大学での俺、それは世を忍ぶ仮の姿、といっても過言ではないだろう。
波風立たないよう、目立たぬようにと陽南に相談し、服を選んでもらって特に話しかけられることもないぼっちを貫いている。
「いいの? 友達作らなくて」
「いいんだ、目立たない方が大事」
「そか……りょーかい、私に任せてね瑛士くん!」
そんな感じの会話があって、俺は狙い通り普段はあまり目立つことのない無害でぼっちな大学生生活を謳歌している。
──だが、それもあくまで最近までの話だった。今はそんな無害でぼっちな大学生に目立ちまくりの見目麗しい、素朴なように見えてかわいらしい──そう、まるで一輪のガーベラのような人が話しかけてくるのだから。
「おはよ~瑛士くん」
「おはようございます、先輩」
「うん、今日もおんなじ電車だったね~」
「ですね」
その花の名前はガーベラではなく小牧玲奈先輩、かわいいと学内でもちょっとした有名人らしい近所の先輩だ。
同じ電車なのはそりゃそうだ。最寄り駅がまるっきり同じで、しかも同じ大学に通い、さらにさらに一限ギリギリの時間ともなればこの電車しかない。更に言うと階段を下りると決まって先輩が階段すぐ近くの乗車口に立っているため逃げるのもわざとらしすぎるという状態だ、詰んでる。
「瑛士くん、フランス語のテスト大丈夫そ?」
「まさか、ついていけません」
「だよねぇ、おんなじだ、またお昼にレジュメあげるからね」
「……ありがとうございます」
外国語で、俺の中では馴染みがあるとかいうバカみたいな理由で取ったフランス語で後悔を積み重ねているものの、玲奈先輩に助けられてるおかげでなんとかなっている部分がでかい。しかし、この先輩は何故か纏めて渡してくれず、こうして昼に呼び出される約束が絶対条件となっている。おかげで穏やかなぼっちメシが出来ない。
「わぁ、今日のお弁当もおいしそうだね~」
「半分以上冷食ですよ」
「選ぶセンス? じゃないかなぁ」
「ほぼ一週間同じなんですけど……」
「そんなことないよぉ、ね?」
「……卵焼きですね」
「うん、あーん」
挙句、お昼一緒の時はこれである。甘えん坊、というかまるで年上ではないかのように今日のメニューの中ではおそらく唯一の手作りである卵焼きに目を輝かせて口を開けてねだってくる。それを見越して俺も切れ端とかを弁当に詰めているんだけど、それにしたって、毎回毎回、幸せそうな顔で食べてくれるのは正直、作ってて嬉しい瞬間だけど。
「……という感じなんだよね、今の大学生活」
『カノジョとほぼ一緒で困っちまうわ~っつー自慢にしか聞こえやんけどな』
「違うけど」
『ま、殆どの人には悩みとすら取ってもらえない現象や、ヒデのソレは』
「ナナオーさん……!」
朝倉さんに誘われてボウルさん、俺、そして朝倉さんの知り合いの社会人兼個人勢のVTuberでもあるナナオーさんこと「漆黒のナナナオー」さんと一緒にゲームをしている。一応そっちは裏垢とのことで表では「七尾小丸」というおじさんなのにかわいい響きの名前でちょっと古いゲームをしている。
「ナナオーさんはモテたんです?」
『いーや全然やね、今は多少チヤホヤされとるけど』
『ナナっさんって女性関係で苦労してそうって前にクラっさんが言ってたっすね』
今は古いゲームではなく男四人で一つの島を開拓するスローライフ系のゲームをしている。FPSや対戦系のオンラインゲームも朝倉さんとかにコーチしてもらったけど、あんまりハマらなかった。その代わりこれは楽しくて、陽南から借りるだけじゃ物足りなくなって本体とゲームを別で購入したくらいだ。おかげで陽南とも別で遊べているし、なんなら時折陽南もチャットなしで参加してくれるけど。
『その先輩って前に話してたやつやんな?』
「そう、大学が同じなの知ってから、まぁありがたいことも多いんだけどね」
『かわいいっちゅー話やけど』
「かわいいですね、学内で有名人らしいです」
『あー……そら悪目立ちしてまうなぁ』
玲奈先輩のこと、迷惑だとまでは言わない。仮にも俺がバカみたいな理由で取った講義を、同じものを受けたからと言って去年のレジュメをくれてなんなら勉強を教えてくれて、お昼はなんだかんだで色んな話を聞いてもらったり、逆に話題を振ってもらったりしてぼっちよりも華やかなのは間違いない。
──でも、俺はその大学生活を好ましいとは、続けたいとは思ってなかった。
『善意とか好意は、断った瞬間にコッチが悪党になるからな』
「……ボウルさん」
ボウルさんのぽつりとした呟きは、ずしりとした重厚感があった。
善意と好意、まさしく玲奈先輩から良くしてもらっている俺の状況そのものだ。嬉しいしありがたい、けど俺は今の状況が好ましくない。なんならビクビクしてる、建物の裏に呼び出されて虐められるとか、ないだろうか。
