目的地である十四階に辿り着いた善斗はすれ違う社員たちに頭を下げながら廊下を進んでいく。
すると最初は社員で賑わっていたフロアも、進むにつれて徐々に人の姿が少なくなっていき、やがて廊下には善斗の足音だけが響くようになった。
やがて、同じ十四階とは思えないほど静かな一角へと辿り着くと一枚のプレートが掲げられた扉があった。
『危機管理部 特殊事案対策課』
プレートの文字を確認した善斗は、そのまま扉の前まで歩み寄るとノックをする。
「入ってくれ」
「失礼します」
短い返事を確認した善斗は扉を開け、部屋の中へと足を踏み入れる。
すると正面のデスクに座っていた一人の男性が顔を上げた。
「来たか、善斗くん」
「はい。お疲れ様です。村上さん」
善斗が頭を下げると男性、村上重信《むらかみしげのぶ》は小さく頷いた。
「急な呼び出しで申し訳ないね」
「いえ、それで要件は?」
善斗の質問に対して重信はゆっくりと椅子から立ち上がると背後の窓に視線を向ける。
「まずは昨日のレネゲイドとしての任務、ご苦労だった。死傷者ゼロ、街への被害も必要最低限。スカイライトとの戦闘も予定通りと言えるだろう」
「ありがとうございます」
上司からの労いに対して善斗が感謝の言葉と共に頭を下げる。
「にしてもスカイレッドの最後の一撃は凄かったな。技をモロに喰らっていたように見えたが、大丈夫だったか?」
「はい。焦りましたが、咄嗟にオロチを盾として出して直撃は避けたので問題ありません」
「なるほど、流石はA級レネゲイドとして活動しているだけあるな」
「そう言われると素直に喜べませんね」
レネゲイドとして褒められ、複雑な表情を浮かべる善斗に重信は「だろうな……」と同情を滲ませる。
「会社の指示とはいえ悪行を働き、駆け付けたヒーローに敗れる。良い気分はしないだろう」
「まぁ、否定はできませんね……」
善斗は苦笑気味に答える。
一応、仕事と割り切ってはいるがやはりレネゲイドとして活動して良い気分はしない。
「とはいえ、君のお陰で昨日もスカイライトの評価は上々だった」
「それなら何よりです。まぁ、契約通りの仕事をしただけですけど……」
「その契約通りに仕事をこなすことが大切なのだ」
善斗に対して重信は真剣な表情を浮かべながら告げる。
「一般人へ危害を加えないこと。また、指定された物以外の器物を損壊しないこと」
「…………」
「数々の制限がある中でヒーローと戦うことは生半可なことでは無い。だからこそ、君のような優秀な異能者にレネゲイドとして活動して貰う必要があるのだ」
「会社の為に……ですか?」
「否定はしない。しかし、これは同時にヒーロー社会の為でもある」
善斗の問いに重信は迷いなく答えた。
「君も知っているだろう。『異能』が存在する現代、ヒーローの存在は社会にとって必要不可欠なものになっている」
「はい」
異能。
それがこの世界に生まれたのは、今からおよそ五十年前のことだった。
始まりは、一つの隕石だった。
地球へ飛来した巨大な隕石が太平洋へ落下。
その直後から、世界各地でこれまで存在しなかった特殊な力を持つ人間が確認され始めた。
炎や水を生み出す者や身体能力が大きく向上した者、他にも身体の一部が変化した者などもいる。
その能力は人によって千差万別であり、やがて人々はそれらを総称して『異能』と呼ぶようになった。
当然、異能の出現は社会にも大きな変化をもたらした。
その力を人々のために使おうとする者が現れる一方で、異能を犯罪に利用する者も現れた。
異能を使った犯罪は、それまでの警察だけでは対応が難しい事件も多く、やがて異能犯罪者――レネゲイドに対抗するための新たな存在が必要とされるようになった。
そして生まれたのが、ヒーローという存在だった。
異能を持つ者の中でも、厳しい審査と訓練を経て資格を与えられた者たち。
彼らはレネゲイドの鎮圧だけではなく、異能によって発生した事故への対応や災害現場での救助活動など、様々な場面で人々を支えている。
そして何より――。
「犯罪者の鎮圧だけじゃない。災害現場での救助、異能を使った事故への対応、そして市民に安心を与えることもヒーローの重要な役割だ」
重信はそう言いながら窓の外へ視線を向ける。
