「……あのさ、ラルゴくん」
先ほど、医療系ファミリアとも遜色ない高位治癒魔法をその身に受け、完全に骨折も肉離れも完治したはずの先輩団員が、おずおずとラルゴに声をかけてきた。
しかし、その姿は一目で見て「異常」だった。
「俺の体、さっきからずーっとピカピカ発光してるんだけど、これいつになったら収まるの? あとさ、一歩歩くたびに頭の中で『チリィィィン……チリィィィン……』って、最高に綺麗なベルの音が鳴り響いて、情緒が狂いそうなんだけど……」
彼の言う通り、男の肉体からは未だにエルフの大聖樹に匹敵する神聖な光が溢れ出ており、瞬きをするだけでチリンと清澄な鈴の音が辺りに響いている。見た目はむさくるしい脳筋大工のゾンビ男なのに、纏っている演出(フレーバー)だけが完全に「降臨したガチの聖者」のそれだった。
「ええっと……それは、俺も初めて使った魔法だからよく分からな――」
ラルゴが言いかけた、その瞬間だった。
「――【ルミナス・トニトルス】」
ドンッ!!!!
「ぶふぇぇぇぇぇーーーッ!?」
突然、サイラスが一切の躊躇なく白銀の長剣を抜き放ち、流麗な並行詠唱から、純白の雷撃と烈風を極限まで圧縮した魔法を、先ほど治ったばかりの男の腹部に至近距離で容赦なくぶち込んだ。
凄まじい衝撃波が新築ホームの玄関の防壁を揺らし、男は白目を剥いて壁まで吹き飛び、再び全身ミンチ一歩手前の重傷を負って床に転がった。
「「「「ぎゃあああああああッ!? 副団長がキレて身内を殺しにかかったぞォォォォッッ!!!!」」」」
周囲の怪物たちが一斉に大パニックで腰を抜かす中、サイラスは冷徹な顔のまま、白銀の長剣の鯉口をカチャリと鳴らして納刀した。そして、床でピクピクと痙攣している男をじっと凝視する。
すると、どうだろう。
サイラスの超火力魔法が直撃したはずの男の肉体が、その瞬間に激しく輝きを増し、『チリリリリリリリン!!!』とけたたましいベルの音が連打されたかと思うと、肉体の損傷が、細胞レベルでみるみるうちに超高速再生を始めたのだ。わずか数秒で、男は再び五体満足の完全無傷(フルヘルス)へと巻き戻った。
「なるほど……ロジックが繋がりましたね」
サイラスは納得したように白銀の髪をかき上げ、手元の羊皮紙に何かを書き込みながら淡々と告げた。
「ラルゴの【不屈の福音】は、他者にかけた場合、その治癒効果と各種レジスト能力が『術式(バフ)』として一定時間、対象の肉体に永続維持(キープ)されるシステムのようです。つまり、効果持続中に再び負傷した場合、あの『大聖樹の残響』が自動で魔力を消費して超高速自動回復(オートヒール)を行う。だからこそ、今のように持続効果時間が切れるまでは、光もベルの音も収まらない仕様なのでしょう」
その完璧なロジックによる解説を聞いた周囲の怪物たちは、
「……あ、なんだ。持続時間の検証のための攻撃(実験)だったのか」
「それなら、確認だし仕方ねぇな……」
「うん、実戦を想定した有意義な検証だ。さすが副団長、クレバーだぜ!」
世界最強の脳筋どもは、納得のハードルが致命的にバグっていた。「検証なら、身内に超火力魔法をガチ撃ちしても仕方ない」という修羅の国の常識で、実に行儀よく一斉に深く頷いた。
しかし、二度も死にかけ、二度も一瞬で蘇生させられた当の男だけは、ガタガタと涙目で震えながら床に這いつくばり、人差し指をサイラスに向けて叫んだ。
「待てよ!! お前ら全員おかしいだろチクショウ!! 確かに怪我は綺麗さっぱり治ったけどさぁ!! 痛覚(いたみ)は!! 直撃した瞬間の死の恐怖は!! 1ミリも相殺されてねぇんだよォォォォッッ!!!!」
男は己の胸を強く叩き、全能神ゼウスにも聞こえるような大声で、涙ながらに自身の『人権』を主張し始めた。
「検証なら仕方ない、じゃねぇだろ! 治るからって人間をサンドバッグみたいに消し炭にするな! 俺にだってな! 冒険者として、ゼウス・ファミリアの団員としての誇りと、守られるべき最低限の人権(プライド)ってものがあるんだよぉぉぉッ!! 痛いもんは痛いんだよサイラスの悪魔ァァァッ!!」
魂の底からの訴えが響き渡る中、サイラスはゴミを見るような冷ややかな一瞥を男に投げ掛ける。
「自業自得の筋肉だるまに、主張できる人権など残されているとでも? ――ラルゴ、次の検証へ移ります。次は『毒』に対するレジスト時間を計るため、彼に不壊の金庫室にある猛毒を飲ませてみましょう」
「俺の人権が!! 秒単位で無くなっていくんだけどォォォォッッ!!!!」
二百年に一人の天才ヒーラー、ラルゴ。彼の最初のバフの対象者は、光り輝きベルの音を鳴らしながら、人権の崩壊に涙を流して絶叫するのだった。
「……ところで。貴方は先ほど『直撃した瞬間の死の恐怖は1ミリも相殺されていない』と言いましたが……本当に心から…………恐怖を感じていますか?」
サイラスは手元の羊皮紙から目を離さず、冷徹な声音で、しかしどこか実験動物を観察するような鋭い視線を男へと向けた。
「は!? 当たり前だろ! あんな雷撃食らって怖くねぇわけが――」
