放課後の生徒会室。
その静寂を切り裂き、扉が開いた。
バァンッ!
「——ちょっと聞いてちょうだい‼︎」
涙目で乱入してきた少女が一人。
四条家の令嬢、四条眞妃だった。
今生徒会室にいるのは、四宮かぐやと天羽衣緒のみ。
「あ、おっは〜ろ。眞妃ちゃん」
「おっは〜ろじゃないわよ、衣緒!」
「一体なんの用ですか……?」
四条は机をバンッと叩き、叫んだ。
「翼と渚が、最近怪しいのよ‼︎」
「いや、もう前からあの二人付き合ってるよ?」
「そういう意味じゃないわよおおお゛!」
四条がハンカチを噛み締めて号泣する。
「なんか最近、二人の距離がさらに近いの! 昨日なんて、渚が翼の耳元で何か囁いてて! あれは絶対、いかがわしい話に違いないわ⁉︎ うわあ゛ああん‼︎」
「ふっ、自業自得ですね」
「うっさいわね、おばさま!」
「お、おばさま⁉︎ だから私は同い年だと……!」
わちゃわちゃと。縁戚同士が醜く言い争っている。
……とはいえ、四条が可哀想なのは事実。
想い人に好きと言えないまま、手遅れになった少女。
ある意味、彼女もまた『一番わるいやつ』なのだ。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
そこへ、天羽がそっと割って入った。
「泣き疲れて喉が渇いたでしょ? せっかくだし、ちょうどいい飲み物があるんだ」
「飲み物……? あんたが淹れるものなんて、どうせろくでもないものじゃないの?」
「失礼だなあ。天羽家特製の、飲むと”心地よくなる”『リラックス・ショコラ』だよ」
てきぱきと、ぽこぽこと。
天羽がティーポットから、二つのカップへ注ぐ。
とろりとした、濃厚な茶色の液体。
甘く芳醇なカカオの香りが、ふわりと広がった。
「あら……とてもいい香りですね。珍しい」
「ふん……まあ、ホットチョコレートなら飲んであげなくもないわ」
四宮と四条が、ゆっくり同時にカップを手に取る。
天羽はにこにこと笑いながら、解説を始めた。
「ちなみに、チョコレートの歴史って知ってる?」
「歴史? 元はカカオでしょう?」
「そうそう。古代アステカ帝国では、カカオは『神々の飲み物』として扱われていたんだ。当時の皇帝は、それを必ず黄金の杯で飲んだと言われている」
「へぇ……博識なのね、衣緒にしては」
「それで確か……産業革命で、今のような固形のチョコレートになったんですよね?」
「そうそう。オランダでココア、イギリスで板チョコ、スイスでミルクチョコ。まあ語ろうと思えばいくらでも語れちゃうのが、チョコの面白い歴史だね」
こくり、こくり。歴史の趣を感じながら。
四宮と四条が、温かいショコラを喉に流し込む。
「あ……美味しい。すごく濃厚で、身体の芯からポカポカしてきます……」
「なんだか、疲れが溶けていくみたい……」
二人がうっとりと息を吐いた——その瞬間。
天羽が、さらりと付け加えた。
「——まあ、『媚薬』として使われてたんだけどね」
「「…………え?」」
ピタリ、と二人の動きが止まった。
「今、なんて言ったの……? 衣緒」
「だから、チョコレートは昔『媚薬』だったって話。で、今回のこれは、うちに伝わる当時のレシピを忠実に再現した、特別なやつなんだよね」
つまり——!
「ちょ、ちょっと待って⁉︎ それって——」
四条が立ち上がろうとした、その時。
ふらり、と彼女の膝から力が抜けた。
「……っ、あ……?」
ドサッ、とソファに崩れ落ちる四条。
その頬は、みるみるうちに朱色に染まっていく。
「なにこれ……っ。急に、頭がふわふわして……」
「ま、眞妃さん……? どうしたのですか……っ」
隣に座る四宮も、様子がおかしい。
自分の胸元をぎゅっと押さえ、荒い息を吐いていた。
「わ、私も……なんだか、身体が熱く……。まるで、お風呂上がりのような……ふぁ、あっ……ぅぅ」
「お、おば……さま? ……はぁ、はぁ……」
四条の瞳が、トロンとしていく。
呼吸が浅くなり、制服の襟元をパタパタと扇いだ。
そこから覗く、汗ばんだ肌。
「あ、あつい……っ。衣緒、あんた……これ、さっきの。つまり、ただのチョコレートじゃないわね⁉︎」
——大正解!
