奥多摩のさらに奥深く!
下界の喧騒から完全に隔離されたその山奥には、東京とは到底思えない『異界』が広がっていた。
「「「おおおおお……‼︎」」」
そこに佇む、絢爛豪華な巨大木造建築。
夕闇を艶やかに照らす無数の赤い提灯。
硫黄の匂いと、どこからか聞こえる三味線の音色。
——まさに、現代に隠された秘宝の地!
「おい天羽……お前、なんだこの凄い場所は⁉︎」
その入り口で、白銀御行は驚き叫んでいた。
隣では四宮かぐやが周囲の空気にゴクリと息を呑む。藤原千花だけが「わぁ〜! まるで千と〇尋みたいです〜!」と能天気に写真を撮っている。
「いやだなあ御行。だから言ったじゃないか、うちの実家を思い出してくれ。——温泉旅館だよ」
天羽衣緒は、さも当然のように爽やかに笑った。
……事の発端は、数日前の生徒会室に遡る。
□■□■□
「今度の三連休、みんなで旅行に行かない?」
いつもの生徒会室。
唐突に切り出された天羽からの提案。
それに、皆が一様に動きを止めた。
「……旅行、ですか?」
「そうそう! 実は奥多摩の山奥に、うちの家系が昔からやってる温泉宿があってさ」
「お、温泉宿⁉︎」
「うん。それが今度、最新の設備を導入してリニューアルオープンするんだけど、その前にプレオープンとして、生徒会のみんなを招待したいなって」
天羽はそう言うと、机の上にささっと。
黒塗りの高級感あふれるチケットを並べた。
それに一番に食いついたのは、当然この女!
「行きます! 絶対行きます! 奥多摩の温泉街なんて、滅多に行けない五つ星の場所じゃないですか‼︎」
「じゃあ千花ちゃんはくる?」
「はい! 着替えも遊び道具も全部準備します!」
「じゃあ決定ね。……あ、でも。こっちが全部揃えるから、着替えも何も準備しなくていいよ〜」
「ええ⁉︎ そんな、いいんですか?」
「もちろん。VIPとして扱うから」
「は、はわわ〜‼︎」
「あ、でも。下着だけは自分たちで持ってきてね」
「わかりました! 勝負下着で行きます!」
白銀はジト目で天羽を見る。
「おい天羽、お前の実家ということは……何かいかがわしいものがあるんじゃなかろうな?」
これまでの数々の奇行(前科持ち)を考えれば、警戒するのは当然の帰結である。
しかし天羽は、心外だとばかりに肩をすくめた。
「人聞きが悪いな〜御行。完全な健康施設だよ」
「……本当か?」
「そらそうよ。疲れを癒すための場所なんだからね」
「……うむむ」
「まあまあ、偶には羽を伸ばすのも大事じゃない?」
「それは……そうだが」
天羽は煮え切らない白銀の耳元にそっと呟く。
「四宮さんとデートするチャンスだよ?」
「————‼︎」
「この前の圭ちゃんのお返し、返すからさ」
これは天羽の罠かもしれない。
だが、それはあまりにも魅力的な言葉だった。
四宮と……実質デート⁉︎
「ふ、ふん……。まあそこまで言うなら、ありがたくお言葉に甘えよう。無碍にするのも変だからな!」
「よし、じゃあ御行も決定〜!」
天羽はほころんだ笑みを浮かべた。
そして最後に四宮の方を見た。
「四宮さんはどう? いけそう?」
「え——その。……本当は行きたいのですが」
「うんうん」
「ごめんなさい。私の家は厳しいですから、一人で勝手に判断するわけにはいきません」
しゅんと落ち込んだ様子の四宮。
藤原も、白銀も残念そうな表情を浮かべた。
それも仕方ないとは、わかってはいるが。
せっかく行くなら、皆で行きたいものだ。
一人だけ仲間外れにするわけにはいかない。
だから、この話はなかったことにしようとして——。
「いや、もう許可とってあるよ?」
「……え?」
「雁庵さんにうち経由で連絡したけど、いいって」
「その、父が……?」
「うん。だから行こうよ」
あっけらかんと言ってみせる天羽。
四宮はぽかんとしたまま、問いかけた。
「それは……本当に、本当ですか?」
「百聞は一見にしかず! これがしょーこ」
ポケットから上質な手紙を取り出す天羽。
そこには達筆な字で、こう記されていた。
『娘の旅行を許可する。——四宮雁庵』
短く、しかしながら強い筆跡。
