君こそ一番わるいやつ   作:深紫Sιn姉

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13:ローション

夏休みも半ばを過ぎた、とある日の昼下がり。

秀知院学園、高等部の校舎へと続く渡り廊下。

そこを歩く、二人の少女がいた。

 

中等部生徒会会計——白銀圭。

そして、中等部生徒会副会長——藤原萌葉である。

 

「ねえ、圭ちゃん。高等部に行くってことは……またあの『先輩』に会えちゃうってことだね〜?」

「っ⁉︎ な、なに言ってるの萌葉!」

 

萌葉が小首を傾げてにっこりと微笑む。

その無邪気なようで全てを見透かしたような小悪魔な視線に、圭の頬がパッと赤く染まった。

手には、中等部からの予算申請書類が握られている。

 

「え〜? だってこの前のお出かけ、とっても楽しそうに自慢してたじゃ〜ん。映画館で、どんな『素敵なお話』があったのかな〜?」

「す、素敵なお話なんて、べつに……!」

 

圭の脳裏に、あの日の記憶がフラッシュバックする。

暗闇の映画館。うなじに貼られた怪しいパッチ。

脳が溶けるような、未知の熱と快楽。

そして最後に、『ボクは圭ちゃんが好きだよ』と微笑んできたあの顔——!

 

(ううっ……思い出すだけで、恥ずかしい……‼︎)

 

これは憧れなのか、それともまた別の感情なのか。

その答えは出ないままだ。

 

「あ〜っ、顔真っ赤〜! ……あ、でももしその先輩が圭ちゃん悲しませるなら、地下に閉じ込めるから」

「変なこと言わないで⁉︎ じゃあね、萌葉!」

「うん! ばいばい。姉様と合流してくるー!」

 

天使の笑顔で物騒なことを言う親友と別れた。

 

---

 

そして圭は高等部の生徒会室の前に到着する。

ふうっと、深呼吸をしてから覚悟を決めて入室した。

 

コンコン。

 

「失礼します。中等部生徒会会計、白銀圭です」

「——おお、圭か。わざわざご苦労だな」

「おっは〜ろ! 圭ちゃん、いらっしゃ〜い」

 

扉を開けると、そこにいたのは二人だけだった。

兄である白銀御行と、その親友——天羽衣緒。

休日を一部返上して、仕事をする彼らの姿がある。

 

「確か、今日は中等部の予算についてだった——」

「——っ。仕事の用事だからお兄ぃは黙ってて!」

「えっ、なんか急に風当たり強くない⁉︎」

 

天羽と目が合った瞬間、圭は意識しすぎてしまい、つい兄に八つ当たりをしてしまった。

すると天羽が爽やかな顔で、圭のそばへと歩み寄る。

 

「お疲れ、圭ちゃん。いつもお仕事、頑張ってるね」

「え……あっ! 会計の仕事ですから、これくらい当然のことですよ。衣緒さん」

「ふふっ、真面目でえらいなあ」

「そ、そんなこと……ありがとうございます」

 

これってもはや完全に——。

 

「完全に妹が絆されてる⁉︎」

「いいから静かにしてて!」

「まあまあ。そう喧嘩しないで……ね?」

「は、はいっ!」

「じゃあお仕事、一緒に始めようか?」

「よろしく、お願いします——」

 

白銀圭は、仄かに頬を紅く染めていた。

 

 

□■□■□

 

 

「——そしてここをこう直したら。はい終わり」

「ふぁぁぁぁっ〜。感謝します! 衣緒さん!」

「うん。よく頑張ったねえ、いい子いい子〜」

「っっっ〜〜⁉︎」

 

仕事を早く終わらせて、頭をナデナデされる圭。

 

「そ、その……恥ずかしい、です」

「そう? じゃあこっちかな? えらいえらい〜」

「う、ううっ〜〜!」

 

天羽からのそれに、満更でもなさそうな顔だ。

 

「頑張った圭ちゃんには、ご褒美をあげなきゃね?」

「い、いえ! 別にご褒美なんて——」

「——はいっ! これどーぞ」

 

すとんっ。

机の上に、とある『物体』が置かれた。

容量たっぷりピンク色のプラスチックボトル。

中には、無色透明でドロリとした液体が。

それがゆったぁりと、揺れていた。

 

「……? なんですか、これ」

「お肌ツルツル『超保湿ボディローション』だよ」

 

天羽がにこやかに説明する。

だが、横で見ていた白銀の目がカッと見開かれた。

 

「おい天羽……! そのピンクのボトル、それにその異常なまでの粘度……どうせロクでもない物だろ⁉︎」

「人聞きが悪いなあ御行。純粋な美容アイテムだよ。保湿力と滑りやすさを極限まで高めただけで——」

「——待て天羽! それ以上は何も言うな!」

 

白銀が慌てて割って入り、ボトルを奪おうとする。

どう見ても、『いかがわしいもの』の代表格だ。

少なくとも、中学生の妹に渡していい代物ではない!

