私はきっと、浮かれていた。
瑛士くんと一緒に居られて、陽南ちゃんとも仲良くなれて──陽南ちゃんが瑛士くんのことを好きなのはわかっていた。でも、離れることはできなかった。きっと瑛士くんはいざという時に陽南ちゃんを優先するだろうことも、わかってたつもりだった。
──でも、いざ本人の口からそれを理由に振られてしまうのはすごく、痛かった。
「先輩、玲奈先輩!」
「あ……」
「僕は先輩の傍にいますから、約束です」
「……うん!」
そうだ、これはきっと私が行ってきた罪への罰なのかもしれない。
あの子の笑顔をぐちゃぐちゃにして、踏みつぶして、当時の私は──高校生になった私はそれに対して罪悪感から目を逸らして、忘れようとした。
瑛士くんにちょっと似ている気がする「彼」は私の中学の後輩だった。瑛士くんよりもちょっと元気な男の子で、無邪気で、でもいつも真正面から私を少し幼い笑顔で「かわいい」と言ってくれる、そんな子だった。
「僕、玲奈先輩が好きです……だから、付き合ってください」
「……うん」
「やった、やった!」
彼は、私の初めての恋人だった。私の高校に合格した日に告白してくれて、今度は受験で頑張る彼を私が教えてあげよう、支えてあげようと思った。そうすることで大好きな彼を愛してあげられると思った。
でも私は、当時は自分で思っているよりもいい子じゃなかった。お父さんのことが嫌いで、お父さんのお店が嫌いで、いい子でいることが嫌いだった。
今思えば、愚かだと思う。でも、そのころの私にとって大好きな彼を愛してあげること、支えてあげることよりも、彼の無邪気な言葉で好意を伝えられて感謝されるよりも、飾り立てた言葉で愛されること、裸のままで性欲という名の愛を伝えられることがステータスだった。
「だめ、今日は勉強会の予定だから」
「じゃあ、お預けする?」
「……それは」
「どっち?」
「んっ、やだ、お預け、やだぁ」
ハッキリ言って、私は性欲が強い方だった。前から、えっちなことには興味があったし、彼とも勉強の息抜きにディープキスとか、アソコを触ってもらったり、逆に彼のを触ったり、舐めたり、本番は怖くてできなかったけどそういうことをしていたくらいだ。
だからその快楽に溺れてしまった私は、高校で入った部活の先輩を始め、色んな人と交わった。
そんなことをして、彼が離れていかない筈がない。バレて、お別れして私は自分のやってしまったことを正常に判断することもせず、形だけの後悔をして泣いて、それすら別の男の人に身体を使って慰めてもらった。
「俺は
「うん、よろしくね相馬くん」
大学に入っても結局、やることは男漁り。そんな私と遊ぶ男はいても、ちゃんと好きになってくれる人はいなかった。好きだなぁと思った人も、私の性欲に流されてしまう悪癖を理由に離れていった。
「別に好きになる必要なくね? だって玲奈が好きなの、セックスだけじゃん」
相馬は、相馬くんは私と同じどうしようもなく、性にだらしない人だった。類は友を呼ぶとは言うけれど、本当に私たちは
「ん……朝?」
「もう昼前だな」
「──お腹、減っちゃうわけだ」
瑛士くんの前からも逃げた翌朝、私は自分の家ではない、だけれど見知らぬというわけではないベッドで目を覚ました。
夜もあんまり食べてなかったから起き抜けにお腹がぐう、と鳴る。隣にはコーヒーを手にした相馬くんが居て、受け取って一口啜る。
「にがい」
「大分ミルクも砂糖も結構入れたんだけど」
「もっと」
「……エロイ意味?」
「違います、もういい……」
溜息を吐いて、私は立ち上がった。陽南ちゃんに借りたTシャツと、下はショーツだけ。一瞬だけ隠そうとも思ったけど、相馬くん相手でそんなことをしても意味がないとそのまま立ち上がってスティックシュガーを取り出した。
「今日も泊まる?」
「帰る、というか大学あるし……相馬くんもね」
「玲奈のケツを拝んで、大学に行く気はなくなるなぁ?」
「……家帰る」
このやりとりに嫌悪感を抱くようになったのは、瑛士くんと出逢ってからだった。
瑛士くんと出逢ったから、というより瑛士くんの雰囲気やおしゃべりなところが、彼と重なったからだった。あの子の失望した顔を今更になって思い出して、性欲に囚われた自分が、急に虚しくなった。だから相馬くんともお別れしたし、それ以来二度と無暗に男の人と寝ないと決めていた。決めていたのに。
