パパは異世界ATM   作:taniko

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第98話 最敬礼

 

「本日はこちらの部屋への案内を仰せつかっております。ご足労ありがとうございました」

 

 使用人が到着を知らせる。なんてことはない、他の部屋と同じような、普通の片開きの扉の前だ。

 

 謁見するといえば、両開きの大きな扉がバーンと開いて、玉座がドンと構える、“謁見室”のイメージだが、ここでは違うのだろうか。

 それとも、呼び出した者として名前は書いてあったが、実際に会うのは領主本人ではないのだろうか。

 

 今のところ、風騎の音は聞いたが、なんとか貴族様自体には会わずに済んでいる。

 おかげさまで、貴族用の作法は、結局本番まで分からずじまいなのだが。

 

 

 扉が開かれ、案内される。

 

 ごく普通の長机と長椅子があるだけの、小さな部屋に見える。

 

「どうぞ、おかけになってください」

 

 ドアを押さえて道を譲った使用人が、手前の長椅子を示す。

 

 ライチはいよいよ、打ち首を宣告されるかもしれない部屋へと足を踏み入れる。

 

 急に、心臓がばくんばくんと痛いほど脈打ってきた。

 

(打ち首なんてないない、理由がないって)

 

 いくらそう自分に言い聞かせても、万が一……という可能性が少しでもあるだけで、気が狂いそうになってくる。

 

 音が遠くなるような感覚とともに、聴覚が強い鼓動の音に乗っ取られていく。

 

 首元を冷や汗が流れる。打ち首で首に触れる刃物の冷たさを想像してしまう。

 

 ライチはプルデリオに倣って、ぎこちなく、長椅子に腰掛けた。

 

 聴覚が鼓動に支配される。

 

 日本で育児大好きサラリーマンとして生きていると、とても感じることのないような、命の危機に対するアラート。

 

(神様、ヴェルディウスさん、ヴェルディウス様。なんの呼び出しか知らないけど、なんかヤバかったら責任取って助けてください)

 

 死ねと言われたら死ぬしかない時代に生きるとは、こういう気持ちなのだ。

 

 まな板の上のコイは、どんな気持ちでそこにいるのだろう。屠殺の順番を待つ家畜たちは。

 

 とてもこんな身分社会では暮らしていけそうもない。

 

(家に帰りたい)

 

 ライチは鉛のように重い唾を飲み下した。

 

 

 

---

 

 

 

「…………」

 

 できることが祈ることだけ、という息が詰まる状況になってから、体感では三十分くらい待ったような気がする。後ろのプルデリオの使用人二人は、もちろん立ちっぱなしだ。

 チラリと視線を後ろにやると、いつの間にやら、壁にある突起に、下町で濡れた外套がかけられているのが見えた。

 

(……そりゃ、“朝食後”とかいう適当な召喚の仕方をしてれば、こうなるわなぁ)

 

 あいまいな集合時間では、待つ者が出るのも当然だ。

 張り詰めた緊張も、そう長くは続かない。

 

 “なんだかんだ、忙しくて来られなくなったとかで、すっぽかされたりしないかなぁ〜”と、一縷の望みにすがるくらいの余裕は復活してきた。

 

 頭が少し痒くなり、整髪料に気をつけて、爪の先でつついた。

 ライチのぼんやりとした七三分けから、動物油と蜜蝋とハーブの香りがしている。悪臭ではないがワックスより余程ベタベタして落ち着かない。早く終わらせて髪を洗いたい。

 

 ――ごく……り

 

 ずっと唾液がほとんど無い。パッサパサの口の中を少しでいいから湿らせたい。そこそこ待っている気がするが、お茶などは出ないのだろうか。

 

 

 

(ヒィーーーーー……)

 

 

(ひっ!ち、近い……!!)

