドスリープ装置を収容した搬送ポッドが、中心区画から移送設備へ接続されようとしている。
このままでは、またユリカを見失ってしまう。
『……止められるか』
「……やってみます!」
少女は、アクセス可能な管理系統を次々と切り替えた。
しかし、移送用のジャンプゲートは独立した制御系統で管理されている。
直接停止させることはできない。
「……駄目。ゲートの制御には入れない……!」
少女は、必死に別の経路を探した。
警備系統。
搬送設備。
保守管理。
それぞれが独立しているように見えても、実際には一部の情報を共有している。
特にジャンプゲートの運用には、周辺設備の安全確認が不可欠だった。
少女は、その部分に目をつけた。
「……これなら……!」
搬送設備の管理系統へ侵入する。
認証を偽装し、保守運用の一部を書き換えた。
直後、施設内の警告が一斉に発生する。
搬送経路の一部が停止。
自動隔壁が閉鎖される。
さらに、関連する管理システムを意図的にダウンさせたことで、ジャンプゲートの安全確認が完了できなくなった。
少女の前に、停止を示す信号が表示された。
「……止まった!」
『……やったのか』
「……はい! 搬送設備を停止させました。ジャンプゲートも、安全確認ができなくなっています!」
もっとも、施設全体を掌握したわけではない。
少女が操作できるのは、侵入に成功した一部の系統だけだった。
敵の技術者が異常を解除し、管理システムを復旧させれば、移送は再開されてしまう。
実際、すでに複数の系統で復旧作業が始まっていた。
「……でも、長くは持ちません。向こうで復旧を始めています!」
『……どれくらいだ』
「……わかりません。停止させた設備ごとに、復旧を妨害していますけど……!」
少女は、次々とアクセス経路を切り替えた。
侵入できた管理系統を使って設備を停止させ、敵が復旧を始めれば、別の系統から妨害を加える。
その繰り返しだった。
施設全体の制御権は、依然として敵の手にある。
それでも、ユリカの搬送ポッドはまだ施設内に留まっていた。
『……収容区画までの経路を送ってくれ』
アキトが言った。
「……はい!」
少女は、取得した施設図面から進入可能な経路を選び出した。
現在地からユリカの収容区画までは、複数の隔壁と警備区域を通過しなければならない。
大型のEユニットを装着したままでは、通れない区画も存在した。
しかし、ブラックサレナ本体であれば、別の搬送経路を利用できる可能性があった。
「……アキトさん、経路を送ります。ただ、この先はEユニットをつけたままでは進めません」
『……わかった』
アキトは短く答えた。
『……ありがとう』
「…………!」
少女は、一瞬だけ息を止めた。
けれど、すぐに首を振った。
「……まだです」
アキトの役に立てたことは嬉しい。
けれど、ユリカはまだ救出できていない。
「……まだ、終わっていません。急いでください!」
『……ああ』
少女は、再び施設の管理システムへ意識を集中させた。
今度こそ。
今度こそ、アキトにユリカを取り戻してほしかった。
たとえ自分が、その人の代わりにはなれなくても。
あの人が、もう一度笑えるようになるのなら。
少女は、そう願っていた。
*
そのときだった。
外部センサーが、複数の高速移動体を捉えた。
「……アキトさん!」
『……何だ』
「敵機、三機! こちらへ向かっています!」
施設内部の格納区画から、三つの機影が飛び出してくる。
少女は取得した機体情報を照合した。
「……六連です!」
『……わかった』
アキトの声は落ち着いていた。
『敵の攻撃は俺が防ぐ。お前はできる限り、ゲートを止めておけ』
「……はい!」
少女は、施設の管理系統を維持しながら、Eユニットの電子戦装備を起動した。
ユリカの移送を止め続けること。
アキトの戦闘を支援すること。
限られた処理能力を、二つの仕事に振り分けなければならない。
少女は意識を集中させた。
漆黒の機体が加速する。
その前方で、三機の六連が散開した。
*
先頭の一機が急加速し、残る二機が左右へ散開する。
機動兵器とは思えないほど滑らかな動きだった。
その連携には、わずかな乱れもない。
『……来るぞ』
アキトの声とともに、ブラックサレナが加速した。
直後、三方向から攻撃が殺到する。
ディストーションフィールドが展開され、機体を包む障壁に激しい衝撃が走った。
「……っ!」
少女は、思わず身体を強張らせた。
ユーチャリスで実戦を経験してきたとはいえ、自分自身が機動兵器に乗り込み、高機動戦闘を行うのは初めてだった。
身体を押しつぶそうとする加速度。
絶え間なく変化する機体の姿勢。
視界を埋め尽くす警告表示。
訓練では何度も経験したはずなのに、実際の戦闘はまるで違っていた。
『……支援、頼む』
「……はい!」
少女は慌てて意識を切り替えた。
今、自分にできること。
施設の管理系統に侵入し続け、ユリカの移送を妨害すること。
そして、アキトの戦闘を支援すること。
どちらも疎かにはできなかった。
少女は、Eユニットの電子戦システムへ意識を集中させた。
「……敵機、通信解析を開始します!」
六連の通信を捕捉する。
通常の通信回線とは異なる、閉鎖された戦術ネットワーク。
外部からのアクセスを前提としない独立した制御系統だった。
しかも、三機は互いの動きを共有しながら、絶え間なく連携を修正している。
このままでは、少女の電子戦装備でも簡単には侵入できない。
「……駄目。外部からじゃ……!」
『……別の方法はないのか』
「……あります!」
少女は、装備一覧から一つの機能を選択した。
強制通信アンカー。
外部との通信を遮断した機器に対して、物理的な接続を強制するための装備だった。
通常のハッキングとは異なり、相手の装甲にアンカーを打ち込み、直接データを送り込む。
もっとも、そのためには敵機へ接近しなければならない。
「……アキトさん、一機だけでいいんです。敵に近づいてもらえますか?」
『……わかった』
短い返事だった。
次の瞬間、ブラックサレナが急激に進路を変えた。
正面から迫る六連の攻撃をかわし、その懐へ飛び込む。
機体を包むフィールドが、敵の攻撃を弾いた。
「……今です!」
Eユニットから、一本のアンカーが射出された。
金属製の先端が六連の装甲へ突き刺さる。
接続確認。
少女の意識へ、膨大な情報が流れ込んできた。
「……入れた!」
六連の内部制御系統。
その奥にある、三機を結ぶ戦術ネットワーク。
少女は接続した一機を足がかりに、残る二機へも侵入を試みた。
当然、抵抗があった。
防壁が次々と立ち上がり、不正な信号を遮断しようとする。
少女は歯を食いしばった。
ユーチャリスのウズメなら、もっと効率よく処理できたかもしれない。
しかし、今ここにいるのは自分一人だった。
限られた演算能力。
限られた時間。
少女は、施設への妨害を維持するために必要な処理だけを残し、残る能力を六連の制御系統へ振り向けた。
「……お願い、もう少し……!」
三機の間で交わされる制御信号を解析する。
姿勢制御。
推進器の出力調整。
フィールドの展開指示。
その中に、三機が共有する制御手順を見つけた。
少女は、偽装した信号を送り込んだ。
一機。
二機。
そして、三機目。
「……止まって!」
少女の叫びとともに、六連の動きが乱れた。
先頭の一機が、唐突に姿勢を崩す。
残る二機も推進器の出力が不安定になり、空間に縫い止められたように停止した。
ディストーションフィールドの出力が、次々と低下していく。
「……アキトさん! 今です!」
『……了解!』
ブラックサレナが機体を翻した。
Eユニットのマイクロミサイルポッドが開く。
無数の小型ミサイルが放たれ、動きを止めた六連へ殺到した。
閃光。
続けざまに、三つの爆発が起こる。
砕け散った装甲が、整備区画の壁面へ叩きつけられた。
少女は、機体の状態を確認した。
敵機、三機とも機能停止。
撃破。
「……やった……!」
思わず声が漏れた。
アキトの戦闘を、自分の力で支援できた。
少女は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……アキトさん、三機とも撃破しました!」
『……ああ』
アキトの返事は、いつもどおり短かった。
けれど、少女にはそれだけで十分だった。
施設への侵入経路も、まだ完全には失われていない。
ユリカの移送は、停止したままだった。
今なら。
今なら、間に合うかもしれない。
少女がそう思ったときだった。
『…………』
アキトが、何かを考えるように沈黙した。
「……アキトさん?」
『……おかしい』
「……え?」
『……三機だけか?』
少女は、思わずセンサー情報を確認した。
反応はない。
少なくとも、周辺に新たな敵機は確認できなかった。
「……今のところ、ほかに反応は……」
そこで言葉が途切れた。
警告。
空間歪曲反応。
ボソンジャンプ。
「……っ!?」
施設内部の整備空洞。
ブラックサレナの至近距離に、青白い光が走った。
次の瞬間。
光の中から、一機の機動兵器が飛び出してきた。
『……避けろ!』
アキトの叫び。
漆黒の機体が急激に姿勢を変える。
しかし、間に合わなかった。
出現した機体は、迷うことなくブラックサレナの背部へ飛び込んできた。
夜天光。
北辰の機体だった。
「……っ!」
少女の視界を、激しい閃光が埋め尽くした。
凄まじい衝撃。
機体が大きく揺さぶられる。
警告音が一斉に鳴り響いた。
Eユニットの装甲が引き裂かれ、コックピット近くの通信設備が破壊される。
「……きゃあっ!」
少女は悲鳴を上げた。
視界が乱れる。
通信回線、接続不能。
外部センサー、部分損傷。
重力波通信装置、機能停止。
それまで維持していた施設への侵入経路が、次々と途絶えていった。
さらに。
整備区画の奥にある隔壁が開いた。
三つの機影が姿を現す。
六連。
先ほど撃破した三機とは別の、残る三機だった。
最初の三機。あれは、こちらの電子戦能力を見極めるための先遣隊だったのか。
あるいは、最初から夜天光による奇襲を成功させるための囮だったのか。
どちらにせよ、敵は少女が六連の制御に集中した瞬間を狙っていた。
そして、最も重要な通信装置を、正確に破壊したのだ。
*
『……おい! 聞こえるか!』
アキトは通信機へ呼びかけた。
『……返事をしろ!』
応答はなかった。
ブラックサレナに装着されているEユニットが激しく火花を散らしている。
