――チュン、チュン。
小鳥の瑞々しいさえずりと、カーテンの隙間から差し込むどこまでも澄んだ美しい朝日。
そんな最高に爽やかな目覚めと共に、俺はゆっくりと上体を起こした。
「知らない天井だ……って言ってる場合じゃ無いな……あれ? ここ、どこだ?」
見覚えのない白いベッドの上。頭がひどく重い。私はこめかみを押さえながら、おもむろに横の大きな窓のカーテンをシャッと開け、外の景色を眺めた。
「…………うん?」
俺は静かにカーテンを閉め、一度目をゴシゴシと擦り、もう一度シャッと開けた。
そこにあったのは、昨日まで美しくそびえ立っていたはずの、木の香り漂うピカピカのゼウス・ファミリア本拠地宮殿――ではなく、視界の果てまで綺麗に遮るもののない、見事なまでの「更地」だった。
遥か向こうのメインストリートを歩くオラリオの一般住民たちと、バッチリ目が合うレベルの圧倒的な大パノラマ。昨日新築されたばかりのホームは、影も形も、概念すら残っていなかった。
「な、何これ……。俺、またどこか別の修羅の国に転生したの……?」
混乱する脳みそで、俺は白目を剥いて倒れる直前の記憶を必死に遡る。
そうだ、食堂の舞台に立って、みんなの前でドヤ顔をキメながら、前世の死神漫画の最高に格好いい大呪術を詠唱したんだ。
『――結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ。破道の九十――『黒棺』!!!!』
そこまで思い出した瞬間、俺はガタガタと全身を震わせ、自分の両手を凝視した。
「ま、まさか……あの時、俺の隠されたチート魔力がついに暴走して、本当に『黒棺』が発動しちゃったってこと!? 己の放った禁忌の暗黒重力魔法で、世界最強ファミリアのホームごと周囲を更地(消滅)にしちまったのか!? うわあああ、なんてことだ! 俺の宿した邪王真眼の力が、ついに世界を崩壊させ――」
「そんなわけないでしょう、この大馬鹿者が」
「ぶふぇっ!?」
背後から、鼓膜を心地よく震わせる、しかし極限まで光の消え失せた死んだ声が響き渡り、俺は盛大に変な声を上げた。
振り返ると、そこには白銀の長髪を揺らす副団長、サイラスさんが立っていた。昨日と変わらず服の皺一つない完璧な美貌だが、その背後には、マキシムの旦那をはじめとするゼウス・ファミリアの先輩団員たちが、文字通り「瀕死のゾンビ」のような状態でズラリと転がっていた。
ある者はあり得ない角度に四肢が曲がり、ある者は全身から消えない黒煙を上げ、ピクリとも動かない。
「さ、サイラスさん!? これ一体何があったんですか!? やっぱり俺の黒棺の被災者たちですか!?」
俺が冷や汗を流しながら叫ぶと、サイラスさんは本日一番の、そして人生のすべてを諦めたかのような深い、深いため息をついた。
「いいですか、ラルゴ。貴方が高笑いしながら自爆(マインドダウン)して、お行儀よく大の字で眠りについてから、わずか一時間後の話です……。我がホームに、あの『最大級の災害』が、軍勢を率いて直行してきたのですよ」
サイラスさんの目が静かに遠い目になり、昨晩、このオラリオの火山帯で巻き起こった理不尽極まりない地獄の回想が、静かに幕を開けた――。
* * *
思い出すのも忌々しい、昨晩の出来事です……。
貴方が気持ちよく白目を剥いて倒れた後のこと。 食堂では、主役である貴方がマインドダウンで運ばれたというのに、我がファミリアの馬鹿どもは『ラルゴの覚悟に乾杯!』などとわけの分からない理由をつけて、すでに大バカ騒ぎの真っ最中でした。
