——新月の夜。
奥多摩の澄んだ空には、満天の星が瞬いていた。
天羽家の温泉旅館が誇る、自慢の大露天風呂。
広大な湯船の真ん中に巨大な岩がいくつか配置され、それが男湯と女湯を緩やかに隔てているのみ。
つまり実質的な、完全混浴である。
全員、厚手のバスタオルを巻いての入浴だ。
「おい天羽……本当にここでいいのか?」
「うん、ここがうちの自慢の露天風呂」
「いや、そうじゃなくてだな」
「ん? どうしたの御行」
「こ、混浴だろうがッ!」
「タオル巻いてるからセーフだよ」
「そういう問題じゃない!」
「大丈夫だいじょーぶ、岩あるし」
「いやほぼ何も意味をなしてないんだが⁉︎」
「風情ってやつだよ、風情。うん」
ガラッ、と。
そんな男子たちの焦りをよそに、扉が開く。
「わぁっ! 星がすっごく綺麗ですねぇ!」
「え、ええ……本当ですね」
「あっ、会長たちもう入ってるんですねー!」
「お、おうっ……!」
ちゃぷん、と。
女子側の湯船に、藤原千花が元気よく浸かった。
——その瞬間、お湯が大きく波打った。
お湯を吸って重くなったタオル。
それが、藤原の『暴力的なまでの豊満さ』に張り付き、その形と質量をいやらしく露わにしているのだ!
「かぐやさーん! はやくはやく〜!」
「ええ。今そっちに……」
「肩まで浸かると気持ちいいですよー?」
「……そうですね」
「ほらほら、遠慮しないで!」
「え、遠慮などしていませんっ」
たぷん、たぷん。
藤原が動くたびに、タオル越しの柔らかい双房が暴力的な揺れを主張する。
「ほら、こうやって力を抜くと……浮きますよ!」
「……何がですか」
「胸がです!」
「…………うぐ」
「かぐやさんもやってみてください!」
「私は結構です!」
「どうしてですかー?」
「理由はありません!」
「でもお湯に浸かるとお肌スベスベになりますよ!」
「それは……確かにそうですね」
「かぐやさんのお肌、元から真っ白ですけど!」
「ふふ、それは嬉しいです」
「じゃあもっとスベスベになっちゃいましょう!」
そんな女湯の様子を見て。
巨大な岩の向こう側から、爽やかな声が飛んできた。
「おっ、千花ちゃんすごいねえ」
「えー? なにがですか衣緒くーん?」
「そらもうおっぱ——ぐふぅっ⁉︎」
だがしかし。
その人物——天羽は情けない声を上げて沈んだ。
「……よそ見してんじゃねえぞ、バカ」
巨大な岩のすぐ横。天羽のすぐ近く。
口元までお湯に浸かった龍珠桃が、低く凄んでいる。
見えない水面下で、彼女の容赦ない蹴りが天羽の弁慶の泣き所にクリーンヒットしたのだ。
水中での抵抗力があるだろうに、恐ろしい威力だ。
「い、痛いよ? 桃……」
「骨、砕くぞ」
「温泉で骨折は嫌だなあ」
「お前は星でも見てろ。次よそ見したら沈めるぞ」
「はい……」
「そもそもお前、さっきからどこ見てた」
「えっ? いや、綺麗な月が出てるなーって」
「今日は新月だバカ」
「だって水面の反射でまんまるお月様が……」
「——沈め」
「ごぼばばばっ⁉︎」
「へんたいだな」
「ぷはっ! ち、違うよ桃?」
「何が違う」
「千花ちゃんを見てたんじゃないよ」
「じゃあ誰を見てたって言うんだ?」
「——桃だよ。可愛い桃のお月様」
「…………沈め」
それは理不尽なまでの独占欲だった。
□■□■□
そしてしばらく、各々が湯を楽しんでいると。
「あ〜、極楽〜。日本の心は温泉に限りますよ〜!」
「ええ、そうですね」
「はーるばーる、きたぜ、たーまおーくー」
藤原が両手を広げて、ぷかーっと湯船に浮かんだ。
完全にこの露天風呂を満喫している。
四宮はそんな藤原を見ながら、ふぅと息をついた。
「ところでかぐやさん。さっきのオセロゲームのことなんですけど……」
——ぴくり、四宮の肩が跳ねる。
