夏休みが始まった。陽南はそれより少し前から始まり、俺と玲奈先輩は八月に入った頃から始まった。
陽南は先日から「ヘブンズ」のメンバーで撮影と練習があるらしく数日家を空けていた。
そんな日の朝、俺は「レコンフォール」へと足を運んでいた。
「瑛士くん、おはよ~」
「おはようございます、玲奈先輩」
「ん? ございます? 先輩?」
「……おはよう、玲奈……さん」
やや圧のある笑顔に俺は一応訂正をしておいた。
玲奈先輩──玲奈さんと俺は、恋人として先日から過ごすことになった。と言ってもまだ数日、先輩だった頃の距離感が抜けないのも仕方のないことだ。
「どうぞ」
「ありがとう、ございます」
「うん」
アイスティーを淹れてもらい、俺はそれにストローを差して飲んでいた。普通のアイスティーのはずだが、エプロン姿の玲奈さんに作ってもらうとおいしさが増している気がする。
今は「レコンフォール」のオープン前、昼までの手伝いらしく、朝ひとりで寂しい俺を構ってくれる天使のような恋人だ。
「瑛士くんは今日バイトないんでしょ?」
「ないけど……今日はちょっと用事が」
「用事?」
「うん、ネット友達がライブ目的でこっち来てて、遊びに行くんだ」
「着いてっちゃだめ?」
「……いやだめでしょ」
危な、玲奈さんの甘えるような声音と仕草にいいよと頷きそうになってしまった。ダメです、これは男同士の遊びであり、そこに知らないカノジョ連れてくるとか気まずいにも程があるでしょ。
「残念、デートくらいできると思ったのに」
「ごめんなさい、その代わり夜ご飯くらいなら」
「じゃあ、約束ね」
「え……あ」
これがドアインザフェイスというものなのか? どうやら玲奈さんは最初から夜ご飯を一緒に食べるというのが目的だったらしい。そのためにデートがしたかったという要望を伝えてきて、俺に妥協案としてそれを出させたというわけか。流石天使のようで悪魔なひとだ。
「ふふ」
「なんですか」
「すきだなぁって思って」
「どこにその要素が?」
「その文句のありそうな顔が」
「……?」
意味が分からずに困惑してしまうが、玲奈さん曰く彼女の「すき」という気持ちはそういう何気ない表情や仕草、言動全てに適用されるらしい。推し活向いてると思うけど、そんなこと言ったら対象は俺とか言いそうだからやめておこう。
「じゃあ、俺はそろそろ準備してくるから」
「はぁい、また夜にね」
「うん」
開店する前に、俺はコップを玲奈さんに預けて立ち上がった。手作りのクイニーアマンまでもらってしまって、玲奈さんのお父さんにもご迷惑を掛けてしまったなと厨房の方に向けて頭を下げた。あんまり会話をしてはくれないけれど、嫌われているわけではないと玲奈さんがフォローしてくれていた。
「モリくん、どうも」
「どうも、ボウルさん」
「ふた月振りくらい? つってもちょいちょいゲームしてるからそんな空いてる気がしやんなァ」
「確かにそうかも」
俺が待ち合わせていたのはアサイーボウルさん。俺より年上の大学生で時折関西っぽい訛りが入る見た目はチャラめのお兄さんだ。
ライブでこちらの方に来ると知って会う約束を取り付けた。俺は九月にある「ヘブンズ」のライブまで予定が入ってなかったし、ここのところ色々めまぐるしく変わった近況を伝えたいという気持ちもあったからだ。後お昼奢るわって言われて大喜びで予定立てたんだけど、そこはいいとして。
「それで? 通話ん時にちょこっと聞いてたこと、教えてくれるんだろ?」
「そう、だけどちょっと……あんまり人に聞かせる話じゃなくなっちゃって」
──正直、俺たちの結論を他人に話すのは苦しい。しかも陽南の事情をボウルさんに話すわけにはいかないから猶更だ。
でも一応、玲奈さんのことで色々と話してくれたのもボウルさんたちだ、その礼儀として結末を話しておこうという狙いだった。
「ま、じかァ……公認二股?」
「どうだろう、現状維持という名の問題の先送りに近いかも?」