 

しかし——! ここで兄妹ぶつかる‼︎

 

「ちょっとお兄ぃ! 勝手なことしないでっ!」

「け、圭⁉︎ いやだがな。こういう怪しいものは、もっと慎重に検討するべきで——」

「——これは衣緒さんがご褒美に、私にくれたものなの! 大丈夫に決まってるでしょ⁉︎」

「いやわからんぞ⁉︎ というか、むしろ大丈夫じゃない可能性が高い方に決まっている‼︎」

「お兄ぃは衣緒さんの一体何を知っているつもり⁉︎」

「いや、めちゃくちゃコイツのこと知ってるわ‼︎ だからこそ、まず兄である俺が安全確認を——」

「お兄ぃが美容品なんて使うわけないじゃん⁉︎」

 

圭はぶんっと兄からボトルを隠すように抱きしめた。

そして天羽に向き直り、華やかな笑みを咲かせる。

 

「ありがとうございます、衣緒さん! ちょうど最近、乾燥が気になってたところなんです!」

「どーいたしましてっ。お風呂場で、お湯で少し濡らしてから使うと……すっごく馴染むからね?」

「はい! 今日、さっそく家で試してみます!」

 

そして兄の御行の方を振り返ると、愉快そうに挑発するよう舌を出す。

 

「あっかんべー!」

「け、けーい⁉︎ 待つんだ——‼︎」

 

兄の制止を振り切り、圭はピンクのボトルを大事そうに抱えて生徒会室を後にした。

 

原因の人物、天羽がふと呟く。

 

「兄妹仲、すごくいいじゃん」

「お前のせいだぞ⁉︎」

「ならボク良いことした!」

「してなーーーーーいっ‼︎」

 

 

□■□■□

 

 

そしてその夜、白銀家の浴室にて。

シャワーを浴び終えた圭は、湯気の中でそのピンク色のボトルを見つめていた。

 

(衣緒さんがくれた、超保湿ボディローション……)

 

白い素肌に、お湯の水滴がきらきらと弾いている。

圭は少しドキドキしながら、ポンプをぷしゅっと。

手のひらにたっぷりの液体を出した。

 

とろり……。

 

手のひらに溢れ出したのは、無色透明な液体。

化粧水というには、あまりにも粘り気が強すぎる。

 

「わっ……すごい、糸引いてる……」

 

試しにそれを、濡れた自分の肩から胸元、はたまたお腹まで一気に塗り広げる。

 

ぬちゃあっ。にゅるりん。

お湯と混ざり合った液体は、まるで生き物のように肌に絡みつき、凄まじい粘り気を発揮し始めた。

 

圭の目が、驚愕に丸く見開かれる。

 

「——っ⁉︎ え……⁉︎」

 

自分の手のひらと肌の間に、摩擦が一切存在しない。

 

「わ、わぁ……っ。すごく、ぬるぬるする……」

 

にゅるにゅる。くちゃくちゃ。

不思議な水音が、浴室内に響き渡る。

 

(こ、これ……本当に美容品⁉︎ なんだか、すごく変なことしてるみたいで……っ!)

 

目を閉じると、自分の頭をそっと優しく撫でてくれた、天羽のあの優しい手つきが蘇る。

もしこの身体を、あの綺麗な指で触れられたら——。

 

「〜〜っ! 私のバカっ‼︎」

 

自分の妄想に耐えきれなかった圭。

洗い流すべく、真っ赤な顔でシャワーを浴び始めた。

それは粘液か、邪念か。

きっと、誰にもわからない。

 

わかるのはたった一つ。

いつもより三十分、長風呂しただけ——。

 

 

□■□■□

 

 

間接照明の効いた、妖しい部屋にて。

 

「ねえ桃。これ、試してみない?」

「……なんだよ、それ」

 

