――ゴブリン一体に30分を費やし、世界最強ファミリアの威厳を第一階層のド真ん中で木っ端微塵に磨り潰したクソガキ、ラルゴ。
その致命的な大失態により、ザルドとパールの二人からラルゴに対する評価と人道的対応は、ダンジョンの最深層よりもさらに深い、地の底の底まで叩き落とされた。
「さあ、サイラス副団長から仰せつかった『逃走系スキルの検証』といきましょうか。ラルゴさん……いえ、ラルゴォッ!!」
金髪のエルフ、パールの物腰柔らかだった敬語が光速で消滅し、特注の籠手をはめた「前衛スイッチ」が完全に入った。オラリオの地の底から響くようなドスの利いた罵詈雑言が薄暗い迷宮に反響する。
「パ、パールさん!? 目の色変わってラスボス並みのバグギャップになってるよ! レジスト! 精神安定効果のある僕のヒールを今すぐ頭にぶち込んであげましょうか!?」
「あぁ!? 誰がそんな男のロマンを破壊する呪いを浴びるかよドブネズミがッ! 逃げろよ、3秒やるから全力で逃げやがれッッ!!」
「1」を数える前に、パールの神速の拳が空気を爆裂させてラルゴの鼻先へ突き出された。
「ひぇっ!? こんなところに居られるか僕は逃げさせてもらうッッ!!!」
どこかで聞いたことのあるセリフを叫びながら、ラルゴは生存本能のままに第二スキル【不戦不縛】および【神代逃走】を同時発動。オラリオ最速の囮が火を噴き、ラルゴの肉体は文字通り煙のように戦線から離脱した。
ここから、上層の全エリアを舞台にした、ラルゴの命を本気で脅かす恐怖の「鬼ごっこ(スキル検証)」が幕を開けた。
「オラァッ! どけ雑魚ども、邪魔だァッ!!」
パールが戦闘時の狂暴性を剥き出しにしながら、東方武術のステップで上層のモンスターを突き破り、ラルゴを本気で仕留める軌道で追い回す。さらにその後ろからは、大柄なLv.5のザルドが、先ほどまでギャラリーの前で晒し者にされた凄まじい鬱憤を100%晴らすような殺意を込めて、巨大な大剣を容赦なくラルゴの進路へと叩き込んできた。
ズガァァァァンッッ!!!!
「うわあああ死ぬ!! モンスターの奇襲より先輩たちの私怨の方が一億倍デンジャーだよチクショウ!!」
爆風で吹き飛ばされながらも、常時『耐久』がデバフで削られているペラペラ男ラルゴは、一発でも直撃すれば即座に消滅(死)する限界の極限状態。狂ったように『回避』アビリティを永続維持し、紙一重でパールの拳打とザルドの斬撃を躱し続ける。
そんな命懸けの爆走が数十分以上も続いた頃――ラルゴの様子が、次第に明らかにおかしな状態へと変貌していった。
(……おい、待て。何だこれは……?)
ラルゴを猛追していたザルドの背筋に、本物の戦慄が走った。横を走るパールも、戦闘時の凶暴な笑みを張り付かせたまま、心の中で激しく驚愕している。
(このガキの『敏捷』……Lv.1の枠を完全に置き去りにして、すでにレベル3相当の領域に達してやがる……!!)
常時『敏捷』に超高補正と限界解除をもたらす【神代逃走】。そして、身内の化け物二人に「本気で殺される」というこの絶望的な状況(逃走時)において、全能力に超高補正をかける【不戦不縛】が、完全にバグレベルの相乗効果を起こしていた。
ラルゴの細身の身体が、通路の影から影へと、光速の残像となって物理法則を無視した速度で滑り込んでいく。
それだけではない。二人が最も肌寒い恐怖を覚えたのは、その速度以上に、ラルゴの「存在そのものの変質」だった。
(……消える!? 自身の視界に寸分違わず入れておかないと、一瞬で完璧に見失い兼ねないほど、ラルゴの『気配』が軽薄になっていく……!!)
