君こそ一番わるいやつ   作:龍桃Υ紳士

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10:温泉旅館(夜編)

——新月の夜。

奥多摩の澄んだ空には、満天の星が瞬いていた。

 

天羽家の温泉旅館が誇る、自慢の大露天風呂。

広大な湯船の真ん中に巨大な岩がいくつか配置され、それが男湯と女湯を緩やかに隔てているのみ。

つまり実質的な、完全混浴である。

全員、厚手のバスタオルを巻いての入浴だ。

 

「おい天羽……本当にここでいいのか?」

「うん、ここがうちの自慢の露天風呂」

「いや、そうじゃなくてだな」

「ん? どうしたの御行」

「こ、混浴だろうがッ!」

「タオル巻いてるからセーフだよ」

「そういう問題じゃない!」

「大丈夫だいじょーぶ、岩あるし」

「いやほぼ何も意味をなしてないんだが⁉︎」

「風情ってやつだよ、風情。うん」

 

ガラッ、と。

そんな男子たちの焦りをよそに、扉が開く。

 

「わぁっ! 星がすっごく綺麗ですねぇ!」

「え、ええ……本当ですね」

「あっ、会長たちもう入ってるんですねー!」

「お、おうっ……!」

 

ちゃぷん、と。

女子側の湯船に、藤原千花が元気よく浸かった。

——その瞬間、お湯が大きく波打った。

お湯を吸って重くなったタオル。

それが、藤原の『暴力的なまでの豊満さ』に張り付き、その形と質量をいやらしく露わにしているのだ!

 

「かぐやさーん! はやくはやく〜!」

「ええ。今そっちに……」

「肩まで浸かると気持ちいいですよー?」

「……そうですね」

「ほらほら、遠慮しないで!」

「え、遠慮などしていませんっ」

 

たぷん、たぷん。

藤原が動くたびに、タオル越しの柔らかい双房が暴力的な揺れを主張する。

 

「ほら、こうやって力を抜くと……浮きますよ!」

「……何がですか」

「胸がです!」

「…………うぐ」

「かぐやさんもやってみてください!」

「私は結構です!」

「どうしてですかー?」

「理由はありません!」

「でもお湯に浸かるとお肌スベスベになりますよ!」

「それは……確かにそうですね」

「かぐやさんのお肌、元から真っ白ですけど!」

「ふふ、それは嬉しいです」

「じゃあもっとスベスベになっちゃいましょう!」

 

そんな女湯の様子を見て。

巨大な岩の向こう側から、爽やかな声が飛んできた。

 

「おっ、千花ちゃんすごいねえ」

「えー? なにがですか衣緒くーん?」

「そらもうおっぱ——ぐふぅっ⁉︎」

 

だがしかし。

その人物——天羽は情けない声を上げて沈んだ。

 

「……よそ見してんじゃねえぞ、バカ」

 

巨大な岩のすぐ横。天羽のすぐ近く。

口元までお湯に浸かった龍珠桃が、低く凄んでいる。

見えない水面下で、彼女の容赦ない蹴りが天羽の弁慶の泣き所にクリーンヒットしたのだ。

水中での抵抗力があるだろうに、恐ろしい威力だ。

 

「い、痛いよ? 桃……」

「骨、砕くぞ」

「温泉で骨折は嫌だなあ」

「お前は星でも見てろ。次よそ見したら沈めるぞ」

「はい……」

「そもそもお前、さっきからどこ見てた」

「えっ? いや、綺麗な月が出てるなーって」

「今日は新月だバカ」

「だって水面の反射でまんまるお月様が……」

「——沈め」

「ごぼばばばっ⁉︎」

「へんたいだな」

「ぷはっ! ち、違うよ桃?」

「何が違う」

「千花ちゃんを見てたんじゃないよ」

「じゃあ誰を見てたって言うんだ?」

「——桃だよ。可愛い桃のお月様」

「…………沈め」

 

それは理不尽なまでの独占欲だった。

 

 

□■□■□

 

 

そしてしばらく、各々が湯を楽しんでいると。

 

「あ〜、極楽〜。日本の心は温泉に限りますよ〜!」

「ええ、そうですね」

「はーるばーる、きたぜ、たーまおーくー」

 