男が食い気味に、涙ながらに即答しようとした、その瞬間。
ハタ、と男の動きが止まった。
肉体から溢れる聖なる光が一段と優しく輝き、チリィィィン……と、ひときわ深く清澄なベルの音が周囲に響き渡る。
「……あれ? 怒りと恐怖でバクバクしてた心臓が、なんか、すごく……穏やか…になっていく……」
男の顔からみるみるうちに荒々しさが消え失せ、まるで教会の聖画に描かれる聖人のような、どこまでも慈愛に満ちた穏やかな微笑みが浮かび上がった。床に正座し、天からの光を浴びるようにそっと両手を組む。
「ああ……私はなんて浅ましい人間だったのでしょう。主神ゼウスの言葉に踊らされ、ヘラ・ファミリアの気高き乙女たちの湯殿を覗こうなどと……。昨晩のレグナ様の蹴りも、我が身の穢れを落とすための尊き洗礼。便秘だの更年期障害だのとのたまった我が口、今すぐ引きちぎってダンジョンの生贄に捧げても惜しくありません……」
「おい、急にアイツの魂のステージが天界まで爆上がりしたぞ!?」と、周囲の脳筋団員たちがガタガタと震え出した、まさにその時。
フッ……と、男の体を包んでいた大聖樹の白い光が完全に消失した。同時に、頭の中で鳴り響いていたベルの音もピタリと止まる。
「――ハッ!? 俺は一体何を口走って……うわああああああ!! 恥ずかしい!! 過去の覗きの罪を自ら大声で懺悔するとか、どんな公開処刑だよォォォォッッ!!!!」
効果が切れた瞬間、男は顔を真っ赤にして床に転がり、のたうち回った。
「ふむ。持続時間にして、およそ1分未満………といったところですか」
サイラスは冷静に懐中時計をしまい、ペンを走らせる。
「肉体の完全修復に加え、術式が持続している間は『強烈な精神の安定効果』、および『負傷や恐怖に伴う負の感情の浄化効果』があるようですね。驚くべき御業です」
すると、横で腕を組んで見ていたマキシムが、不思議そうに眉をひそめた。
「待て待て、サイラス。ラルゴの魔法の効果(ステイタス)に書かれていたのは、毒や呪い、それから『精神汚染に対する抵抗力(レジスト)』だろ? 精神の安定や、過去の覗きの懺悔を引き起こすような浄化?でいいんだよな、なんて効果、どこにも書いてなかったぞ?」
マキシムの至極真っ当な指摘に、サイラスはフッと不敵に唇を吊り上げ、白銀の髪をかき上げた。
「これだから教養のない脳筋は……。マキシム、それは魔法の効果ではなく、ラルゴの魔力の質そのもの――すなわち、劣化なしで引き出された『大聖樹の魔力そのものが持つ副次効果』である可能性が極めて高いのですよ。かつて神代より昔、大聖樹の加護を受けたエルフの戦士たちは、どんな絶望的な戦場にあっても決して恐怖せず、常に凪のような精神で戦ったとされています。それが下界の人間である彼に、一時的な『聖人化』として発現したのでしょう」
完璧な歴史的ロジックによる解説。周囲の怪物たちが「なるほどな!」と納得しかけた、その時だった。
床で頭を抱えていた男が、ガタガタと自身の両手を見つめながら、絶望に満ちた声で呟いた。
「……なぁ、嘘だろ……。俺、今の気持ちのままだと……しばらくの間、女湯を覗くことが絶対にできない……………気がする……」
「「「「な、何だってえええええええッッ!!!!」」」」
昨晩のヘラ・ファミリアの襲撃にすら匹敵する大戦慄が走った。
なぜなら、今しがた絶望しているその男は、ゼウス・ファミリアの中でも率先して最前線で覗きを企画し、ヘラ側のミンチにされても翌朝には真っ先に「次の方針」を立てる、ファミリア屈指のドスケベ特攻隊長だったからだ。
「バカな……! あの『ドスケベの権化』と言われたお前が、女湯の覗きを恐れるだと……!?」
「あ、あり得ねぇ……! ラルゴの魔法、ヘラ・ファミリアの超火力魔法よりタチが悪いんじゃねぇか!?」
動揺する先輩たちの中で、男は虚ろな目で天を仰ぎ、震えながら言葉を絞り出した。
「恐れてるんじゃない、違うんだ……。なんか、あの覗きに伴うスリルとか邪な気持ち(エロティシズム)そのものが、魂の底から綺麗さっぱり消滅しちまったみたいなんだ……。 今の俺の心、生まれたての赤ん坊くらいピュアなんだよ……」
「「「「ひ、開眼(アウェイクン)してやがる……!!!!」」」」
世界最強のドスケベゾンビ集団を、内側(精神)から完全に無力化・浄化してしまう恐怖の聖なる力。攻撃力ゼロ、耐久ペラペラの少年ラルゴが宿した【不屈の福音】は、ある意味でヘラ・ファミリアの暴君たちよりも深く、ゼウス・ファミリアの男たちのプライドと生き甲斐を磨り潰す悪魔の奇跡だった。
「……ラルゴ。貴方の魔法、思っていた以上に『害虫駆除(組織の健全化)』に役立ちそうですね」
サイラスが、本日一番の、それはそれは美しく輝かしい「本物の聖者の笑顔」をラルゴに向けた。
「いやサイラスさん!! 目が笑ってない!! 完全にその魔法を脳筋更生プログラムに組み込もうとしてる目でしょそれェェェェッッ!!!!」
二百年に一人の天才ヒーラー、ラルゴ。彼の宿した聖なる光は、世界最強のバカたちの「男のロマン」を文字通り浄化していくのだった。