「さっきは真ん中の魔導盤にしか触れてなかったけど、右手は開いて、真ん中と右の魔導盤に同時に触れるんだ」
言われた通りに右手を置く。
「左手は左側の魔導盤」
三点を押さえた姿勢で、すでに嫌な予感がしてきた。
「え……待ってください。もしかして、この三点、それぞれに魔力を流さないと、操縦ができないんですか?」
「うん、そう。右親指の中央から流せば浮くし、右の他の指から流せば右に曲がるし……だな」
なんてことないようにフガークスは言う。まるで、歯磨きの仕方でも説明するように。
「父性を、指から出せる人なんて、います?!」
フガークスの黒い目が丸くなって止まる。
「ただの一人も知らないね」
(そ、そりゃそうだ……)
元の世界の人たちと、この気持ちを分かち合いたい。
基本姿勢の段階で、心が折れそうだ。できる気がしない。
ガクリと肩を落とすライチに、フガークスはペロリと唇を舐めて笑う。
「だから面白いんじゃないか。やってみたら案外できるかもしれないぞ。ホラ、この姿勢で、右親指を意識しながら、お子さんの名前を呼んでみてくれ」
「右親指……」
右の親指に向かって、我が子の名前を呼んでみる。
「ルノ〜、レント〜、ロク〜」
――……
飛車はピクリとも動かない。荒地の乾いた風が、ライチ達の髪を揺らす。
「あれ?」
「ほぉぉ。飛ばなくなった」
二人で顔を見合わせる。
「集中できてなかったかもです」
「ぽいな。もう一回」
今度は目を閉じて、我が子の顔をしっかりと思い浮かべる。長いまつげ、ミルクの匂い。
目を開くと、魔導盤が淡く光り始めようとしている。
「よし、これを右親指に集中して……」
ふっと、光が消えてしまう。
「あぁ……」
「もう一回」
その後も何度か、浮上だけ、三点を意識、と二つのパターンを試したが、浮上だけなら初回のように簡単にできるものの、指の出力先を意識した途端、集中が切れて、父性が霧散してしまった。
(父性が霧散するって何?! 我が子を想って溢れてくるやつが、父性だよな?!)
ライチはもう大混乱である。
「浮遊だけにしても、せいぜい二トゥアズくらいか。これ以上はどうしても飛べない?」
二トゥアズのことは分からないが、ライチが飛ばせた高さは、成人男性二人分くらいの高さまでだ。四メートル弱。
「その二トゥアズくらいの高さあたりから、『これ、落ちたらヤバいよな……』とか、余計なことがよぎっちゃって」
「じゃあ、車内でやってみよう!」
フガークスは、実りのない実験をエンドレスに嬉々として繰り返す。
(理科の実験を思い出すなぁ。小五の種の発芽条件だったっけ。
水と空気と温度のあるなしでの変化を調べるために、四カップに種二十個……みたいな実験をした記憶が……。
水ありのまま空気をなくすために、種を水に沈めるのが印象的だったな)
対してこちらは、世界がひっくり返るような未知の研究だ。種二十個なんかでは済まない。
「よし、飛ばしてみて」
早く早く、と車内に押し込まれ、ライチは再び中央の魔導盤のみに触れて、飛車を飛ばす。
我が子のことを考え続けつつ、周囲を見る。やはり、建物の二階ほどを超えてくると、気が散って降下が始まってしまう。
「これはどう?」
フガークスが、向かいの席からサッと横に並びに来て、両手で目隠しをしてきた。
「いや、気が散って、これはもっと無理です……!」
ライチは、フガークスの手を軽く押しのけて訴えた。
「――興奮がおさまらない」
ライチは少し距離を取って顔を覗く。フガークスの目つきがおかしくなっている。
「こ、こうふん……?」
そんな楽しいところ、あったか? と、こわごわライチが聞き返すと、目がおかしい男が虚空を見つめ始めた。
「本当に魔力ではない別エネルギーなのか? 思考エネルギー? それはなんだ? なぜ魔石に作用する? 気が散るとはなんだ? 集中とは? 脳室で何が起きている? どうして手を触れて流せる? なぜ無尽蔵なんだ? 魔力生成器官とは根本から違う? 魔石はどこだ? 魔石がない? どうしてこのような特殊個体ができた? 発現はいつだ? 自覚したのは? 記憶がないことにも関わっている?」
怖い。
ブツブツと独り言がものすごい速さで流れていく。
(“特殊個体”だけ、ちゃんと拾えてしまった……完全にモルモットですやんか……)
こういう人物であることは、もう分かっていたので、もはや何も言うまい。ライチは自分の思いをきちんと伝えた。
「解剖には協力しませんからね。絶対」
---
遠くに、鐘の音が聞こえる。
その後も進んでいるのか戻っているのか止まっているのか分からないような実験……いや、特訓を繰り返し、気付けば、おやつ時を過ぎていた。
「組合規定の時間だ。これ以降は、夜間でまた別料金になる。思考のために栄養も補給したいし、今日はここまでだな」
フガークスがさくっと切り替えて、締めに入る。目つきが、またカラス的な黒い目に戻っている。
「明日の予定は?」
「特にないです」
最優先事項が、領主のご命令なのだ。ライチには、のんびりと別のことをしている時間はない。
「じゃあ、朝食後、次の鐘が鳴ったら、組合か、ここに集合でもいいか?」
「大丈夫です。あんまり目立ちたくないんで、ここらへんに集合でお願いします」
朝食後の鐘なら、おおむね九時ごろだろうか。アルフィアーナに報告しに行く時間くらいは作れそうだ。
目印も何もない荒地だが、肥溜め池が目視できるあたりにいるので、落ち合うことは簡単だろう。
「オッケー。代金は明日朝、俺が組合に払ってから来るから、ここで返してもらう形になる。
――待ってるから、絶対に来てほしい」
フガークスは念押しして、飛車を浮かせる。
「じゃあ、また明日」
風をまといながら、飛車は魔力組合へ向かって飛んでいった。
(つ……疲れた……)
座って子どもを思っていただけで、特に疲労は溜まっていないはずだが、研究者の熱量がすごすぎて、精神が摩耗している感がある。
ライチはとぼとぼと、肥溜め池に向かって歩き出した。