賑やかな熱気に満ちた食堂の扉を開けると、そこはすでに世界最強の男たちが集う、混沌とした大宴会の真っ只中だった。
俺たちが姿を現した瞬間、雛壇の最前列にいた団長マキシムの旦那が、並び立つ怪物たちに向かって酒杯を高く突き上げた。
「ガハハハ! 野郎ども、静かにしろ! 今日は我がゼウス・ファミリアに、新しく入った可愛い『兄弟』を迎える最高の夜だ! 新入りの前途と、新たな家族の誕生に――乾杯ッ!!」
「「「「おおうッ!!! 乾杯ァァァッ!!!」」」」
地鳴りのような咆哮とともに、一斉にジョッキが突き合わされる。
マキシムの旦那に背中をバチコンと叩かれ、俺は視線が集まる正面の舞台へと押し出された。
「えー、今日からお世話になります、ラルゴです! 十三歳です! よろしくお願いします!」
声を張り上げて頭を下げる。すると、客席のそこかしこから「おう、よく来たなラルゴ!」「ジジイを脅したガキだろ? 気に入ったぜ!」「今日からテメェも覗き仲間だな!」と、凄まじい大歓声が飛んできた。
どうやら、食堂でのあの問答の件はすでにホーム中に知れ渡っているらしく、俺はすっかり『主神ゼウスと志を同じくする、無害な顔をした同類のバカ』として熱烈に歓迎されているようだった。
そんな狂乱の客席の片隅から、ゾクリとするほどの寒気が走る。
視線を向ければ、壁際に佇むサイラスさんが、言葉こそ発しないものの、網膜が焼け焦げそうなほどの「怨念じみた何か」を俺に常時送信し続けていた。
(脳筋になるな。絶対にそっち側のバカに染まるな。理論(ロジック)を忘れるな)という、無言の、しかし底知れない執念のプレッシャー。俺は冷や汗を流しながら、それを確実に受信した。
「それで、ええと! 実はさっき、ゼウスの爺さんにファルナを更新してもらいまして! サイラさんの魔導書(グリモア)を使って、無事に初めての魔法が発現しました!」
俺がそう叫んだ瞬間、食堂の空気が一変した。
誰一人として新入りの快挙を妬む者はいない。それどころか、「マジかよ! 一発で発現したのか!」「すげぇじゃねぇか!」「おい、エルフの誇り(サイラス)の秘蔵書だぞ! よかったな!」と、純粋な歓喜と称賛の嵐が巻き起こる。プライドが高いはずの生粋のエルフの先輩団員たちすら、普通に満面の笑みで拍手を送ってくれている。
あの一括りにされた問題児どもは、実力こそ怪物だが、身内の身を立てる機微にはこれ以上なく真っ直ぐで温かい。
(……本当に、サイラスさんの言っていた通りだ。このホームには、細かい規律や派閥のバランス、嫉妬なんてものを気にするような、まともな脳みそを持った人間が一人もいない。みんな、気持ちがいいくらいのバカで化け物だ)
俺は胸の奥が熱くなるのを覚えながら、同時に、自らのオタクの魂に完全にスイッチが入るのを感じていた。これほど最高の先輩たちが、これほど最高の舞台を用意してくれているのだ。なら、出すしかないだろう。前世の、あの至高の「キメ台詞」を。
「えぇ、それでは余興として魔法を披露します!!」
声高らかに宣言した俺はスッと表情を消した。
同時に、全身の毛穴から、先ほど定着したばかりの魔力をじわりと解き放ち、食堂全体の雰囲気を力ずくで変えていく。
「――っ!?」
十三歳の子供から放たれたとは思えない、急激な雰囲気の変転。
そのただ事ではない雰囲気の変貌を察知し、それまで騒いでいた怪物たちがピタリと口を閉じ、食堂は一瞬にして水を打ったような圧倒的な静寂に包まれた。
俺は、自身の治癒魔法【不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)】を発動するための――いや、前世の記憶に眠る最高に禍々しい『黒色の詠唱』のイメージを脳裏に浮かべ、低く、ドスの利いた声で紡ぎ始めた。
「――滲み出す混濁の紋章」
客席の数人が、その最初の一節を聞いた瞬間、驚愕に目を見開いた。
先ほどまで元気よく自己紹介をしたはずなの新人が、一瞬であまりにも不穏で、あまりにも禍々しい呪詛のような言葉の響かせていることに。
「不遜なる狂気の器」
また数人のベテラン団員たちが、「長文詠唱か」と息を呑む。
魔法の詠唱というものは、その多くが術者自身の意志、決意、歩んできた人生の思いが言葉の形となったものだ。だからこそ、幹部たちの中には、目の前の十三歳の少年が、これほど圧倒的な静寂と「冷たい恐怖」を感じさせる詠唱を作るに至るまで、一体どれほど過酷で凄惨な人生を歩んできたのかと、その壮絶な過去に思いを馳せ、戦慄する者まで現れ始めた。
「湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き・眠りを妨げる」
団長マキシムや、副団長サイラスの目つきが変わる。
これほどの長文詠唱であるにもかかわらず、ラルゴの周囲の魔力の揺れが、一切存在しない。均一で、凪のようにどこまでも静か。魔力の制御技術だけが、最初からLv.5以上の高位魔導士のそれと同じ領域に達していると思う。
(詠唱をしてない為、揺れようが無いだけ。)
「爬行する鉄の王女 絶えず自壊する泥の人形」
食堂の全員が、完全に身構えていた。