四宮はそれを受け取るとじっと眺めた。
そして暫くが経ち……。
「……本物。これは間違いなく本物です」
「でしょ? じゃあ行くってコトでいい?」
「ええ、私も行きます。ですが……その前に」
四宮は破顔の笑みを浮かべて、こう言うのだ。
「——ほんとうに、ありがとう」
それは、純粋な心の底からの笑みだった——。
□■□■□
そして冒頭に戻る。
周囲の空気に圧倒される皆々。
白銀は驚き、四宮は息を呑み、藤原だけが能天気に写真を撮りまくっている。
「さて……じゃあ早速、中に入ろうか」
「お、おう……」
「え、ええ……」
「わぁ〜〜!」
天羽が先導し、三人を導いていく。
そんな生徒会メンバーの前に、カツン、と足音を鳴らして一人の少女が現れた。
「……遅えぞ、衣緒」
「ごめんごめん、待った?」
「十分遅刻だ」
「あー、トイレに寄ってね」
「んな知らねえよ」
「いや〜、手厳しいなあ」
鋭い眼光。
そこらの高校生とは一線を画している。
それはもう圧倒的な凄みとオーラ。
「な、おま……⁉︎」
「あ?」
「あら……なるほど」
「ふん」
「その、確か許嫁の」
「……」
そこには——。
チッ、と舌打ちしてきそうなほど不機嫌に見える。
日本全国に根を張る、広域指定暴力団組長の愛娘。
「お待たせ、”桃”」
「はぁ……案内してやる。着いて来い」
——『龍珠桃』がいた!
---
エントランスを通り抜け、広々とした館内に入る。
龍珠の後ろをついて歩く三人の生徒会メンバー。
ちなみに、天羽は少し前に「従業員と話してくる」と言ってから消えたので、今ここにはいない。
「それにしても、なんで龍珠がいるんだ?」
白銀が不思議そうに尋ねる。
同じ秀知院学園の生徒であり、天文部部長を務める彼女とは、会長でない頃からも面識があった。
天羽の許嫁であるということは、もはや周知の事実だが、それにしても不思議だった。
「逆にお前らの方がなんで来たんだよ」
すると龍珠は「ふんっ」と吐き捨てるように言った。
ずんずんと長い廊下を進んでいく。
「もしかして、聞かされてなかったのか……?」
「あ? なわけねえだろ」
「なら、どういうことだ?」
龍珠が少しの間沈黙した。
そして、唇を噛むようにして答えた。
「……もともとは、私とアイツだけでここにくる予定だったんだよ」
「それは——つまり……」
「アイツがお前らを誘いたいって急に言うから、仕方なく対応してやってるんだよ」
「……あー、そのなんというか。す、すまんな」
つまるところだ。
龍珠桃は本来、天羽衣緒と二人で来るはずだった。
しかし、その天羽が急に「友達誘うか」と言ってきたので、龍珠の「逆になんで来た」とはその通りだ。
「その、なんというか……すまんな」
「二回も言うな。別に私はお前らに対してむかついちゃいねえよ。……いつもアイツが悪い」
四宮がそれを聞いて、言葉を挟む。
「龍珠さんは、天羽さんの許嫁でしたよね?」
「だからどうした」
「いえ、純粋に気になることがありまして……」
「……言ってみろ」
ぶっきらぼうに龍珠が返す。
すると、真剣な表情で四宮が問うた。
「龍珠さんは、天羽さんのことが好きですか?」
「————!」
龍珠の歩みが止まる。
そして振り返るでもなく、言葉を紡いだ。
「……アイツはただの許嫁だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「では好きではないと?」
さらに畳み掛ける四宮。
その狙いは、天羽という存在の今までの浮気性的な行動についてどう考えているのか。
それを龍珠自身の言葉から測るためだった。
「……好きも嫌いもねえ。アイツはアイツだ」
「わかりませんね……彼の行動については?」
「アイツが何をしてようが私の知ったこっちゃない」
「そうですか……。これ以上は野暮ですね」
「——ふんっ」
四宮は問うのをやめた。
当の本人が気にしていないと言うのなら、それをどう思っているかなんて、無理やり引き出すのは、失礼にあたってしまうと判断したためである。
再び、ながい長い廊下を歩き始める彼・彼女ら。
が、しかし——!