ユニットのコックピット付近の装甲が大きく損傷し、通信装置は完全に沈黙していた。
アキトは機体の診断システムを呼び出した。
Eユニットの通信系統、機能停止。
推進系、一部損傷。
生命維持装置、状態不明。
少女の生体情報も取得できなかった。
「……くそっ!」
生きているのか。
意識はあるのか。
それすら、わからない。
その間にも、施設内部では警報が鳴り響いていた。
少女が停止させていた搬送設備は、すでに復旧を始めている。
ユリカの緊急移送が再開されようとしていた。
今なら、まだ間に合うかもしれない。
だが、その行く手には三機の六連。
そして、夜天光。
北辰の機体が、再びこちらへ向き直った。
次の瞬間、夜天光が急加速する。
狙いは、またしても背部のEユニットだった。
「……っ!」
アキトは咄嗟に機体を翻した。
夜天光の攻撃が装甲をかすめ、激しい衝撃が走る。
さらに六連が散開し、ブラックサレナを包囲するように接近してきた。
アキトは、奥歯を噛みしめた。
このままでは、突破できない。
損傷したEユニットを抱えたまま、夜天光と六連を振り切ることは難しい。
まして、少女の安否もわからない。
ここで戦い続ければ、二人ともやられる。
アキトの脳裏に、撤退の二文字が浮かんだ。
アキトがそう決意しかけた、そのときだった。
突然、警告音が鳴り響いた。
Eユニット側から、分離要求。
「……何!?」
アキトが反応するより早く、固定装置が解除された。
ブラックサレナ本体が、Eユニットから切り離される。
そして。
分離したEユニットが、残存するクラスターを一斉に噴射した。
損傷した巨体が、猛烈な勢いで加速する。
向かってくる夜天光へ、真正面から突っ込んでいった。
『……何っ!?』
北辰が声を上げた。
激しい衝撃。
Eユニットは夜天光を巻き込み、そのまま整備区画の隔壁へ突進する。
轟音とともに、分厚い装甲壁がひしゃげた。
しかし、少女は推力を緩めなかった。
ディストーションフィールド、展開。青白い障壁が、ユニットを包み込むように形成された。
背後には隔壁。前方には、Eユニット。
夜天光は、その間に押し込められていた。
『……小賢しい真似を!』
北辰が機体を動かそうとする。
しかし、少女は残されたクラスターの出力を上げた。
フィールドが軋み、Eユニットの損傷警告が次々と表示される。
そのとき。
『……アキトさん!』
雑音混じりの通信が入った。
「……っ! 無事なのか!?」
『……はい! まだ動けます!』
少女の声だった。
アキトは、思わず息を吐いた。
生きていた。
少女は、まだ生きていた。
『……アキトさん! 今のうちに行ってください!』
「……待て! お前はどうする!」
『……ここは私が押さえます! 早くユリカさんのところへ!』
アキトは、目の前の光景を見つめた。
夜天光を隔壁に押し付けたまま、懸命に推力を維持するEユニット。
その機体が、どれほどの損傷を受けているのか。彼には、よくわかっていた。
「……無茶だ! そのままじゃ、お前まで……!」
『……アキト!』
少女の声が響いた。
『……お願いです。ユリカさんを、助けてあげてください!』
「…………」
ようやく見つけたユリカ。
ずっと探し続けてきた、その人がすぐ近くにいる。
だが、少女を残していけばどうなる。
彼女まで失ってしまうのではないか。
アキトは、操縦桿を握りしめた。
『……私、アキトさんの役に立ちたかったんです』
少女は、静かに告げた。
『……だから、行ってください』
夜天光が激しく抵抗する。
フィールドが、不安定に揺らいだ。破損したユニットの出力は、もう長くは持たない。
『……早く!』
アキトは、奥歯を噛みしめた。
「……すまない」
ブラックサレナが加速する。
少女は、その背中を見送った。
*
『……おやおや。ずいぶんと健気なことだ』
突然、通信が割り込んだ。
聞き覚えのある、不快な声。
北辰だった。
『……偽物を置いて、本物を選んだわけだ』
「…………っ!」
少女は、思わず唇を噛んだ。
違う。
アキトは、最後まで自分を心配してくれていた。
自分が、行ってほしいと頼んだのだ。
それなのに、胸の奥が痛んだ。
『……所詮、代用品は代用品ということか』
「……違います」
少女は、小さく答えた。
「……私が、お願いしたんです」
『……ほう』
「……アキトさんには、ユリカさんを助けてほしいから」
北辰は、しばらく黙っていた。
やがて、愉快そうに笑った。
『……なるほど。自ら捨て駒を買って出たか。己が代用品であることを、よく弁えておるようだ』
少女は、それ以上答えなかった。
自分が何を言おうと、この男は嘲笑うだけだろう。
アキトを送り出したことに、後悔はない。
それでも、胸の痛みまでは消せなかった。
少女は、その感情を押し殺し、目の前の敵へ意識を戻した。
目の前には、隔壁へ押し付けられた夜天光。
Eユニットのクラスターが唸りを上げ、ディストーションフィールドが青白く輝いている。
しかし、夜天光はなおも激しく抵抗していた。
『……この程度で、我が夜天光を封じられるとでも思ったか』
機体を通じて、凄まじい振動が伝わってくる。
フィールド出力が低下し、推進器の過負荷を知らせる警告が次々と表示された。
「……っ!」
少女は歯を食いしばり、クラスターの出力を引き上げた。
夜天光が、再び隔壁へ押し付けられる。
分厚い装甲壁が軋み、周囲に亀裂が走った。
それでも、北辰の機体は止まらない。
この拘束も、長くは持たないだろう。
少女は、残されたセンサーを確認した。
ブラックサレナは、施設の中心部へ向かっている。
だが、その後方には三つの機影があった。
六連。
残る三機が、アキトを追おうとしていた。
「……させない!」
少女は、Eユニットの火器管制を起動した。
残存するマイクロミサイル。
照準を、六連から外す。
狙うのは、ブラックサレナが通過した後の搬送通路だった。
少女は、施設図面を呼び出した。
通路の入口を支える構造材。
非常用の隔壁。
その周囲に、照準を集中させる。
すでにブラックサレナは、その先へ進んでいる。
今なら、通路を塞いでもアキトの進路を妨げることはない。
マイクロミサイルが、一斉に放たれた。
小さな光の群れが、搬送通路の入口へ殺到する。
連続する爆発。
隔壁の周囲に亀裂が走り、支柱が吹き飛んだ。
さらに、天井の構造材が崩れ落ちる。
轟音とともに、巨大な破片が通路へなだれ込んだ。
六連が進路を変える。
一機が瓦礫を排除しようとするが、その奥でも隔壁が落下し、搬送経路は完全に塞がれていた。
もちろん、これで敵を永久に足止めできるわけではない。
六連ほどの機体なら、時間をかければ瓦礫を突破することもできるだろう。
別の経路を探すことも考えられる。
それでも、今は。
少しでも、時間を稼げればよかった。
「……よかった……」
少女は、小さく息を吐いた。
ブラックサレナの反応が、施設中心部へ遠ざかっていく。
アキトは、まだ進んでいる。
ユリカのもとへ。
その事実だけが、少女を支えていた。
直後。
凄まじい衝撃が、Eユニットを襲った。
「……っ!」
夜天光が拘束を振りほどこうと、その拳をEユニットの装甲へ叩きつけた。
さらに、六連が放った錫杖がフィールドを貫き、ユニットに突き刺さる。
夜天光の推力が増し、Eユニットがじりじりと押し返されていく。
青白い障壁が激しく揺らぎ、警告音が一斉に鳴り響いた。
フィールド出力、低下。
クラスター推力、限界。
機体各部に深刻な損傷。
少女は、必死に制御を維持した。
夜天光を逃がしてはならない。
少なくとも、アキトが十分に遠ざかるまでは。
残された機体の状態を確認する。
もう、ほとんど余力はなかった。
それでも。
少女は、遠ざかるブラックサレナの反応を見つめた。
アキトさん。
どうか、間に合って。
*
一方、アキトは施設の中心部へ向かっていた。
ブラックサレナが、狭い搬送通路を疾走する。
少女から送られた施設図面を頼りに、次々と隔壁を突破していく。
Eユニットを切り離したことで、機体は本来の機動性を取り戻していた。
だが、その軽さが今は妙に落ち着かなかった。
先ほどまで背部にあった巨大なユニットがない。
その中にいた少女も。
「…………」
アキトは、通信機へ目を向けた。
非常通信の接続は、すでに途絶えている。
分離したEユニットの状態を確認しようとしても、応答はなかった。
だが、今は戻れない。
少女が、自分を送り出したのだ。
アキトは、操縦桿を握りしめた。
そのとき。
機体の後方から、激しい振動が伝わってきた。
「……っ!」
警告表示。
後方の搬送通路で、大規模な構造物の崩落が発生している。
アキトは、反射的に後方センサーを確認した。
通路が、瓦礫で塞がれていた。
複数の爆発反応。
Eユニットのマイクロミサイルによるものらしい。
「……あいつ……」
少女が、追撃を阻止している。
アキトは、それを理解した。
六連が追ってこないのも、彼女が通路を塞いでくれたからだろう。
その隙に、先へ進まなければならない。
ブラックサレナが、さらに加速する。
ユリカの収容区画は、もう近い。
あと少し。
あと少しで、たどり着ける。
アキトは、前方の隔壁へ機体を向けた。
その瞬間だった。
後方センサーが、異常なエネルギー反応を捉えた。
直後。
大きな衝撃が施設全体を揺さぶった。
「……っ!?」
後方の整備区画から、猛烈な爆発反応が検出されていた。
通常のミサイルによるものではない。
施設の設備が誘爆したのか。
それとも。
「…………!」
嫌な予感が、脳裏をよぎった。
Eユニット。
その機体には、秘密保持のための自爆装置が搭載されている。
敵に鹵獲された場合、内部の電子戦装備や機密情報を消去するための最終手段だった。
まさか。
あいつ、自爆装置を……。
「……おい……!」
アキトは、通信機へ呼びかけた。
「……聞こえるか!」
返事はなかった。
後方のセンサーには、爆発によって生じた大量の破片と、乱れたエネルギー反応が映し出されている。
Eユニットの識別信号は、確認できない。
少女の生体情報も、依然として取得できなかった。
「……くそっ……!」
アキトは、思わず機体を反転させかけた。
しかし、その手が止まった。
戻って、どうする。
搬送通路は、すでに崩落している。
別の経路から戻ったとしても、少女がそこにいるとは限らない。
何より。
ユリカの移送は、今この瞬間にも進んでいる。
