先輩の「レコンフォール」とは違う、大学の最寄りから更に先にあるライブの時に利用した大きな駅の近くにある喫茶店で、玲奈先輩は少し時間を掛けて自分の過去の話をしてくれた。
玲奈先輩の中学時代の後輩、荒れた高校時代や清州相馬先輩と付き合っていた期間の話をしてくれた。
「う、え……え、えぇ」
ざっくりまとめると清楚系でふわふわのかわいい玲奈先輩の異性交遊が爛れていて、すごく言葉を悪く言えば「クソビッチ」であるという告白、ちなみに俺の反応はこんな感じだった。童貞にこの事実を受け止める脳みそはありませんでした。
「ごめん……だから私は、瑛士くんが夢見ていたような先輩じゃないんだ」
「……それは、覚悟はしていました。いえ想像以上で狼狽えましたけど」
「え?」
「前から忠告されてたんですよ、ネットの友人たちに……その、先輩みたいな美人が寄ってくるのってどういう心理? みたいな感じで相談してて」
結論から言えばナナオーさんやボウルさんの言葉が最も玲奈先輩の実像を捉えていたということだ。同時に朝倉さんの言葉も、合っていたことになる。あの人たちはすごい、俺とは人生経験の厚みというのか、他人と関わってきた歴が違うだけはある。
「それを踏まえて、幾つか気になってるんですけど……訊いてもいいですか?」
「いいよ、もう瑛士くんに隠し事はしない」
「言いにくいことは隠してください……じゃあ、その清州先輩とずっと連絡取って、呼び出されたら俺から離れてた理由は?」
「相馬くんと会わせたくなかった、傷つくと思ったから」
「……なるほど」
玲奈先輩は俺が先輩に幻想を抱いていると思ってたから、元カレとか出てきたら距離を置かれるんじゃないかと思って怖がっていたのか。まぁ実際、ちょこっとだけ都合のいい幻想を見てはいたんだけど、それは色んな人に打ち砕かれた後だったし、スマホの画面もチラっと見ちゃったからな。
「勝手に見てごめんなさい」
「ううん、覗き見ようと思ったわけじゃないんでしょ?」
「そうですね」
「だったら、謝らないで」
清州先輩、フルネームが判明したから苗字で呼ぶことにしてやった。その清州先輩は玲奈先輩が好き、というより玲奈先輩の身体が好きらしい。なんだそのいやらしくも甘美な響きは、けしからんぞ。
「相馬くんはなんというか、下半身で生きてるから……だからデートもロクにしてくれない、講義はサボるしサボらせる、私がセフレとしてても割り込んでくるで、ムカついて拒否し続けてたらつまんなくなったみたいで別れたんだけど」
「……セフレ」
「あ、ごめん……ひとつ上の先輩」
「そうなんですね……セフレ」
すごい、そういう感じのマンガとかでしか聞いたことのない単語に脳がびっくりしちゃった。というか清州先輩は本当にそういう感じのチャラい人だったんだな。
玲奈先輩はそんな清州先輩と恋人、というよりはほぼセフレみたいな関係だったということらしい。
「あ、でもね、瑛士くんに会ってからはもう相馬くんと、そういうことしてないから」
「……してないんですか?」
「うん」
「じゃあ……昨日は?」
「私、ヤケ酒してそのまま寝ちゃってたみたい」
それ以前も先輩が清州先輩と一緒に居て誘われたこともあったけど、全部断っていたとは言った。普通ならこんなの信じられない、となるだろうし玲奈先輩も信じてもらえるとは思ってなさそうだけれど、俺としてはあっさりと納得していた。
「そうなんですね」
「あ、えっと……信じてくれる?」
「はい、この状況で嘘吐いたらそれこそ幻滅しますから信じてますよ」
「……その言い方、ちょっと怖いかなぁ~」
「嘘なんです?」
「嘘じゃないです」
じゃあ大丈夫ですよ、と顔を近づけてきた先輩を制した。なんだかその動きが普段の、頼りになる先輩風が完全に止んでる気がする。
もしかして俺の前では頑張って先輩というロールを演じてくれてたんだろうか。
「キミは、瑛士くんは彼に似てる、って最初思った……でも、やっぱり全然違うね」
「でしょうね、俺と同じところなんて後輩ってところくらいです」
「だね……はぁ、バカみたい。自分からダメにしてたクセに、今になって後悔して瑛士くんを代わりにしようとしてた」
「それに関しては、慰める気にはなりませんね。NTRは悪です」
もし俺がいえーい、カレシくん見ってる~? とかされたら多分、もっとみっともなく泣き喚いて駄々をこねると思う。もっと口汚く先輩を罵ると思う。
それで幻滅されたとしても、俺は先輩を許せないと思う。