藤原が両手を広げて、ぷかーっと湯船に浮かんだ。

完全にこの露天風呂を満喫している。

四宮はそんな藤原を見ながら、ふぅと息をついた。

 

「ところでかぐやさん。さっきのオセロゲームのことなんですけど……」

 

——ぴくり、四宮の肩が跳ねる。

 

「あの『好きな人は生徒会にいるか』って質問」

「ええ、ありましたね。それが一体何か?」

「かぐやさん、『白』でしたよね?」

「だ……だからなんだと言うのですか!」

「これはもう、完全に恋する乙女の顔っ‼︎」

「ち、違います! これはのぼせただけで……!」

「嘘です! 目が泳いでますよ!」

「泳いでいません!」

「じゃあ誰なんですか! 生徒会の誰ですか!」

「だ、誰も好きじゃありません!」

「ええ〜? じゃあなんで白を出したんですかぁ?」

「それは……間違えて置いたんです!」

「かぐやさんがそんなミスを〜?」

「す、する時だってあります!」

「あやしい……あやしすぎます!」

「あやしくありません!」

「私、ラブ探偵を舐めないでください!」

「そんな探偵さんは知りません!」

「絶対吐かせてみせますよ〜?」

 

藤原の容赦のない追及が始まる。

四宮は必死に否定するが、声が裏返っていた。

 

(お、おいおい……なんだこの居心地の悪さは)

 

そして一人、白銀は冷や汗を流していた。

実は近くにいたのだが、これは気まずい。

 

「もー、隠さなくてもいいじゃないですか〜!」

「恋バナしましょうよ、こ・い・バ・ナ!」

「藤原さん、近いです! 離れてください!」

 

キャッキャと騒ぐ女子たち。

白銀はいたたまれなくなり、そそくさと湯船の端——大きな岩の陰へと後退した。

 

 

□■□■□

 

 

岩陰に身を隠し、一人静かに息を吐く白銀。

夜風が火照った身体を冷まし、心地よい。

 

(……とはいえ、この岩のすぐ向こうに、四宮が)

 

そう考えると、どうしても心臓の鼓動が早くなる。

『オセロゲーム』での勘違いの連鎖。

四宮が「生徒会の中の異性」に白を出していたのは間違いないのだ。

 

(いや、落ち着け俺。自惚れるな。だが、もし……)

 

白銀が、ふと岩のくぼみにそっと手をついた。

——その時!

 

「あっ……」

 

お湯に沈んだ岩の隙間を通って。

『柔らかい何か』が白銀の指先に触れた。

 

「し、四宮……?」

「か、会長……?」

 

声が、岩越しにすぐ耳元で聞こえた。

どうやら四宮も、藤原の恋バナ追求から逃れるために、同じ岩のくぼみに身を隠しにきてたらしい。

姿は見えない。

だが、温かいお湯越しに伝わる、細く滑らかな指先。

 

「す、すまん……! その、今どくから……⁉︎」

「い、いえ……! 大丈夫です……会長」

 

四宮の声が、かすかに震え、色を帯びている。

 

「このままで……いいです。少しだけ、ですから」

「——っ」

 

白銀の脳が沸騰しそうになる。

岩越しに、そっと指と指が絡み合う。

 

「……藤原書記から、逃げてきたのか?」

「はい……あまりにも、しつこくて」

「俺もだ。あいつは、マイペースすぎる」

「ふふ……本当に」

「…………」

「…………」

「……なあ四宮——」

「——あの、会長」

「な、なんだ?」

「い、いえ。なんでもありません」

 

そして沈黙を噛み締める二人。

それは暖かく、心地よかった。

 

 

□■□■□

 

 

湯けむりが少し晴れた先。

岩肌に背を預けて座る、天羽。

そして、ぴったりくっつく龍珠桃。

お湯に濡れたタオルは密着感を極限まで高めている。

天羽は後ろから、その細い腰を抱き寄せるように腕を回していた。

 

「……星、綺麗だね、桃」

「ばか。みてないだろ」

「だって今日の桃、すっごく可愛いんだもん」

「……ふん。好きに言え」

「照れてる?」

「照れてない」

「耳まで真っ赤だよ?」

「……熱さのせいだ」

「ボクの体温のせいじゃなくて?」

「……うるさい。黙ってろ」

「ふふっ、はいはい」

「……おい」

「ん? どうしたの桃」

「もっと、ちゃんと抱きしめろ」

「——ねえ、桃」

「なんだ」

「この後、二人で抜け出さない?」

「…………勝手にしろ」

 