一体、どのレベルの、どのような暗黒魔法が飛び出すのか。この十三歳の少年は、どのような悲劇の過去をその背中に背負っているのか。全員が息を詰め、最悪の事態すら警戒する。
「結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ――」
あとは解放を待つのみとなったその瞬間。
俺は、前世の死神漫画の大大好物だった、最高に格好いい大呪術の、あの名前を声高らかに叫びながら、完璧な構えを取った。
「――破道の九十。『黒棺』!!!!」
静まり返る食堂。次の瞬間、世界を漆黒の闇に染め上げる巨大な立方体の重力檻が顕現し、最強の怪物どもがその威容に腰を抜かすはずだった。
――。
――が。
シュゥゥゥ……と、俺の身体から張り詰めていたはずの魔力が、ただただ虚しく大気へと霧散していった。
後に残されたのは、ただ十三歳のクソガキが両手を突き出して全力でポーズを決めているという、あまりにもシュールで残酷な現実の風景だけ。
「……ん?」
「おい、今魔法名を言ったよな……?」
「何も起こらねぇぞ……? 不発か?」
周りの団員たちが、完全に肩透かしを喰らったような怪訝な表情で行儀よく首を傾げている。
俺は突き出していた両手をそのままに、じりじりと横歩きで移動して窓から外の景色を覗き込んだ。……うん、オラリオの夜空は今日も大変美しい。漆黒の巨大な直方体(棺)なんて、影も形も、概念すら出ていない。
「ゴホン、ゴホン! ――あー、あー。よし、これにて発声練習を終了します! いやぁ、やっぱり新築のホームは声がよく響きますね!」
俺が何事もなかったかのように手を下ろして爽やかに告げると、
「「「「ただの嫌がらせじゃねぇかァァァァァッッ!!!!」」」」
食堂の全方位から凄まじい大ブーイングの嵐が吹き荒れた。当然である。世界最強の怪物たちを相手に、格好いい長文ポエムで盛大にハメたのだ。壁際のサイラスさんに至っては、いよいよ額に青筋を浮かべて長剣の柄に手をかけている。危ない、本当に斬られる。
「まぁまぁ皆さん落ち着いて! ここからが本番です! それじゃあ、本当のやつ、いきます!」
俺はブーイングを完全にスルーし、今度こそ脳裏に定着した正真正銘の『魔法』へと意識を集中させた。
俺だけの不遜なる治癒の奇跡。そのトリガーとなる言葉を、今度こそ声高らかに紡ぎ出す。
「『――この手が届くすべての生に、果てなき抗戦の残響を』」
「不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)」
刹那、今度こそ本物の魔法が発動した。
チリィィィン……と、食堂の喧騒をすべてかき消すような、どこまでも清澄で美しい『ベルの音』が室内に響き渡る。
同時に、俺の身体が白く、淡く、神聖な光を放ち始めた。
「――なっ、これは……っ!?」
客席にいたエルフの先輩団員たちとサイラスが、一斉にガタッと椅子を蹴って立ち上がった。その目は驚愕に大きく開かれている。
それもそのはず。人間の、それもただのLv.1の子供から放たれたその魔力の波導は、エルフたちが何よりも尊ぶ故郷の『大聖樹』に極めて近い、圧倒的に清らかで慈愛に満ちた聖なる気配そのものだったからだ。まさに二百年に一人の治癒師にふさわしい、下界の奇跡の顕現。
そんな神聖極まりない光のド真ん中で、俺は己の肉体にみなぎる莫大な万能感に酔いしれ、再び前世の悪役ムーブのスイッチを押してしまった。
「フハハハハ! ハーハッハッハ! 凄い、凄すぎるぞ! まるで魔王の如き力が身体の底から無限に湧き上がってくるクハハハハハ!!」
腰に手を当て、顎を突き出して高笑いを炸裂させる十三歳のクソガキ。
だが、その空間を包んでいるのは、どこまでも清らかな大聖樹の光である。
「……おい。あいつの言動、すげぇ悪役っぽいのに」
「纏ってる魔力がこれ以上ないほど神聖な光なんだけど……」
「なんだあの凄まじいギャップは……脳の処理が追いつかねぇ……」
周囲の団員たちが、その致命的すぎるビジュアルと台詞の矛盾に頭を抱え、盛大なツッコミの代わりに困惑の声を漏らし始めた、その時だった。
「フハハハハ! ハーハッハッハ……ハ、ッ、――あ」
ピタ。と、俺の高笑いがいきなり静止した。
光の残響を残したまま、俺の視界がぐにゃりと歪み、世界の天井が急速に回転する。
「おっと」
ドサリ。
俺は完璧な大の字を描いて、そのまま後ろへと盛大に倒れ込んだ。
「ラルゴ!?」
壁際から白銀の閃光のごとき速度でサイラスさんが駆け寄り、床に倒れた俺の身体を素早く抱き起こして診断を始める。首筋に指を当て、瞳孔を確認したサイラスさんは、すぐにすべてを察して盛大なため息をついた。
「……はぁ。安心してください、命に別条はありません。ただの『精神疲弊(マインドダウン)』です」
「「「「ただの魔力切れかよォォォォォォッッ!!!!」」」」
高位の長文(実際は喋っただけ)詠唱を模倣し、Lv.1の許容量を遥かに超える高位治癒魔法を全力で発動したのだ。俺の空っぽだった精神力(マインド)は、初陣の披露目の一瞬にして完全に枯渇し、マイナスへと叩き落とされていた。
二百年に一人の天才ヒーラー、ラルゴ。彼の記念すべき初ステージは、魔王の高笑いから白目を剥いての気絶という、最高に締まらない形で幕を閉じるのだった。