クロニカ・モクテスマ―再臨:若き怒りの王 作:カルロス・オトメツィン・チチメカテクトリ
死は実に不快だ。それは誕生の不快さと同等なほどに。
三度目の誕生であっても、私はこの感覚に慣れることはなかった。
不快だ。三度の生というのは他の者からすれば実に幸福なのだろうが、私はすでに恐ろしくなっている。この先のことを考えればそうであろう。なぜならば、私はすでに一度大きな失敗をしている。そして私はその事実をいまだに受け入れることができないのだから。
さて、私はこれを読んでいる貴方に自己紹介をしなくてはならない。私の名前は、モクテスマ・ショコヨトル。テノチティトラン第九代
……と言いたいところだが、今の私は威厳ある王ではない。視界はぼやけ、思い通りに動かせるのは柔らかな小さな手足だけ。そう、私は再び赤ん坊として、この世界に産み落とされたのだ。
時は西暦1468年。前世で私が異国の暦法を学んでいなければ、この数字に意味は見出せなかっただろう。
一度目の死の後、私はなぜか遥か未来の、海を越えた「日本」という島国に転生した。そこで私は一人の研究者として、かつての我が祖国、アステカの歴史を外側から狂気のように学び直した。なぜ我々は敗れたのか。なぜ私は、あの白い肌の侵略者たち――エルナン・コルテスに国をあっけなく明け渡してしまったのか。
歴史書に記された「暗君」という自身の評価に歯噛みしながら、私は現代の政治学、歴史、そして科学を貪り食った。そして再び目を覚ました時、私はまたしても「私」として、このテノチティトランの揺りかごの中にいたのである。
現在のテノチティトランは、第六代皇帝である父・アシャヤカトルの治世の下で急速に版図を拡大し、まさに黄金期を迎えようとしている。豪奢な宮殿から微かに聞こえる喧騒は、湖上に浮かぶ我が偉大なる首都が活気に満ちている証拠だ。
だが、未来の歴史を知る私の目には、この壮麗な帝国のあちこちに深く巣食う「死の病」がはっきりと見えていた。
我がアステカの王権システムは、西欧のような単純な長子世襲制ではない。
一度目の生で、私は即位後に彼ら既存の権力者たちを強引に抑え込もうとし、結果として致命的な反発を招いた。いざ異邦人が攻め入ってきた時、帝国の内側はすでにバラバラだった。
加えて、帝国を取り巻く政治状況も最悪だ。テスココ、トラコパンとの三国同盟は我がテノチティトラン一強の構造になりつつあり、歪みが生じている。周辺都市に対して恐怖と重税――そして過剰な「生贄」を要求するこの支配体制も、いずれ限界を迎える。我らが神々に血を捧げるため、近隣部族の恨みを買い続けているこの構造こそが、後に侵略者たちに「解放軍」という大義名分を与える最大の隙となるのだから。
1519年。あの忌まわしいスペイン人たちがやってくるまで、あと約五十年。 この赤子の体が成長し、やがて
現代の知識と歴史の真理をもって、彼らの教義すらも私の武器に変え、次代の皇帝たちをも操る盤石の権力基盤を築き上げる。
今度こそ、決して間違えはしない。
太陽の国を滅ぼした「
―――――
「父上、申し上げます」
父上と呼ばれた男、第六代テノチティトラン君主、アシャヤカトルは振り返り、視点を下に下ろした。そこには自らの息子、7歳にして昨今神童といわれる自らの息子、ショコヨトルの姿があった。
父はこの息子が酷く恐ろしかった。まるで神がかりのように、この息子は実に聡明であった。1歳にして言葉を操り、3歳にして弁論に関しては大人すら舌を巻くほどだ。教えてもないのに、歴史や暦などの学問に精通し、ついには政治にすら口を出す始末だ。
幼少期に教えられるはずの謙虚さと服従の精神は持ち合わせているはずなのに、それを超えるほどの発言とその聡明さは、次第に一部の神官から「貴方のご子息はトルテカ人そのものだ」とあがめられつつあった。
「……何用か、ショコヨトルよ」
アシャヤカトルは努めて威厳を保ちながら応じた。豪奢なケツァールの羽飾りを戴く彼自身の威光すら、この小さな息子の前では見透かされているような気がしてならなかった。
「恐れながら、父上。間もなくトラテロルコへの遠征軍が出立するかと存じます。その件について、一つご献策がございます」
モクテスマは、床に膝をついたまま涼やかな声で言った。
トラテロルコ――テノチティトランのすぐ北に位置する双子都市であり、商業の中心地。アシャヤカトルは現在、急速に力をつけるこの同族の都市を服従させるための軍事行動を計画していた。それは極秘事項のはずだった。
「な……なぜ、お前がそれを知っている」
「星の運行と、市場での物資の動き、そして何より、父上が最近面会された
七歳の子供が口にするべきではない、冷徹な政の言葉。アシャヤカトルの背筋に冷たいものが走った。
「……それで、献策とはなんだ。まさか、戦をやめろとでも言うつもりか?」
