ようこそ、迷宮都市オラリオへ!
――そんな歓迎の幻聴が聞こえた気がした。うん、完全に気のせいだな。
ここは地下に広がる巨大な迷宮『ダンジョン』を中心に栄える、世界で最も熱い冒険者のメッカ。神々が地上に降臨し、自らの『眷族(ファミリア)』を率いて富と名声、そして「神話の先」を求めてしのぎを削るファンタジーの最前線だ。
ラノベやソシャゲでよくある、夢とロマンに溢れた主人公たちの主戦場。
普通ならテンション爆上げで「俺の冒険が始まるぜ!」と叫ぶところだろう。
「おい、ラルゴ。そろそろ着くぞ」
商人のゲドーさんが手綱を握りながら、恰幅のいい体を揺らした。この半年間、荷物の積み下ろしを手伝いながら御者台に同乗させてもらってきたが、ついに目的地が目の前に迫っていた。
「はい、ゲドーさん。……あれが、オラリオですか」
遥か前方。地平線の向こうに、天を貫かんばかりの白亜の城壁がそびえ立っている。
前世は現代日本のしがないオタク高校生、現世は親に捨てられ孤児院で育った十三歳の少年・ラルゴは、その圧倒的な光景にごくりと喉を鳴らした。
チート能力? 神様からのボーナススキル? そんなものはない。あるのは前世の漫画やアニメの記憶と、妙に達者な口だけだ。当然、ここが『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』の世界だなんて原作知識もこれっぽっちもない。
でも、せっかくの異世界転生だ。モブのまま縮こまって終わるなんてつまらない。どうせなら物語の中心で、漫画の主人公みたいな激アツな日常を送ってやろうじゃないか!
そんな大いなる野望を胸に、私はゲドーさんにお礼を言って別れ、活気溢れるメインストリートへと意気揚々と足を踏み入れた。
直後、私の輝かしいローファンタジーの夢は、音を立てて粉砕された。
「おい、見ろよ。またかよ」
「しっ、関わるな。ヘラ・ファミリアの仕業だ」
前方から聞こえる不穏な囁き。何事かと群衆の視線の先を盗み見た私は、文字通り硬直した。
大通りのど真ん中。そこに設置された街灯や壁に、数人の男たちが見事な大の字でガッチリと貼り付けにされていた。
いや、「貼り付け」というマイルドな表現が申し訳なくなるほど、彼らの状態は凄惨極まりなかった。全身血まみれ、服はボロ雑巾、顔は元のパーツが分からないほどボコボコに腫れ上がり、四肢があり得ない角度に曲がっている。ピクリとも動かないその姿は、どう見ても「事後」だった。
(えっ、待って。何これ……ダークファンタジー? ベルセルク? 始まったの生贄の儀式か何かっ!?)
心臓がバクバクと鐘を鳴らす。周囲の住民を見れば、悲鳴を上げるどころか「うわぁ、今日も派手にやられてんなぁ」「伝統行事乙」みたいな顔で、コンビニの前を通り過ぎるサラリーマンばりの平然さで歩行を続けている。お巡りさん、ここ治安が世紀末です!!
「ひぇっ、やべぇってこれ!!」
私は恐怖のあまり、全力で細い路地裏へと逃げ込んだ。日差しの届かない薄暗い石壁に背中を預け、荒い息を吐き出す。
「無理無理無理! なんだあのバイオレンス都市! 夢と冒険の街じゃなくて、ただの修羅の国じゃねぇか! 転生先間違えたわ!」
自分の無力さと世界の過酷さに絶望しかけた、その時だった。
路地の奥から、妙にガタイのいい男たちがガハハと豪快に笑いながら歩いてくるのが見えた。
「いやー、昨日の覗きは惜しかったな! あと一歩でヘラ様の眷族の湯殿を拝めるところだったんだが!」
「全くだ。レグナの
……ん?