 

 おもむろに、扉の向こうで、飛車だか風騎だかの音がした。

 

 貴族から出るであろう音に、ざわりと総毛立ち、警戒態勢に入る。

 

 ――チリリリリン……

 

 ベルが、鳴った。

 

 

 

---

 

 

 

 その瞬間だった。

 

 プルデリオがすっと音もなく立ち上がる。

 

 ライチも本能で追いかける。

 

 プルデリオが長椅子の横に出た。扉の正面。

 

 ライチの場所はここだと、彼が視線で示してくれる。扉の正面、壁側に、プルデリオと横並びになった。

 

 彼はそのまま、深く腰を折った。

 

(四十五度!サラリーマンの、最敬礼!)

 

 得意のポーズに、思考するより早く、身体が自然と動く。

 

(目線は二メートル先!手は体の横の線に沿わせる!腰から折る!)

 

 今のライチにできることは、美しい最敬礼をキープすることだけだ。意識をそこにかなり振りながらも、音や視界の端にも注意を払う。

 

 

 ――ガチャ キィィ……

 

 扉が開く音。

 

 ――コッコッ……チャリチャリ……

 

(誰か入ってきた……!ひぃぃ)

 

 怖くて床の一点以外を見ることができない。

 

 石の床に敷かれた絨毯を、コツコツと踏む足音が複数聞こえる。チャリチャリと複雑な金属音もした。

 

(三……四人くらい?)

 

 そのうち金属音のない二人分の足音が、ライチたちの向かいの長椅子へ移動する。

 

 それに合わせてプルデリオが体の向きを変えていくのが感じられたので、ライチも倣った。

 

 扉が閉まる音とともに、残り二人分の足音が扉の方で止まった。金属音の二人だ。

 

 ――ギッ

 

 衣擦れの音と、木の長椅子が軋む小さな音がして、貴族であろう二人が座ったことが伝わってきた。

 

 ――……………………

 

 無音の時間が訪れ、その後に、使用人らしき靴が視界の端を通り、カチャリと食器の音がした。

 

 ふわりとハーブの香りがしたので、ハーブティーのようなものが貴族らしき人物に出されたようだ。

 

 ――カチャ……

 

 ほんの小さな音がして、貴族たちがお茶を飲んでいそうな雰囲気が感じ取れる。

 

 体感五分ほどの長い静寂。

 

(………えっ?! 何これ何これ? 呼び出したくせに何の時間? もしかして、一番下っ端からご挨拶しないといけないやつかな?! 太陽さんコンニチハみたいな異世界ものによくある感じの?! 分からない! プルデリオさん助けて!!)

 

 口を開けば殺されそうな気がして、何もできない。

 そのうちに、さらに体感で三分ほど経った気がする。

 

 初めましてなのか、ご挨拶申し上げますなのか、どんよりした空の今日の良き日になのか、何が正解なのかは分からないが、これ以上のこのまま放置は、逆に不敬にあたりそうな気がしてきた。

 プルデリオの最敬礼姿も、“早くご挨拶しろ!”とオーラで言ってるように感じられてくる。

 

 とにかく何も考えがまとまらないまま、慌てて少し口を開いてみた。

 

「あの」

 

「誰が口を開いてよいと申した。分をわきまえよ。切り落とされたいのは、閉じ方も知らぬその口か? それとも、思慮の足りぬその頭か?」

 

「…………っ!」

 

 ハズレ!! ハズレ!!! 死ぬ!!

 

 ピシャリと言われ、血の気を全て引かせながら、ライチは更に頭を下げた。プルデリオもきっと横で顔面蒼白になっていることだろう。

 

 口を開くなと言われると、申し訳なくてもできることは最敬礼しかない。やらかしてしまった。あとは祈ることしかできない。

 

(ヴェルさんヴェルさんヴェルさんヴェルさん)

 

 神様の名を連呼して、なんとか少しだけ冷静さを取り戻す。

 

(女性の声だった。じゃあ領主様はお隣の方? やっぱり首を飛ばす系のお貴族様ですか……っ!)

 

 寒い。

 緊張感と恐怖に、ガタガタと全身が震えてくる。

 歯の根が合わずに、ガチガチと鳴りそうになるのを必死に押さえつける。

 

(音を立てたら死ぬ!)

 

「……わらわの茶の時間を邪魔するとは……。――ふん、もうよい、その面を見せてみよ」

 

 おもてを上げい!ではなく、そのツラぁ見せろやと言われた。

 

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