「……お酒、飲んだんだっけ」
「おう、しこたまな」
「だから頭痛いんだ」
私も相馬くんも四月生まれだから、とっくに
昨晩の記憶が曖昧だけど、この状況で相馬くんが手を出さない可能性がないから、余計に頭が重くなったような錯覚があった。
「そんな顔すんなって、第一俺んちまでのこのこ着いてきて、酒要求してきたのは玲奈の方だからな」
「……解ってる。反省してるし、後悔してる」
「だろうな、シャワー浴びてくか?」
「いい」
「無駄に悩むなよ」
──解ってる。どんなに後悔したって、過去はなかったことにできない。私の頭がお花畑で、気持ちいいからって流されていたことを、いつか瑛士くんも知っていたって。瑛士くんはこんな女のことを失望するってことも。
「じゃ……ごめん、迷惑かけた」
「いっこだけ言っとくけど」
「……うん」
「お前とあの後輩くんじゃ、釣り合わねーよ」
俺は先輩とは釣り合わないから──相馬くんの気を遣ったのかなんなのか解らない台詞で昨晩の言葉がフラッシュバックした。
一応玄関まで見送ってくれる彼を一度だけ振り返って、私はなんとか一言だけ返した。
「知ってるよ」
私と瑛士くんじゃ釣り合いが取れない。言われなくても、解ってる。
スマホの充電はもう切れてて、私は昨日の格好のまま、駅で電車を待つことにした。これから家に帰って、シャワーを浴びて、いつもの格好に着替えて、大学はちゃんと行くってお父さんと約束してるからサボらないようにって言っても、もう手遅れだけど。
「……結局、高校の時から私って、なーんにも変わってないんだなぁ……バカみたい」
電車に乗り込んで、ガラガラの座席に座っていくと不意にそんな愚痴みたいな言葉が出てしまった。
そんな言葉を吐いても私に肩を貸してくれる大好きな後輩は、もういないのに。私が手放したばかりなのに。
──私は、バカだ。
──大学をサボった。一年生の前期課程修了間際にして初めて、俺は学業のサボりというものを経験し、愕然としてしまう。
朝起きて、朝の準備をしていたところまでは覚えている。いつものように弁当を詰めて、陽南を見送って、それから座って椅子にもたれて──はっと気づいたら既に11時だった。大学のサボタージュというのはこれほど恐ろしいものなのか、高校とは違い、学校から特別連絡なども来ない。ただ欠席がひとつ積み重なって、講義によっては満点が取れなくなるだけ。
「……簡単すぎる、これは落単する学生が居るのも頷けるな」
思わずそうひとりごちてしまった。こんなの朝起きる気がなければ一限目の講義なんて一生経っても受けられないだろう。願わくばこれがクセにならないように気をつけたい。ただでさえこんなクソオタクなのに不良になったら下手すると今の生活ができなくなってしまうから。
「玲奈先輩……大丈夫だろうか」
安否は、メッセージが返ってこないのが気がかりだけど、命に別状はないとは思う。なんせ相手は誘拐犯でもないし強姦魔でも殺人鬼でもないのだから、ああでもエロいことはしてるのか、でも同意だろうしまぁ問題ないか。
「……してる、よなぁ」
処女厨とか、そういうことじゃない。俺の額に角は生えてないし、膜から声が出てないとかキモすぎることは思ったことすらない、なんなら俺は先輩の告白を断った。ごめんなさい、付き合えませんと伝えたのだから男と寝ていても発狂する権利すらない。ぼくのだぞ! と喚く権利もない。
だが、先輩が男について行ってメッセージが返ってこなかったという事実が俺の頭に鉛の塊を乗せていた。
「先輩はちゃんと大学行ってるのかな……話、出来るかな」
望みは薄い、気がする。俺だって気まずい。
それでも大学には行かなきゃいけない。サボっちゃダメだよ、と玲奈先輩と約束したんだから、もう手遅れかもしれないけど意識がはっきりしたのなら立ち上がらなければ。
「……行くか、大学」
身体は動く、いつものように待ち合わせてもそこに先輩はいないだろうけれど、それでも俺は一人でも大学へ向かわなきゃいけない。
先輩とした約束を嘘にしないために。またいつもみたいに先輩に会うために。
ここで第一章は終わりです(大分長い間第二章とかいう誤字かましてますけど)
次からが本当に第二章です。