「何が肉を切らせて骨を断つだ、この大馬鹿野郎がァッ!!」
ドッッ!! と、背後から無慈悲に振り下ろされたザルドの巨大な拳が、ラルゴの頭頂部を完璧に捉えた。
「ぶふぇっ!?」
凄まじい衝撃が脳を突き抜け、耐久デバフの刺さっているラルゴのペラペラなLv.1の肉体は、文字通り一撃で瀕死の致命傷へと追い込まれた。視界が真っ赤に染まり、床の石畳へと激しく転がって白目を剥く。
(死ぬ死ぬ死ぬ! ゴブリンの攻撃より先輩の拳骨の方が一億倍致命傷だよチクショウ!!)
ラルゴは薄れゆく意識の中で、生存本能のままに自身の背中に眠る貴重な固有魔法を発動した。
「『――この手が届くすべての生に、果てなき抗戦の残響を』! 【不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)】ッ!!」
チリィィィン……と聖なるベルの音が響き、大聖樹の光がラルゴの肉体を包み込んで脇腹の裂傷や頭骨のヒビを瞬時に完全治癒する。だが、その代償として、現状のLv.1の全マインドが光速で食い尽くされ、脳が焼き切れそうな猛烈な精神疲弊(マインドダウン)の闇が襲いかかってきた。
「う、あ、頭が割れる……ッ!」
ラルゴは泡を吹きかけながら、震える手でポケットからマインドポーションを引っ張り出し、蓋を歯で噛みちぎって慌てて口の中へ流し込んだ。ドロリとした液体が喉を通り、ギリギリのところで意識の完全消滅を繋ぎ止める。激しい呼吸で肩を揺らすラルゴの前で、大柄なLv.5の先輩ザルドは、文字通り鬼の形相で仁王立ちしていた。その横では、金髪のエルフのパールが、額を押さえながら引きつった苦笑いを浮かべている。
「ハァ、ハァ……な、何なんですかザルドさん! 急に後ろから殴るなんて、いくら何でも理不尽すぎるだろ! 何をそんなに怒ってるんですか!?」
ラルゴはナイフを握り直したまま、本気で疑問に満ちた目で先輩を睨みつけた。
「死線を潜り抜け、命懸けで強敵を倒した仲間に対する態度じゃないでしょうが!!」
「――何が強敵だ、このマヌケがァッ!!!!」
ザルドの咆哮が、ダンジョンの薄暗い通路に地鳴りのように響き渡った。
「いいか、よく周りを見ろ!! ここはダンジョンの第一階層、それも入り口から徒歩3分のエリアだ!! テメェが30分も血反吐を吐きながら『肉を切らせて骨を断つ泥仕合』を繰り広げた相手はなぁ、ただの
「な、何言ってるんですか! あのゴブリンは、物語のボス級のオーラを放っていた強化種に間違いありません! だって俺の神速のナイフラッシュを全弾耐えたんですよ!?」
「ついさっき目の前の壁からポロッと生まれてきたばかりの雑魚が、強化種なわけねぇだろォォォォッッ!!!!」
ザルドは額に青筋を何本も浮かべ、ラルゴの胸ぐらを掴み上げんばかりの勢いで捲し立てた。
「いいか、思い出せ! 30分前、壁からゴブリンが這い出てきたのを見つけた時、テメェはなんて言いやがった!?」
ザルドが鬼の形相のまま、ラルゴのさっきの痛々しいセリフをこれでもかと大声で再現し始める。
『お、丁度いいくらいのゴブリンがいるじゃねぇか』
『こんな生まれたばかりのゴブリンなら、俺でも殺れるぜ』
『ザルドさんたちは下がってください、俺は安全にレベリングしたいんですよ』
『おらぁ!』
「――そう言ってドヤ顔で突撃しておきながら!! ただのゴブリン相手にハイポーションを全損させて、30分も時間を掛けやがって!! 任せた俺たちの身にもなりやがれッ!!」
「ザ、ザルドの旦那、落ち着いてください……エルフの品格が、いえ、ファミリアの威厳が完全に破壊されてしまいます……」
パールが必死にザルドの背中を叩いて諫めるが、ザルドの怒りは底が知れなかった。
「パール、止めるな!! 俺たちが、この30分間でどれだけ恥をさらしたと思ってやがる!!」
