陽南は私立の
それでも、やはり周囲の人よりは勉強は遅れてしまう。そのため遅くまで学校に残って勉強をしていることも、珍しくはない。
「お兄さんだ、ひーちゃんお兄さん来たよ」
「どうも、いつも一緒に帰ってくれてありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
その時、大抵一緒に居てくれてるのは
同じクラスなのかもあまり知らない。話しかける勇気も正直言ってないし。ただいつもありがとう、とだけは思っている。学校を休みがちな陽南にとって当たり前のように傍に居てくれる人は、それだけでありがたい存在だと思う。
「どした?」
「お腹減った」
「そっか、もうちょい頑張れ、帰ったらからあげあるからな」
「瑛士のからあげ?」
「そりゃもう」
「じゃ、我慢する」
歩きながら、少し暗い道を並んでいると陽南の足取りが少し鈍く、疲れているようだった。
陽南はからあげが好きだ。俺が唐突にラーメンを食べたくなった時についてくるといつも三個食べてる。食べ盛りの女子高生だが、ラーメンにからあげって大丈夫かと心配になるが、デリカシーがない、とキレられそうなので一度も口に出せたことはない。
「疲れた~、自転車乗せてよ~」
「二人乗りは悪でしょ」
「じゃあせめて原付にしない?」
「嫌だね」
原付の二人乗りは色々制限があるし、大丈夫な車種を買えたとしても俺にはまだ他人を乗せることは出来ず、来年の今頃までお預けになる。
カバンを前のカゴに入れて、陽南はよっぽど疲れたのかぶつぶつと文句を言っていたが、ふと俺を見上げてそれからまた不機嫌そうな顔になった。
「瑛士は、またあの喫茶店行ったの?」
「え、まぁ時間潰すために」
「居たの?」
「……先輩なら居たよ」
「そ」
玲奈先輩と仲良くするところを見られたら陽南は嫉妬するかも、なんていうのは思い上がりで俺の自惚れだと言い聞かせていたのだが、どうやらあながち俺の自惚れは完全な間違いじゃなかったらしいことをこの前知った。
「陽南はヤキモチなんて、妬かないと思ってた」
「なんで?」
「なんでって……ほら、別にただの親戚だし」
「私は……ただの親戚だって、思ってないもん」
モテないどころか大学でロクな友人すら作らない俺を憐れんで傍に居てくれてるのかも、と自制していた。実際に陽南は最初おめでと、と俺を祝福してくれたのだ。
今思えばそれは、やっと大学でまともに話せる人が出来たことへのよかったね、という意味合いが籠ったもので、それが同性だと信じて疑っていなかったのだろうけど。
「もしかして、私の好きって、冗談だと思われてた?」
「いや、まぁ……からかわれてるのかもとは」
「はぁ~……なんでそうなるの?」
「陽南は、顔も性格もいいだろ? だからわざわざ俺を選ぶ必要ないだろうって」
「私が、モテて男を選びたい放題だから?」
「言い方悪いけど、そういう感じ」
──長い溜息、それから呆れた表情だった。俺にとって陽南は雲の上の存在だ。
なんせ、ステージの上に立つ推しでもあるんだから、付き合えるとかそれ以前に好意を持たれるという発想が抜け落ちていた。画面越しに見るべき人物だ、それが俺だけに特別な表情を向けるなんて。
「じゃあ、わざわざ瑛士を好きになってもいいわけだ」
「そ、そうだな」
「……だから、さ」
「陽南……?」
「私、瑛士ともっといちゃいちゃしたい」
囁かれ、紡がれた言葉は途轍もなく刺激的だった。ハンドルを握っていた手に、陽南の柔らかい手が添えられていた。
自転車を挟んで、すぐ近くに陽南の顔があった。
「俺は……」
「瑛士は私じゃ嫌? 私が恋人だと、困る?」
「こ、困るか、困らないかで言えば──正直、困る」
嫌じゃない、それが素直な気持ちだった。そりゃあ陽南から好意を向けられて嫌なわけがない。幼い頃からかわいくて、俺の後ろをついてきて、一緒にゲームして遊んだ従妹の女の子、今はもっと女性らしくなって魅力的になった。そんな女の子に恋人になりたいと言われて、嬉しくないわけがないんだ。
