(せめて塀でもあればなぁ)
三階建てくらいの高さの壁でも作れれば、地上の臭いはかなり遮れそうだ。風や地震で倒れなければ、だが。
(衛生的に問題がなければ、そこまで気にしなくてもいいのかもしれないけど……)
実際、神様選別により、排水の方はこの激臭がなくなっている。作業中の臭いはもう、気にしない方がいいのかもしれない。
「ただなぁ……公衆尿壺がなぁ」
街のあちこちにある公衆尿壺。
貴重な尿をみんなで溜める気持ちは分かるが、発酵させられた尿は、もちろん強烈な臭いを撒き散らしている。
ライチはかつて、「あれって、撤去しちゃって、その辺におしっこしたりできないんですかねぇ」と、ランチを買ったサンドウィッチの露店の女性にそれとなく聞いたことがある。
それほどに、臭いオブ臭いものなのだ。
「捨てるなんてとんでもない!腐りピーピーにしかできないことがたくさんあるんだ。シミ抜き、染色の定着、動物の皮の脱毛、皮の油分取り……ものすごく貴重なんだよ」
女性はそう教えてくれた。ピーピーはおしっこの子ども的な言い方だろう。
(発酵したおしっこが、強いアルカリ性の液ってことなんだろうけど、灰汁とかでなんとか代用できないのかなぁ)
尿素が分解されてできるアンモニアは、学校のフェノールフタレイン溶液の実験で有名だ。鮮やかなピンクでアルカリ性が可視化されたイメージが、脳裏にハッキリと焼き付いている。
公衆尿壺は本当に酷いもので、雨避けらしきちょっと浮いた蓋を外して、中を見ようとしたが最後、涙が止まらないほどの刺激臭を喰らうのだ。
臭いのに、そのガスのせいで完全に蓋をすることもできないし、あれこそスーパーバクテリアくんに浄化させたいのだが……貴重な資源だと言われると手が出せない。
(布オムツも、うんちはともかく、おしっこだけなら、絞って大事な資源を取り出すべきなのかもだけど……)
ライチには、とてもオススメしたくないやり方だ。
オスティアとカステリナの道行く赤ちゃんは、おくるみや、オムツもどきの布によって、おまたを隠されている。
(農村で必要なオムツと、街で必要なオムツは違うんだな。“お金になるおしっこが簡単に集められますよ!”って銘打った方が、街では売れるかも)
おしっこはアルカリ液になるから貴重。うんちも肥料になるが、畑のないカステリナでは捨てている、と。
(貴族街が悪臭を消せてるなら、いつか同じ技術を平民にも提供できれば、ここも何の問題もなくなるよな)
とにかく、病気を蔓延させる原因の、最悪の衛生環境を一つ整えたのだ。
病気が流行れば、真っ先に割を食うのは高齢者と子どもだ。
(うん!ひとまずはここと尿壺の臭いには目を瞑ろう!よくやったよ。俺!)