ザルドはガシッとラルゴの頭を掴み、強制的に通路の奥(地上への階段付近)へと向けさせた。
そこには、ダンジョンに入ってきたばかりの他ファミリアの下級冒険者たちが、遠巻きに十数人も足を止め、信じられないものを見るような凄い目で彼らを凝視し続けていた。
「ここは入り口付近だぞ!? 通りすがる冒険者全員から、『おい見ろよ、世界最強のゼウス・ファミリアが、Lv.1のガキがゴブリンにミンチにされかけてるのを、ハラハラしながら見守ってるぞ……』って目で、ずーーーっと晒し者にされ続けてたんよォォォォッッ!!!!」
「あ、う……」
「それが死ぬほど嫌だから、俺もパールも何度も『おい、変われ! 一瞬で首を跳ねてやるから変われ!』って言ってるのに、テメェは『逃げちゃダメだ!』だの『黒棺!』だのブツブツ呟きながら頑なに拒否しやがって!!」
ザルドは涙目になりながら、己の巨大な拳を壁に叩きつけた。
「世界最強ファミリアのLv.5とLv.4が、第一階層のド真ん中で、『
「ザルドさん、落ち着いてください。そもそも冒険者の間には、『他人の獲物には原則として手出しをしない』という暗黙のルールがあるでしょう?」
怒髪天を突くザルドの横で、金髪のエルフ、パールが上品に、しかし完全に目が死んだ状態で言葉を重ねた。
「ラルゴさんが『俺は安全にレベリングしたい!』と頑なに拒否して戦い続ける限り、私たちは冒険者の誇りにかけても、ルールの手前、手出しができなかったのですよ」
パールの品格溢れるジト目がラルゴを射抜く中、ザルドが再びその巨大な拳をギリィと握りしめ、鬼の形相で一歩詰め寄った。
「そうだ!! ルールを盾に俺たちの手を縛っておきながら、テメェ、なんで最後の最後にマインドポーションなんか飲んでやがると聞いてんだァッ!!」
「え、いや、だって魔法を使ったらマインドダウンしかけるし、それに魔法を使ったのはザルドさんに殴られたからで――」
「お前の魔法【不屈の福音】は何だったか言ってみろ!! 『治癒願望――治したいという思いを魔力に変換する』ことだろうが!! 対象がむさくるしい野郎たちならともかく、自分自身が死にかかってる状況なら、テメェの脳内は『今すぐ治りたい!!』という純度100%の治癒願望で満ち満ちていたはずだろォォォォッッ!!!!」
ザルドは己の頭を抱え、迷宮の天井が落ちんばかりの大声で叫んだ。
「ただでさえ大聖樹並みの魔力が出せる超高負荷な魔法だ! 自分を対象にして願望(ブースト)を最大値まで引き上げたら、魔力の変換効率(燃費)が跳ね上がって、Lv.1の精神力(マインド)でもお釣りがくるレベルで相殺されるハズなんだよ! なんでポーションをガブ飲みするハメになってんだ!!」
その世界最強の脳筋とは思えない見事な論理的(サイラス仕込み)ツッコミに対し、ラルゴはスッと視線を斜め上へと逸らし、フッ……と不敵に、かつ最高に気まずそうに乾いた笑いを漏らした。
「いやぁ……ザルドさん。実はさっきのゴブリンとの『世紀の命懸けの死闘』で、俺、普通に動き回りすぎて精神力(マインド)を底まで消費しちゃってまして。魔法の変換効率だけだと全く足りませんでした。後何か、自分に使う時の変換効率がかなり悪いみたいです!!」
「ただのゴブリン相手に30分間ステップ踏みまくって自爆してんじゃねぇよォォォォッッ!!!!」
ザルドの怒号が響き渡る中、ラルゴはナイフをそっとポケットにしまうと、何事もなかったかのように爽やかなビジネススマイルを浮かべ、回れ右をした。
「いやー、やっぱりダンジョンって修羅の国ですね! 命の大切さがよーく分かりました! ――よし、今日のレベリングはここまでにして、新築ピカピカのホームに帰ってお風呂にでも入りましょうか!」
「ちょっとラルゴさん……まさか貴方、今から帰るつもりですか?」
