設定していた時刻になったことで枕元に置いたスマホから不愉快なアラーム音が鳴り響く。
「……ふぁぁぁ」
寝惚けながらもスマホを操作してアラームを止めた男、風見善斗《かざよしと》は大きな欠伸を漏らしながらゆっくりと身体を起こす。
「……朝か」
善斗は閉じたカーテンの隙間から差す朝日を見つめながら今日も忌まわしい一日が始まってしまったとこにため息を漏らしながらベッドから立ち上がり、自室を出る。
「おはよう、お兄ちゃん! もうすぐご飯できるから洗ってきてね!」
「…………ああ」
廊下を歩くと足音に気付いた妹、風見楓《かざみかえで》がエプロン姿で声を掛けてきた。
後ろで一つに纏めた黒髪を尻尾のように揺らすその姿は子犬を彷彿とさせ、朝から元気一杯といった様子の楓に善斗は羨ましさを覚える。
———これが若さってやつだろうか。
現役の女子高生である楓とアラサーに片足を踏み入れた自らに言い難い差を感じながら善斗は重い足取りで洗面所に向かう。
蛇口を捻り、流れる冷水を思いっきり浴びて眠気を飛ばすと段々と意識が鮮明になり、思考力も回復してくる。
———いや、考えてみたら昔から普通に弱かったな。
過去の自分を思い返しながら歯を磨く善斗はそう結論付ける。
思えば自分が高校生の時も朝、しっかりと起きることができず毎回学校に到着するのは遅刻ギリギリだった。
果たして兄妹である筈の自分と楓で一体何が違うだろうかとどうでも良いことを考えながらうがいをして歯磨きを終えた善斗はリビングへと向かう。
途端に焼けたパンの香りが漂ってくるのを感じながらテーブルに視線を向けると楓が準備したであろうトーストと目玉焼き、そしてサラダが置いてあった。
『続いてのニュースです。昨日、都内でレネゲイドによる襲撃事件が発生しました』
「…………」
テレビから聞こえてくるアナウンサーの声に視線を向けると先日発生したレネゲイドによる襲撃事件のニュースが流れていた。
『現れたレネゲイドはA級レネゲイドであるオフィクスでしたが、現場に駆け付けたスカイライトがこれを撃退。スカイレッドによる必殺技、ブレイズ・スラッシュが炸裂――』
「お兄ちゃん、さっさとご飯食べないと会社に遅れるよ〜」
「……ああ、分かってる」
楓の声に応じながら椅子に腰掛けた善斗はトーストにバターを塗りながらテレビで放送されるオフィクスの敗北シーンを眺める。
「おお、凄いね。めっちゃ燃えてる」
「ああ、本当にな」
————俺、こんな燃えてたのか。
そのまま灰になりそうな勢いで燃える自らの姿にオフィクスこと風見善斗は今日を無事に迎えられたことを安堵する。
『また今回の戦闘において市民への被害は無く———』
「にしてもこの人、一体何なんだろね?」
「ん? 何が?」
モシャモシャとテレビを眺めながらサラダを口に運ぶ楓の疑問に善斗は首を傾げる。
「だってこの人ってさ、A級レネゲイドっていう割にはちょっと暴れた後にヒーローと戦うだけで他に何もしてないじゃん」
「暴れてヒーローと戦ってるじゃん」
「いや、でも他の凶悪なレネゲイドってもっとこう金品盗んだり、施設を襲ったり、もっとこう色々と悪事を働くじゃん?」
「……まあ、そういう奴もいるな」
レネゲイド。
異能を悪用し、犯罪行為や社会への破壊活動を行う者たちを指す俗称。
その多くは金品の強奪や施設への襲撃、暴行など、自らの異能を利用した犯罪行為によって逮捕される。
中には複数の犯罪を繰り返し、社会に大きな被害を与える者も存在しており、そうした危険性や犯罪歴などに応じて、その脅威度はA級、B級、C級などに分類されている。
ただし――。
「でもこの人、毎回街をちょっと壊してヒーローに負けて逃げてるだけじゃない?」
「…………」
善斗は食事の手を止めると楓に視線を向ける。
楓はどこか不思議そうな様子でテレビに映るオフィクスを眺めながら口を開く。
「何か、ヒーローに負ける為だけに暴れてるみたい」
「そんな訳ないだろ」
楓の推測を善斗は呆れた表情を浮かべながら否定するとパンを口に運ぶ。
「それよりゆっくりしてて良いのか? 今日は早めに学校に行くって昨日言ってなかったか?」
「あ、そうだ! 今日は生徒会で急がなきないけないんだった!」
楓は兄の言葉に用事を思い出すと慌てながら朝食をかき込むと鞄を持って玄関へと駆け出す。
「お兄ちゃん、洗い物はよろしくね!」
「ああ、行ってらっしゃい」
楓を見送った善斗は残っていた朝食をゆっくりと食べ終えると楓に言われ通り食器を片付けて洗い物を済ませる。
そのまま善斗は自室へ戻ると、クローゼットから黒のスーツを取り出す。
スーツを纏い、ネクタイを締めて髪を軽く整えるたその姿は昨日街中を騒がせたレネゲイド――オフィクスとは似ても似つかない、ごく普通の会社員だった。
「……よし」
鞄を手に取り、玄関へ向かう。
「行ってきます」
誰もいない家にそう声を掛けてから、善斗は家を出た。
最寄り駅まで歩き、電車に乗る。
平日の朝ともなれば車内は多くの会社員や学生で混雑しており、善斗もその中へ紛れ込む。
「…………眠みぃ」
吊革に掴まりながら再び襲ってきた眠気に善斗は欠伸を噛み殺す。
少しでも気を紛らわそうとスマートフォンを取り出してニュースを眺めると先程テレビで見たばかりのニュース記事が表示された。