「あー」
昼間とか外向けの恋人は玲奈さん。大学でも玲奈さんの友人に紹介され、清州先輩にも一応挨拶をした。先輩はつまらなさそうに鼻を鳴らして、気を付けろよソイツはクソビッチだからな、とだけ言った。
だけど基本的に俺は陽南を優先する。三人で出かけることもあるだろうけど、いつもみたいに遅くなったら陽南を迎えに行くし、家では陽南が前以上にくっついてくるようになった。
「その上、予定はオタ活、ライブを優先してもいい、か」
「実はボウルさんと会ってる今日もそういう状態」
「なんつうか、歪だな」
「それは言われても仕方ないと思う、特殊だし、気持ち悪い関係だろうとは」
「当人たちが納得してんなら、外野はどうこう言わねェけどさ」
結果報告としては少し苦いものになってしまった、とは俺も思っているし、言った通り問題の先送りでしかないことは理解している。
でも陽南の面倒を見るという選択をやり直せたとしても、今の俺じゃあどっちも選べない。陽南と関わらず玲奈さんと仲良くなる選択も「レコンフォール」には近寄らずに陽南とそういう関係になる選択も、今の俺には出来なかったから。
「とにかくまァ、モリくんがその先輩に遊ばれてるとか、そういうんじゃなくてよかった」
「先輩が遊んでたのは事実だったけど」
「正解やったな、オレの予想もなかなかじゃねェか?」
「流石でした」
そんな近況報告と地元の名物を食べて、その後はオタク向けのアニメショップやゲーセンで時間を潰して夕方頃、開場時間が少し過ぎたくらいの時間に会場前でライブ装備となったボウルさんを見送っていった。
玲奈さんにメッセージを送って集合時間でも決めようかとも思ったところ、その玲奈さんから「もうすぐ着くよ」という連絡が来ているのを発見した。
「瑛士くん」
「玲奈さん、わざわざ来たの?」
「うん、ご飯もデートも、ここの方が色々あるでしょ?」
「そうだけど……」
「嫌だった?」
首を横に振る。往復の料金がかかるのだから申し訳ないのに、玲奈さんは寧ろ嬉しそうに俺へと手を伸ばしてくる。
手を繋ぐというのは、少し緊張する。よく陽南が腕を組んできていたから、そっちの方が慣れてるかもしれない。
「ふふ」
「ん? どうしたの?」
「手が繋げて嬉しい」
「れ、玲奈さんは経験豊富でしょ?」
「私は、瑛士くんと手が繋げるのが嬉しいんだけどなぁ」
「……そっか」
玲奈さんは色んな男の人と付き合ってきたことだろう。詳細な人数なんて聞きたくないくらいだ。それなのにたがだが手を繋げただけ、そんな小さなことで喜んで、幸せそうに微笑むんだから、俺もドキっとしてしまう。いつもの揶揄うような笑みとも、普段の穏やかな笑みとも違う、きっと好きな人にだけ見せる笑みだ。
「今日も熱帯夜らしいからさ、やっぱりあっさりしたものじゃない?」
「そうだねぇ、お昼は何食べたの?」
「うなぎ食べました。相手の奢りで」
「贅沢だ~」
「初めて食べたかも」
「そっか、瑛士くんの出身、ここからちょっと遠いもんね」
「電車で二時間くらい」
玲奈さんの柔らかい手を握りながらご飯を決めるために歩く時間は、やや緊張はしてしまったけれどとても楽しいものだった。季節が変わって、寒くなった頃には緊張はしなくなるんだろうか、なんてことを考えて無邪気に何か月も先まで付き合えると信じている自分がなんだかおかしいと思ってしまった。
いつから、そんな自信がついてしまったんだろうか。贅沢にも美女二人の間を揺れているせいなのかもしれない。
「玲奈さん」
「なぁに?」
「夏休み、できるだけたくさん遊びに行きたいね」
「……うん!」
俺が出来るのは、玲奈さんを飽きさせないようにするだけだ。陽南を満たしてあげることだけだ。
少なくとも俺なんかよりもっともっと魅力的な人が多い中で、不誠実なことをしているのだから、俺が出来ることは二人を泣かせないようにすることくらいだから。