『……お願いです。ユリカさんを、助けてあげてください』
あの声が、耳の奥に蘇った。
少女は、自分を送り出した。
危険を承知で、夜天光を引き受けた。
その意味を、無駄にするわけにはいかなかった。
「…………」
アキトは、奥歯を噛みしめた。
「……必ず、戻る」
誰に向けた言葉だったのか、自分でもわからなかった。
ブラックサレナが、再び加速する。
背後の爆発を振り切るように。
ユリカの待つ、施設の奥へ。
*
最後の隔壁が、目の前に迫った。
ブラックサレナが突進する。
ディストーションフィールドが展開され、分厚い装甲壁を力任せに押し破った。
轟音。
無数の破片が飛び散る。
その向こうに、巨大な移送区画が広がっていた。
中央には、ジャンプゲート。
その周囲を取り囲む搬送設備。
少女が発見したユリカの収容区画に、間違いなかった。
「……ユリカ!」
アキトは、必死に視線を走らせた。
コールドスリープ装置。
生命維持装置。
搬送ポッド。
少女が送ってくれた情報を頼りに、その姿を探す。
だが。
どこにも、見当たらなかった。
「…………」
搬送レールの先には、空になった接続架台が残されている。
周囲の作業機械が、ゆっくりと停止していた。
ジャンプゲートを満たしていた光も、すでに収束し始めている。
アキトは、監視装置の表示へ目を向けた。
移送完了。
その文字が、無機質に点滅していた。
「…………」
間に合わなかった。
つい先ほどまで、ユリカはここにいた。
少女が見つけてくれた。
移送を止めてくれた。
自分を、ここまで送り届けてくれた。
それなのに。
「……くそ……」
掠れた声が漏れた。
アキトは、空になった搬送設備を見つめた。
確かに、ここにいたのだ。
ずっと探し続けてきたユリカが。
手を伸ばせば届くところまで、来ていた。
「……くそっ……!」
操縦桿を握る手に、力がこもる。
また、救えなかった。
ようやく見つけたと思ったのに。
再び、奪われた。
アキトは、しばらく動けなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
通信機へ、目を向けた。
「……おい」
返事はない。
「……聞こえているか」
沈黙。
何度呼びかけても、少女の声は聞こえなかった。
アキトは、先ほどの爆発を思い出した。
大きなエネルギー反応。
途絶えた識別信号。
Eユニットの自爆装置。
そして、少女の最後の言葉。
「…………」
アキトは、目を閉じた。
ユリカは、救えなかった。
少女も、どうなったのかわからない。
自分は、何のために。
何のために、あいつを置いてきた。
「……頼む……」
誰に祈っているのかも、わからなかった。
「……生きていてくれ……」
通信機は、沈黙したままだった。
そのときだった。
施設全体に、けたたましい警報が鳴り響いた。
赤い警告灯が一斉に点滅し、移送区画の照明が非常灯へと切り替わる。
『警告。施設自爆シーケンス、起動』
「……何?」
ブラックサレナのモニターに警告が出現する。アキトは、反射的に周囲を見渡した。
中央のモニターには、施設各所の隔壁が閉鎖されていく様子が映し出されていた。
さらに、動力炉の出力が急激に上昇している。
施設の自爆装置。
ユリカを移送した後、研究施設そのものを消し去るつもりなのだ。
「……証拠隠滅か!」
アキトは舌打ちした。
ここには、まだユリカに関する情報が残されているかもしれない。
火星の後継者の研究記録も。
少女の出生に関わる資料も。
だが、それらを調べている時間はなかった。
施設のあちこちで、小さな爆発が始まっていた。
床が震え、天井から破片が落下する。
ブラックサレナのセンサーが、急激なエネルギー上昇を捉えた。
このまま留まれば、機体ごと吹き飛ばされる。
「……くそっ!」
アキトは、もう一度だけ通信を開いた。
「……聞こえるか!」
返事はない。
少女の識別信号も、確認できなかった。
アキトは、唇を噛みしめた。
戻りたい。
あの爆発のあった場所へ。
少女が、最後まで戦っていた場所へ。
だが、崩壊した搬送通路を通って戻ることはできない。
まして、施設全体が自爆しようとしている。
ここに残っても、何もできない。
「……すまない」
誰に向けた謝罪だったのか。
自分でも、わからなかった。
ブラックサレナのジャンプシステムを起動する。
目的地は、月面ネルガルドック。
機体の周囲に、青白い光が広がっていく。
その向こうで、施設の隔壁が次々と崩壊していた。
アキトは、最後まで通信機を見つめていた。
だが、少女の声は聞こえなかった。
そして。
ブラックサレナは、光の中へ消えた。
*
月面ネルガルドック。
青白い光が収束し、漆黒の機体が姿を現した。
だが、接続されていたはずの大型電子戦ユニットは、失われていた。
『ブラックサレナ、帰還を確認!』
管制室に、オペレーターの声が響いた。
『機体に損傷あり。Eユニットは確認できません!』
整備区画にいたエリナが、顔を上げた。
「……何ですって?」
モニターに映し出されたブラックサレナ。
その姿を見た瞬間、エリナの表情が強張った。
「……あの子は?」
*
着艦したブラックサレナのコックピットが開いた。
アキトは、整備員の制止も聞かずに機体から降りた。
ヘルメットを脱ぎ捨てると、近くの管制端末へ歩み寄る。
「……Eユニットの反応は」
「現在、確認できていません」
「……ジャンプ反応は?」
「こちらで捕捉できたのは、テンカワさんの帰還反応だけです」
「…………」
アキトは、端末の画面を見つめた。
周辺空域の監視情報。
ボソンジャンプの観測記録。
いずれにも、少女の反応はなかった。
「……もう一度、確認してくれ」
「……はい」
オペレーターが、再び端末を操作する。
アキトは、その指先を見つめていた。
検索が終わる。
結果は、変わらなかった。
「……該当する反応はありません」
「…………」
アキトは、何も答えなかった。
画面には、自分が帰還した際のジャンプ反応だけが表示されている。
ほかには、何もない。
通信機へ手を伸ばす。
少女との非常通信に使った周波数。
あの最後の通信が聞こえた回線だった。
「……聞こえるか」
応答はない。
アキトは、周波数を確認した。
間違っていない。
もう一度、呼びかける。
「……応答しろ」
雑音すら返ってこなかった。
アキトは通信機を置いた。
そして、また管制端末へ視線を戻した。
そのとき。
「……アキト君!」
背後から、エリナの声がした。
振り返ると、彼女が足早に近づいてくるところだった。
「……あの子は?」
「…………」
「……Eユニットはどうしたの?」
アキトは、しばらく黙っていた。
「……あそこにユリカがいた。だが北辰の奇襲があった」
エリナが息を呑む。
「……あいつがEユニットを分離して、敵を引き受けた」
「……それで?」
「……俺は、ユリカを探しに行った」
アキトは、わずかに視線を落とした。
「……その途中で、大きな爆発があった」
「…………!」
「……Eユニットの自爆かもしれない」
エリナの顔から、血の気が引いた。
あの装備に自爆機構が組み込まれていることを、彼女も知っていた。
電子戦装備や機密情報が敵の手に渡るのを防ぐための、最後の手段。
それが起動されたのだとしたら。
「……あの子は、ジャンプできるはずよね?」
「……ああ」
「……だったら……」
エリナは、そこで言葉を切った。
アキトは何も答えなかった。
自分に言い聞かせるような言葉など、今は聞きたくなかった。
ただ、事実が欲しかった。
生きているのか。
帰ってくるのか。
それだけを知りたかった。
「……捜索を続けて」
エリナは、管制員へ向き直った。
「ジャンプ反応も、通信も、見落としがないか全部調べ直して」
「了解しました!」
管制室が慌ただしく動き始める。
アキトは、再び画面へ目を向けた。
何度も、何度も。
新しい反応が現れるのを待った。
*
どれほど経っただろう。
管制室の時計は、確かに時を刻んでいる。
だが、アキトには、その針がほとんど動いていないように思えた。
視線は、モニターから離れなかった。
時折、通信機へ手を伸ばす。
けれど、呼びかけても返事はない。
あの爆発。
施設の奥へ向かっていたブラックサレナを、大きく揺さぶった衝撃。
後方センサーを埋め尽くした、猛烈なエネルギー反応。
途絶えた識別信号。
アキトは、右手を見下ろした。
手袋に覆われた指先。
その手が、わずかに震えている。
脳裏に、少女の姿が浮かんだ。
初めて出会った、月面医療施設の病室。
自分と同じように、ナノマシンの光を宿した身体。
怯えた金色の瞳。
あのとき、自分は彼女をユリカの代用品としてしか見られなかった。
いや。
代用品であることさえ、許せなかった。
なのに、あの少女は。
不器用な料理を作り、何度も失敗して。
それでも諦めずに、自分へ近づこうとしていた。
ようやく少しずつ、言葉を交わせるようになった。
同じ食卓を囲むようになった。
そして、同じ戦場へ出るようになった。
『……お願いです。ユリカさんを、助けてあげてください』
あの声が、耳の奥に残っている。
アキトは、目を閉じた。
ユリカ。
あのときも、届かなかった。
守れなかった。
自分の手から、すべてが失われていった。
もう二度と。
そう思って、アキトは目を開いた。
モニターに、新しい反応はなかった。
アキトは、無言のまま通信機を握り直した。
*
「……待ってください!」
管制員の声が響いた。
アキトが顔を上げる。
「……ドック内に、ボース粒子反応!」
エリナが振り向いた。
「……何ですって?」
「座標、整備区画内!ジャンプアウトです!」
次の瞬間。
整備区画の一角に、青白い光が広がった。
空間が揺らぐ。
光の粒子が渦を巻き、徐々に人の形を作り始める。
アキトは、すでに走り出していた。
整備員たちが振り返る。
その間を抜け、光の発生している区画へ向かう。
やがて。
光の中から、一人の少女が現れた。
耐Gスーツ。ヘルメット。
少女は、ふらつきながら床へ足をつき、その場にへたり込む。
ゆっくりと周囲を見渡す。
並んだ整備機材。
月面ドックの見慣れた天井。
そして、こちらへ駆け寄ってくる人影。
「……あ」
少女が顔を上げた。
「……アキトさん!」
その声が聞こえた瞬間、アキトの足が一瞬もつれた。
それでも、すぐに駆け寄った。
少女の目の前で足を止める。
「…………」
何かを言おうとした。
だが、言葉は出てこなかった。
