陽南は時折、自分の部屋に友達を泊めることがある。
いや、正確には友達というよりは同僚と言った方がいいんだろう。そういう時、俺は一言二言挨拶するか、そもそも関わらないという選択を取っていた。
──なぜならそれは、当たり前のことだが俺が推してるコンテンツの演者だからだ。
「ども、お兄さん」
「あ、っと……どうも」
「瑛士! お迎えありがとう!」
「いやありがとうじゃなくて……お前なぁ」
あと十分くらいで着くから、と連絡があったため俺は自転車を漕いで、いつものように陽南を迎えに行くと、隣に黒いマスクをつけて暗いためよく見えないが高そうな丸眼鏡をつけた黒パーカーの不審者スタイルの女性が隣にいた。
──ちょっとダウナーな女性の名前は
「越戸さんいるなら俺いらないじゃん?」
「凛ちゃんだって女の子だよ? 瑛士いた方が安心できるよ、ねぇ?」
「ん……まぁ、確かに」
「そ、そっかぁ……」
じゃあ今までどうしてたんだよ、というツッコミは置いといて理屈は合ってるうえ、もう迎えに来ちゃってたため、これ以上の議論は無意味だと判断して家に向かって歩いていくことにした。
「ご飯は?」
「決めてないから買おうと思って、凛ちゃんの飲み物とかも用意しなきゃだし」
「そっか、荷物持ちも兼ねてるわけね」
「そゆこと」
便利遣いされるのは別に悪いとは思ってないからいいとして、陽南はいつものように俺の腕を取ってくっついてくる。
前までは無邪気だからとか、気にしてるのは俺だけとか、揶揄われてると思っていた俺だが、先日この腕を組んでくる行動が完全に愛情表現というか、スキンシップを求めてると自白したため逆に意識してしまっていた。
「お兄さん」
「は、はい……俺か」
「詩音と付き合い始めた?」
「つ……いや、そういうワケじゃ、そもそも俺詩音推しだよ?」
「推しだから、余計に」
「いや俺推しにガチ恋しないです。推しは画面の向こうかステージの外から応援するものなんで」
当の詩音さんである陽南はその言葉にむくれていたが、これは事実だ。
俺は推しを感じたくてストーカーまがいの行動を起こしてこっちに引っ越してきた。とはいえもし偶然会っても、遠目から眺めて拝むくらいしかするつもりはなかった。当時は、という言葉はつくけれど。正直に言えば俺自身、自分の感情の抑制が効かずにガチ恋ストーカーとかいう厄介モンスターに進化する可能性はあったわけだし。
「詩音、最近ずっとお兄さんの話してたし、休憩中なんて本当に」
「凛ちゃん? 流石に恥ずかしいんだけど~」
「前よりずっと楽しそうで、特に今年度入ってから……お兄さんと暮らすようになってから」
「……越戸さん」
「凛子でいい、本名だから」
呼び捨ては流石にハードル高いね、確かにファンネームも「こっしー」か「凛ちゃん」だけど、流石に推しグループのメンバーさんを名前呼び捨てはなぁ。詩音は、なんというか「はっしー」という渾名がダサいという逆張りから来ているし。
「じゃあ、凛子さんで、いいですか?」
「敬語もいらない」
「……了解しました」
俺としては詩音である陽南を通して別のメンバーと距離を詰めたり、逆に認知されるつもりはなかったんだけど、当初俺が思っていた以上に凛子さんと陽南の仲が良すぎたのが誤算だった。まさか結構な頻度で遊びに来る仲だとは思わなかった。
「あ、電話だ」
「マネージャーさん?」
「ううん、綾さん」
「……小坂井綾さんか」
また声優の名前が、しかも彼女は他のアニメにも出演しているような人だ。そしてこの分だと冬に対バンやるって噂は本当なのかもしれない。嫌だなぁ、こういう感じで内部事情知るの、いや詩音が身内だからもう仕方ないことなのかもしれないけれど。
「綾先輩と、知り合い?」
「え? ううん全然」
「そうなんだ、意外」
「俺一般人なんですけど……」
凛子さんは本気で驚いているような声音を出していた。普段はあんまり口数が多くなくて、抑揚もない人なのかと思っていたけど話してみるとそうでもない。言葉選びがちょっとぶっきらぼうで短文になりやすいってくらいだろうか。寧ろ話しかけてくる。
「お兄さん、前から結構、ライブ来てるよね?」
「あー陽南……詩音には内緒で、最近バレたけど」
「それも共有されてた、詩音が惚気てきたから」
「惚気……」
ちょっと待って欲しい。この会話から「ヘブンズ」の仲が良さそうだというのが解ってほっこりする反面、大森瑛士という存在は推しグループに丸ごと認知されているということも示しているのではないだろうか。少なくとも陽南に隠れてライブを観に行っていることはメンバー全員にバレてるらしい。
「それだけじゃない、ポムグレとか他グループも知ってる」
「ガチでか」
「ゲームの収録で惚気てるから」
「……ガチかぁ」
配信やトークイベント等と同様に一応相手はお兄ちゃんとはなっているらしいけれど、電話してきている小坂井綾さん、ヘブンズのメンバー、それとマネージャーは俺と陽南が従兄妹であり最近久しぶりに会って同居して、更に俺が詩音と明花梨推しなのまでバレてるらしい。地獄かな?