──けど、その嬉しいって気持ちは邪なものだ。七割くらい下心、こんなかわいい子と──いや、もっとズルい気持ちだ。自分の
「そっか」
「ごめん、俺だって陽南のことは好きだ……でも」
「でも?」
「俺の好きは、多分……
お世辞にも、女子にチヤホヤなんてされたことのない人生だ。そこに転がり込んできた、従妹との半分同棲生活、推しとの同棲生活だ。
むしろずっと考えていた。下心で、優越感で、俺は陽南のことをそういう汚い目でこの三ヶ月、見てきた。だから、そんな俺を陽南が好きと言われるのは、困ってしまう。
「瑛士のさ、えっちな目、気づいてるよ?」
「気づかれてるの、知ってる」
「じゃあ」
「それを気持ち悪いって思うのは……俺だから」
「変なの」
俺は陽南の恋人には、詩音の恋人には相応しくない。それが答えだ。
そもそも陽南は未成年だ。まだ高校二年生になったばかりの16歳、そんな女の子に手を出すのも気持ち悪いことこの上ない。
──汚い手で、推しに触れることの恐怖は、本人には理解できないものだ。
「ごめん、上手に言語化は多分一生できないと思う」
「だね、私も正直、瑛士が一緒に遊んでくれたお兄ちゃんじゃなかったら、好きになってないと思うもん」
「……うん」
「でも、私はそれでいいって思ってるよ」
「え?」
「好きって気持ちに、納得のいく理由を求めたら──苦しいからさ」
そう言うと、陽南は俺が自転車を駐輪場に止めている間に、階段を駆け上がっていった。俺には追いかける元気がなかった。いつの間にか、俺の方が疲れてるような錯覚さえあった。
ゆっくり登って、折り返して三階へ、俺の隣の部屋の前には少しだけ目じりに涙をためた、陽南がいた。
「瑛士」
「わ……陽南?」
「ぎゅって、して」
「……俺が?」
「瑛士じゃなきゃ、嫌」
胸の中に飛び込んでくる。顔は見えないけれど、きっと悲しい顔をしてるような気がした。
──俺のせいだ。俺が、今の関係を曖昧なまま放置したかったから、その方が都合いいと放置したからよくなかった。もっと上手に陽南の好意を躱せていたら、もっときっぱりと断れたら、こんな罪悪感を抱えずに済んだのに。
「これで、終わりとか思ってないから」
「陽南?」
「私は、卒業までに瑛士をカレシにする。その劣等感も、全部吹き飛ばしてやるから」
「……負けず嫌いだな」
「知ってるでしょ」
「うん」
負けず嫌い、昔からゲームでも負けてるとムキになってたっけ。
──でも、ごめんね陽南。俺ってやつはやっぱり狡くて、気持ち悪い、最悪の人間だと思ってしまう。陽南の負けん気に押し切られたって言い訳で背中に手を回してしまうんだから。抱き寄せてその温もりに愛おしさを覚えているから。
「先にお風呂入っておいで、今のうちに揚げておくから」
「ん、は~い」
自分の部屋に帰っていく、その後ろ姿を見送ってから俺も自分の部屋へと戻っていく。
手の中に残ったぬくもり、自分とは違う柔らかな身体、鳩尾周辺に残った、俺にはない身体の部位の柔らかさを不意に思い出して、自己嫌悪に陥ってしまった。
別に潔癖症だった記憶はない筈なのに、自分の性欲や下心をキレイだったと思ったこともない筈だったのにな。
「はぁ……俺、疲れてるのかな」
バイトのしすぎだろうか、確かに少しミスが増えてきたような気がする。大学も本格的になってきて、自分の甘ったるい見通しよりも慌ただしい日々が続いている。
そのせいなんだろうか、そうだとしたら俺ってなんてしょうもない男なのだろう。推しのためにバイトをして、推しのために生きているというのに。
パチパチと音を立てて白い小麦粉がきつね色に変わっていくのを見つめながら、今日の陽南の表情を思い出していた。
もう一話から二話くらいで序章が終わりです