少女は、不思議そうに彼を見上げた。
「……アキトさん?」
アキトは、ただ少女を見つめていた。
耐Gスーツには、ところどころ焦げたような跡が残っている。
ヘルメットの表面にも、細かな傷が走っていた。
それでも、少女は自分の足でゆっくりと立ち上がった。
アキトは、少女の肩へ視線を移した。
腕。
胸元。
脚。
どこかに、ひどい怪我を負っていないか。
確かめるように、その姿を目で追った。
少女は、そんな彼の様子に気づいたらしい。
「……あの、大丈夫ですよ?」
少女は、小さく両手を広げてみせた。
「……少し疲れましたけど、怪我はしていません」
「…………」
アキトは、ゆっくりと息を吐いた。
強張っていた肩から、わずかに力が抜ける。
しかし、まだ少女から目を離そうとしなかった。
少女は、少し困ったように首を傾げた。
「……アキトさん?」
そのとき、エリナが駆け寄ってきた。
「……ちょっと、あなた!」
少女が振り返る。
「……エリナさん!」
「……まったく、もう……!」
エリナは、少女の顔を見つめた。
何かを言いかけ、結局、深く息を吐く。
「……怪我は?」
「……大丈夫です」
「……本当に?」
「……はい」
エリナは、少女の肩にそっと手を置いた。
それから、もう一度その姿を見下ろした。
「……あとで、イネス先生にちゃんと診てもらうのよ」
「……はい」
その声はやや涙ぐんでいるように聞こえる。少女は、素直に頷いた。
そして、思い出したように自分のヘルメットへ手をかけた。
留め具を外し、ゆっくりと脱ぐ。
長い黒銀の髪が、肩へこぼれ落ちた。
その髪には、出撃前にエリナが贈った青いバンスクリップが留められていた。
「……そうだ」
「……これ、エリナさんがくれたんです」
アキトが、少女の髪へ目を向けた。
「……それは……」
「……CCです」
よくある樹脂製ではなく、CCをそのまま成型して作られたクリップを指さし、少女は、少しだけ微笑んだ。
「……緊急時に使えるようにって、持たせてくれたんです」
アキトはその用途を、すぐに理解した。
少女はA級ジャンパーだ。自分の能力でジャンプすることができる。だが、機体の支援を失った状況で、安全に帰還できるとは限らない。
普段から身に着けられるようなものを贈ったのは、そのためだった。
「……エリナさん、ありがとうございました」
少女が頭を下げる。
「……お礼なんか、いいわよ」
少女は、少し首を傾げた。
「……無事に戻ってきてくれたなら、それで……」
*
少女は、再びアキトへ向き直った。
「……アキトさん」
「…………」
アキトは、答えなかった。
その視線は、少女の顔に向けられていた。
少女は、少しためらった。
聞かなければならないことがあった。
けれど。
今のアキトの表情を見ると、その答えを聞くのが怖かった。
「……ユリカさんは……?」
アキトの目が、わずかに伏せられた。
「…………」
その反応だけで、少女は理解しかけていた。
やがて、アキトが口を開いた。
「……間に合わなかった」
短い言葉だった。
「……移送された後だった」
「…………」
少女は、俯いた。
あと少し。
本当に、あと少しだったのに。
今度こそ、救えると思った。
自分が施設のシステムを止めたとき。
アキトが、ユリカのいる区画へ向かっていったとき。
あの人の願いが、ようやく叶うのだと思った。
けれど。
「……そう、ですか……」
少女は、小さく答えた。
アキトは、何も言わなかった。
少女も、それ以上は尋ねなかった。
しばらく、二人は向かい合ったまま立っていた。
やがて、アキトが右手を持ち上げた。
少女の肩へ。
あるいは、その髪へ。
触れようとして。
その手が止まった。
「…………」
少女は、伸ばされた手を見つめた。
アキトの指先が、わずかに動く。
だが、それ以上は近づいてこなかった。
そして、ゆっくりと引かれようとする。
少女は、はっとした。
あの病室。
初めてアキトと出会った日のこと。
自分の首へ伸びてきた手。
息ができなくなり、恐怖に身を強張らせた記憶。
今も、完全に忘れたわけではない。
けれど。
目の前にいるアキトは、あのときとは違っていた。
少女は、一歩近づいた。
そして、引かれかけた彼の手を、そっと取った。
「…………」
アキトが顔を上げる。
少女は、その手を両手で包み込んだ。
耐Gスーツの手袋越しに、彼の手の大きさが伝わってくる。
「……ほら」
少女は、小さく微笑んだ。
「……私、大丈夫です」
アキトは、少女の手を見つめていた。
そのまま、しばらく動かなかった。
やがて。
ゆっくりと、指が動いた。
少女の手を、握り返す。
強くはなかった。
けれど、離すこともなかった。
少女は、少しだけ目を細めた。
その手を、もう少しだけ握っていたいと思った。
*
月面ネルガル医療施設。
「……うん。大きな異常はなさそうね」
イネスは、検査結果を確認して頷いた。
診察台に腰掛けていた少女が、ほっと息を吐く。
「……よかったです」
「よかった、じゃないわよ。ずいぶん無茶をしたそうじゃない」
「……すみません」
「まあ、帰ってこられたんだから、今回はそれでよしとしましょうか」
イネスは、小さく肩をすくめた。
「ただし、しばらくは安静にすること。疲労もあるし、IFS同期レベルを上げて無茶をしたみたいだしね」
「……はい」
少女は、素直に頷いた。
イネスは端末を操作し、別の記録を表示した。
「それと、少し気になることがあるの」
「……何ですか?」
「あなたのボソンジャンプについてよ」
少女は首を傾げた。
「……ジャンプ、ですか?」
「ええ。あなた、Eユニットが爆発する直前に、月面ドックを目指してジャンプしたのよね?」
「……はい」
「そのとき、ジャンプ先のイメージはどうしたの?」
少女は、少し考え込んだ。
「……いつも通り、出発前のドックをイメージしました」
「……そう」
「……何か、問題があったんですか?」
イネスは、画面を切り替えた。
そこには、二つのジャンプ反応の記録が表示されていた。
「あなた、自分のジャンプにタイムラグがあったことに気づいている?」
「……え?」
少女は、目を丸くした。
「……そうだったんですか?」
「ええ」
イネスは、頷いた。
「アキト君が施設から脱出した時点で、あなたのEユニットはすでに爆発していたはずなの。それなのに、月面ドックへ帰還したのはアキト君の方が先だった」
「…………」
少女は、画面を見つめた。
自分がジャンプしたときには、特に異常を感じなかった。
いつもと同じように、目的地を思い浮かべた。
そして、次に気づいたときには月面ドックにいた。
その間に、何かが起きたような感覚はなかった。
「……未来にジャンプしていた?」
「おそらくね」
イネスは、表示されたデータを指し示した。
「ボソンジャンプは、空間だけでなく時間座標も関わる現象なの。通常は出発時刻と到着時刻のずれをできるだけ小さくするように制御するけれど、今回はかなり特殊な状況だったでしょう?」
「……はい」
「機体の支援も失われていたし、周囲では大きな爆発が起きていた。CCを使用した緊急ジャンプだったことも影響したのかもしれないわ」
少女は、静かに頷いた。
「……なるほど」
「ただし、これは推測よ。Eユニットの記録も失われているから、何が直接の原因だったのかまではわからないわ」
イネスは、画面を閉じた。
「少なくとも、あなたが意図して時間をずらしたわけではない。それに、到着地点も正確だった。そこは評価していいと思うわ」
「……はい」
少女は、少し安心したように微笑んだ。
けれど。
ふと、あることに気づいた。
「……あの、イネス先生」
「何かしら?」
「……私は、アキトさんより後に帰ってきたんですよね?」
「……ええ」
「……どれくらい、後だったんですか?」
イネスは、記録を確認して答えた。
「……10分ほどね」
「……そう、ですか……」
少女は、俯いた。
ほんの短い時間だった。
けれど、帰還したときのアキトの顔が、脳裏に浮かんだ。
駆け寄ってきた姿。
何も言わずに、自分を見つめていた瞳。
伸ばしかけて、途中で止まった手。
あのときは、どうしてそんな顔をしているのか、よくわからなかった。
自分は、無事に帰ってこられたのだから。
けれど。
アキトにとっては、そうではなかったのかもしれない。
あの爆発。
途絶えた通信。
そして、いつまで経っても戻ってこない自分。
少女は、膝の上に置いた手を見つめた。
「……先生」
「……何?」
「……アキトさん、私のこと……」
そこまで言って、口をつぐんだ。
何を聞こうとしていたのだろう。
心配してくれていたか。
自分が死んだと思っていたか。
そんなことを聞いて、どうするのだろう。
少女は、小さく首を振った。
「……いえ、何でもありません」
イネスは、しばらく少女を見つめていた。
それから、静かに口を開いた。
「……あの子は、あなたが戻ってくるまで、ずっと管制室にいたそうよ」
「…………」
「何度も通信を試して、ジャンプ反応を確認していたって」
少女は、顔を上げた。
イネスは、それ以上何も言わなかった。
少女も、尋ねなかった。
ただ、診察台に座ったまま、自分の手を見つめていた。
月面ドックで、アキトが握り返してくれた手。
その感触が、まだ残っているような気がした。
「…………」
少女は、ゆっくりと指を閉じた。
あの人のために、何かをしたかった。
少しでも役に立ちたかった。
だから、一緒に戦った。
ユリカを救うために、自分の意思でアキトを送り出した。
そのことに、後悔はなかった。
けれど。
自分が帰ってこなかった間、アキトが何を思っていたのか。
そのことを、少女は初めて考えていた。
「……イネス先生」
「……何かしら?」
「……アキトさんは、今……?」
イネスは、少女を見つめた。
「……自室に戻っているはずよ。あなたと同じく、アキト君にも休息が必要だから」
「……そうですか」
少女は、小さく頷いた。
しばらく、考え込む。
それから、そっと顔を上げた。
「……先生」
「……何?」
「……私、もう少ししたら、アキトさんに会いに行ってもいいですか?」
イネスは、少しだけ目を細めた。
「……まずは、ちゃんと休んでからね」
「……はい」
少女は、素直に答えた。
そして、膝の上に置いた手を、もう一度見つめた。
あの人は、ユリカを救えなかった。
自分が帰ってきたことで、その悲しみが消えるわけではない。
けれど。
それでも、自分にできることがあるのなら。