逃走時に一時発現する超レアアビリティ『隠密』。自身の気配、物音、魔力を完全に虚無へと遮断するその隠蔽効果の極致が、パニックを起こしたラルゴの脳とシンクロし、迷宮の闇に完璧に溶け込み始めていたのだ。
目の前を走っているはずなのに、意識をコンマ数秒でも逸らせば、そこに誰もいなかったかのような錯覚に陥る。世界最強ファミリアの二人が、Lv.1の少年の気配を「見失う恐怖」に冷や汗を流し始めていた。
「ハァ……ハァ…… 捕まってたまるか!!最高速度でブチ抜いたる!!」
ドブカスセリフを吐き散らしながら、気配を虚無へと消し去り、レベル3相当の神速で迷宮を壁抜けのように駆け抜けていくラルゴ。その「最速の逃げ足」としての異常すぎる才能の開花に、ザルドとパールは鬼の形相の裏で、本物の怪物を見出したかのような戦慄に打ち震えるのだった。
二人の当初の予定では、5階層付近で切り上げてホームへ戻るつもりだった。
どれほど逃げ足が速かろうが、所詮はLv.1の紙装甲。上層の入り組んだ迷宮を進めば、どこかで必ずモンスターに捕捉され、数で押し切られて涙目で自分たちの元へ泣きついて戻ってくるだろうと踏んでいたのだ。
――だが、現実は、二人の計算を遥かに超越していた。
現在、10階層。
薄暗い霧が立ち込める上層の深部において、ザルドとパールは未だに、煙のように前方を駆けるラルゴの背中を全力で追いかけ続けていた。
「おい、テメェ……待てって言ってんだろドブネズミが……ッ!!」
パールは額にびっしりと冷や汗を浮かべ、戦闘時の狂暴な声を上げながらも、その内実では言葉にできないほどの驚愕に打ち震えていた。隣を走るザルドも、百戦錬磨の第一級冒険者としてのプライドから決して表情には出さないものの、その目は本物の化け物を見るかのように見開かれている。
ラルゴの宿した異常性は、ただのレベル3相当の「逃げ足」だけではなかった。
(……化け物め。逃げ足だけじゃねぇ……『隠密』、そして『索敵』の精度すら、Lv.1の領域を完全に逸脱してやがる……!!)
前方にモンスターの集団が待ち受けていようとも、ラルゴはまるで未来予知でもしているかのように、コンマ数秒の迷いもなく最短の安全ルートを弾き出し、直角に曲がって霧の奥へと消えていく。常時発現しているレア発展アビリティ『隠密』で自身の気配や物音、魔力を完全に虚無へと遮断しながら、神速の『索敵』で敵の網の目をすり抜けているのだ。
「 捕まったらひき肉にされるか粗びき肉にされるかの二択じゃねぇか! 誰が立ち止まるかァァァッッ!!!!」
霧の中に響かせながら、完璧にモンスターのヘイトを躱し、煙のように10階層を爆走していくラルゴ。
本来なら前衛が道を切り開き、後衛がついていくはずのダンジョン攻略。しかし今、この上層の深部において繰り広げられているのは、「Lv.1のクソガキが完璧にノーダメージで最前線を神速開拓し、Lv.5とLv.4の怪物が鬼の形相でその後ろを追走する」という、下界の常識が跡形もなく消え去った異常極まりない光景だった。
(……おいおい、嘘だろ。このままだと、本当に中層に突入しちまうぞ……!)
上層の最下層である11階層、12階層の細い通路を光速の残像となって駆け抜けていくラルゴの背中を見ながら、ザルドの胸中の困惑はついに限界を迎えていた。
いくら【神代逃走】と【不戦不縛】のバグじみた相乗効果(ブースト)でレベル3相当の神速に達しているとはいえ、ラルゴの肉体は常時耐久デバフの刺さったペラペラなLv.1だ。もしも中層に足を踏み入れ、そこいらのトラップや中層特有の強力なモンスターの一撃でも掠れば、今度こそハイポーションをがぶ飲みする暇もなく肉体が消し飛び即死する。
「――ザルドの旦那!! どうしますか、このドブネズミ(ラルゴ)!! 12階層の階段の手前ですよ、このままじゃ本当に中層へ侵入されちまいます!!」
パールが金髪を激しく振り乱し、戦闘時の凶暴なドスの利いた声を上げながらザルドに指示を仰いだ。普段の知性派エルフの品格など、1階層で完全に置いてきてしまっている。
世界最強ファミリアの威厳を1階層のゴブリン相手に更地にされた鬱憤を晴らすための鬼ごっこ(スキル検証)だったはずが、気づけば下界の理を完全にへし折りに行く命懸けの大追跡劇。
ザルドは修羅の顔のまま、巨大な大剣の柄をギリィ……と握り締め、地の底から響くような声で冷酷なリミットを設定した。
「13階層だ……!! 13階層に到達した瞬間、もしあのガキがさらに下に下がろうとしやがったら――」
ザルドの目が、第一級冒険者(Lv.5)としての本物の殺気と覇気でギラリと染まる。
「 あのクソガキを全力で叩き潰してでも捕まえるぞッッ!!!!」
「御意に、ザルドの旦那ァァァッ!!」
中層という本物の決死圏を目前に控え、化け物先輩二人がついに本気(ガチ)の最大出力を解放しようとしていた。
そんな後ろの不穏すぎる空気に気づいているのかいないのか、前方を爆走するラルゴは、
「なんか出て来るモンスターの系統が変わってない!? てか景色もどんどんヤバそうな岩場になるんだけど!!!!!」
ラルゴが絶叫と共に神速の逃げ足を遺憾なく発揮していく。
(……チッ! あの小癪なドブネズミめが!!)