「あの『好きな人は生徒会にいるか』って質問」
「ええ、ありましたね。それが一体何か?」
「かぐやさん、『白』でしたよね?」
「だ……だからなんだと言うのですか!」
「これはもう、完全に恋する乙女の顔っ‼︎」
「ち、違います! これはのぼせただけで……!」
「嘘です! 目が泳いでますよ!」
「泳いでいません!」
「じゃあ誰なんですか! 生徒会の誰ですか!」
「だ、誰も好きじゃありません!」
「ええ〜? じゃあなんで白を出したんですかぁ?」
「それは……間違えて置いたんです!」
「かぐやさんがそんなミスを〜?」
「す、する時だってあります!」
「あやしい……あやしすぎます!」
「あやしくありません!」
「私、ラブ探偵を舐めないでください!」
「そんな探偵さんは知りません!」
「絶対吐かせてみせますよ〜?」
藤原の容赦のない追及が始まる。
四宮は必死に否定するが、声が裏返っていた。
(お、おいおい……なんだこの居心地の悪さは)
そして一人、白銀は冷や汗を流していた。
実は近くにいたのだが、これは気まずい。
「もー、隠さなくてもいいじゃないですか〜!」
「恋バナしましょうよ、こ・い・バ・ナ!」
「藤原さん、近いです! 離れてください!」
キャッキャと騒ぐ女子たち。
白銀はいたたまれなくなり、そそくさと湯船の端——大きな岩の陰へと後退した。
□■□■□
岩陰に身を隠し、一人静かに息を吐く白銀。
夜風が火照った身体を冷まし、心地よい。
(……とはいえ、この岩のすぐ向こうに、四宮が)
そう考えると、どうしても心臓の鼓動が早くなる。
『オセロゲーム』での勘違いの連鎖。
四宮が「生徒会の中の異性」に白を出していたのは間違いないのだ。
(いや、落ち着け俺。自惚れるな。だが、もし……)
白銀が、ふと岩のくぼみにそっと手をついた。
——その時!
「あっ……」
お湯に沈んだ岩の隙間を通って。
『柔らかい何か』が白銀の指先に触れた。
「し、四宮……?」
「か、会長……?」
声が、岩越しにすぐ耳元で聞こえた。
どうやら四宮も、藤原の恋バナ追求から逃れるために、同じ岩のくぼみに身を隠しにきてたらしい。
姿は見えない。
だが、温かいお湯越しに伝わる、細く滑らかな指先。
「す、すまん……! その、今どくから……⁉︎」
「い、いえ……! 大丈夫です……会長」
四宮の声が、かすかに震え、色を帯びている。
「このままで……いいです。少しだけ、ですから」
「——っ」
白銀の脳が沸騰しそうになる。
岩越しに、そっと指と指が絡み合う。
「……藤原書記から、逃げてきたのか?」
「はい……あまりにも、しつこくて」
「俺もだ。あいつは、マイペースすぎる」
「ふふ……本当に」
「…………」
「…………」
「……なあ四宮——」
「——あの、会長」
「な、なんだ?」
「い、いえ。なんでもありません」
そして沈黙を噛み締める二人。
それは暖かく、心地よかった。
□■□■□
湯けむりが少し晴れた先。
岩肌に背を預けて座る、天羽。
そして、ぴったりくっつく龍珠桃。
お湯に濡れたタオルは密着感を極限まで高めている。
天羽は後ろから、その細い腰を抱き寄せるように腕を回していた。
「……星、綺麗だね、桃」
「ばか。みてないだろ」
「だって今日の桃、すっごく可愛いんだもん」
「……ふん。好きに言え」
「照れてる?」
「照れてない」
「耳まで真っ赤だよ?」
「……熱さのせいだ」
「ボクの体温のせいじゃなくて?」
「……うるさい。黙ってろ」
「ふふっ、はいはい」
「……おい」
「ん? どうしたの桃」
「もっと、ちゃんと抱きしめろ」
「——ねえ、桃」
「なんだ」
「この後、二人で抜け出さない?」
「…………勝手にしろ」
甘ったるい。『愛してる』の余韻。
かくして、露天風呂の時間は更けていった——。