今度は、戦場ではなく。
あの人のそばで。
少女は、静かに目を閉じた。
*
月面ネルガル施設、居住区。
アキトは、自室の机に向かっていた。
端末には、先日の作戦で得られた情報が表示されている。
火星の後継者の研究施設。
特殊な生命維持装置。
そして、ミスマル・ユリカの生体情報。
少女が命がけで持ち帰った記録だった。
ユリカは生きていた。
それだけは、間違いなかった。
だが、どこへ移送されたのかはわからない。
施設は自爆し、移送先の情報は失われてしまった。
アキトは、何度目かもわからない照合作業を終えた。
結果は、変わらない。
「…………」
端末を閉じる。
静かな部屋だった。
必要最低限の家具。
机の上には、戦術資料と整備記録。
片隅には、開封されたままの栄養補助食品が置かれている。
机の端に、小さな写真立てが置かれていた。
ナデシコの食堂で撮られた、古い写真。
ユリカが、満面の笑みを浮かべている。
アキトは、その写真へ目を向けた。
「……ユリカ」
小さく名前を呼ぶ。
返事はなかった。
もう少しだった。
あと少しで、救い出せたはずだった。
あのとき、少女を残して迷わず進んでいれば。
いや。
そもそも、自分がもっと早く夜天光に対処できていれば。
少女に、あんな無茶をさせずに済んだ。
ユリカも、救えたかもしれない。
アキトは、右手を見下ろした。
月面ドックで、少女が握り返してくれた手。
あの小さな温もりが、まだ残っているような気がした。
あいつは、生きて帰ってきた。
イネスからも、身体に大きな異常はないと聞いている。
それなのに。
自分から、会いに行くことができなかった。
どんな顔をすればいいのか、わからなかった。
礼を言うべきなのか。
謝るべきなのか。
それとも、二度とあんな真似をするなと叱るべきなのか。
アキトは、深く息を吐いた。
そのとき。
部屋の呼び出し音が鳴った。
「…………」
アキトは、端末へ視線を向けた。
来訪者の名前は、表示されていない。
少し迷ってから、通話を開く。
「……誰だ」
『……あの、私です』
聞き覚えのある声だった。
『……少しだけ、お話しできますか?』
アキトは、返事をしなかった。
少女。
あの作戦から帰還して以来、まともに言葉を交わしていない。
『……アキトさん?』
「……身体は、もういいのか」
『……はい。イネス先生にも、もう大丈夫だと言われました』
「……そうか」
短い沈黙。
アキトは、閉じた端末へ目を向けた。
机の上には、ユリカの写真。
その隣には、少女が持ち帰った研究施設の記録。
しばらく考えてから、アキトは扉の開閉装置を操作した。
「……入れ」
『……はい』
*
扉が開く。
少女は、少しためらうように入口に立っていた。
いつもの白い服。
長い黒銀の髪は、今は下ろされていた。
「……こんばんは、アキトさん」
「……ああ」
少女は、ゆっくりと部屋へ入った。
以前、料理を持って訪ねてきたときと、ほとんど変わらない部屋だった。
ただ、机の上の資料だけが増えている。
そして、その端には。
「…………」
少女は、写真立てに気づいた。
ユリカの写真。
彼女が笑っている。
自分と、よく似た顔で。
少女は、そっと視線を逸らした。
「……あの」
アキトが顔を上げる。
「……何だ」
「……お邪魔でしたか?」
「……いや」
アキトは、椅子を引いた。
「……座れ」
「……はい」
少女は、勧められた椅子に腰を下ろした。
向かい合って座る。
けれど、何を話せばいいのかわからなかった。
少女は、膝の上で手を重ねた。
アキトも、何も言わない。
静かな時間が流れた。
やがて、少女が口を開いた。
「……アキトさん」
「……何だ」
「……ユリカさんのこと、何かわかりましたか?」
「…………」
アキトは、首を横に振った。
「……まだだ」
「……そう、ですか」
少女は、俯いた。
あの日。
施設のシステムに侵入して、ユリカの生存を確認したとき。
本当に嬉しかった。
これで、アキトの願いが叶うのだと思った。
けれど、結局は救えなかった。
自分がもっと早くシステムを掌握できていれば。
もっと上手に六連を止められていれば。
夜天光に気づいていれば。
そんな考えが、頭の中を巡る。
「……ごめんなさい」
少女は、小さく呟いた。
アキトが顔を上げた。
「……何を謝る」
「……私、もっと上手くできていたら……」
「……やめろ」
低い声だった。
少女は、口をつぐんだ。
「……お前のせいじゃない」
「……でも」
「……あのとき、お前がいなければ、ユリカがあそこにいることすらわからなかった」
アキトは、机の端末へ視線を向けた。
「……それに、俺はお前を置いていった」
「…………」
「……あの状態で、北辰を相手にさせた」
少女は、ゆっくりと首を横に振った。
「……違います」
「…………」
「……私が、行ってくださいってお願いしたんです」
「……そうだとしても」
「……私、自分で決めたんです」
少女は、アキトを見つめた。
「……アキトさんには、ユリカさんを助けてほしかったから」
アキトは、何も言わなかった。
少女の金色の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。
あの日、月面ドックの病室で初めて出会った少女。
あの頃は、目を合わせることさえ怖がっていた。
それなのに、今は。
自分の意思で戦場に立ち、自分を送り出したのだと言う。
「……お前は」
アキトは、そこで言葉を切った。
少女が首を傾げる。
「……はい?」
「……どうして、そこまでする」
「…………」
少女は、答えられなかった。
どうして。
そんなことは、何度も考えた。
ユリカの記憶があるからだろうか。
同じ顔を持っているからだろうか。
自分を救い出してくれた恩を返したいからだろうか。
けれど、どれも少し違う気がした。
「……わかりません」
少女は、正直に答えた。
「……でも」
膝の上で、指を握り合わせる。
「……アキトさんが苦しんでいるのを見ると、私も苦しいんです」
「…………」
「……だから、少しでも楽になってほしい」
少女は、顔を上げた。
「……それだけは、本当です」
アキトは、しばらく彼女を見つめていた。
そして、ゆっくりと視線を落とした。
「……俺には、そんなふうに言ってもらう資格はない」
「……え?」
「……お前に何をしたか、忘れたわけじゃない」
少女は、息を呑んだ。
アキトの言葉が、何を指しているのかはわかった。
あの病室。
初めて会った日のこと。
自分の首にかかりかけた手。
怒りと絶望に歪んだ、アキトの顔。
忘れたわけではなかった。
今でも、ときどき思い出す。
けれど。
「……私も、覚えています」
少女は、小さく答えた。
アキトの指が、わずかに動いた。
「……そうか」
「……はい」
少女は、しばらく俯いていた。
そして、静かに続けた。
「……でも、今のアキトさんは、あのときとは違います」
「…………」
「……料理、食べてくれました」
アキトは、わずかに眉を動かした。
「……あれは、ひどい料理だったな」
「……うっ」
少女は、少しだけ頬を赤らめた。
「……もう、その話はいいじゃないですか」
「……お前が言い出したんだろう」
「……そうですけど」
少女は、困ったように笑った。
アキトの口元も、ほんのわずかに緩んだ。
けれど、その表情はすぐに消えた。
少女は、再び真剣な顔になった。
「……それに、私のこと、心配してくれました」
「…………」
「……あのときも、帰ってきたときも」
アキトは、黙っていた。
「……だから」
少女は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……私は、アキトさんのそばにいたいです」
アキトが、顔を上げた。
「…………」
少女は、机の上の写真立てへ目を向けた。
ユリカ。
アキトが、ずっと探し続けている人。
自分と同じ顔をした、本物のミスマル・ユリカ。
少女は、その写真を見つめた。
そして、静かに口を開いた。
「……私、ユリカさんにはなれません」
アキトは、何も言わなかった。
「……同じ記憶があっても、同じ顔をしていても……私は、あの人じゃありません」
少女は、指先を握りしめた。
「……でも」
声が、少しだけ小さくなる。
「……アキトさんが、少しでも楽になるなら」
少女は、顔を上げた。
「……私を、ユリカさんの代わりだと思ってもいいです」
静かな部屋に、その言葉が落ちた。
「…………」
アキトは、少女を見つめていた。
その顔。
その声。
自分が愛した女性によく似た姿。
けれど、違う。
髪の色も。
瞳の色も。
どこか幼さの残る、遠慮がちな表情も。
何より。
目の前の少女が積み重ねてきた時間は、ユリカのものではなかった。
不器用な料理。
ユーチャリスでの訓練。
ラピスと過ごした日々。
そして、あの戦場。
この少女は、自分の意思でここまで来た。
アキトは、ゆっくりと首を横に振った。
「……お前は、ユリカじゃない」
「……はい」
「……そんなこと、わかっている」
「……はい」
少女は、静かに頷いた。
その返事を聞いて、アキトは言葉を失った。
彼女は、自分がユリカではないことを知っている。
そのうえで、こんなことを言っているのだ。
「……どうして、そこまで……」
少女は、少し困ったように微笑んだ。
「……アキトさんが、つらそうだから」
ただ、それだけを答えた。
*
アキトは、立ち上がった。
少女は、思わず顔を上げた。
「……アキトさん?」
「……もう、帰れ」
低い声だった。
少女の表情が、わずかに曇る。
「……迷惑でしたか?」
「……違う」
アキトは、視線を逸らした。
「……お前が、そんなことをする必要はない」
「…………」
「……俺のために、自分を犠牲にするな」
少女は、黙っていた。
その言葉が、胸に残った。
自分を犠牲にしている。
そうなのだろうか。
アキトにとっては、そう見えるのかもしれない。
少女は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、アキトの前へ歩み寄った。
「……アキトさん」
「…………」
「……私、無理をしているわけじゃありません」
アキトが、少女へ目を向けた。
「……自分で決めたことです」
「…………」
「……だから、そんなふうに言わないでください」
少女は、そっと手を伸ばした。
月面ドックで、アキトが伸ばしかけ、引こうとした手。
あのときは、自分から取った。