『流石にそれはねェとは思うけど……』
「で、ですよね」
『でもきっと、その先輩を狙ってる男はたくさんおる気がするんやけど』
『まァ、いる』
「……ですよね」
玲奈先輩は、俺と一緒じゃない時は大抵男女混ざった複数のグループで歩いている。俺を見つけた途端に笑顔で駆け寄ってくるまで、この前なんかスポーツ系のサークルらしい男三人と仲良さげに歩いていたのを目撃したものだ。その後先輩はすぐ俺を見つけて、三人とは別れていたけれど。
『男女分け隔てなく仲が良くて、美人か……ツーアウトってとこやろか?』
「なんのアウトカウントですか?」
『そりゃ、男性経験豊富そうってことだろ』
『所謂ビッチってやつや』
『ナナっさん?』
ビッチ、なんてことを言われて俺は眩暈がした。いやいや、俺は別に処女に拘りがあるわけじゃないし、先輩はキラキラした人だから中高時代や俺が知らない去年にカレシがいたとしても不思議じゃない。そして恋人がいるのならば、
『今頃、カレシとヒデの話しとるかもな』
「やめてくださいよ」
『気分はよくないわな、そういう妄想』
のんびり穏やかなゲームで建築しながら、口はとんでもなく不穏な会話を続けていく。
別に、玲奈先輩にカレシが居ること自体は問題じゃない。今頃、そのカレシとデートをしているとしても俺には関係がない。
でも、そこの話題に俺が出るというのが無理だ。笑われてるかもしれない、もしかしたらカレシから玲奈先輩を狙う害虫だと思われてるかもしれない、そう想像するのがキツい。
──項垂れていると、肩をトントンと叩かれて振り返った。
「どしたの?」
「あ、陽南、おかえり」
「バイトなかったんだ」
「うん」
だからか陽南の普段通りの態度に、とても安堵してしまう。
ヘッドホンを外して、二人に事情を説明する。高校生の従妹が居ることは当然ナナオーさんも知ってる。というか一緒に同じゲームで遊んだこともあるのだが、彼女が土橋詩音であることは伏せなければならないため、声や姿は一切明かしていない。ナナオーさんもボウルさんもそう簡単にしゃべることはないとは解っているけどこれは安全策だ。
「ごめんなさい二人とも、従妹帰ってきたから、またご飯食べ終わってからで」
『りょー』
『羨ましいなぁ、同棲従妹の手作りご飯……エロゲやん』
『ご飯作ってるの、モリくんの方だけどな』
『そうなん!?』
言ってなかったかそういえば、と苦笑いしつつ俺は通話を抜けてゲームもスリープモードにした。
改めて振り返ると、陽南はまだ制服で、どうやら自分の部屋ではなく直接俺の部屋に帰ってきたらしい。こういうことはお互いの合鍵を持っているから珍しくはないけれど、短めのスカートで無防備だから、少し所在が悪くなってしまうためなるべくなら着替えてきて欲しいとは思っている。
「さっきの、ナナオーさんとアサイーボウルさん?」
「そうだよ」
「そか、で、何の話だったの?」
「……先輩の話」
「喫茶店の?」
「そう」
「ふぅん……」
あのデートバレから先、陽南は前よりもずっと露骨に嫉妬の感情を見せるようになった、と思う。今もちょっとだけ不機嫌そうだし、先輩の話をすると少しだけ近寄って、くっついてくるのだから。
「瑛士は善意に弱すぎなんだってば」
「みんなそうじゃない?」
「じゃない、嬉しくない善意は悪意と一緒だよ?」
「そうかもね」
「今だってさ、私がくっついて困ってるのに、振りほどかないもん。嫌がっていいんだよ?」
「それは、嫌じゃないからなぁ」
「……ばか、ちゅーするぞ」
「それはやめて」
陽南の顔が急に目の前に出てきて、咄嗟に手で制してしまう。当の本人も流石にそこまで本気じゃないようで、もう一回だけかわいらしい罵倒をされて離れていった。
──後から振り返ると、この時の俺はボウルさんやナナオーさんの言うように先輩の
小牧玲奈という女性は最初から、かわいくて、明るくて聞き上手で、俺の世話を焼いてくれる優しい先輩なんかじゃ、なかった。
「おはよ、瑛士くん」
「おはようございます」
「二限ギリギリだよ、急いで」
「はい!」
あの人の本性は、俺の考えなんか及ばないような、もっともっと深く、暗い海の底のような──少なくともまともに異性と付き合ったこともない俺の手に負えるような相手ではない、それは確実だった。
「……なー、今の誰?」
「ん~? 後輩だよ、私のかわいい後輩」
「ふーん、で? サボる?」
「どっちでも……なんて言ったら、私は巣に連れ込まれちゃうのかな?」
「そりゃもう、おいしく食ってやるさ」
「や、もう、えっちな手だなぁ?」
この日──俺は玲奈先輩にはその一度だけしか会わなかった。
約束なんてしていないけれど、俺は一度だって学内で先輩を目撃することはなかった。
ぼくの玲奈先輩は男にほいほいついていったりしません
……そんな、うそだよな……?