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「ライチ様、お帰りなさいませ」
おやつ時ごろになってきたので、屋敷に帰ってきた。郊外村用のボロ着から着替えたところでベルが鳴った。入ってきたのは、執事っぽい老紳士のフィデリスだ。プルデリオが何度も呼ぶので、ライチも覚えてきた。
「プルデリオ様から以前お話のあった、フォークの売上予想の二割を、今、送金させていただいてよろしいですか?」
(あ!三日前に、一千万円くらいになるかな? とか言われてたやつ)
『模倣品が出来上がるまでの荒稼ぎで得る利益計算をしてから、後ほど情報料の支払いをする』みたいな話だったと思う。
「勿論です!」
フェラド一家の大工房の試作品ができるより早く、計算が終わったらしい。
(まとまった入金だから、ATM送金したいなぁとか思ってたやつだ〜)
遅れての入金にほくほくである。
にこにこ顔でギルドカードを触れ合わせた。
入ってきた金額表示を見る。
【百五十万G】
「…………あっ、あれっ。思ってたより、増え、増えましたね」
一千万円が、一・五千万円になっている。
(五百万円って、誤差の範囲だっけ)
金銭感覚が取り戻せず、ニコリとした目のまま固まってしまう。
「試作品や原価、人件費も含めて計算した結果でございます。貴族向けは一本一万Gで売りますし、他領への販路も使いますので、売上の二割でも、こちらで充分かと」
余裕たっぷりの様子に、「おおぉ〜……」という気の抜けた声が出てしまう。
「ちなみに、差し支えなければ、原価とかを差し引いた、プルデリオ家に入るお金って……」
言いかけで濁すと、フィデリスがニコニコと教えてくれた。
「ライチ様には二割。当家には、五割強が入ってくる計算でございます。我々が必ず売り切りますので、どうぞご心配なく」
(えーっと、二割で、一五〇〇万円だから、半分にして一割、七五〇万円を、五でかけて……)
「よっ、よん せん まん えんッ!!??」
声に出てしまって、ハッとする。すぐにグラルに訂正した。
「あ、違った、四百万Gですね!フォーク一本で、すごいなぁ……」
フィデリスがこっくりと品良く頷く。
プルデリオ。なんとも凄いお人だ。
(今夜は、いくら送金しちゃおうかなぁ〜)
残高の表示は【八一八〇七五六G】になっている。勝手な円換算ではあるものの、八千万円だ。
八千万円。
――によによっ。……ふー……
――……によっ。……ふーー……
もう上がってくる口角が止められない。
フィデリスのいなくなった室内で、一人息を吐いて心を落ち着けていると、またベルが鳴った。
「ライチ様、ライチ様、サピダンです」
凛とした普段の雰囲気とは違い、どうにも切羽詰まった様子のサピダンが現れた。
「サピダンさん……って、うわっ、顔色!どうされたんですか。青いどころか、土の色をしてますよ」
とんでもない顔色で、なんとか表情だけは冷静を取り繕っている。
「領主様の城に呼ばれまして」
「あ、はい、それはちょっと見かけました」
遠目でも分かるほど、顔面蒼白だった。
「領主様からのご伝言を賜りました。プルデリオ様の買い取っているものが料理だと分かったから、一度食してみたいと……。特に、甘味シートを使った料理が気になっておられるようです」
「ふんふん」
金の流れから、『まだ買い取っているものがあるだろう』とバレたようだ。新製品のポテンシャルも知りたいし、と。まぁおおむね予想通りである。
「レシピはすでに買ったから、城の料理人への伝達ついでに、おぬしが料理を献上せよ、と……」
「おぉ〜!!いいですね!腕の見せどころですね!」
これは出世の大チャンスかもしれない。応援せねば。
「ライチ様っ!!ライチ様は、不慣れなレシピを貴族……しかも領主様に献上することになったら
同じことが言えるのですか……!」
サピダンが半泣きで訴える。言われてみれば、未来のレシピが斬新すぎて、ひよっこに戻ったような心地だ、みたいなことを言っていた気がする。
「不慣れなレシピは嫌ですね……死にたくないし」
「ライチ様!」
ライチが出した不吉なワードに、ワッとサピダンが嘆く。
「不慣れじゃなくなればいいじゃないですか!サピダンさんならできますって!いつ、献上するんですか? 今日? 明日?」
「今日明日ッ!? 私に死ねと仰せですか?!」
明日ではなかったようだ。何よりである。
「『“ふわふわなパン”とやらが完成したら、“新しい料理”を城まで作りに参れ』、と仰せつかりました……」
「あっ、完成したら、でいいんだ!よかったですね!こっち待ちですもんね」
(領主様って、見た感じも話した感じも、こわ……いや、もう威厳がすごすぎて死にそうな存在だけど、意外と話せばわかるというか、親切というか……良い人?)
ちょくちょくじんわりとこちらの都合を汲んでくれている不器用な感じが、ちょっと義理のお父さんと似た雰囲気を感じる。ツンデレというか。ツンツンにデレの香りが一瞬するというか。
(飛車に乗っていいって言われたくらいで、親近感を抱きすぎかな)
それくらい、ライチにはありがたい許可だったのだ。