夏といえばフェス、とは言うけれど屋外のフェスでは油断すると命を落とすような重大な事故になりかねない。熱中症対策は必須、その上で水分補給や日焼け止めなど、いわば海やレジャーと同じかそれ以上の注意を払わなければならない。
「なんというか、すごいねぇ」
「音響とかで気分悪くなったらすぐ言って」
「ありがとう」
会場に着くなり元々別界隈のナナオーさんと、ライブ狂で色んな界隈に首を突っ込んでいるボウルさんが早速いなくなり、メンバーは俺と玲奈さん、そして朝倉さんの三人となっていた。元々俺は朝倉さんと一緒に回る予定だったのだが、流石にここは玲奈さんを優先させてもらう。
「過保護だなぁ、大丈夫だよ?」
「そうだよモリくん、紳士として気持ちは解らなくもないけれど」
「う……す、すみません」
「ふふ、キミの優しいところはよくわかったから、偶には振り回してくれてもいいんだよ?」
玲奈さんのそんな言葉で、前に朝倉さんたちが珍しく恋愛談義をしていたことを思い出した。
あれは去年の冬くらいだったか。俺が受験勉強を詰めていた頃、朝倉さんは気を遣ってナナオーさんやボウルさんとラジオ感覚で聞ける雑談をしてくれていた。その名残で、そのままのサーバーでゲームをしているんだけど。
『前のカノジョと別れた理由っすか? 今更?』
『そういえば訊いてなかったなと思ってふとね』
『あー、単純に浮気っす』
『成程、辛かったね』
『よくある話なんで、なんとも』
この年の秋の終わりくらいに、ボウルさんは恋人と別れた話を確かにしていた。俺としては当時、二人目の恋人と別れたばかりだったのでちょっと気まずいなと思いつつ、興味のある話だったため少し耳を傾けていた。
『ハっ、浮気でフラれるとかメシウマやな』
『†漆黒†さんも浮気でしたっけ』
『黙れチャラ男』
『急に攻撃してきた、怖いわァこの人』
『まぁまぁアレはかなり手酷い別れ方だったからね』
『そうなんすか、まァオレはちょい放置しすぎたってんで、オレも悪いんすけど』
『俺は構いすぎって言われたんやけど』
ナナオーさんのぽつりとした言い方に一瞬だけ静寂が生まれてボウルさんがいつもよりも少しだけ居住まいを正したような声音で「あー」と納得というか、理解したような雰囲気を出した。
『ナっさん優しそうですもんね、構いすぎそう』
『それの何がいかんのや……優しい男、殴るやつよりウン百倍マシやろ』
『いや、殴るやつはアウトっすけど、優しくてお世話好きって、いい人どまりになりがちなんすよ』
『なっ、そうなん?』
『だね、安心はできるが退屈に感じてしまうらしい』
会話に参加はできなかったが、そんなロジックがあるのかと俺は驚愕していた。特に人生経験で、女性関係に長けている朝倉さんとボウルさんの言葉は実感と経験の両方が滲み出ていて、俺としても教示してほしいものだと手を止めてしまう。
『恋愛は合理と理屈とは別の場所にあって、そこにあるのは感情と快感だ』
『シモっぽ』
『実際恋愛にシモはつきものだろう? 特に十代二十代なら猶更、性交渉というのは恋愛に必要不可欠とボクは考えるね』
『オレもクラっさん派だな』
カチカチっと音がしてシュボっという音が続く。ボウルさんがライターの火を点けた音だろうか。普段はタバコを吸うこともあるらしく、少し間が空いた後に再び、ボウルさんの声が響いた。
『姫扱いしろって話はよく聞くし、実際そうなんすけどナっさんはその言葉を勘違いしてるんよ』
『勘違い?』
『ナっさんがしたんは、城に閉じ込めておくような理性的で、節制を重視してる……本来の姫扱いってのは王子様が時折外に連れ出してくれて、振り回してくれるような衝動的で、刺激のあるもんなんよ』
『うわー、そういうコト?』
『優しくてお世話をしてくれる、それは素晴らしいことだけど、前田くんが求められていた本当の役割とは時に手を引いて、知らない世界に連れていってくれることなんだろうね』
ナナオーさんが深く息を吐いたのが聞こえた。どうやら思い当たるフシがあったらしいことは容易に察することができた。