パールが絶句する横で、ザルドの顔面が、いよいよ言葉の通じない真の修羅の顔へと豹変した。
「おいラルゴ。オラリオが始まって千年、数多の英雄や冒険者がこの街を駆け抜けていったがな……」
ザルドは床に転がるゴブリンの灰を、冷酷極まりない瞳で見下ろしながら、地の底から響くようなドスの利いた声で言い放った。
「ダンジョンの第一階層で『ゴブリン一体(最弱)』を倒しただけで、命懸けの死線を潜り抜けたツラして我が物顔で凱旋(ホームへ帰還)しようとする大馬鹿野郎は、千年の歴史を探してもテメェ一人だけだぞォォォォッッ!!!!」
「未来にはいると思うんですけどォォォォッッ!!!!」
攻撃力ゼロ、逃走力無限の少年ラルゴ。世界最強のファミリアに入団した彼の初陣は、わずかゴブリン一体でファミリアの威厳を更地(リフォーム)にし、激怒した先輩たちに引きずられながら、さらなる地獄のスパルタレベリングへと強制連行されるのだった。
≪ザルドside≫
――千年の歴史を持つオラリオの頂点、ゼウス・ファミリア。俺はその第一級冒険者として、数々の死線を潜り抜けてきた。深層の決死圏、世界の命運を賭けた大戦、神話の怪物の咆哮。
そんな俺の、十九年の人生における「最大の危機」が、まさかダンジョンの第一階層、しかも入り口から徒歩三分の一等地で訪れるとは夢にも思わなかった。事の始まりは、つい今朝のことだ。
ヘラ・ファミリアの女帝に本拠地を完膚なきまでに更地にされ、瀕死のゾンビ状態で転がっていた俺たちの前に、サイラス副団長が入団したばかりの十三歳のガキ、ラルゴを連れてきた。
話を聞けば、攻撃力は実質ゼロ、常時ペラペラの紙装甲という呪いのような初期ステータス。だが、逃げ足だけは世界一。おまけに、天界の絶対王たるゼウスのジジイが「二百年に一人の逸材」と大絶賛する、死者を死の直後に完全蘇生させるほどの『高位治癒魔法』を引っ提げてきたという。
「面白いガキが入ってきたな」
その時は、純粋にそう思った。世界の命運を賭けた三大クエスト、その絶望の戦場に一筋の活路を開く、我がファミリアの「無限の残機」となる奇跡の器。サイラスから「実戦でレベルを上げ、マインドの最大値を増やしてこい」と指示され、俺とパールは二人がかりでその新入りの初陣を引率することになった。
そして、ダンジョンの一階層。壁の割れ目から生まれたての一体のゴブリンがポロッと這い出てきたのを見つけた瞬間、そのガキはビシッと胸を張って、こうのたまわったのだ。
『お、丁度いいくらいのゴブリンがいるじゃねぇか』
『こんな生まれたばかりのゴブリンなら、俺でも殺れるぜ』
『ザルドさんたちは下がってください、俺は安全にレベリングしたいんですよ』
『おらぁ!』
世界最強ファミリアを自ら門を叩きにきた男のセリフだ。どれほど極端な逃走スキル持ちとはいえ、一階層の、それも生まれたての一体のゴブリン(最弱)くらい、一分足らずでナイフで首を裂いて終わらせる。そう思うのが自然な事だろう。だから俺もパールも、腕を組んで見守ることにした。
――それが、終わりのない地獄の幕開けだった。
ガキが能動的に攻撃行動(ナイフを振るう)に移った瞬間、スキルの凄まじい低下デバフが発動し、筋力も耐久も地の底へ急降下。結果として、「オラリオ最弱(ゴブリン)対オラリオ最弱(ラルゴ)の、天界の神々すらドン引きするレベルの超絶低レベル泥仕合」がその場で開廷した。
一撃一撃が羽毛のように軽いラルゴのナイフラッシュ。傷一つつかずに元気に吠えるゴブリン。紙装甲のせいで、ゴブリンの爪がかすっただけでハイポーションをがぶ飲みして絶叫するラルゴ。
一分が過ぎ、五分が過ぎ、十五分が過ぎる。
ここはダンジョンの入り口付近だ。他ファミリアの下級冒険者たちが、次から次へと通りかかる。彼らは一様に足を止め、目を丸くし、そして凄まじいものを見るような目で俺とパールを凝視し始めた。