今度も。
少女は、アキトの手に触れた。
アキトは、動かなかった。
ただ、その小さな手を見下ろしていた。
「……俺は」
ようやく、言葉が漏れた。
「……ユリカを、諦められない」
「……はい」
「……これからも、探し続ける」
「……わかっています」
少女は、静かに頷いた。
「……それで、いいんです」
アキトは、少女を見つめた。
その瞳には、何のためらいもないように見えた。
けれど、そんなはずがなかった。
彼女だって、傷つく。
恐怖を感じる。
寂しさも、悲しみも知っている。
それを、自分はようやく理解し始めたばかりだった。
「……俺は、お前に何も返せない」
アキトが呟いた。
少女は、少しだけ首を傾げた。
「……何かを返してほしくて、来たわけじゃありません」
「…………」
「……ただ」
少女は、アキトの手を握り直した。
「……今くらい、ひとりでいなくてもいいんじゃないですか?」
アキトは、何も答えなかった。
少女は、その返事を待った。
静かな部屋。
机の上には、ユリカの写真。
窓の向こうには、月面ドックの灯り。
アキトは、長い間、少女の手を見つめていた。
そして。
ゆっくりと、その手を握り返した。
少女は、小さく息を吐いた。
アキトは、何も言わなかった。
けれど、その手を離そうとはしなかった。
*
夜が更けていく。
部屋の照明が落とされ、窓の向こうには月面施設の灯りだけが残った。
少女は、アキトのそばにいた。
それ以上、何かを尋ねることはしなかった。
アキトも、少女に帰れとは言わなかった。
長い沈黙。
時折、聞こえる小さな声。
互いに何かを埋め合わせようとするように、二人は寄り添った。
その夜。
少女は、初めてアキトの孤独に触れた。
そしてアキトもまた、少女が差し出した温もりを拒むことができなかった。
*
目を覚ましたとき、最初に見えたのは見慣れない天井だった。
少女はしばらく瞬きを繰り返した。
どこだろう。
そう思って隣へ顔を向けると、アキトが眠っていた。
「…………」
少女は、思わず息を呑んだ。
いつもの黒いバイザーは外され、薄暗い部屋の中に、目を閉じた横顔が浮かび上がっている。
眠っているアキトを見るのは、初めてだった。
普段の彼は、いつも何かを警戒している。人と話すときも、休んでいるときも、決して気を抜こうとしない。
けれど、今は違った。
穏やかな呼吸。力の抜けた表情。
少女は、じっとその顔を見つめた。
ふと、懐かしい光景が脳裏に浮かぶ。
ナデシコの食堂。厨房で料理を作っている青年が、少し不機嫌そうに振り返る。
――アキト!
記憶の中で、ユリカが嬉しそうに名前を呼んだ。
少女は、そっと目を伏せた。
あの頃のアキト。ユリカが愛した、テンカワ・アキト。
けれど、今ここにいるのは、あの頃の彼ではない。
火星の後継者に囚われ、身体を傷つけられ、愛する人を奪われた。かつて料理人を目指していた青年は、今では味を感じることさえできない。
少女は、再び彼の横顔を見つめた。
昨夜のことが、少しずつ蘇ってくる。
アキトの部屋を訪ねたこと。ユリカを救えなかった彼の苦しみを聞いたこと。
そして、自分が口にした言葉。
『……私を、ユリカさんの代わりだと思ってもいいです』
あのときは、ただアキトを慰めたかった。
苦しんでいる彼を放っておけなかった。自分にできることがあるなら、何でもしてあげたいと思った。
それは、今でも変わらない。
けれど。
……本当に、それだけだったの?
少女は、ゆっくりと目を開けた。
隣には、アキトがいる。
手を伸ばせば届くほど近くに、彼が眠っている。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
……ああ、そうか。
ようやく、自分の気持ちに気がついた。
アキトを慰めたかったのは、本当だ。
けれど、それだけではなかった。
自分も、アキトのそばにいたかったのだ。
彼が愛しているのは、今もユリカなのだとわかっている。自分がその代わりになれるはずもない。
それでも、あの人のそばにいられるなら。
たとえ、代わりでも。
そう思ってしまった。
少女は、そっと唇を噛んだ。
自分は、ひどく卑怯なことをしたのかもしれない。
アキトは、ユリカを救えずに深く傷ついていた。自分を危険な場所に残してきたことも悔やんでいた。
そんな彼に、あんなことを言った。
彼が自分を拒みきれないことを、どこかでわかっていたのではないだろうか。
あの病室で、自分を傷つけたことへの罪悪感。
戦場で、自分を置いていくことをためらった彼の姿。
そのすべてを知っていながら、彼の優しさに甘えてしまった。
……ずるい。
アキトのためだと言いながら、本当は自分も救われたかったのかもしれない。
誰かに必要とされたい。
誰かのそばにいたい。
そんな願いを、彼を慰めるという言葉の陰に隠してしまった。
少女は、ゆっくりと息を吐いた。
胸が痛んだ。
けれど、隣で眠るアキトを見ると、どうしても嬉しくなってしまう。
昨夜、彼が自分を受け入れてくれたこと。
こうして同じ朝を迎えられたこと。
そのどちらもが、少女には夢のようだった。
そっと手を伸ばす。
指先がアキトの髪に触れそうになったところで、少女は動きを止めた。
……起こしちゃうかな。
しばらく迷ってから、伸ばしかけた手を引っ込める。
眠っている彼の表情は、昨夜よりも少しだけ穏やかに見えた。
気のせいかもしれない。
けれど、今はそれでよかった。
昨夜のことが正しかったのかは、わからない。
アキトが目を覚ましたとき、何を思うのかもわからなかった。
それでも。
昨夜のことを、なかったことにはしたくなかった。
自分がアキトのそばにいたかったことも、彼がその手を握り返してくれたことも。
どちらも、自分自身が経験したことだった。
ユリカから与えられた記憶ではない。
誰かに命じられたわけでもない。
自分の意思で選んだ、自分だけの時間。
そのことが、何よりも嬉しかった。
少女は、小さく微笑んだ。
もう少しだけ。
あと、ほんの少しだけ、このままでいたい。
隣から聞こえてくる穏やかな寝息に耳を傾けながら、少女はゆっくりと身を横たえた。
誰かを好きになることが、こんなにも苦しいなんて思わなかった。
それなのに、どうしてこんなにも幸せなのだろう。
答えは、まだわからない。
ただ今は、この温もりを忘れたくなかった。
少女は、静かに目を閉じた。
*
月面ネルガル施設。
エリナは、医療区画からの連絡を確認しながら廊下を歩いていた。
先日の作戦で負傷した職員の治療は、ほぼ終了している。
ブラックサレナの修復作業も始まっていたが、Eユニットについては再建の目処が立っていない。
そもそも、あれほど大型の電子戦装備を再び用意することに意味があるのか。
技術部門では、すでに議論が始まっていた。
そんなことを考えながら角を曲がったところで、見慣れた少女の姿を見つけた。
「……あら」
少女は、廊下の向こうから歩いてきた。
その隣には、薄桃色の髪をした小柄な少女。
ラピス・ラズリ。
二人は並んで歩きながら、何か話しているようだった。
「……だから、今日は甘いものを作ってみようと思うの」
「……甘いもの?」
「……そう、甘いもの。ラピスも食べてみたいって言ってたでしょう?」
「…………」
ラピスが、わずかに眉を寄せた。
エリナは思わず足を止めた。
……ああ、そういえば。
以前、少女が料理をしたときには、とんでもないものが出来上がったと聞いている。
少女が作った料理を口にしたラピスが、初めて感情をあらわにしはっきりと不満を口にしたのだとか。
喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、何とも判断に困る話だった。
「ちょっと、あなたたち」
二人が顔を上げる。
「エリナさん!」
少女が、嬉しそうに微笑んだ。
「今日は二人で何か作るの?」
「はい! ミルクレープです!」
「……ミルクレープ?」
エリナは思わず聞き返した。
「ええ。クレープを何枚も焼いて、クリームを挟んで重ねるんです」
「……あなた、クレープなんて焼いたことあった?」
「いいえ。でも、レシピは調べました。生地を薄く焼いて重ねるだけですから」
「……その薄く焼くのが難しいんでしょうが」
エリナは呆れたようにため息をついた。
ふとラピスを見ると、助けを求めるような視線が返ってきた。
「……ラピス、あなたはどう思う?」
「……ホットケーキがいい」
「決定ね。初心者があんまり背伸びするものじゃないわ。ホットケーキミックスに牛乳と卵を加えて混ぜ、焼くだけよ。……ちゃんと作り方を読んでから作るのよ」
「……本当に、ダイジョウブ?」
ラピスが、ぼそりと呟いた。
「……ラピスまで。そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「前も、そう言ってた」
「……うっ」
少女は言葉に詰まった。
エリナは思わず苦笑した。
以前の料理の出来栄えを思えば、ラピスが心配するのも無理はない。
「今度はちゃんと食べられるものを作りなさいよ」
「ラピスだけじゃなくて、エリナさんまで……!」
少女は、少しだけ頬を膨らませた。
エリナは、そんな様子に小さく笑った。
以前と違って、少女も少しは自分の腕前を理解し始めたらしい。
そのとき、廊下の向こうから黒い人影が現れた。
テンカワ・アキト。
少女が、その姿に気づいた。
「……アキト!」
エリナは、ふと少女へ目を向けた。
アキトが足を止めた。
「……何だ」
「……これから、ラピスとホットケーキを作るんです」
「……そうか」
短い返事だった。
けれど、以前のような突き放す響きはなかった。
「……変なアレンジをするなよ」
「……わかってます!」
少女が、再び頬を膨らませた。
ラピスが、二人を交互に見つめる。
「……みんな、同じこと言ってる」
「……ラ、ラピス!」
エリナは、とうとう吹き出してしまった。
アキトも、少女の顔をしばらく見つめていた。
その口元が、ほんのわずかに緩む。
だが、すぐに視線を逸らした。
「……まあ、がんばれ」
「はい!」
少女は、素直に頷いた。
それだけの会話だった。
やがてアキトは歩き去り、少女たちも居住区へ向かっていった。
エリナは、その後ろ姿を見送った。
「…………」
何かが、変わった。
確かに、そう感じた。
……そういえば。
エリナは、先ほどの少女の声を思い返した。
『……アキト!』
……アキト?