「滅相もございません。テノチティトランの繁栄のため、あの巨大な市場は我らの手で管理すべきです。私が申し上げたいのは、戦の『後』のことでございます」
モクテスマはゆっくりと顔を上げた。その瞳には、子供らしからぬ昏い光が宿っていた。
「トラテロルコを制圧した後、向こうの
アシャヤカトルは眉をひそめた。
「馬鹿な。反逆の首謀者たちを生かしておけと言うのか。見せしめとして生贄の祭壇に送るのが慣わしだろう」
「ええ。ですが、彼らはただの商人ではありません。各都市の物価、気候、さらには不満分子の動向まで……彼らは帝国中を巡り、ありとあらゆる『情報』を持っています。商人を処罰し、市場を停滞させれば、周辺都市は我々を『血に飢えた略奪者』としか見なくなります。ですが……」
モクテスマは言葉を切ると、立ち上がり、父の足元へと歩み寄った。
「彼らに富を約束し、間者として機能させれば、父上は玉座に座したまま、帝国の隅々までを見渡す『神の目』を手に入れることができます。力ではなく、金と情報で他部族を監視するのです」
アシャヤカトルは息を呑んだ。
アステカの戦士が誇るべきは、敵を打ち倒し、神に血を捧げること。それがこの国の真理だ。だが、目の前の息子が語る「情報網の構築」という概念は、武力のみに頼る帝国の危うさを補って余りある、恐るべき統治システムであった。
「……お前は、本当に七歳の子供なのか」
「私は、父上とこの帝国の永遠なる繁栄を願う、ただの忠実なる息子にすぎません」
モクテスマは静かに微笑み、深く一礼した。
心の中でモクテスマは冷酷に計算していた。
まずは父を利用して、強力な「諜報組織(ポチテカ)」を構築する。そして数年後、自身がカルメカクに入学する際、その情報網は、神官や貴族たちの弱点を握り、内部から支配するための最大の武器となるはずだ。
「さあ、
「……お前の考えは理解できるショコヨトルよ」
「そうでございますか」
「しかしだ」
アシャヤカトルはその視線を鋭く、しかし尊大にして息子を見下ろした。
「たかが子供に
その冷たく、突き放すような言葉を聞いても、モクテスマの表情に落胆の色は一切浮かばなかった。
いや、むしろ彼の内側では、してやったりという冷酷な笑みが広がっていた。
(――想定通りだ。それでいい)
帝国最高の権力者であり、数多の戦場を潜り抜けてきた戦士でもある父が、七歳の子供の提案をその場で素直に受け入れるはずがない。それはモクテスマも百も承知だった。アステカの皇帝にとって、自らの威厳とプライドは何よりも優先されるべきものなのだから。
「……おっしゃる通りでございます。血気にはやる子供の浅知恵、どうかお忘れください」
モクテスマは一切の反抗を見せず、ひれ伏したまま殊勝な声で言った。それは大人たちが期待する、完璧に従順な「幼子」の態度そのものだった。
「ただ、偉大なる父上がトラテロルコの反逆者どもを討ち果たし、あの広大な都市を我が物として歩かれるその時に……ほんの少しでも、この愚息の言葉を思い出していただけたなら、それ以上の喜びはございません」
「……もうよい。下がれ」
「はっ。父上の威光が、太陽の如く輝かんことを」
一分の隙もない礼儀作法で一礼し、モクテスマは謁見の間を静かに後にした。
ただ一人残されたアシャヤカトルは、豪奢な玉座の上で、堪えていた息を重く吐き出した。
「……忌々しいほどに、的を射た策だ」
七歳の子供に教えられたなどと、誰にも言えるはずがない。だが、帝国の皇帝として、あの策の異常なまでの有用性を無視することもまた不可能だった。
ポチテカを取り込み、帝国の目と耳として機能させる。トラテロルコを鎮圧した後、アシャヤカトルがその「自らが思いついた画期的な統治システム」を実行に移すことは、もはや火を見るよりも明らかであった。
一方その頃。
宮殿の石段を降りながら、モクテスマは眩しい太陽を見上げて目を細めていた。
(第一の布石は打った)
父は必ず商人を保護し、活用できる職業集団として重用する。そして数年後、俺がカルメカクに入る頃には、その情報網は帝国全土を覆い尽くすほどの規模に成長しているはずだ。
(父上が育て上げたその『眼』を、カルメカクの中から俺がこっそりと簒奪する。それが俺の次なる一手だ)
情報さえ握ってしまえば、少なくても他国の情報、運が良ければ派閥争いの弱みも全て暴き出すことができる。神々への信仰すらも情報でコントロールし、彼らを内部から完全に掌握するのだ。
遠くから、戦士たちの訓練の勇ましい怒号と、神に捧げられる微かな血の匂いが風に乗って漂ってくる。
モクテスマはその風を小さな肺いっぱいに吸い込み、ふっと冷ややかに微笑んだ。
五十年の時を懸け、破滅の運命からこの国を救うための、長き闘い。 「若き怒りの王」による帝国改造は、今、ここに静かに幕を開けたのである。
好評なら続きます。