第18話:悪い先輩と悪い後輩
玲奈先輩に告白され、断って、突如として現れた相馬先輩にその先輩を連れ去られていってしまい、茫然自失となってしまって少しした頃、陽南が歩いてきた。事情を知らない陽南は左右を見た後、俺に対して「玲奈ちゃんは?」と訊ねた。どうしようか一瞬迷ったが俺は包み隠さずあったことを全部話したのだった。
「バカじゃないの? なんでそれでぼーっとしてるのバカ瑛士!」
「で、でも……」
「でもじゃない! 玲奈ちゃんが瑛士を嫌になってその元カレに着いて行ったと思ってる?」
「だって……」
「だっても禁止!」
事情を知った陽南にめちゃくちゃ怒られ、俺は失意のままその夜を過ごした。正直、そこから先のことはよく覚えていない。
言い訳は頭の中に幾らでも浮かんでいた。好きだって、あんなに泣きそうな顔で言われて釣り合わないなんて変な断り方をした俺が、今更玲奈先輩を追いかけて何が変わったのだろうか、相馬先輩の見た目はいかにもなチャラさがあったけど俺より背が高くて、おしゃれでイケメン、お金もありそうな雰囲気までしていた、俺に勝てる要素なんて何一つとしてない。そんなステ差の暴力を見せつけられて、俺が立ち向かえるはずがない。
「正直さ、私は最初、瑛士のことを揶揄って弄ぶ悪女だと思ったから、玲奈ちゃんのことが嫌いだった」
「……うん」
「でも話したら、ちゃんと会ってすぐ
陽南は俺にそう言い聞かせるようにぽつりぽつりと、電車に揺られながら教えてくれた。
──嫉妬は勿論する。陽南からすれば玲奈先輩は俺と二人の世界に入ってきた侵入者で、玲奈先輩はそこに引け目があった。だからこそ、陽南は先輩を受け入れた。
「私が詩音じゃなかったら、きっと私にチャンスはなかった……瑛士は私に目を向けてくれなくて、ただの従妹で終わってた」
「そんなこと……いや、あるか」
少なくとも俺は陽南と顔を合わせるまでそういう認識だった。
いやなんか改めて陽南本人から言語化されると俺ってめっちゃキモくないか? 久しぶりに会った従妹が美人推し声優でアーティストだったから異性として意識しましたってこと? うわ最悪すぎる、もう一生詩音のこと好きとか言わないでほしい俺の推しが穢れる。
「うぐ……」
「どうしたの? 頭痛い?」
「俺の頭の中に住んでる同担拒否の悪魔が暴れてる……」
「あのさ、今ふざけてるところじゃないんだけど」
「ごめんなさい、でも俺的には真剣なんだよ」
ともかく、陽南が詩音ではなかったらという仮定については否定させてもらう。
あのマンションで生活していく俺にとって大学に通うというのがまず第一の優先事項、そして次にあるのは高校生でありながら一人になってしまった陽南を安心させることだ。そこは例え陽南が土橋詩音じゃなかったとしても、優先していたことだし、きっとそれを理由に玲奈先輩の告白を断っていたと思う。
「嫌でしょ、従妹とはいえあんまり年も離れてない異性と一緒に住んでる男なんて」
「だね、普通はそう」
「もし実際に付き合っても、俺はデートをドタキャンしてでも陽南を優先すると思う、でもそれは恋人になりたいって告白してくれた先輩に対して、不誠実で、最低の浮気男みたいなものだし」
「そこはえらい、瑛士の言う通り」
褒められたぜ、という喜びは置いといて。
だから、先輩に言われて初めて俺の中で気付いたことがあった。あの時の玲奈先輩の顔が俺の心臓を痛いくらいに握ってくる。
同時に、あの日常が失われることが、雨の続く梅雨の季節から一ヶ月近く続いた日々が失われるのが怖かった。
「──俺は、玲奈先輩が」
「……うん」
「好き、だったんだと思う」
「ん……だよね」
ありきたりすぎて冷笑すら出そうだが、失ってから初めて気付いた。俺にとって玲奈先輩と過ごした時間は、いつの間にかすごく大切なものになっていた。最初は意味が解らなくて怖かった、なんで構ってくるんだろうって。先輩はモテるし、男友達もたくさんいるのになんで俺なんだろうって。