いつもなら、規律と品格を重んじる私が即座に拳骨で静粛にさせるところです。ですが……恥ずかしながら私も、昨晩は少々興奮していたため、その狂乱を止めるのをつい、後回しにしてしまったのです。――それが、すべての破滅の引き金でした。
我がファミリアの食堂は防音対策もしっかりしています。並の騒音なら外に漏れるはずがありませんでした。
だが、隣の敷地にいたのは、世界最恐の『ヘラ・ファミリア』の第一級冒険者たち。神の領域に迫る怪物どもの「聴力」には、その遮音壁を透過したバカ騒ぎの重低音がハッキリと届いていたのです。
突如として、食堂の頑丈な正門が爆音と共に蹴り破られました。
現れたのは、額に青筋をこれでもかと浮かべ、凄まじい怒りの覇気を放つ女帝レグナを筆頭とした、完全武装の美女軍団。
『――うるさいわね。アンタ達、少しは静かにできないわけ? その小汚い口ごと、今すぐ磨り潰してあげましょうか?』
いつもなら、この時点でゼウス様をはじめとする全員が、音速を超える速度で土下座をキメ、床に額を擦り付けて謝罪に移行していたはずでした。
しかし、運悪く昨晩の団員たちは、貴方が披露したあの長文詠唱のせいで、気分を高揚させ完全にタガが外れてしまっていたのです。
酒が完全に脳みそまで回っていた一人の脳筋団員が、あろうことかレグナに向かってひらひらと手を振りながら、ゲラゲラと笑って言い放ちました。
『おいおい、そんなカリカリすんなよ女帝サマァ! せっかくの新入りの祝いだ、アンタも一杯飲んでいけって!』
その瞬間、食堂の温度が絶対零度まで急降下しました。私やゼウス様が「あ、終わった」と天を仰ぐ中、さらに悪いことに、別の酔っ払ったバカ団員たちが、レグナがカリカリしている『原因』を、大真面目に大声で推測し始めてしまったのです。
『なぁ、レグナの頭がいつも以上にイラついてるのって、アレか? ……生理か?』
『いや、あれは糞が出なくてお腹が張ってるな。……便秘だろ、間違いない』
『バカ言え、年齢的にそろそろアレだろ。……更年期障害ってやつじゃねぇか?』
――そこから先は、文字通りの『地獄』でした。
その三つの禁句(核のトリガー)を同時に引かれたレグナとの逆鱗は、オラリオの歴史上でも類を見ないレベルで大爆発したのです。
気品をかなぐり捨てて激昂し高周波の奇声と、女を捨てたドスの利いた声で『磨り潰してあげるわぁぁぁ!!!』と叫ぶレグナの超火力魔法により、我がホームはわずか数秒で更地へと変貌。
言葉の通じない災厄と化した美女軍団により、我がファミリアの男どもは、プライドごと塵になるまで徹底的に蹂躙され、今こうして貴方の目の前にミンチ一歩手前で転がっているのです……。
* * *
「……というのが、昨晩の、弁解の余地が一切ない完全な自業自得の全貌です」
回想を終えたサイラスさんは、完全に光の消え失せた死んだ目で私をじっと見つめた。
「……なるほど。完全にうちの脳筋先輩たちが終わってましたね」
俺が心底引いた目で転がるゾンビたちを見下ろしていると、サイラスさんがスッと、一本の巨大な大工用ハンマーを俺の目の前に差し出してきた。
「さあ、ラルゴ。事情が分かったなら、貴方の分のハンマーです。今すぐ彼らを大工仕事(リフォーム)して、昨日建て直したばかりの我が家を、寸分の狂いもなく完全再生させます。当然、新入りの貴方も連帯責任ですからね。……始めましょうか」
「俺、入団初日なんですけどォォォォォッッ!!!!」
攻撃力ゼロ、超俊足ペラペラ男となった私のオラリオでの初仕事は、世界最強の怪物たちと共に、涙目でハンマーを振るう「神速大工ワーク」から始まるのだった。
「はぁ……。わかりましたよ、やればいいんでしょ、やれば」