甘ったるい。『愛してる』の余韻。

かくして、露天風呂の時間は更けていった——。

 

 

□■□■□

 

 

——深夜。

旅館は静寂に包まれていた。

 

コンコン。

小さく、控えめなノックの音。

 

「……入れ」

 

すーっと、扉が開く。

そこには、浴衣姿の少年が立っていた。

 

「ごめんごめん、待った?」

「……おそい」

「いやあ、親友がなかなか寝付かなくてさ」

「そんなの知ったことか」

「怒らないでよ。これでも急いで来たんだから」

 

少年はにこりと笑いながら、部屋中へと踏み入れる。

そして当然のように、少女の隣へと腰を下ろした。

 

「……近い」

「えー? さっきはお風呂では良かったのに」

「うるさい。あれは……お湯の中だったからだ」

「ふーん。じゃあ、お湯の外ならダメなんだ?」

「……ダメとは言ってない」

 

少女はぷいっと顔を背ける。

だが、その耳元はほんのりと赤く染まっていた。

少年はくすりと笑い、少女の顔を覗き込む。

 

「ねえ、こっち向いて?」

「……ふん」

「桃の、可愛い顔。見せてよ」

「からかうな。……ころすぞ」

「おっかないなあ」

 

少年は言葉とは裏腹に、全く怯える様子もなく。

すっと手を伸ばし、少女の頬に触れた。

びくりと、少女の肩が跳ねる。

 

「……っ、おい」

「どうしたの? 嫌?」

「……嫌じゃないけど」

「じゃあ、このまま」

 

少年の手が、頬から首筋、そして肩へと滑り落ちる。

浴衣の襟元が、わずかに乱れた。

そこから覗く、白く滑らかな肌。

 

「……綺麗だね」

「ばか。……触るな」

「ほんとにー?」

「……うるさい」

 

少女は抵抗する素振りを見せつつも、少年の手から逃げようとはしなかった。

むしろ、その体温を求めるように、わずかに身体を委ねるようにすり寄せる。

 

「おい……」

「ん?」

「お前……本当に、愛してるのか」

 

ぽつりと、少女が呟いた。

オセロゲームでの『愛してる』という言葉。

それが嘘ではないと頭では分かっていても、どこか信じきれない自分がいる。

 

「——愛してるよ」

「嘘つけ。お前はいつも……他の女ばっかり見てる」

「そんなことないよ。ボクの目は、ずっと桃一筋」

「……信じられないな」

「じゃあ、どうしたら信じてくれる?」

「……知らない、ばか」

 

少女は拗ねたように唇を尖らせる。

少年はふっと息をつき、少女の肩を抱き寄せた。

 

「なら……教えてあげる」

「……え?」

 

突如、少女の首筋に柔らかな感触が落ちた。

 

「っ……⁉︎ ひゃっ……!」

 

甘く、熱い感触。

それはねっとりとしたものだった。

 

「んっ……! ちょっ、何して……っ⁉︎」

「……証拠、残しておこうと思って」

「証拠……?」

「うん。ボクの女だって、誰が見ても分かるように」

 

少年はそう言って、再び少女の首筋に唇を落とす。

今度は先ほどよりも強く、深く。

 

「だ、だめっ……だ! 痕が、残る……っ‼︎」

「いいじゃん。残せばいい」

「っ……! あ、ああっ……!」

 

少女は身をよじって逃れようとするが、少年の腕にしっかりとホールドされており、身動きが取れない。

少年の唇が、首筋から鎖骨へと移動していく。

浴衣がはだけ、無防備になった肌に、いくつもの赤い印が刻まれていく。

 

「んんっ……! んぁっ——⁉︎」

 

少女の口から、甘い嬌声が漏れる。

それは普段の彼女からは想像もつかないほど、艶やかで、無防備な声だった。

 

「……これでもまだ信じられない?」

「はぁっ……はあっ……ばか……」

「ばかじゃないよ。本気だから」

 

少年は顔を上げ、少女を真っ直ぐに見つめる。

その瞳は、ひどく真剣で、火照りを帯びていた。

 