「異能の発現から五十年。今では異能を持つ人間もヒーローも、この社会には欠かせない存在になった」
「……そうですね」
善斗は小さく頷く。
異能は既に特別なものではなくなり、ヒーローもまた、人々の暮らしを支える存在として社会に根付いている。
「だが、平和な社会では当然ながらレネゲイドによる事件も減っていく」
「それ自体は良いことじゃないですか?」
「もちろんだ」
重信は頷く。
「誰もが安心して暮らせる社会。それが我々の望むものだ」
重信はそこで一度、言葉を切る。
「しかしな、善斗くん。平和になればなるほど、ヒーローが活躍する機会も減っていく」
「……それは、仕方のないことじゃないですか?」
「その通りだ。だが、仕方ないだけでは片付けられない問題もある」
重信は窓の外へ視線を向けたまま続ける。
「ヒーローという存在は、ただ強ければそれでいい訳ではない」
そう語る重信は静かに善斗へ視線を戻す。
「市民から必要とされ、信頼され続けなければならない。言ってしまえば、ヒーローそのものが一つのブランドなのだ」
「ブランド……」
「日々事件を解決し、災害現場で人を救い、活躍する姿を見せる。そうした積み重ねによって、市民は『ヒーローがいるから安心だ』と思うようになるのだ」
重信は淡々としながらも力の籠った声で語る。
「だが、何年も大きな事件が起きなければどうなる?」
「……ヒーローなんて必要ない、と思う人が出てくるってことですか?」
「その通りだ」
少し考えた後に善斗がそう答えると重信は満足そうに頷いた。
「……少し大袈裟では?」
「そうかもしれない。だが、異能が生まれてからまだ五十年しか経っていないんだ」
「五十年……」
「たった半世紀で我々の暮らしは大きく変わった。異能を持つ人間が当たり前に存在し、レネゲイドが現れ、それに対抗するヒーローまで生まれた」
「つまり、それだけ社会の変化が早いということですか?」
「そうだ。だからこそ、これから先もヒーローという存在が社会に必要とされ続けるとは限らない。時代が変われば、人々が求めるものも変わっていくのだからな」
「…………」
「もちろん、本当に事件が起きないのなら、それに越したことはない。だが、人々の記憶からヒーローという存在そのものが薄れてしまえば、いざという時に彼らを必要とする声も小さくなる」
「だから俺たちにレネゲイドを演じさせると?」
「そういうことだ」
重信は善斗の目をしっかりと見据えながら話を続ける。
「会社が管理した場所で被害を最小限に抑えながら事件を再現する。ヒーローはそれを鎮圧し、市民はその姿を見る」
「……会社の為だけじゃなく、ヒーローとしての存在感を維持するためにも必要だと?」
「正確にはヒーローというブランドを守るためだ」
その言葉にはどこか冷たい響きがあった。
「市民からの信頼。企業への評価。スポンサーからの支援。そして、ヒーローを必要とする社会そのものを維持するためにも欠かせないものだ」
重信の話に善斗は小さく息を吐く。
「なんだか闇の深い話ですね」
「社会を支える仕組みというものはそういうものだよ」
嘆くように呟く善斗に対して重信は苦笑を浮かべながら笑う。
「綺麗事だけではヒーロー社会は成り立たない」
「それは身をもって実感してますよ」
レネゲイドとして活動している善斗にとって、その言葉は他人事ではなかった。
「……活動を止めたいかい?」
「本音を言えば……。とはいえ高い給金も頂いていますし、少なくとも契約期間の最後まではしっかりやらせて頂きますよ」
「確か、妹さんの学費だったかい? 君のようなお兄さんを持てて妹さんは幸せ者だね」
「幸せ者ではないでしょう……」
重信に対して善斗は顔を顰めながらそう呟く。
レネゲイドとして活動している兄なんて楓が喜ぶ筈もないだろう。
「…………それより、呼んだ要件をお伺いしても?」
「ああ、そうだった。すっかり忘れていたよ」
今回、善斗を呼び出した本来の目的を思い出した重信は机の上に置かれたタブレット端末を手に取る。
「次の『オフィクス』としての任務の日程と場所を伝えたくてな。今回はいつもとは少し変わった場所になる」
「というと?」
善斗の質問に重信はタブレットを操作し、画面に一枚の写真を表示する。