俺は完全に諦めて、手渡された巨大な大工用ハンマーを肩に担ぎ直した。だが、作業を始めようとして、どうしても一つだけ気になることが頭をよぎり、白銀の副団長へと言葉を投げかけた。
「あのぉ、サイラスさん。一つ聞いていいですか? 先輩たちがミンチにされてホームが消滅したってのに、なんで俺が寝ていたあの部屋だけは、傷一つなく無事だったんですか?」
俺の疑問に、サイラスさんは長剣の鯉口をカチャリと鳴らし、事も無げに答えた。
「ああ、あの破壊の嵐が始まる直前、私が貴方のいた部屋に『防衛結界魔法』を重ねて展開しておいたのですよ。あの暴君たちの火力です、念には念を入れねば貴方ごと消し飛びかねませんでしたからね」
そう言って、サイラスさんは「やれやれ、結界魔法は余り得意では無いのですが」とため息をつきながら、軽く首や肩を回して体をほぐし始めた。
(……いや得意じゃないレベルでレグナのLv.8相当の超火力を防ぎきる結界張るなよ! この人、やっぱり唯一の良心にして神の領域のバケモノだわ。一生ついていきます!)
俺が心の中で白銀の副団長を神の如く崇拝していると、サイラスさんから「さあ、始めますよ」と声がかかった。
「よし、俺も一丁やりますか!」
俺も気合を入れるために、軽く体をほぐした。一度そっと目を閉じ、深く、大きく深呼吸をする。吸って、吐いて。覚悟を決めて、大工仕事を開始するために、勢いよく目を開けた。
「…………え?」
目の前に広がる視界に、俺の思考は完全に停止した。
さっきまで地平線の彼方まで遮るもののなかったはずの「見事な更地」が、一瞬にして消失していた。代わりに眼前にそびえ立っていたのは、初々しい木の香りを漂わせる、昨日完成したばかりのあのピカピカの『ゼウス・ファミリア本拠地宮殿』だった。
俺は激しく目をこすり、もう一度見る。変わりなし。
夢かと思って自分の頬を思いきり抓る。痛い。めちゃくちゃ痛い。現実だ。
パニックになりかけながら、もう一度ぎゅっと目を閉じ、大きく深呼吸をしてから目を開ける。……やはり、目の前には完璧なクオリティの宮殿が厳然とたたずんでいた。変化なし。
俺の背中を、どっと冷や汗が流れ落ちる。
「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
『おれは 目を閉じ深呼吸をしたら いつのまにかホームが出来ていた』
な… 何を言っているのか わかねーと思うが
おれも 何をされたのか わからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…
催眠術だとか 超スピードだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…」
前世の奇妙な冒険の超有名セリフを、魂の底からガタガタと震えながら叫ぶ。
だが、叫び終えた直後、俺の自頭の良いオタク脳が、もの凄く冷静なツッコミを弾き出した。
「――いや、よくよく考えたら、『超スピードだとかいうチャチなもの』その物だこれ!!」
ははは、と乾いた笑いが口から漏れる。そう、このホームには、一時的にLv.8相当の出力を叩き出す『都市最強』マキシム団長をはじめ、世界最高峰の『雷速・神速』を誇る怪物たちが、瀕死とはいえ数十人も転がっていたのだ。
しかし、それにしてもおかしい。俺はさらに冷静になって、周囲を慌てて見回した。
そこには、建築現場に付き物であるはずの廃材が一切ない。木を削った際に出るおが屑すら落ちていない。第一、俺が目を閉じていたのは、時間にしてわずか数秒だ。その間、大工仕事の騒音なんて一ミリも聞こえなかった。