ベッドの上に座る少女が、怪訝そうに眉をひそめた。

少年の手には、ピンク色のボトル。

中身は当然、超高粘度のアレである。

 

「うちの新作のボディローションだよ。お肌がツルツルになるから、桃に塗ってあげようと思って」

「……そんなの自分で塗れる」

「えー? 背中とか届かないでしょ?」

「いらん。どうせ変なことする気だろ」

 

少女はジト目で少年を睨みつける。

 

「ひどいなあ。ただの健全なスキンケアなのに」

「その『健全』は信用ならん」

「白銀さんの妹は、喜んで持って帰ったよ?」

「————は?」

 

ピシリ、と部屋の温度がいつのまに北極圏になった。

温暖化問題を解決するのは、コレなのかもしれない。

 

少女の目が、一気に鋭さを増す。

 

「……おい、衣緒。今なんつった」

「え? だから、白銀さんの妹にご褒美で——」

「——なんで他の女にそんなもん渡してんだ」

 

少女が胸ぐらをぐいっと掴んだ。

だが、少年はそれを待っていたかのように微笑む。

 

「だから、桃にはボクが直接塗ってあげるね」

「なっ……⁉︎ おい、待て……!」

 

少年は手を優しくほどくと。

そのまま、少女を押し倒した。

 

ぷしゅっ。とろり……。

 

「——っ⁉︎ つ、冷たっ!」

 

少女の白い鎖骨へと、透明な液体が垂らされる。

驚いて抵抗するように身をよじっている。

だが、少年の手のひらがその上から重なった。

 

ぬにゃあっ。にゅちゅり。

 

「……ゃっ、ん……!」

 

少女が、小さく熱い吐息を漏らす。

 

極限まで摩擦を失った指先。

それが、首筋から肩、そして下腹部へと滑っていく。

ただ撫でられているだけ。

なのに、布地越しに体温が直接伝わってくる。

 

「や、やめろ……っ」

「ふふ、すごく滑るね。桃の肌、つやつやだよ」

「見、るな……っ。ばか、へんたい……」

 

ぬんるぬる。くちゃりちゃり。

 

少年の手が動くたび、静かな部屋に水音が響く。

少女は羞恥に顔を真っ赤に染め、シーツを堪えるように、ぎゅっと握りしめた。

声を漏らすまいと、必死に唇を噛みしめる。

 

「……っ、くぅ……!」

「そんなに力入れたら、余計に滑っちゃうよ?」

 

てかてかと光を弾く、柔らかな肌。

少年の指先が、少女の腰つきをなぞる。

くすぐったさと熱さ。

それぞれが混ざり合い、少女の瞳がトロンと潤む。

 

「……おい、衣緒」

「ん? なに桃?」

「私だけにしろ……誰にも絶対にするな」

「うん。ボクがするのは、可愛い桃だけ」

「……ばか」

 

少女はぷいっと顔を背けつつも、ぬるぬると滑る少年の手に、自分の指をそっと絡ませた。

 

夜が更けるまで、甘い水音が響き続けた——。

 

 

□■□■□

 

 

とある日の朝。白銀家のリビングにて。

朝食のトーストをかじっていた白銀御行の前に。

妹の白銀圭が、すっくと仁王立ちした。

 

「……お兄ぃ」

「どうした圭ちゃん?」

 

白銀が首を傾げる。

圭はすうっと息を吸い込み、静かに宣言した。

 

「私、今度の日曜日。衣緒さんとお出かけするから」

「な、なにいいいいいいい⁉︎」

 

白銀が椅子から転げ落ちそうになる。

口からパンのかけらが吹き飛んだ。

 

「ま、待て圭! あいつと二人きりでは危険だと言っただろう⁉︎ よし、ならば俺が遠くから安全を——」

「——お兄ぃ?」

 

圭の声が、氷点下まで冷え込んだ。

絶対零度の瞳が、兄を射抜く。

 

「もし、勝手についてきたら『絶交』するから」

「ぜ、絶交……?」

「一生口きかないし、ご飯ももう作らない」

 

妹からの非情なる最後通牒!

 

「だから、わかった?」

「そんなに……? そこまで……?」

「うん。だってキモいし」

 

白銀の心にチクチク言葉が!

だが肉親との縁をここで切るわけにはいかない。

 

「わかった……。でも一つだけ約束してくれ」

「なに……?」

 

兄として、白銀はうぎぎと思いつつも言った。

 

「——お土産、よろしく」

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