以前は、確か「アキトさん」と呼んでいたはずだ。
あの子は、いつの間に呼び捨てにするようになったのだろう。
それに、アキトの方も。
呼び方が変わったことを、まるで気にしていなかった。
以前なら、少女がそんなふうに親しげに呼びかけること自体、想像できなかった。
少女はいつも、アキトの顔色をうかがっていた。
何かを話しかけるときも、どこか遠慮がちで。
それが今は、ずいぶん自然に話している。
アキトの名前を呼んだときの、あの嬉しそうな笑顔。
以前から、彼のことを気にかけていたのは知っている。
けれど。
今の笑顔は、何となく違って見えた。
それに、以前のアキトなら、あんなふうに少女の料理へ口を出しただろうか。
ほんの短いやり取り。
ただ、それだけのことなのに。
二人の間に、以前とは違う空気が流れていた。
何があったのかまでは、わからない。
けれど。
「……ふうん」
エリナは、小さく呟いた。
少女の耳元には、あの日贈った青い宝石のイヤリングが揺れていた。首元には、お揃いのネックレスが輝いている。
あの子も、少しずつ変わってきたのかもしれない。
エリナは、どこか嬉しくもあり、少しだけ寂しくもあった。
*
執務室へ戻ると、端末に通信の着信が表示されていた。
発信者は、アカツキ・ナガレ。
「……はいはい、今出るわよ」
エリナは椅子に腰を下ろし、通信を開いた。
机上のスクリーンに、見慣れた男の姿が映し出される。
『やあ、エリナ君。ご機嫌いかがかな?』
「仕事中よ。用件は?」
『おやおや、冷たいねえ。せっかく君の顔を見ようと思ったのに』
「だったら、秘書にでも相手してもらいなさい」
『いやあ、君ほど遠慮なく物を言ってくれる女性は、なかなかいないんだよ』
「みんな会長に気を遣ってるだけでしょ」
アカツキは愉快そうに肩をすくめた。
『さて、冗談はこのくらいにして。例の研究施設について、何か進展はあったかい?』
「残念ながら、大した進展はないわ」
エリナは端末の資料を呼び出した。
「回収したデータの解析は続いているけど、ユリカさんの移送先はまだ不明。施設そのものも自爆してるから、追加で調べようがないのよね」
『……そうか』
「Eユニットも全損。再建するなら設計から見直しね」
『まったく、高い授業料になったものだ』
「でも、あの子がいなければ、ユリカさんが生きていることすら確認できなかったわ」
『それは間違いないね。火星の後継者にとっても、自分の根城が虱潰しに失われていくのは痛手だろう』
アカツキは椅子の背に身体を預けた。
『奴らの研究施設を潰し、情報を回収できた。クリムゾングループとの競争も考えれば、今回の作戦は決して無駄じゃなかったということさ』
「……相変わらず、商売の話ばっかりね」
『おいおい、僕はネルガルの会長だよ? 会社の利益を考えるのは当然じゃないか』
「……はいはい」
『それに、火星の後継者に天下をとられてしまうのも、落ち目のネルガルにとっては困るんだ。彼らの計画を妨害できるなら、テンカワ君を支援する価値は十分にある』
「……それだけ?」
エリナは、何気ない口調で尋ねた。
アカツキが、わずかに目を細める。
『……それだけ、とは?』
「……別に」
エリナは肩をすくめた。
『ま、僕には社員と株主に対する責任があるからね。伊達や酔狂で個人にエステバリスや戦艦一隻をプレゼントしたりなんかしないよ』
「はいはい、そういうことにしときましょうか」
エリナは呆れたようにため息をついた。
この男は、いつだってそうだった。
利益だの、契約だの、採算だの。
そんなことばかり口にするくせに、最後には損得だけでは割り切れないことをする。
もっとも、アカツキ自身は決して認めようとしないだろうが。
*
『……それで、肝心の彼女は元気にしているかい?』
「ええ。元気すぎるくらいよ」
エリナは、先ほど廊下で見かけた少女の姿を思い出した。
「今日もラピスを連れて、ホットケーキを作るって張り切ってたわ」
『……ほう。それは楽しそうじゃないか』
「食べる側は大変でしょうけどね」
『ははは。ずいぶん信用がないねえ』
「一度あの子の料理を食べてみればわかるわよ」
『……それは遠慮しておこうかな』
エリナは小さく笑った。
『……それで、テンカワ君とはどうなんだい?』
「…………」
エリナの手が止まった。
『……おや?』
「……何よ」
『いや、少し気になってね』
「……前よりは、うまくやってるみたいよ」
『そうか。それはよかったじゃないか』
「……そうなんだけどね」
エリナは、先ほどの廊下での出来事を思い返した。
「……今日、ちょっと気になることがあったのよ」
『……ほう?』
「あの子、アキトのことを呼び捨てにしてたの」
アカツキが、わずかに眉を上げた。
『……アキト、と?』
「ええ。今までは『アキトさん』だったのに、今日はごく自然に『アキト』って」
『……なるほど』
「それに、アキト君の方も何も気にしてなかったのよね」
エリナは少し考え込んだ。
「……前は、あの子が話しかけるだけでも、どこかぎこちなかったのに」
『……ずいぶん距離が縮まったようだね』
「……そうみたい」
アカツキは、何やら面白そうに笑った。
『……いやあ、若いっていいねえ』
「……何よ、その言い方」
『おや? 何か気に障ったかな?』
「別に」
『……もしかして、妬いているのかい?』
「……はあ!?」
エリナは、思わず声を上げた。
「馬鹿言わないでよ!」
『おやおや、ずいぶん大きな反応だねえ』
「会長が変なこと言うからでしょう!」
『いやあ、だって君も、昔はテンカワ君のことを随分気にかけていたじゃないか』
「……昔の話よ」
『……否定はしないんだね』
「……会長!」
アカツキは、わざとらしく両手を上げた。
『おっと、失礼』
エリナは深いため息をついた。
テンカワ・アキトはあの頃から、放っておけないところがあった。彼がユリカと結ばれたときは自分の気持ちは一区切りついているし、二人には幸せになってほしかった。
だから、あんな姿になることなど、望んでいなかった。
「……ねえ、会長」
『何だい?』
「……もし、あの子がいなかったら」
そこで、言葉が止まった。
アカツキが黙って続きを待つ。
「……私だって、アキトを放っておけなかったと思うわ」
『…………』
「あんな姿になって。ユリカさんを奪われて、何もかも失って……」
エリナは机の上に視線を落とした。
「昔のアキト君を知ってるんだもの」
アカツキは、しばらく何も言わなかった。
『……そうだろうね』
からかうような口調ではなかった。
エリナは、少しだけ苦笑した。
「だから、あの子の気持ちも、わからなくはないのよ」
『……ふむ』
「……まあ、ちょっとくらい妬けるのは認めるけど」
『おや、珍しく素直じゃないか』
「調子に乗らないでよね」
『はいはい』
アカツキは楽しそうに笑った。
エリナも、小さく笑みを返した。
けれど、その笑みは長く続かなかった。
「でもね」
エリナは、端末に表示された少女の資料へ目を向けた。
「少し、心配なのよ」
『あの二人がかい?』
「ええ」
少女の活動記録。
ユーチャリスの調整。IFS接続試験。電子戦やエステバリス戦闘の訓練。そして、先日の作戦。
どれも少女自身が望んだことだった。
けれど。
「あの子、最近は何をするにもアキト君が最優先なのよ」
『……そうだね。まあ、ユリカ君も似たようなものだったけどね。彼女にとっての一番は、いつもテンカワ君だった』
エリナは、ふと昔のことを思い出した。
――アキト、アキトばっかり言ってるんじゃないの!