『昨日発生したA級レネゲイド・オフィクスによる襲撃事件について――』
「……盛り上がってるなぁ」
思わず小さく呟く。
記事には昨日の戦闘を撮影した映像も掲載されており、スカイレッドが放ったブレイズ・スラッシュによって巨大なオロチとオフィクスが吹き飛ばされる場面が繰り返し流れていた。
更にその下の見出しには———
『スカイライト、見事A級レネゲイドを撃退!』
『市民への被害はゼロ!』
『スカイレッドの必殺技に称賛の声!』
———などという文章が大々的に表示されており、善斗は思わず苦笑を浮かべてしまう。
「……まあ、そこは良かったけど」
思わず昨日の戦闘を思い返しながら善斗は小さく呟く。
市民に怪我人はなし。
建物への被害も最小限、加えてスカイライトの戦闘実績も作れた。
そして何より、自分も無事に仕事を終えることができた。
深く考えることなくスマートフォンをポケットへ戻す。
やがて電車が目的の駅へ到着し、善斗は大勢の会社員たちと共にホームへ降りた。
駅から十分ほど歩いた先。
そこには、周囲の建物とは明らかに規模の違う巨大なビルが聳え立っていた。
ガラス張りの外壁に刻まれた企業ロゴ。
――アークライト・グループ。
ヒーロー事業を中心に異能研究、装備開発、災害救助、警備、医療、メディア事業など幅広い分野へ進出している国内有数の巨大企業である。
「おはようございます」
「おはようございます、風見さん」
「風見さん、おはようございます!」
エントランスを通り抜けた善斗は顔見知りの社員たちと挨拶を交わす。
「はい、おはようございます」
軽く頭を下げながら社員証を認証機へ通すと機械が短い電子音を鳴らし、ゲートが開く。
「あ、風見さん。おはようございます」
「おはようございます」
そのままエレベーターへと向かうと丁度、同じ部署の男性社員が乗り込むところだった為、善斗も一緒に乗り込んでしまう。
「あ、そういえば風見さん。昨日のニュース見ました?」
目的地である8階のボタンを押して待っている間、同僚が声を掛けてきた。
「昨日の?」
「オフィクスですよ、オフィクス」
「……ああ」
男性の言葉に善斗は一瞬だけ言葉に詰まらせるが、次の瞬間には笑みを浮かべながら頷く。
「はい、見ましたよ」
「いやぁ、スカイライト凄かったですよね! 特にスカイレッド!」
「ええ、そうですね」
「俺、昨日たまたま現場の近くにいたんですけど、めちゃくちゃ格好良かったですよ!」
「へぇ……」
男性社員と善斗の間では会話に明らかな温度差があるが、当の本人は気にした素振りも見せずに話を続ける。
「ちなみに風見さんはどっち派です?」
「……どっち?」
何のことだと首を傾げると善斗に「またまた、分かってる風に〜」と男性社員は笑う。
「スカイレッドとスカイブルー、どっち派ってことですよ」
「ああ……そういう」
男性社員の質問に善斗は少しだけ考える素振りを見せるが、やがて首を横に振った。
「一応、担当ヒーローですからね。優劣は付けられません」
「あっ、そっか。そういえば風見さんってスカイライトのサポート担当でしたっけ」
「ええ、去年から担当させて貰ってます」
ヒーローサポート課。
その名の通り、ヒーローたちの支援に重きを置いた業務を担当する部署だ。
出動予定の調整や活動環境の整備といった事務的な業務も行っているが、中でも重要視されているのが、ヒーローたちの心身のケアだった。
ヒーローという仕事は華やかに見える一方で、常に危険と隣り合わせだ。
レネゲイドとの戦闘による恐怖や緊張、救助できなかった人々への罪悪感、世間からの批判や過剰な期待。そうした負担を抱えたまま活動を続ければ、本人だけでなく周囲にも悪影響を及ぼしかねない。
そのためヒーローサポート課では、それぞれのヒーローに担当職員を配置して定期的な面談を行っている。
善斗もその担当職員の一人であり、現在はスカイライトのスカイレッドとスカイブルーを担当している。
二人の活動状況を確認するのはもちろん、戦闘後の面談や悩み事の相談、休養の調整など、ヒーローとして活動する上で生じる様々な問題に対応するのが善斗の仕事だった。
「いやぁ、羨ましいですよ。スカイライトの担当なんて」
「そうですか?」
「そうですよ! 今やかなり人気のヒーローじゃないですか! 特にスカイレッドなんて、昨日の戦闘でまたファン増えたでしょうし」
「……まあ、そうかもしれませんね」
善斗は曖昧に笑う。
確かに最後のスカイレッドの姿は側から見れば格好良かっただろうが、技を喰らった本人からすればそれどころの話じゃなかった。
「——おっと着きましたね。それじゃ、また!」
「ええ」
同僚と別れて善斗も自分の席へ向かう。
設置されているパソコンを起動し、今日の予定を確認すると面談の予定が五件も入っており、善斗は思わず顔を顰める。
「……昨日あれだけ動いた翌日に、これかよ」
呟きながら予定の面談を確認する。
一件目、スカイライト。
二件目、ガイリュウ。
三件目————。
「……はぁ」
今日も今日とて予定が詰まった一日に善斗は小さく肩を落とすと、次にメールフォルダの確認を行う。
届いていた幾つかのメールの内の一つに特殊事案対策課からの連絡があることを確認した善斗はため息を漏らし、席から立ち上がるのだった。