「だから俺に許された気にならないでください」
「うん」
「それでもし、その後輩に会うことがあれば、例え罵詈雑言を浴びて許されなくても謝罪してあげてくださいね」
「……うん」
先輩の声はだんだんとしめりけを帯びて、震えてきてしまっていた。許せないし擁護不能とは言っても、泣き出されてしまったら俺もあわあわとするしかなくなってしまう。
だが、顔を上げた先輩は泣いているのに、笑顔だった。いつもの、俺がかわいいと思った眩しいくらいの、笑顔だった。
「やっぱり……すきだなぁ」
「玲奈先輩……俺は、俺は陽南を優先したいから」
「わかってる、でも……それでもすき」
それは改めての告白であると同時に、俺がかつて後悔してしまった程好きだった後輩への想いとの決別だったように思えた。
後輩を好きになったのではなくて、玲奈先輩は今、大森瑛士という一人の男をまっすぐに見つめて、想いを抱いていることを伝えてくれた。
「瑛士くんは?」
「お、俺は……とは」
「私は、瑛士くんがすき、瑛士くんは?」
「え、えぇっと、だから俺には」
「──陽南ちゃんを優先したい、推しを優先したい、それはさっき聞いたよ。私もそれでいいって言った。じゃあその上で……キミはどう思ってるの?」
玲奈先輩の両手が俺の頬に触れる。その手はさっきまでアイスティーを飲んでいたせいか、ひんやりと冷えていて、だからこそ俺は覗き込んでくるその顔から目が離せなかった。
──ああ、玲奈先輩は俺の欺瞞を見抜いている。陽南を言い訳にして、詩音を言い訳に使ったその奥にあった、俺の本当を先輩は見つけてしまっていた。
「俺は……俺じゃあ釣り合わない。いつか絶対に先輩を嫌な目に遭わせるって、そう思ってます」
「私は瑛士くんが買ってくれるような人じゃないよ、安い女だよ?」
「そうじゃなくて」
かつての先輩は男の人に誘われたらほいほい着いて行っちゃうような人で、そうだったとしても、これからの先輩はそうじゃない。少なくとも俺はそう信じてるから、だから言える。これからもっと、玲奈先輩を一番に優先してくれて、愛してくれて、その上満足させてあげられるようなハイスペックな男が現れると思う。先輩は素敵な女性だから。
「俺は先輩を優先しません、陽南の風呂上りとか、最近は部屋着でのちょっとした露出にもドキドキしてますし、耳元で甘えるような囁き声に毎回負けてアイスを買うようなダメな男です」
「……結構なことしてるんだ瑛士くん」
「そうです、ぶっちゃけムラつくこともあります。陽南もわかってて胸元とか見せてくるし、もしかしたらいつか間違いが起きる可能性は充分にあると思います」
「不健全だねぇ、私が言えたことじゃないんだろうけど……すごく不健全だよ?」
「はい」
でも離れられない。俺にとって今のマンション暮らしは理想の生活そのものだ。なんならすぐ隣に推しが薄着で転がってくる生活だ。煩悩で頭がおかしくなりそうなのをぐっと堪える日々だ。だからこそ、俺は先輩には相応しくない。
──俺は間違いなく、玲奈先輩と付き合っても、陽南への気持ちが変わるわけじゃないから。
「俺は、陽南が好きなんです。世間体とか、オタクとしてのプライドとか、その他諸々で付き合うわけにはいかないし、関係を持つわけにはいかないけど」
「知ってるよ、瑛士くんを見てればそのくらいは」
「いえ、俺は……俺は、最低でチョロい童貞オタクなので、それだけでは収まりません」
「……うん」
「玲奈先輩のことも、好きなんです」
そう、俺は最低最悪の二股野郎だ。
だって、だってこんな美人で清楚系、なのはエセ清楚なのが確定しているけどかわいい先輩に毎日構われてデートだってして、距離感近めで毎日メシ一緒に食べてお世話してもらってるんだぞ! こんなの好きにならない方が嘘だろ! 俺は好きになっちゃった!
「じゃあ……悪い先輩からアドバイスしてあげる」
「……なんです?」
「だって少なくとも陽南ちゃんが高校生の間は、付き合うつもりがないんでしょ?」
「はい、未成年だし俺は陽南の面倒を見る立場を両親から任されてますんで」
「その間は、私を付き合おうよ」
──言葉が出なかった。
その瞳は、さっきの俺が抱いていた清楚系とは全くの別物だ。捕食者の瞳、ゆるふわな雰囲気からは到底考えられないような、俺を悪の道に引きずり込む、悪魔の微笑みと眼差しに、俺は二の句が継げなかった。
俺が信じた天使の正体は、俺のことを虎視眈々と狙う、悪魔だったのだ。
天使で悪魔な先輩、爆誕――