ナデシコAに乗っていた頃、アキトを追いかけ回すユリカに、呆れ半分で浴びせた言葉だった。
あの頃のユリカは、艦長という立場も忘れたように、何かにつけてアキトの後を追いかけていた。
周囲を振り回しては騒動を起こし、何度呆れさせられたかわからない。
その姿を思い出し、エリナは小さく苦笑した。
『愛情表現の仕方は違えど、あの子もテンカワ君にゾッコンなわけだ。クローンとはいえ、そんなところまで似なくてもいいと思うんだけどね』
アカツキは、わざとらしく肩をすくめた。
『二人の女性にここまで想われるとは、テンカワ君も罪な男だよ』
「あの子と艦長は別人よ」
エリナは即座に言い返した。
『おいおい、そんなに怖い顔をしなくても。もちろん、わかっているさ』
アカツキは愉快そうに笑った。
『しかし、君はすっかりあの子のお母さんみたいだねえ』
「誰がお母さんよ! せめて……せめて姉くらいにしてちょうだい」
『ははは。失礼、失礼』
エリナは呆れたようにため息をついた。
「……まったく」
けれど、すぐに表情を改めた。
「……ユーチャリスのオペレーションだって、戦闘訓練だって。今回のEユニットもそう」
エリナは眉をひそめた。
「……自分がどれほど危険なことをしているのか、わかっているのかしら」
『少なくとも、何も知らずに戦場へ出たわけではないだろうね』
「……それはわかってるわ」
エリナは、少し苛立たしげに答えた。
「本人が望んでやってることくらい、私だって知ってる。だから、無事に生きて帰ってこられるように、出来ることはなんでもする。でも、だからって何でもさせていいわけじゃないでしょう?」
『……その通りだ』
アカツキは頷いた。
『もっとも、彼女の能力に期待しているのは、僕らも同じだ。偉そうなことは言えないけどね』
「…………」
『彼女のIFS強化体質も、電子戦能力も、A級ジャンパーとしての資質も、ネルガルにとっては非常に価値がある。今回の作戦だって、彼女の参加を認めたのは僕だ』
「……そうね」
『……本人が望んだから、というだけで、すべての責任がなくなるわけじゃない』
エリナは、少し意外そうに画面を見つめた。
「……会長にしては、まともなこと言うじゃない」
『おいおい。僕はいつだってまともだよ』
「……どうだか」
アカツキは苦笑した。
『……ただね、彼女の能力が我々の役に立つからといって、それだけで彼女の人生まで決めていいわけじゃない』
「……ええ」
エリナは静かに頷いた。
「……あの子、自分のことになると、驚くほど無頓着なのよ」
少女の顔を思い浮かべる。
無理をしていないか尋ねれば、大丈夫ですと答える。
危険ではないかと心配すれば、自分ならできますと言う。
その言葉に、嘘はない。
実際、少女は驚くべき能力を持っている。
だが。
できることと、やっていいことは違う。
「……あの子、ようやく自分の人生を生きられるようになったのよ」
『…………』
「名前もない。家族もいない。自分の記憶だと思っていたものまで、他人から与えられたものだった」
エリナは、ゆっくりと言葉を続けた。
少女は、自分で料理を覚えた。
ラピスという妹ができた。
ユーチャリスの中枢コンピューター、アマノウズメと心を通わせ、技術者たちと一緒に仕事をするようになった。
その一つ一つが、彼女自身の経験だった。
誰かから与えられた記憶ではない。
あの子が、自分で手に入れたものだ。
「……でも、いつか気づいたら、アキト君のために生きることしか考えられなくなっていたら……」
エリナは、そこで言葉を切った。
アカツキは、静かに耳を傾けていた。
「……それが、少し怖いのよ」
『……なるほどね』
アカツキは椅子の背にもたれた。
『しかし、アキト君のそばにいることで、彼女が救われているのも事実なんじゃないかな』
「……ええ」
『そして、アキト君も』
「……そうね」
エリナは、廊下で見かけた二人の姿を思い出した。
少女がアキトを呼ぶ声。
ごく自然に返事をするアキト。
少女の料理をからかう、短いやり取り。
以前なら、考えられなかった光景だった。
「……アキトも、少し変わったわ」
『……ほう』
「……あの子と一緒にいるときだけ、昔に戻ったみたいに見えることがあるのよ」
エリナは、少しだけ微笑んだ。
「……ほんの一瞬だけどね」
『……それは、結構なことじゃないか』
「……ええ。本当に」
エリナは頷いた。
味覚を失い、身体を傷つけられ、ユリカを奪われた青年。
復讐だけを支えに生きてきた、黒衣の男。
そんな彼が、少女の前ではわずかに表情を和らげる。
それを見るたびに、胸の奥が温かくなる。
けれど、同時に不安も覚えた。
少女が、アキトの失ったものをすべて埋め合わせようとしているようにも思えた。
あの子には、まだ知らない世界がたくさんある。
これから出会う人も。
経験することも。
自分で選べるはずの未来も。
そのすべてを、たった一人のために捧げてしまっていいのだろうか。
エリナは、出撃前に少女へ贈った装飾品を思い出した。あれには、緊急ジャンプを補助するCCを組み込んであった。
万が一のとき、あの子が帰ってこられるように。
けれど、それだけが理由ではない。緊急用ならCCをそのまま渡せばよいだけの話だ。
イヤリングやペンダントと同じように、普通の女の子としておしゃれを楽しんでほしかった。
いつか戦場を離れて、好きな服を着て、好きな場所へ出かけて。
そんな当たり前の時間を、あの子にも知ってほしかった。
エリナは、小さく息を吐いた。
少女の気持ちを否定したくはない。アキトを責めたいわけでもない。
ただ、どちらかが傷つくところは、もう見たくなかった。
「結局私は、二人には幸せになってほしいのね」
アカツキは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに頷く。
『……君は優しいねえ』
「……茶化さないでよ」
『いや、本心さ』
その声に、いつもの軽薄さはなかった。
『……彼女がアキト君のそばにいたいと願う。それは彼女の自由さ』
『……でも、アキト君の方はどうなんだろうね』
「……どういう意味?」
『……いや。少し、本人に聞いてみたくなっただけさ』
エリナは眉をひそめた。
「……会長?」
「……変なこと言って、話を拗らせないでよね」
『おいおい。僕を何だと思ってるんだい?』
「……極楽トンボの元大関スケコマシ、落ち目なネルガルの会長」
『……これは手厳しい』
アカツキは苦笑した。
『まあ、できるだけ穏便に済ませるつもりさ』
「……できるだけ、ねえ」
『信用ないなあ』
「日頃の行いよ」
エリナは肩をすくめた。
『……それじゃあ、また連絡するよ』
「……ええ。ちゃんと仕事もしなさいよ、会長」
『もちろん。僕はいつだって仕事熱心だからね』
「……はいはい」
通信が切れた。
*
執務室に、静けさが戻った。
エリナは、しばらく消えたスクリーンを見つめていた。
やがて、椅子の背にもたれる。
初めて会ったとき、あの子は自分が何者なのかさえ知らなかった。
それが今では、他人と関わることを覚え、自分で料理を作り、妹と呼べる存在ができ、誰かを好きになっている。
そのことが、嬉しかった。
少しだけ、寂しくもあった。
「……あなた自身のことも、大切にしてほしいのよ」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
窓の向こうには、月面ドックの白い照明が見えた。
今頃、ホットケーキを前に、二人で困った顔をしているかもしれない。
あるいは、今度こそ上手に焼けたと喜んでいるかもしれない。
エリナは、ふっと笑った。
せめて、あんな時間が少しでも長く続いてほしい。
そう願いながら、端末を閉じた。
*
それから数日後。
ネルガル月面施設の居住区。
少女の部屋には、温かな料理の香りが漂っていた。
「……ラピス、そっちはできた?」
「……うん」
ラピスが、切り終えた野菜を差し出した。
「ありがとう。あとは卵を焼くだけね」
少女はフライパンに卵液を流し込んだ。
今日の献立は、オムライス。
以前、アキトに作ったときは散々な出来だった。けれど、あれから何度も料理を練習している。
「……今度は、大丈夫」
「……前も、そう言ってた」
「……ラピス!」
少女が頬を膨らませたところへ、背後から声がかかった。
「……火が強いぞ」
「……アキト!」
振り返ると、いつの間にかアキトが立っていた。
「……卵が固くなる。もう少し火を弱めろ」
「……はい!」
少女は慌てて火力を調整した。
アキトは、その手元をしばらく眺めていた。
「……そうだ。あとは皿に移せばいい」
「……できました!」
少女は嬉しそうに完成したオムライスを見つめた。
少し不格好ではあったが、以前よりずっとまともにできたと思う。
*
食卓には、二人分のオムライスとサラダ、スープが並んだ。
アキトも席につき、グラスを手に取る。
「……いただきます」
ラピスがスプーンを口へ運んだ。
少女は、落ち着かない様子でその顔を見つめていた。
「……どうですか?」
「…………」
ラピスは、もう一口食べた。
「……前より、おいしい」
「……本当ですか!?」
「……うん」
少女の顔が、ぱっと明るくなった。
「……よかった!」
自分でも一口食べてみる。
チキンライスの味付けも、卵の焼き加減も悪くない。
ようやく、人に食べてもらえる料理ができた。
「……アキト。今度は、ちゃんと作れたよ」
「……そうだな。見た目はずいぶんましになった」
「……見た目だけ?」
少女は少しだけ困ったように笑った。
そんな二人を、ラピスが交互に見つめていた。
「……アキト、料理、詳しい」
「……昔はコックをしていたからな」
「……そうなの。今は私に、料理を教えてくれるんだよ」
「……まだまだ、教えることは山ほどあるがな」
「……もう! 今日はちゃんと作れたじゃないですか!
少女が笑い、それにつられてラピスも小さく笑った。
アキトも、そんな二人を眺めながら、わずかに口元を緩めた。
三人の他愛もない会話は、食事が終わってからも、しばらく続いていた。
第8話、ようやく投稿できました。
自分でプロットを書いておきながら、今さら「この主人公、設定を盛りすぎたな……」と少々後悔しています。とはいえ、今さら変更もできないので、このまま執筆を続けています。
人工A級ジャンパー+IFS強化体質という、ひと昔もふた昔も前のナデシコSSでよく見かけた、設定盛り盛りの最低系主人公に片足を突っ込みつつあるような……。
まあ、オリジナルのユリカが「アキト大好き長身巨乳天然一途天才艦長」という属性過多なヒロインなので、仕方ないよね、と言い訳しつつ。
個人的に、クローンが自分らしさを見つけていく物語は好きだし、それを失う物語も好きです。
また、原作のアキトとユリカ、ルリの関係性が好きなので、ユーチャリス組でも、それに似た疑似家族のような関係を描けたらいいなと思い、料理のシーンを入れました。
ラピスを交えた三人の、何気ない日常を描きたかったのです。
その分、本作ではエリナとアキトの恋愛方面の関係を薄めることになってしまいましたが。それにしても、疑似家族を描きたかったはずなのに、アキトに「現地妻」を作っているような気がしなくもない。筆がのってしまいましたが、そういうつもりでは……。
今回登場したEユニットについて、少し補足。
ユーチャリスにもハッキング機能は搭載されていますが、あくまでナデシコCの試験艦という位置づけのため、システム掌握機能までは備えていません。
Eユニットの「E」は、Electronic Warfare(電子戦)の意です。
ブラックサレナに電子戦能力を付与するための追加装備ですが、いわばユーチャリスの電子戦機能を小型化した劣化版。オモイカネ級コンピューターもないので、演算能力や通信設備には大きな制約があり、運用できる場面も限られています。
本来は敵施設への電子侵入や情報収集を目的とした装備であり、直接戦闘、特に近接戦は苦手です。決して万能な装備ではありません。
主人公の能力生かした描写したいなぁというのと、高機動ユニット大きいから一人分の搭乗スペース作れそうとか、本物とクローン、どちらの救出も選べないアキトの苦しむシーンを書きたいなという動機から生まれたオリジナルユニットです。今回自爆したので、たぶん出番はないハズ。
劇場版編も残すところあと2話ほどの予定です。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。