──俺にとっても、この言葉は胸に刺さった。俺はあの子に何かしてあげようと、安心感ばかりを与えようとしすぎたのかもしれないという後悔が、俺の手を再び勉強へと進めさせた。
「……ごめん、俺」
「うん、だからキミの好きなように楽しんで、ね?」
そんな後悔をしておいて、玲奈さんにも同じミスを繰り返そうとしていた。
少なくとも玲奈さんは全く興味がなくてどうでもいいけど付いてきたわけじゃないと思う。俺だったら全く興味も持てないことに対してこんなに遠出はできないし、したくない。だというのに玲奈さんは音楽フェスに興味なんて全くないと決めつけて接していた。
──そもそも玲奈さんは、俺がキモい長時間早口お気持ちにも対応してくれる人だ。今更そんなことで幻滅するわけがないことが、今の今までわかってなかった。
「ノリがアレでも気にしないでね」
「うん」
「次の曲頭振るかも」
「頭? あ、ヘドバンだね」
そこから先は玲奈さんを置いてけぼりにしないようにはしつつ、俺と朝倉さんが当初予定していたスケジュール通りに回っていった。
玲奈さんも楽しそうにしていて、俺と朝倉さんが跳ねた時は一緒になってジャンプして、頭を振って、汗を掻いても嫌な顔ひとつせず──俺は、そんな玲奈さんが愛おしく思えてしまった。
「わぁ、えぇっと……詩音ちゃん」
「うん、あれが詩音、俺の推しだよ」
「カッコいいなぁ……なるほど、これがヒデくんの視線を全部奪った人なんだ」
俺にとってはメインイベントである「HEAVEN‘Z’WHITE」のライブでは土橋詩音──玲奈さんにとっては陽南である彼女が声援を受けている姿を初めて見たことで、彼女は今までとは違う横顔を見せた。俺が貸したペンライトをぎゅっと両手で握って、ただ詩音を見上げていた。
「──いいなぁ」
──その言葉は、果たしてどういう意図だったのだろう。
嫉妬とも違うような、ただ前向きな意味ではないような、俺には全くつかめない表情と言葉だった。
「楽しかったね~」
「うん、楽しかった」
「暑かったけど、すごく楽しかった」
あっという間にイベントは終わって、俺と玲奈さんは予定していたホテルの前で三人と別れた。ひとまず汗を流して、夜ご飯は近くのコンビニで済ませていった。
すっかり夜も更けた外をカーテンで区切ってから、今更ながらちょっと緊張してしまっていた。
なんせ、一応付き合うことになって初めてだ。同じ部屋に玲奈さんがいてお泊りするのだから。
「どうしたの?」
「ううん、それより疲れてるならもう寝ちゃってもいいからね」
「大丈夫、それより瑛士くんともっとお話ししたいなぁって」
「わかった」
俺は振り返りつつ、ゆっくりベッドに座った。ラフな格好の玲奈さんはいつもよりの露出が多くてドキドキしてしまう。
寝るための格好だからおしゃれもしてない、すっぴんなのに色っぽく感じてしまった。寝るための服だから、だろうか。
「すごかったねぇ、陽南ちゃん……ううん、詩音ちゃんか」
「でしょ」
「雰囲気違うもんね、普段とは違う……強い感じがした」
「強い?」
確かに、詩音は力強い歌声と眩い笑顔が特徴だと俺は思う。
だがその感想が、少し寂しそうというかただ肯定的なだけじゃないような気がして、俺はどうしても玲奈さんが何か言いたいのではないかと思った。
「玲奈さん?」
「ああ、私は勝てないなぁなんて思っちゃった」
「勝てない……陽南に?」
「陽南ちゃんというか、詩音ちゃん……あんなに眩しくて、カッコよくて、キミはあの子に夢中だった」
「……うん」
「わかってるのにね、キミの推しってさ、一目惚れだったんだって」
彼女は、玲奈さんは俺の隣にやってきて俺にキスをねだってくる。
これは嫉妬というか、焦燥に似ていた。俺が推している詩音への気持ちは恋愛のそれとは違うというのはわかってる。わかっているのだけれど、俺は家に帰れば陽南がいる。
陽南が、詩音だということが玲奈さんの中で小さなバグを起こしたのだろう。
「私……だめかも」
「なにが?」
「……我慢できない」
だから崩壊はこんな簡単なことで起こってしまう。
いやもしかしたらこんなことがあると俺は気づいていて、それなのに部屋を二つ用意するとかそんなことはしなかった。
これは、俺の落ち度だった。