□■□■□
——深夜。
旅館は静寂に包まれていた。
コンコン。
小さく、控えめなノックの音。
「……入れ」
すーっと、扉が開く。
そこには、浴衣姿の少年が立っていた。
「ごめんごめん、待った?」
「……おそい」
「いやあ、親友がなかなか寝付かなくてさ」
「そんなの知ったことか」
「怒らないでよ。これでも急いで来たんだから」
少年はにこりと笑いながら、部屋中へと踏み入れる。
そして当然のように、少女の隣へと腰を下ろした。
「……近い」
「えー? さっきはお風呂では良かったのに」
「うるさい。あれは……お湯の中だったからだ」
「ふーん。じゃあ、お湯の外ならダメなんだ?」
「……ダメとは言ってない」
少女はぷいっと顔を背ける。
だが、その耳元はほんのりと赤く染まっていた。
少年はくすりと笑い、少女の顔を覗き込む。
「ねえ、こっち向いて?」
「……ふん」
「桃の、可愛い顔。見せてよ」
「からかうな。……ころすぞ」
「おっかないなあ」
少年は言葉とは裏腹に、全く怯える様子もなく。
すっと手を伸ばし、少女の頬に触れた。
びくりと、少女の肩が跳ねる。
「……っ、おい」
「どうしたの? 嫌?」
「……嫌じゃないけど」
「じゃあ、このまま」
少年の手が、頬から首筋、そして肩へと滑り落ちる。
浴衣の襟元が、わずかに乱れた。
そこから覗く、白く滑らかな肌。
「……綺麗だね」
「ばか。……触るな」
「ほんとにー?」
「……うるさい」
少女は抵抗する素振りを見せつつも、少年の手から逃げようとはしなかった。
むしろ、その体温を求めるように、わずかに身体を委ねるようにすり寄せる。
「おい……」
「ん?」
「お前……本当に、愛してるのか」
ぽつりと、少女が呟いた。
オセロゲームでの『愛してる』という言葉。
それが嘘ではないと頭では分かっていても、どこか信じきれない自分がいる。
「——愛してるよ」
「嘘つけ。お前はいつも……他の女ばっかり見てる」
「そんなことないよ。ボクの目は、ずっと桃一筋」
「……信じられないな」
「じゃあ、どうしたら信じてくれる?」
「……知らない、ばか」
少女は拗ねたように唇を尖らせる。
少年はふっと息をつき、少女の肩を抱き寄せた。
「なら……教えてあげる」
「……え?」
突如、少女の首筋に柔らかな感触が落ちた。
「っ……⁉︎ ひゃっ……!」
甘く、熱い感触。
それはねっとりとしたものだった。
「んっ……! ちょっ、何して……っ⁉︎」
「……証拠、残しておこうと思って」
「証拠……?」
「うん。ボクの女だって、誰が見ても分かるように」
少年はそう言って、再び少女の首筋に唇を落とす。
今度は先ほどよりも強く、深く。
「だ、だめっ……だ! 痕が、残る……っ‼︎」
「いいじゃん。残せばいい」
「っ……! あ、ああっ……!」
少女は身をよじって逃れようとするが、少年の腕にしっかりとホールドされており、身動きが取れない。
少年の唇が、首筋から鎖骨へと移動していく。
浴衣がはだけ、無防備になった肌に、いくつもの赤い印が刻まれていく。
「んんっ……! んぁっ——⁉︎」
少女の口から、甘い嬌声が漏れる。
それは普段の彼女からは想像もつかないほど、艶やかで、無防備な声だった。
「……これでもまだ信じられない?」
「はぁっ……はあっ……ばか……」
「ばかじゃないよ。本気だから」
少年は顔を上げ、少女を真っ直ぐに見つめる。
その瞳は、ひどく真剣で、火照りを帯びていた。
「桃は……ボクのもの」
「…………」
「誰にも、渡さない」
「……っ⁉︎」
その言葉に、少女の胸が大きく跳ねた。
嬉しい。でも、悔しい。
自分が、こんなにも簡単に絆されてしまうなんて。
「……ずるいぞ」
「ん……何が?」
「衣緒は……いつもずるい」
「ふふっ。褒め言葉」