だが気づいた時にはもう手遅れ!
「人聞きが悪いなあ、眞妃ちゃん。少しばかり、血行とホルモンバランスが良くなるだけだ、よ?」
四条が自分の太ももをすり合わせる。
熱を持った吐息が、空気を甘く濁らせた。
「ま、眞妃さん……! 少し、近いですよ……っ」
「お、おばさまこそ……なんでそんなに、いい匂いがするのよ……っ! はぁ、あ……」
ソファの上で、二人の距離がじわりと縮まる。
四条の熱っぽい視線が、四宮へと向かう。
「肌……なんだか、すごく柔らかそう……ね」
「——ひゃっ⁉︎ ま、眞妃さん、どこを触っているのですか……っ!」
四条の細い指先が、頬から首筋へと這う。
普段なら絶対にあり得ない、無防備なスキンシップ。
四宮の身体が、ビクンと跳ねた。
「んっ——! だ、だめです……そこは、くすぐったい……あっ、くぅん——⁉︎」
「だって……なんだか、触れたくて、たまらないのよ……っ。はぁ、はぁ。おばさま、ほんとに可愛い」
「い、一体なにを言って——んうぁっ⁉︎」
絡み合う細い指先。重なり合う、二つの熱い吐息。
財閥令嬢二人が、ソファの上で顔を寄せ合い、そして赤い顔でモジモジと肌を擦り寄せている。
——まるで、仲の良すぎる双子の姉妹のように。
「あ、あつい……。ねえおばさま、少しだけ、ボタン外してもいいかしら……?」
「え、ええ……そうですね。私も、少し苦しくて……仕方がなくっ。んっ、はぁ……!」
緩められるブラウスの襟元。
「くちゅ」と響く、甘い唾液を飲み込む音。
これはもはや、四宮家と四条家の歴史的和解——⁉︎
パンッ!
乾いた音に、二人の肩がビクリと跳ねる。
天羽が、二人の意識を戻すように手を叩いたのだ。
「……っ⁉︎ わ、私、いったい何を……⁉︎」
「って、ぎゃああああ⁉︎ なんで私、おばさまに抱きついてるのよおおお⁉︎」
我に返った二人が、バッと飛び退いた。
お互いの乱れた襟元を見て、耳を朱色に染める。
「い、衣緒おおお‼︎ あんた絶対に許さないわよ⁉︎」
「え〜? でも少しはモヤモヤ、晴れたでしょ?」
「晴れすぎて熱中症になるところだったわよ⁉︎」
「気に入ってくれたみたいでなにより」
「もう絶対にあんたからの物なんて飲まないから!」
「なら固形にしたチョコの方をあげるね」
「い……いらないわよバカっ‼︎」
涙目で絶叫する四条眞妃。
彼女はそのまま生徒会室から走り去っていった。
「はあ……はあ……何年ぶりでしたでしょうか?」
自分の指先を見つめて小さく呟く四宮かぐや。
「ん? どうかしたの、四宮さん」
「——はっ⁉︎ なんでも、なんでもありま、せん!」
「そっか……じゃあ固形のチョコあげようか?」
「い……いりません‼︎」
どうもあの二人。
間違いなく血は遠くとも繋がっているようだ——。
□■□■□
間接照明が灯る、甘い香りの部屋にて。
「はいどうぞ、桃にあげる」
「……なんだよ、これ」
ベッドの端に座る少女が、小さな小箱を受け取った。
中には、艶やかに光る一粒のショコラ。
昼間のドリンクを、固形に凝縮した特別製である。
「うちで作った新作のチョコレート。すごく美味しいから、桃にも食べてほしくてさ」
「……ふん。お前が素直にくれる物なんて、怪しい」
少女はジト目で少年を睨みつける。
「ひどいなあ。ボクからの、愛のプレゼントなのに」
「……うっさい。愛とか、軽々しく言うな」