前世のオタク知識と記憶力にはかなりの定評があると自認している俺の目から見ても、今、眼前に広がっているのは、昨日と全く寸分たがわない完璧な建築物だった。
「サイラスさん……これ、一体どんなバグですか……?」
「……ラルゴ。何をそんなに慌てているのですか?」
サイラスさんは片手にハンマーを持ったまま、心底不思議そうに俺を見る。その端正な顔には、驚きも混乱も一切ない。ただただ、取り乱す人間の子供を観察するような、そんな純粋な怪訝さだけが浮かんでいた。
「何のことですか、ってサイラスさん! 廃材! おが屑! 騒音! それらが一切ないまま、数秒で宮殿が建つなんて物理法則が消失してるでしょうが! どうなってんだよこの超常現象は!」
俺が必死に叫ぶと、周囲で腰をさすりながら立ち上がりかけていた団員たちや、サイラスさんがごく当然のように答え始めた。
「廃材? そんなもの、最初から出さないように完璧に計算して、木材を斬ればいいだけの話でしょう」
サイラスさんは美しく白銀の髪をかき上げ、ロジックの基礎を説くように淡々と言う。しかし、その横から、頭に大きなタンコブを作った団員の一人がガシガシと頭を掻きながら口を挟んだ。
「いやいや副団長、そんな面倒な計算なんざしなくてもよぉ、材料を見ればだいたい何となく『このへん!』って直感で斬りゃあピッタシハマるだろ?」
「……これだから脳筋どもは。貴方たちのそのアホの天才肌な直感のせいで、私の美しい設計図のロジックがどれほど脅かされていると思っているのですか」
呆れ果てた目で団員を睨むサイラスさん。だが、俺が聞きたいのはそこじゃない。
「お、おが屑は!? 木を斬ったら絶対に出るだろ! 掃除した形跡すらないぞ!」
「それも、出ないように斬ればいいだけの話です。繊維を潰さず、隙間に刃を滑らせれば、木屑など一粒たりとも発生しません。我がファミリアの剣士たちにとっては初歩の技術ですよ」
「じゃあ騒音は!? トンカンカンカンって音が街中に響き渡るはずだろ!」
「静かに作業すればいい、ただそれだけのことです。音とは衝撃による空気の震え。ならば、打撃の瞬間に生じる余分な振動を、自身の技で完全に相殺・吸収しながら叩けば、無音で釘を打つことなど造作もありません。それに静かに執り行わねば、またヘラ・ファミリアの襲撃に遭いかねません」
「……っ!!!!」
俺は一歩後ずさり、化け物を見るような目で団員たちとサイラスさんを見た。
超スピードだとかいうチャチなものどころじゃねえ。こいつら、世界最高峰の『神速』の暴力(Lv.5〜7)を、大工仕事の精密作業に100%フル活用してやがるのだ。瀕死のゾンビだと思っていた先輩たちは、全員が「静かに、無駄なく、音速で大工をこなす」職人系モンスターだった。
「それよりも、ラルゴ」
サイラスさんは冷徹な声音に戻ると、俺の胸元をトントンとハンマーの柄で小突いた。
「貴方、先ほどからなぜ一歩も動かず、作業に参加しなかったのですか? 連帯責任だとあれほど言ったでしょう」
「いや、どうやってこの神速プロ大工集団に参加しろってんだよォォォォッッ!!!!」
俺の至極真っ当なツッコミ。目を閉じて深呼吸した瞬間に更地が城になっていたんだ。Lv.1のなりたて、しかも耐久デバフ持ちが混ざれるわけがない。
「全く、言い訳ばかりですね。私は作業中も、貴方がずっと目をで固まっている様子をしっかり見ていましたよ?」
「あの超絶神速ワークの最中に、こっちをよそ見する余裕すらあったのかよ……!!」
世界最高峰の魔導剣士サイラス、そしてゼウス・ファミリア。その圧倒的な「格の違い」と、致命的に使い道を間違えている才能の暴力に、俺はただただ冷や汗を流して戦慄するしかなかった。