少年はにこりと笑い、再び少女に顔を近づける。
「……今度は、どこにしてほしい?」
「……っ! もう、いい……!」
「えー? まだ全然足りないんだけどな」
「私が……足りてるって言ってるだろ……!」
「じゃあ、今度は桃がしてよ」
「——は?」
「ボクにも、証拠……残して?」
少年は自分の浴衣の襟を広げ、首筋を露わにする。
少女は顔を真っ赤にして、その白い肌を睨みつけた。
「……本気で言ってるのか」
「もちろん」
「……痛くても、知らないぞ」
「うん。桃になら、痛くされてもいい」
その言葉に。
少女は覚悟を決めたように少年の首に腕を回す。
そして、その首筋に顔を埋め——。
「——っ」
強く、噛み付くように押し当てた。
少女はさらに強く、そこに自分だけの印を刻み込む。
「……これで、満足か」
「ふふっ……可愛い」
「……ばか」
二人は互いの首筋に刻まれた印を見せ合うように、顔を近づける。
そして、自然と重なり合った。
「んっ……」
「……ぁっ」
先ほどまでの激しさとは違う、優しく、甘い。
何度も、何度も、角度を変えて確かめ合うように。
「……もう、信じてくれた?」
「……少しだけ」
「そっか。じゃあ、もっと信じてもらえるように頑張らないとね」
「……これ以上は、ダメだぞ」
「えー? なんで?」
「……明日、起きられなきなる」
「——いいじゃん」
少年は少女を抱きしめたまま、布団の上に倒れ込む。
「ちょっ……!」
「どしたの?」
「……私の部屋だぞ」
「いいじゃん」
「……見つかったら、どうする」
「その時はその時」
「……はぁ。勝手にしろ」
そして少女は両腕を大きく開いた。
「……早くしろ」
「ん? 何を?」
「言わせるな……衣緒」
「ふふっ、そっか桃」
「…………」
少年は少女の浴衣に手をかける。
「じゃあ、食べちゃうね——」
□■□■□
——翌朝。
旅館のエントランスでは、帰り支度を終えた生徒会メンバーが集合していた。
「あ〜よく寝ました! やっぱり温泉は最高です!」
「ええ、本当に。とてもリフレッシュできました」
藤原と四宮が、清々しい顔で言葉を交わす。
その後ろで、白銀はうんと頷いていた。
「おっは〜ろ〜。みんな、集合が早いねえ」
「遅いぞ天羽……ん? お前、首に何か……」
白銀が天羽の首筋を指差す。
浴衣から着替えた洋服の襟元から、ほんの少しだけ赤い痕が覗いていた。
「あ、これ? 虫刺されだよ。いやーここら蚊は強力だからねえ」
「そ、そうか……。季節外れの蚊だな……」
天羽はにこにこと笑いながら、襟元を直す。
その後ろから、龍珠桃が近づいてきた。
「あっ、桃も蚊に刺されてる」
「うるさい」
「ふふっ。そうだね。じゃあ、帰ろっか」
「……うん」
二人の間には、昨日までとは違う空気が流れていた。
それはどこか強固で、確かなもの。
白銀は、前を歩く天羽の背中を見つめた。
隣を歩く龍珠が、誰にも見えないようにそっと、天羽の服の裾を摘んでいる。
天羽はそれに気づき、振り返らずにその手を優しく握り返していた。
その光景を見て。
白銀は小さく、だが尊敬と呆れを込めて呟いた。
「……お前は、ほんとにわるいやつだな」
白銀御行には友達がいる。そいつはわる〜いやつだ。
でも、それを本人に言えばこう返してくるのだろう。
『——君こそ、好きな子に好きって言えないなんて。一番わるいやつでしょ?』
—完結—
タイトル回収……工事完了です
これにて『君こそ一番わるいやつ』は一旦完結!
ここまでお付き合いいただき、誠に感謝申し上げます
ほんの少しとはいえランキング上位の夢を見れました
えっちなハメのみんな、パワーをありがとう
いただいた感想、ひとつ残らず励みになりました
いつの日か、またどこかの作品で会えたら幸いです
——それでは、また。