13階層への急勾配な階段を滑り落ちる中、パールの額から飛び散る冷や汗と共に、怒りではなく純粋な驚愕へと変わっていった。
前方を疾走するラルゴの細身の背中が、あえて周囲の硬質な岩壁をナイフの柄でガンッ! ガンッ! と激しく叩き、意図的に大きな物音を立て始めたからだ。
「ギャァァァオオオッ!」
中層特有の上層とは一線を画す凶悪な咆哮が轟く。音に引き寄せられた頑強なヘルハウンドやアルミラージの群れが、通路の奥から次々と這い出てくる。だが、ラルゴはその瞬間、発展アビリティ『隠密』が自身の気配をフッと虚無へと遮断した。
結果として、ラルゴがわざと集めて置き去りにした中層のモンスターの群れが、そのまま背後のザルドとパールへと容赦なく押し付けられる形になったのだ。
「おおおッ!」
ザルドが覇気を一瞬だけ解放し、行く手を阻むアルミラージを大剣の一振りでまとめて肉片へと変える。パールもまた、特注の籠手を烈風の如き速度で突き出し、迫るヘルハウンドの頭蓋を拳による衝撃波で粉砕した。
瞬殺。第一、二級冒険者の二人にとって、13階層のモンスターなど足止めにすらならない。
だが――そのわずかコンマ数秒の迎撃の隙に、ラルゴはさらに加速し、岩場の影へと煙のように滑り込んで引き離していく。
この頃には、二人の胸中から先ほどまでの鬱憤や怒りは完全に消え去っていた。代わりに満ちていたのは、冷徹なまでの「冒険者としての客観的な分析」だった。
(……いや、待て。落ち着いて観察しろ。あのガキの能力は、あまりにもおかしい……)
ザルドは大剣を担ぎ直し、神速の追走を維持しながら、脳内でラルゴのステイタスを精査していた。パールも又完全に沈着冷静なエルフの瞳で、前方の霧を鋭く射すくめている。
確かに、あのレベル3相当に跳ね上がっている「逃走速度」は、【神代逃走】の限界解除と【不戦不縛】の超高補正の相乗効果で説明がつく。
モンスターの攻撃をミリ単位ですり抜ける「回避技術の高さ」も、一時発現したレアアビリティ『回避』の極致によるものだ。
視界から外れた瞬間に存在そのものが消える「隠密性能の高さ」も、同じく『隠密』の効果と考えれば、一応の納得はできる。
だが――「索敵能力の高さ」だけは、どうしても説明がつかない。
(あいつの背中のスキルにも、発現した発展アビリティの中にも、敵の位置を察知する『魔力探知』や『気配察知』の類は一文字も刻まれていなかったハズだ……!)
13階層は、複雑に入り組んだ巨大な迷宮の岩場だ。一歩進めば、死角からモンスターがいつ奇襲を仕掛けてきてもおかしくない、視界の最悪な決死圏。
それなのに、ラルゴは一切の減速をすることなく、通路の曲がり角の奥に潜むモンスターの正確な位置と数を完璧に見抜き、あえて物音を立ててヘイトを集め、俺たちに押し付けるルートを瞬時に選択し続けている。
まるで、「この迷宮の構造と、どこにどのモンスターが配置されているかをすべてを、最初から知っていた」かのような、あり得ない精度の先読み。
(発展アビリティ『索敵』すら持たないLv.1のなりたてが、なぜ初見の中層で、これほど完璧な危険予測ができるんだ……!?)
ザルドとパールは、その少年の底知れない異質さに、鬼の形相の裏でさらなる戦慄を覚えるのだった。