「桃は……ボクのもの」

「…………」

「誰にも、渡さない」

「……っ⁉︎」

 

その言葉に、少女の胸が大きく跳ねた。

嬉しい。でも、悔しい。

自分が、こんなにも簡単に絆されてしまうなんて。

 

「……ずるいぞ」

「ん……何が?」

「衣緒は……いつもずるい」

「ふふっ。褒め言葉」

 

少年はにこりと笑い、再び少女に顔を近づける。

 

「……今度は、どこにしてほしい?」

「……っ! もう、いい……!」

「えー? まだ全然足りないんだけどな」

「私が……足りてるって言ってるだろ……!」

「じゃあ、今度は桃がしてよ」

「——は?」

「ボクにも、証拠……残して?」

 

少年は自分の浴衣の襟を広げ、首筋を露わにする。

少女は顔を真っ赤にして、その白い肌を睨みつけた。

 

「……本気で言ってるのか」

「もちろん」

「……痛くても、知らないぞ」

「うん。桃になら、痛くされてもいい」

 

その言葉に。

少女は覚悟を決めたように少年の首に腕を回す。

そして、その首筋に顔を埋め——。

 

「——っ」

 

強く、噛み付くように押し当てた。

少女はさらに強く、そこに自分だけの印を刻み込む。

 

「……これで、満足か」

「ふふっ……可愛い」

「……ばか」

 

二人は互いの首筋に刻まれた印を見せ合うように、顔を近づける。

そして、自然と重なり合った。

 

「んっ……」

「……ぁっ」

 

先ほどまでの激しさとは違う、優しく、甘い。

何度も、何度も、角度を変えて確かめ合うように。

 

「……もう、信じてくれた?」

「……少しだけ」

「そっか。じゃあ、もっと信じてもらえるように頑張らないとね」

「……これ以上は、ダメだぞ」

「えー? なんで?」

「……明日、起きられなくなる」

「——いいじゃん」

 

少年は少女を抱きしめたまま、布団の上に倒れ込む。

 

「ちょっ……!」

「どしたの?」

「……私の部屋だぞ」

「いいじゃん」

「……見つかったら、どうする」

「その時はその時」

「……はぁ。勝手にしろ」

 

そして少女は両腕を大きく開いた。

 

「……早くしろ」

「ん? 何を?」

「言わせるな……衣緒」

「ふふっ、そっか桃」

「…………」

 

少年は少女の浴衣に手をかける。

 

「じゃあ、食べちゃうね——」

 

 

□■□■□

 

 

 

——翌朝。

旅館のエントランスでは、帰り支度を終えた生徒会メンバーが集合していた。

 

「あ〜よく寝ました! やっぱり温泉は最高です!」

「ええ、本当に。とてもリフレッシュできました」

 

藤原と四宮が、清々しい顔で言葉を交わす。

その後ろで、白銀はうんと頷いていた。

 

「おっは〜ろ〜。みんな、集合が早いねえ」

「遅いぞ天羽……ん? お前、首に何か……」

 

白銀が天羽の首筋を指差す。

浴衣から着替えた洋服の襟元から、ほんの少しだけ赤い痕が覗いていた。

 

「あ、これ? 虫刺されだよ。いやーここら蚊は強力だからねえ」

「そ、そうか……。季節外れの蚊だな……」

 

天羽はにこにこと笑いながら、襟元を直す。

その後ろから、龍珠桃が近づいてきた。

 

「あっ、桃も蚊に刺されてる」

「うるさい」

「ふふっ。そうだね。じゃあ、帰ろっか」

「……うん」

 

二人の間には、昨日までとは違う空気が流れていた。

それはどこか強固で、確かなもの。

 

白銀は、前を歩く天羽の背中を見つめた。

隣を歩く龍珠が、誰にも見えないようにそっと、天羽の服の裾を摘んでいる。

天羽はそれに気づき、振り返らずにその手を優しく握り返していた。

 

その光景を見て。

白銀は小さく、だが尊敬と呆れを込めて呟いた。

 

「……お前は、ほんとにわるいやつだな」

 

 

白銀御行には友達がいる。そいつはわる〜いやつだ。

でも、それを本人に言えばこう返してくるのだろう。

 

『——君こそ、好きな子に好きって言えないなんて。一番わるいやつでしょ?』




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