──先輩はそのころからずっと、俺を好いてくれていたんだ。
「バカだな……俺って」
「知ってる」
俺が憶えている陽南との会話は、それが最後だった。
時間は飛んで、翌日午前13時前、俺はとにかくしゃきっとするため軽めの昼ごはんを食べてから家を出た。
「あ……」
「あ、せ、先輩……」
「ん……サボり?」
「そう、なっちゃいますね……先輩は今帰ってきたんですか?」
「シャワー浴びて、着替えてすぐ」
「そ、そうですか……」
駅でばったり玲奈先輩と出逢ってしまい、すごく気まずい気持ちになっています。誰か助けてくださいお願いします。
こころなしか、いや確実にいつもよりも距離の空いた状態で俺はもう別の車輛にしようかと一瞬考えてしまう。だが先輩の横顔が、いつもの明るさとは反対すぎて、放っておけなかった。陽南に叱咤されていなければ、こんな発想すら出てこなかっただろうことは内緒だ。
「だ、大学までご一緒しませんか?」
「……陽南ちゃんに言われたの? 放っておくなって」
「う……バレますよね、そうです」
玲奈先輩の反応がいつもの数倍はドライでショックを受けてしまう。顔も合わせてくれないし、早速心が折れそうです助けて陽南。
ただ、放っておけないと思ったことだけは嘘じゃない。陽南に言われなくても、今の先輩を見て見ぬふりなんてできない。
「先輩、俺……」
「何も言わなくていいよ、気を遣わなくても」
「嫌です」
「え……」
「気は遣います、言いたいこともいっぱいありますから……俺は」
言い淀んでしまって、目を閉じる。
玲奈先輩に昨晩なにがあったのか、よくわからないけど少なくとも完全に会話を拒絶する程嫌われているというわけではないことは解った。
だから俺に必要なのは、お節介を焼く勇気だ。
「俺は、玲奈先輩のことが知りたいです」
「……瑛士、くん」
それがどんなに苦しいものだったとしても、俺にとって不都合だったとしても俺は逃げちゃいけないんだ。逃げたら、二度と玲奈先輩の後輩を名乗ることはできない。二度と、この人の笑顔を真正面から見る資格はない。
「知ったら、幻滅するよ?」
「しません……とは言い切れないかもしれません。実際、元カレがいた話はちょっとだけ嫌な想像をしました」
「嫌な……?」
「電車の中では憚られる内容です」
「……えっちなやつなの?」
訊かないで欲しい。だが、その反応がよっぽどアレだったのか、玲奈先輩は堪えきれなかったかのようにふふっと笑みを漏らした。
その漏れ出た笑みは、ふふ、だけでは終わらずそのまま押し殺すような笑い声が近くに居た人の視線を集めるくらいまでになっていった。
「なん……っ、ふふ、ばかみたい……こんな、こんなことで」
「せ、先輩?」
「──瑛士くんは、しょうがない人だね」
「う……」
「そうだよねぇ、瑛士くんは……瑛士くんはあの子じゃないんだもんね」
「……はい?」
ちょっと意味が解らないけれど、俺は玲奈先輩の笑顔を引き出すことができたらしい。
俺のおかげかどうかはちょっと違うけれど。
だが、玲奈先輩は吹っ切れたように俺の手を握ってきた。
「ねぇ、瑛士くん?」
「は、はい」
「私、実は悪い人だったんだけど……」
「そ、そうなんですか?」
「悪い先輩に、唆されてみる気にならない?」
俺は、その悪戯っぽい先輩の笑顔に頷くことにした。
すると、玲奈先輩はまるで今までよりも更にいい笑顔で俺の耳元に囁いてきた。
ドキリとする、吹っ切れたせいかいつもよりも色っぽいというか、これが本来の先輩なのかもしれない。
「今日は、サボっちゃおうか?」
「……え」
「サボって、悪い先輩とデートしませんか? 瑛士くん?」
玲奈先輩の提案、初めてのサボリ、俺はその日悪い先輩に誘われて悪い後輩になることに決めた。
──講義をサボり、バイトをサボり、玲奈先輩とデートをする。きっと陽南に知られたらめちゃくちゃ怒られるんだろうか。それともよくやった、なんて言ってくれるのだろうか。解らないけれど、俺は玲奈先輩の手を取った。