そりゃそうだ。オラリオの双璧、世界最強と謳われるゼウス・ファミリアの団員が、第一階層のド真ん中で、十三歳のクソガキがゴブリン一体相手に血反吐を吐きながらミンチにされかけているのを、ハラハラしながら見守っているのだから。
『おい見ろよ、ゼウス・ファミリアがあんなところで何してんだ……?』
『ゴブリン一体に大苦戦してるガキを、あんな真剣な顔で応援してるぞ……』
『もしかして、あのゴブリン、俺たちの見えない結界でも纏ってる凄まじい強化種なんじゃ……』
周囲のギャラリーからのリアルな囁き(精神攻撃)が、俺たちの背中に容赦なく突き刺さる。恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。深層でモンスターに囲まれた時ですら、これほどの冷や汗を流したことはない。ファミリアの威厳と俺たちのプライドが、秒単位で下がってなくなっていく音がはっきりと聞こえた。
耐えかねた俺とパールは、何度も「おい変われ! 一瞬で首を跳ねてやるから今すぐそこをどけ!」と叫んだ。だが、そのガキはスイッチが完全に入っており、耳を完全にシャットアウトして『逃げちゃダメだ!』『黒棺!』などとわけのわからない言葉を叫びながら、頑なに拒否して戦い続けやがった。冒険者の絶対ルール「他人の獲物には手出しをしない」を、最悪の形で逆手に取られた格好だ。
そして三十分後、肉を切らせて骨を断つ(笑)無駄に壮絶な泥仕合の末、ようやく魔石を砕いてゴブリンを灰にしたラルゴは、俺の拳骨で致命傷を負い、慌てて高位治癒魔法を自分自身にぶっ放した。
そこまではいい。問題は、マインドダウンしかけたその直後、アイツが震える手でポケットからマインドポーションをガブ飲みしたことだ。
俺の脳内で、サイラスから叩き込まれた情報が爆発した。
自分自身が死にかけている状況なら、脳内は純度100%の「治いたい」という治癒願望で満ちている。魔法のブーストが最大値まで跳ね上がり、魔力変換効率が爆発して、Lv.1のマインドでもお釣りがくるはずなのだ。
それなのに、なぜポーションを飲んでいる? 問い詰めた俺に、ラルゴは最高に気まずそうな顔で、こう抜かしやがった。
「いやぁ……ザルドさん。実はさっきのゴブリンとの『世紀の命懸けの死闘』で、俺、普通に動き回りすぎて精神力(マインド)を底まで消費しちゃってまして。魔法の変換効率だけだと全く足りませんでした。後何か、自分に使う時の変換効率がかなり悪いみたいです!!」
ただの生まれたてのゴブリン相手に、無駄に神速の逃げ足を30分間フル稼働させて、勝手に自爆(マインドダウン)してやがったのだ、この大馬鹿野郎は。
しかも、ナイフをポケットにしまったそのガキは、何事もなかったかのように爽やかな笑顔でこう言った。
「いやー、今日のレベリングはここまでにして、ホームに帰ってお風呂にでも入りましょうか!」
その瞬間、俺の中で何かが完全にぶち切れた。
オラリオの千年の歴史の中で、一階層のゴブリン一体を倒しただけで、命懸けの死線を潜り抜けたようなツラして我が物顔で凱旋しようとするバカが、どこに世界にいるというのだ。
俺は言葉を捨て、真の修羅の顔でラルゴの襟首をガシッと掴んだ。横では、普段は知性派を気取っているパールが、籠手をギリィと鳴らしながら、光速でエルフの気高さをかなぐり捨てて地の底から響くような声(前衛スイッチ)を漏らし始めている。
「……おい、ラルゴ。テメェ、何がホームに帰ってお風呂にでも入りましょうか? ――寝言は、俺たちの拳を躱しきってから言いやがれッッ!!!!」
世界最強ファミリアの威厳を最悪の泥仕合で磨り潰した新入りのガキを引きずりながら、俺たちはさらなる地獄のスパルタ乱獲デスマッチへと、力ずくで歩みを進めるのだった。