「――アルフィア。丁度いいわ、あなたがその子の魔法を試しに受けてみなさい」
女帝レグナは完璧な女王の微笑みを浮かべたまま、顎でラルゴを指し示した。その突飛な命令に、アルフィアのオッドアイの瞳が、侮蔑と不快感に極限まで細められる。
「断る。汚らわしいゼウスの下っ端など、私の視界に入るだけで五月蠅い。――消え失せろ、雑音【福音(ゴスペル)】」
アルフィアは冷徹に言い放つと、今度こそラルゴをこの世界の理ごと完全に抹殺すべく、その小さな掌をこちらへと向けた。魔法の凶悪な波動が、一瞬にして中層の岩場を静寂の絶望で満たしていく。
「お、お命頂戴――って、本当に死ぬ死ぬ死ぬ死ぬッ!!」
「いい加減にしなさい、アルフィア」
バチィィィンッッ!!!
だが、その殺戮の詠唱が紡がれラルゴに当たるよりも早く、レグナの神速の手掌がアルフィアの魔法の波動を地面へと叩き落とした。猛烈な爆風がラルゴの黒髪を激しく巻き上げる。
「レグナ、何の真似だ。私にその雑音を生かしておけと言うのか」
「よく考えなさい、アルフィア。もし、この子の言う『治癒魔法』とやらが本物で、あなたのその生まれつきの不治の病に少しでも干渉できるのだとすれば……それは、私たちの最愛の聖域(メーテリア)の病をも、劇的に緩和・治療できる可能性があるという事よ」
「――ッ!?」
その瞬間、冷徹な「才能の怪物」の顔から、初めて完全な余裕が消失した。
ゼウスの底辺の下っ端が宿した魔法など、どうせその辺の回復魔法に過ぎない。そう心の底から切り捨てつつも、病床で苦しむ双子の妹メーテリアの笑顔を取り戻せるかもしれないという、1億分の1の可能性を、彼女の深い情は決して捨てきることができなかったのだ。
「……チッ。五月蠅、本当に」
アルフィアは酷く不快そうに舌打ちをすると、一歩、ラルゴの前へと進み出た。その小さな身体から放たれる『圧』は、到底六歳の幼女のそれではない。ラルゴの脳内には、自身が塵となって消滅する最悪の死の幻視が、カラー映像で100枚ほど一瞬でフラッシュバックしていた。
「早くしろ、雑音。私をこれ以上、待たせるな」
「あ、あの、アルフィアさん……。大変申し上げにくいのですが、僕の【不屈の福音】は、『直接接触をした対象』にしか効果が発動しない仕様になっておりまして。……つまり、その、貴方様の綺麗なお手に、直接触れさせていただく必要があるのですが……」
ラルゴが冷や汗を滝のように流しながら、命懸けの仕様説明をのたまう。
その瞬間、アルフィアの眼光が、この世の全ての生物を文字通り絶滅させるかのような、本物の暗黒の輝きへと豹変した。
「……不愉快だ。私の身体に、ゼウスの眷属の不埒な手が触れることを許すとでも思ったか、貴様」
アルフィアは吐き捨てるように言い放ち、しかし、メーテリアの未来のために、その白く小さな手をラルゴの前に、ギリィ……と肉が軋むほどの殺意を込めて突き出した。
「ただし――。もし万が一にも効果がなかった場合は、その瞬間に貴様の首を胴体からへし折って、この迷宮の最深層へ叩き落としてやる。覚悟しろ」
(……あ、目がマジだ。あの幼女、1ミリの冗談も言ってねぇ。前世のどのラスボスより殺気の圧がカンストしてやがる……!!)
ラルゴは突き出された小さな手を凝視しながら、自身のオタク脳で、現在の生存確率を光速で計算し始めた。
・【パターンA】 魔法が完璧に大成功した場合。
ヘラ・ファミリアの最重要人物として、その場で最恐のホームへ強制拉致・監禁。毎日レグナに脅されながらヒールを絞り取られる人生。つまり、死。
・【パターンB】 魔法が完全に失敗し、1ミリも効果が出なかった場合。
「メーテリアの希望を弄んだ不届き者」として、アルフィアの超広範囲音響魔法で一瞬にして肉体を粉砕される。つまり、死。
・【パターンC】 魔法の効果が微妙に薄く、大した変化がなかった場合。
「期待を持たせて私を失望させたな、雑音」と冷徹に切り捨てられ、そのまま14階層の穴へと生け贄として放り込まれる。つまり、死。
・【パターンD】 そもそも今のザルド、パールとの鬼ごっこで基礎マインドを消耗させているため、魔力が足りずに魔法の発動そのものに失敗(不発)した場合。
自爆したクソガキとして、激高したアルフィアにその場で「自主規制」にされる。つまり、死。
(……よし、どの選択しを組み立てても、『完全無欠の詰み(チェックメイト)』だなチクショウ!!!!)