よく見ると、歩いてきたその男たちの顔や服装、そしてへし折れている腕の角度――さっき大通りで生贄の十字架にされていた連中そのものだった。
「まぁ、メインストリートに一晩貼り付けにされたおかげで、いい感じにステータスが上がったわ! 腹減ったし、飯行こうぜ!」
「おう、次はどこの湯殿を狙うかゼウスの爺さんと作戦会議だな!」
男たちはケロッとした様子で、骨折した腕をブラブラさせながら居酒屋へと消えていった。
私は、開いた口が塞がらなかった。
あんな、全損確定みたいな怪我を負っておきながら、「ちょっとすりむいちゃった」くらいのノリで歩いてる。しかも反省の色がマイナス突破している。
(……あ、なるほど)
私はそっと天を仰ぎ、すべてを察した。
ここがダークファンタジーの世界ではない。ただ、『怪物のごとき生命力を持ったバカ』と『それをミンチ一歩手前までクラッシュするゴリラ系美女』が日常茶飯事のプロレスを繰り広げている、致命的に頭の悪いギャグ世界なのだと。
恐怖は一瞬で消え去り、代わりに乾いた笑いが込み上げてくる。
「……いい。最高じゃん」
チート能力なんてない。あんなバカげた耐久力も、世界を滅ぼしそうな暴力も持ち合わせていない。
だけど、こんなに退屈しなさそうな世界、前世の漫画でも見たことがない。
もし、ここが物語の中心なら。この狂った常識の先へ進む「英雄」が本当に現れるなら。
私はその最前列で、このめちゃくちゃな世界を全力で楽しんでやる。
「よーし。まずは、あの不死身のゾンビたちの親玉……ゼウスとかいう爺さんのところへ、面接にでも行ってみますか!」
ラルゴはゼウス・ファミリアへの突撃を決意しかけたものの、一度深呼吸をして「ゼウス」という主神の名前を頭の中で反芻しました。
前世で貪るように読んだギリシャ神話の記憶。全能の神にして最高神、そして――人類史上、最も弁解の余地がないレベルの超絶ド級のロクデナシ。
「……待て。ゼウスって、あのゼウスか? 女と見れば人間だろうが妖精だろうが、果ては白鳥や黄金の雨に化けてまで手を出す、あの万年発情全能クソジジイか!?」
あのゾンビ軍団の親玉がその神格を宿しているなら、ロクデナシであることが確定する。
それでも「物語の中心(暫定)」に関わりたいというオタクの執念は消えません。ラルゴは警戒度を最大に引き上げ、まずは街の酒場などを巡ってゼウス・ファミリアの現状について徹底的に調べ上げることにしました。
* * *
数日後、安酒場で集めた情報を羊皮紙にまとめたラルゴは、頭を抱えていました。
「……うん、知ってた。知ってたよ。神話の再現度が100点満点中1億点だよチクショウ」
調べれば調べるほど、ゼウス・ファミリアの全貌はラルゴの予想の斜め上を突っ走っていました。
• オラリオ史上最強の「双璧」の一角:千年の歴史を持ち、構成員は全員男性。世界最高峰の怪物級の天才が集う。
• 伝統行事は「女湯覗き」:主神ゼウスが超一級のスケベなため、ファミリアの気風も完全に染まっている。隣の「ヘラ・ファミリア」への覗きはもはや日常。
• 異常な超回復力(ゾンビ):覗きがバレるたびにヘラ側にミンチにされ、大通りに貼り付けにされるが、翌日にはケロっとして次の覗き計画を立てている。
「最強の冒険者ファミリアだと思ったら、実態は『不死身のドスケベ集団』じゃねぇか!!」
酒場の隅で、ラルゴは声にならないツッコミを心の中で絶叫しました。
しかも、ライバルである「ヘラ・ファミリア」の団長は、人類最高レベル猛者。二つ名は【女帝】。主神ヘラは他の神々から「超絶残虐破壊衝動女(ハイパーウルトラヒステリー)」と恐れられる最恐神。そんな核ミサイルみたいな女傑たちに、このバカどもは毎日生身で突っ込んでいっているのです。
「関わったら確実に寿命が縮む。っていうか肉体的に死ぬ」
普通の転生者なら、ここで荷物をまとめて田舎へ帰るレベルの危険度。
しかし、ラルゴのオタク脳は別のスイッチを押していました。
「……いや、待てよ? ここまでキャラが濃くて、世界最強なファミリアがラノベのメインキャラじゃなきゃ何なんだ? 間違いなくここが『物語の中心』だ」
生存戦略としては最悪。だが、エンタメとしては最高。
それに、どれだけボコボコにされても身内を裏切らない家族のような絆があり、オラリオの若い芽には「超えてみせろ」と壁になり続ける、奇妙な格好良さもあると風の噂に聞きました。
「よし、決めた。私の達者な口と、前世のパロディ知識があれば、あのクソジジイの『デコイ(囮)』兼『ツッコミ役』として重宝されるはずだ。……生き残れるかは、私の逃げ足の速さにかかってるな!」
ラルゴは覚悟を決めると、ゼウス・ファミリアの本拠地へと向かって、力強く歩き出すのでした。