「俺の存在ってもしかしなくても炎上の種なんじゃあ」
「うん」
「……うんなんだね」
まぁね、ちらりと覗いてしまったネット掲示板では詩音のアンチとか杞憂民、処女厨と称される皆様にこの年齢になって二つ上の兄と仲良しエピソードが多すぎるみたいな叩かれ方してるしな。根も葉もないこと、ではないし実際俺と陽南は血縁ではあるが四等親、それも今年再会したばかりなのだから。
唯一の救いはそれ以前でも度々「お兄ちゃん」とゲームしていた、お兄ちゃんと虫取りをしたことなどが語られていたことくらいか、そういえばこれも俺なんだなぁ。
「お兄さんは、詩音を従妹として、そして推しとして分けてる、分けれてる」
「どうだろう」
「だから信用できる」
「……ありがとう」
確かに、俺の中でスイッチのようなものがあることは否定しない。自分の中で詩音と陽南を呼び分けられているだけ、まだマシだ。
これがいつかステージ上にいる彼女を陽南と呼ぶ日が来たのなら、それが終わり、俺にとってのコンテンツへの離れ時だと決めている、そういう覚悟はある。
「正直さ」
「うん」
「自慢したくなる時もある。というか一人にだけ自慢してる」
「そうなんだ」
「その人はアニメとかオタク系のコンテンツ自体に興味ないから出来るんだけど」
詩音の良さを語って、基本的には営業スマイルで対応してくれる天使にはいつも感謝をしている。時々ドン引きされて、更に時々ヤキモチを妬く彼女にだけは胸の裡にある気持ち悪い欲求を吐き出せる。だからこそ、まだ正常でいられるのかもしれない。
「俺の中でマウントを取りたいって気持ちはあるよ、詩音が従妹で、隣の部屋に住んでて、ご飯は一緒に食べてるぞー、プライベートの詩音はこんなにかわいいんだぞってさ」
「わかる、かわいい」
「それで凛子さんがこうやって普通に話しかけてくれることも、メンバーに認知されてることも承認欲求が満たされてるんだと思う」
こんなの裏垢や匿名の掲示板で暴れたところでイタいオタクの妄想話としてしか処理されないんだろうけど、そういう気持ちにならないわけじゃない。俺は別に特別なオタクでもなんでもない。むしろその逆だからだ。
「見下してるんだよ、オタク全部を」
「……だから、落ち着いてる?」
「うん、俺はお前らとは違う、その気になればヘブンズとフツーに話せるし、なんなら他のドル6声優とも繋がれるコネがあるって、全部陽南のおかげなのに、俺の成果みたいにドヤってるよ」
「そっか、なんなら連絡先交換、する?」
「……燃やそうとしてる?」
スマホを向けられたけどそれは断っておく。別に凛子さんとこれ以上関わる気は毛頭ないし、もし忘れ物や陽南に関わる大事な用事なら、それこそ陽南のスマホで事足りるし。なんなら陽南は俺のスマホの番号覚えてたしな。
「じゃあ、その番号だけメモさせて」
「なんで?」
「詩音に何かあった時、すぐ連絡取れるようにしておきたい」
「……なにかありそう?」
「ちょっと」
「そっか──わかった」
連絡先を口頭で説明して、スマホのメモアプリにその番号が記入されたのを確認したタイミングで陽南が戻って来た。
どうやら綾さんに今度食事に行こうと誘われたのだと教えてくれた。あの人後輩大好きでメシ奢りまくってるって話はマジだ。
「瑛士も行く?」
「なんでだよ」
「カレシです~って紹介しなきゃ」
「やめて」
「やっぱり付き合ってる」
「そうなんだけど、ああもう、凛子さんにバレちゃったんだけど」
「いーのいーの! 手は出してもらえないっての愚痴んなきゃだし」
その日は何故か俺も巻き込まれて、三人で夜ご飯を食べることになってしまった。部屋に戻った後、俺も玲奈さんに愚痴を聞いてもらってしまってちょっとだけ自己嫌悪をしたが、優しい声音が癒してくれたからなんとかいい気分で眠れた。
コイツ、レスバで恋人マウント取ってきそうで嫌なオタクだよな