ハッピーエンド? 全員幸福の大団円? 13階層のド真ん中で、一人のオタク転生者の野望が音を立てて全損した。
だが、ラルゴの図太いオタクの魂は、この究極の絶望の崖っぷちにおいて、逆に妙なスイッチがONになっていた。
「――あきらめたら、そこで試合終了ですよ……!もう、どうにでもなれェェェェッッ!!!!」
前世の有名なバスケ漫画の名言をヤケクソ気味に叫びながら、ラルゴは生存本能のタガを完全にかなぐり捨て、アルフィアの白く冷たいその小さな手を、自身の両手でガシッと力任せに握りしめた。
そして、脳裏に刻まれたあの奇跡のトリガーを、魂の底から絶叫する。
「『――この手が届くすべての生に、果てなき抗戦の残響を』!!」
「【不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)】ッッ!!!!」
刹那――13階層の暗い岩場が、未だかつてないほどに、どこまでも清澄で美しい『大聖樹の白い光』によって、照らし出された。
≪アルフィアside≫
――ただ、五月蠅いだけの、汚らわしい男たちの集まり。それが、私の【ゼウス・ファミリア】に対する、何一つ飾る必要のない冷徹な評価だ。
主神ヘラを筆頭とした我がファミリアが、宮殿(ホーム)の美しき秩序と静寂を愛する一方で、隣の敷地にあるあの脳筋は、常に下俗な騒音と覗きという名の不届きな悪行を繰り返す。そのたびに団長レグナが軍勢を率いて更地にしに赴くのが、この都市の、あまりにも品性を欠いた日常。
昨晩もそうだった。*1我が耳を透過して響いてきた、あの汚らわしい男どものバカ騒ぎ。
レグナが激昂し、高周波の奇声と共にあの小汚い新築物件を文字通り塵になるまで磨り潰し、今朝のダンジョンへ向かう道すがらも、まだその不快な残響が私の脳裏を蝕んでいた。病床で待つ最愛の妹、メーテリアのための静寂を脅かす雑音どもは、例外なくすべてが万死に値する。
だが、中層13階層。
不意打ちを仕掛けてきた闇派閥(イヴィルス)どもを完璧に「自主規制」し、その死体をぞんざいに引きずりながら通りかかった岩場で、私はその『不快の元凶』と対峙することになった。
地面から下半身だけを突き出して無様に痙攣している、ゼウスの第一、二級冒険者の残骸――ザルドとパール。
そして、その横で、まるで借りてきた猫のように神妙な面持ちで正座をしている、十三歳そこそこの黒髪、赤目のガキ。
二日前にゼウスへ入団したばかりだというその下っ端、ラルゴ。
レグナの放つ漆黒の覇気を受け、Lv.1のなりたて、しかも常時耐久が低下しているというペラペラな肉体で、心臓を自ら停止させそうなほど絶望しているその雑音の姿は、私の視界に入るだけで五月蠅かった。
レグナが「騒音の償いをしろ」と正当な要求で詰め寄った際、そのガキが涙目で口にした言葉。
――自分にできるのは、治癒魔法(ヒール)の御業くらいだ、と。
「アルフィア。丁度いいわ、あなたがその子の魔法を試しに受けてみなさい」
レグナの傲慢な命令を、私は即座に、容赦なく突き放した。
「断る。汚らわしいゼウスの下っ端など、私の視界に入るだけで五月蠅い。――消え失せろ、雑音【福音(ゴスペル)】」
こんな底辺の下っ端が宿した魔法など、どうせその辺の回復魔法に過ぎない。その場で私の『サタナス・ヴェーリオン』の波動をもって、この空間ごと完璧に粉砕してやろうと掌を向けた。
だが、私の魔法の波動を叩き落としたレグナの冷徹な一言が、私の思考を完全にフリーズさせた。
『もし、この子の言う『治癒魔法』とやらが本物で、あなたのその生まれつきの不治の病に少しでも干渉できるのだとすれば……それは、私たちの最愛の聖域(メーテリア)の病をも、劇的に緩和・治療できる可能性があるという事よ』
――メーテリア。
その名前を耳にした瞬間、私の胸の奥にある冷徹な仮面は、音を立てて崩れ去った。
生まれつき私と妹の肉体を蝕み続ける、この呪われた「不治の病」。常に吐血と激痛を伴う絶望の深淵。私の命など、下界の未来のために浪費し擦り潰されるだけの安いものだ。だが、あの心優しく病床で苦しむ妹の笑顔を取り戻せるかもしれないという、一億分の一の可能性。それだけは、私の誇りにかけても、断じて切り捨てるわけにはいかなかった。
「……チッ。五月蠅、本当に」
激しい舌打ちと共に、私は一歩、ラルゴの前へと進み出た。
「早くしろ、雑音。私をこれ以上、待たせるな」
ガキがガタガタと震えながら、この魔法は『直接接触』しなければ発動しないという不敬極まりない仕様を口にする。ゼウスの泥に塗れた手が私の身体に触れるなど、想像するだけで不愉快だ。
「……不愉快だ。私の身体に、ゼウスの眷属の不埒な手が触れることを許すとでも思ったか、貴様」
私は刺すような冷徹な眼光をその雑音へと突きつけ、肉が軋むほどの殺意を込めて、白く小さな手を突き出した。
「ただし――。もし万が一にも効果がなかった場合は、その瞬間に貴様の首を胴体からへし折って、この迷宮の最深層へ叩き落としてやる。覚悟しろ」
効果が薄かろうが、不発に終わろうが、私を失望させた雑音に与えるのは「死」のみ。
目の前のガキは、完全に『詰んだ』という絶望に満ちた顔で、ヤケクソ気味に叫んだ。
「――あきらめたら、そこで試合終了ですよ……! もう、どうにでもなれェェェェッッ!!!!」
直後、私の白く冷たい手が、ラルゴの両手によってガシッと力任せに握りしめられた。不快感で脳が沸騰しそうになった、その刹那。
「『――この手が届くすべての生に、果てなき抗戦の残響を』!! 【不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)】ッッ!!!!」
ガキの叫びと共に、13階層の暗い岩場が、私の「才能の怪物」としての常識を根底からへし折るような、圧倒的に清澄で神聖な『大聖樹の白い光』によって一瞬にして満たされていく。
私の不治の病の激痛が、そして私の魂そのものが、その聖なる光の濁流の中に、いま完全に呑み込まれようとしていた――。