「で、食べるの? 食べないの? 食べないなら、他の子にあげちゃおうかな〜?」
「——うるさい。食べる」
少女はひったくるようにチョコを摘み上げた。
そして、何のためらいもなく口へと放り込む。
「……ん」
ぱりっ、と薄いコーティングが割れる。
中から、とろりとした濃厚な液が溢れ出した。
「……どう? 美味しい?」
「……べつに。普通のチョコだろ」
ぷいっと顔を背ける少女。
だが、数秒後。
とくんっ。
少女の心臓が、大きく跳ねる音がした。
「……っ、ん……?」
「あれ、桃? なんだか顔が赤いよ?」
「……部屋が、暑いだけだ——っ!」
少女の吐息が、急速に熱を帯びていく。
液体の比ではない、純度百パーセントの固形物。
それが、理性をドロドロに溶かし始めていた。
しばらくして。
「はぁ……っ、はぁ……。おい、衣緒……」
「ん? なあに、桃」
「これ……なにか、入ってるだろ……っ!」
「えー? ボクの愛情かなあ」
「ふざ、けるな……。この嘘つき……っく⁉︎」
少女が、自分の拳をぎゅっと握りしめる。
それはまるで何かに耐えるように。
しかし潤んだ瞳は、トロンと熱に浮かされていた。
「苦しい? お水、持ってこようか」
少年が立ち上がろうとした、その瞬間。
ぐいっ——。
「……いくな」
少女が、少年の服の裾を強く引っ張った。
そしてそのまま、ふらつく足取りで立ち上がると、座っている少年の膝の上へ——正面から、馬乗りになるように跨ってきたのである。
「わっ……も、桃?」
「……だまれ」
少女の両腕が、少年の首筋にぎゅっと巻きついた。
熱い吐息が、耳元に直接吹きかかる。
服越しに伝わる、少女の温かい体温と早い鼓動。
「……衣緒。その……今日こそは許さない」
「ん〜? なんのことかなあ」
かすれた、甘えてくる猫のような撫で声。
いつもなら絶対に言わない、無防備なおねだり。
少女は、少年の首筋に顔を擦り寄せた。
「お前の匂い、もっと嗅がせろ……」
「桃……それ、ちょっと反則かも」
「お前のせい、だろ……?」
鋭い甘さの瞳が、至近距離で少年を見つめる。
「ほら……責任を、とれ。ばか衣緒……」
「——ふふっ。いつでも取るよ、桃」
溶け合うショコラ。
それはきっと、甘く濃厚な味だった——。
□■□■□
どこかの教室にて。
「ねえマキ。これ、天羽くんから貰ったんだけど」
「——⁉︎ そ、それは!」
「うん。なんでもすっごくリラックス効果があるらしくて。だから私ね? どうせならマキと一緒に、これ食べて味の感想言い合ってみたいな〜って」
「〜〜っ! そんなのアンタの彼氏とでも勝手に好きなだけ食べてなさいよ!」
「えー? 私はマキと食べたいのになぁ」
「ぜーったいにイヤ!」
「ふう〜ん。じゃあいいやっ、天羽くんには申し訳ないけど、誰か別の子にでもあげようかな〜?」
「それはやめときなさい⁉︎」
「……? どうして?」
「それは……そのなんというか……」
「ほんとは食べたいんでしょ?」
「あーもぅ! わかったから、わかったから‼︎ そういうことにするから! 私がアンタと食べるわよ!」
「やった〜! じゃあ一緒にあーんしようねっ」
——そんな会話が、あったとかなかったとか。
『チョコレートの世界史・褐色の宝石』みたいな名前の新書にロマンを感じて数年前に買ったのですが半冊も過ぎずに積読にしてしまった知識が少しは役に立ちました。よかったです