ここにポンコツなやつが一人紛れ込んでいた‼︎
「でも天羽くんは浮気してますよね?」
——藤原千花! 特大の地雷を踏み抜くっ‼︎
「……は? お前今なんつった?」
「ですから! 天羽くんは浮気魔なんですよっ! この前だって、ホテルに女の子連れ込んでましたし‼︎」
——藤原千花! 信管を抜いたことに気づかずっ‼︎
ぐるりと三人の方向を振り返る龍珠。
そしてそのまま、まっすぐ近づいてくる。
「——おい、そこの胸のでかいバカ女」
そして、藤原の前に立った龍珠は。
ふぁんっ! と、顔の真横の空間に拳を放った。
「——ひえっ⁉︎」
「いいかバカ女。私は一回だけは許してやる」
「ひゃ、ひゃいっ!」
「だがな……もしまた今度同じようなことを、私の前で言おうものなら——」
龍珠桃は、それはそれは恐ろしく冷たく言った。
「——ぶっ殺すぞ」
□■□■□
龍珠による、館内についての一通りの案内が済んだ。
リラクゼーションルームにて。
龍珠の去ったあとの白銀たちは、ゆったり天羽が来るのを待っていたのだが……。
「びえ、びええええええん!」
「ふ、藤原書記……」
「ごわかった、ごわがったよ゛おおおおん‼︎」
「ふ、藤原さん……」
「どうぢて! どうぢてわたじだけあんな目に゛ぃ」
白銀と四宮が困ったように視線を交わす。
そして、互いにこくりと頷いて。
そっと優しく、藤原を慰める声をかけた——。
「「あれはお前(あなた)が悪い」」
「うわあああん! 二人とも冷たいよおおお゛⁉︎」
藤原千花はソファに突っ伏して、ジタバタした。
手足をバタつかせて、まるで子供のようだ。
とはいえ、子供なら少しだけ同情の余地もある。
自業自得とはいえ、本物の極道の娘から直接殺害予告を受けたのだ。
きっと「ころす」でなく「殺す」だったろう。
その恐怖たるや、想像に難くない。
「まあまあ、桃は口が悪いだけで根は優しいよ?」
ポン、と。
泣き喚く藤原の頭に、いつの間にか戻ってきていた天羽の手が優しく置かれた。
「い、衣緒くんんん! 桃ちゃん怖かったよおお!」
「ごめんね千花ちゃん。うちの従業員の手違いで、桃ちゃんに変な負担かけたみたいなんだ。だから機嫌が悪かっただけで、千花ちゃんのせいじゃないよ」
「うっ、ぐすっ……。ほんとですか……?」
「うん、本当。だから泣かないで?」
天羽は藤原の隣に座る。
そして桜色の髪を優しく、子供をあやすよう撫でた。
その手つきがあまりにも自然で、そして甘い。
「ほら、せっかくの旅行なんだからさ。笑って?」
顔を覗き込み、極上の微笑みを向ける天羽。
その中性的な美貌と、なお男らしさを感じさせる落ち着いた声音のギャップに。
「……あ、うぅん。……わ、わかりましたぁ」
藤原はすっかり絆されて、頬を紅く染めてしまった。
ただ撫でられているだけなのに、なぜか逆らえないような心地よさがある。
ぽーっと心地よく温かくなってくる。
そんな、見ようによっては非常に『いい雰囲気』の二人を前にして——。
白銀と四宮は、ジト目で揃って言い放った。
「「やっぱり浮気性じゃないか(ですね)⁉︎」」
「えっ? なんのこと?」
温泉旅館での一日は、まだ始まったばかり——。
昼編に続く‼︎
天羽家はえっち。
四宮かぐやの亡き母は京都・祇園の芸妓だった。
父からの『手紙』は、彼女の宝物となるだろう。