「……レジャーパークですか?」
「ああ、ウチのグループ会社が経営している東都レジャーランドだ」
「ヒーローショーの悪役って訳じゃないですよね?」
「そんなわけないだろう。君にはここでオフィクスとして暴れて貰う」
「ここで……」
目に映るレジャーパークを眺めながら善斗は僅かに眉を寄せる。
東都レジャーランド。
巨大な観覧車を中心にジェットコースターや水上アトラクションなど数多くの施設を備えた、都内でも有数の大型レジャーパークだ。
当然、休日ともなれば多くの人間が訪れる筈だが……。
「……営業中ですよね、ここ」
「ああ。だが、それもあと少しだ」
「あと少し?」
どういう意味だと善斗が首を傾げる中、重信は話を続ける。
「東都レジャーランドは今月末をもって閉園することが決まっている」
「閉園……ですか」
「ああ、長年の赤字に加えて施設の老朽化も進んでいてね。既に土地の再開発も決まっている」
重信はそう言うとタブレットに施設の見取り図を表示して善斗に見せる。
「今回の任務では閉園前の東都レジャーランドを舞台にレネゲイド事件を起こしてもらう」
「……つまり、ここでヒーローと戦えと?」
「そういうことだ」
驚く善斗に対して重信は頷く。
「もちろん、一般客を巻き込むつもりはない。戦闘区域は事前に封鎖し、客や従業員も別の区画へ避難させる」
「なるほど。けど、どうして今回はレジャーパークなんですか?」
「オフィクスの凶悪さの演出だ」
「演出ですか……」
「ああ。ここ最近、オフィクスの悪評が和らいでいるからな。ここは一つ、派手に暴れられる場所でA級レネゲイドの恐ろしさを世間に再認識させようということだ」
重信は善斗の疑問にそう答えながらタブレットを操作すると今度は施設の一部に赤い印が表示された。
「ここを見てくれ」
「……閉鎖されたアトラクション区域ですか?」
「正確にはその周辺一帯だ。閉園後に取り壊す予定になっている」
善斗は画面を暫くジッと見つめていたが、やがて何かに気付いた様子で声を上げる。
「まさか……」
「察しがいいな、その通りだ」
重信は笑みを浮かべながら頷くと答えを述べる。
「どうせ取り壊す建物だ。なら、その前に今回の任務で利用させてもらおうというわけだ」
「……なるほど、上手く考えましたね」
「どうせ取り壊す建物だからな。ヒーローとの戦場にも使えて一石二鳥だよ」
呆れた様子で呟く善斗に重信は悪びれる様子もなく答えると今回の任務の内容へと話を戻す。
「つまり指定された区域内の物なら、ある程度壊してくれて構わない。むしろ今回は普段より暴れて貰いたい」
「分かりました」
周りを気にせず暴れることができるのは助かるなと思いながら善斗は頷く。
「とはいえ、万が一ということもある。完全に避難が完了するまではある程度は抑えて暴れてくれ」
「タイミングに関してはどうすれば?」
「インカムで連絡をする。連絡後は戦闘区域内で派手に暴れてくれ」
頷く善斗はそこで一つ、確認しておきたいことがあるのに気付いた。
「こちらからも一点、良いですか?」
「何かな?」
「今回、私が相手するヒーローは誰が?」
「当日パーク内で行われるヒーローショーに出演するヒーローが君の相手になるが……まだ決定はしていない。とはいえ、予定ではスカイライトになる筈だ」
「なるほど……分かりました」
「他に何か気になることは?」
「決着はいつも通り敗北で?」
「いや、今回の戦闘は勝敗を問わない。君の恐ろしさを演出できればどちらでも大丈夫だ」
「分かりました」
凶悪さアピールが優先かと思いながら善斗は静かに頷く。
「他に気になることは?」
「いえ、大丈夫です」
確認したいことを一通り確認し終えた善斗がそう答えると重信は「よろしい」と頷く。
「では、要件はこれで終わりだ。通常業務に戻りなさい」
「はい、失礼します」
善斗は頭を下げると重信に背を向けて扉のドアノブに手を掛ける。
「善斗くん」
「はい」
名前を呼ばれて善斗が振り返るとどこか楽しげな笑みを浮かべている重信の姿が視界に入る。
「当日は期待しているよ」
「……せいぜい凶悪なレネゲイドらしく、派手に暴れますよ」
善斗は重信にそう答えるとドアノブを回し、部屋を出て行った。