安酒場で仕入れた地図を頼りに、私は迷宮都市オラリオの北西に位置する、とある一画へと足を運んでいた。
そこにあるのは、ヘラ・ファミリアと共にオラリオの双璧として君臨した、千年の歴史を持つオラリオ史上最強のファミリア――『ゼウス・ファミリア』の本拠地(ホーム)である。
「……うん。突っ込みどころが、初手からフルスロットルだな」
目の前にそびえ立つ広大な宮殿を見上げ、私はこめかみを押さえた。
風の噂では「築千年の歴史を持つ、由緒正しき古巣」と聞いていた。歴史の重みを感じさせる荘厳な佇まいを想像していた。
だが、現実は違った。
目の前にあるのは、どこをどう見ても「昨日、上棟式を終えたばかりです!」と言わんばかりの、初々しい木の香りが漂うピカピカの新築物件だった。
寸分の狂いもなく切り出された美しい柱。不自然なほどツヤツヤした防壁。
これが、週一のペースで隣の『ヘラ・ファミリア』に更地にされ、そのたびに第一級冒険者たちの神速大工ワークによって超高速再生を繰り返しているという、ディストピアの輝き。
世界最強の戦闘力と引き換えに、全員が一級建築士並みの大工スキルを強制習得させられているという噂は、どうやらガチらしい。
「よし、とりあえずインターホンは……無いな。門を叩くか」
正面の立派な正門へと近づく。しかし、不思議なことに門番の姿がどこにも見当たらない。不用心にもほどがある。世界最強ともなると、防犯意識という概念すらダンジョンに置いてきてしまうのだろうか。
仕方なく、そのまま敷地内に足を踏み入れようとした――その時だった。
「おい、そこの坊主! 死にたいのか! 引き返せっ!」
背後の路地から、ひっくり返ったような大声が飛んできた。
振り返ると、他ファミリアの軽装鎧を着た下級冒険者らしき男が、物陰から必死の形相でこちらを手招きしている。
「え? 私ですか?」
「お前以外に誰がいる! 早くこっちに来い! 命が惜しくないのか!」
あまりの必死さに気圧され、私はトトトと男のいる物陰へと戻った。
男は私の肩を掴むと、冷や汗を流しながら新築ピカピカの宮殿を睨みつけている。
「あの、親切な通りすがりの冒険者さん。一つ聞いてもいいですか?」
「あ、ああ、なんだ!?」
「ゼウス・ファミリアって、そんなに危険なんですか? 構成員が全員、目が合った瞬間に四肢をへし折ってくるような、サイコパスの集まりとか?」
私が真面目な顔で尋ねると、男は一瞬きょとんとした顔をした後、激しく首を横に振った。
「いや、違う! むしろ逆だ! ゼウスのところの連中は、頭はおかしいが基本的には豪快で気の良い兄ちゃんたちだぞ。飯を食う金が無いサポーターに、タダで特盛り肉を奢ってくれるような奴らだ!」
「ほう。頭はおかしいけど、気の良い化け物たちだと」
「ああ、団長のマキシムさんだって、めちゃくちゃ強くて怖いけど、話せば笑って背中を叩いてくれるような最高の兄貴肌だ。団員たちも、身内や弱い奴を裏切るような真似は絶対にしねぇ」
なんだ、めちゃくちゃホワイトな良い組織じゃないか。
じゃあ、一体何がそんなに危険だというのか。私が首を傾げると、男は顔を真っ青にして、声を潜めて囁いた。
「危ねぇのは……ヘラ・ファミリアの襲撃だよ!!」
「あ、そっちか」
「あいつらが軍勢を率いて来たら、この一帯は地形ごと消し飛ぶんだ! 話し合いなんか一秒もねぇ! 超火力の魔法と広範囲爆破結界が容赦なく降り注いで、巻き込まれたら塵も残らねぇ! つまり、あの場所はオラリオで最も危険な『いつ爆発するか分からないアクティブな火山』なんだよ!」
なるほど、完全に腑に落ちた。
危ないのは構成員ではなく、彼らが日常的に引き起こす『天災(ヘラ・ファミリア)』の被災区域だから、ということか。
男は私が納得したのを見て、ホッとしたように胸を撫で下ろした。
「分かったら、さっさとこのエリアから離れるんだ。ここらの住民は、あの建物がピカピカになればなるほど『そろそろ次の爆発(襲撃)が来るぞ』って、戦々恐々としてるんだからな」
「なるほど。貴重なローカル情報をありがとうございます」
「おう、分かればよろしい。さあ、行くぞ」
踵を返そうとする男の背中に、私は爽やかな笑顔で、ごく自然にこう告げた。
「いえ、私は残ります。僕、ここの入団希望者なんで。ちょっとこれから面接に行ってきますね!」
「…………は?」
男の動きが、完全に停止した。
ゆっくりと、錆びついた人形のような動きで振り返る。その目は、もはや人間を見るものではなかった。未知の未確認生命体か、あるいは、自ら進んでギロチンに首を挟みに行く狂人を見るような、心底からのドン引きの光景がそこにあった。
「お前……今、なんて言った?」
「ゼウス・ファミリアの入団面接に行ってきます、と」
「……本気、か? 脳みそにゴブリンの攻撃でも直撃したのか?」
「至って正気ですよ。五体満足、前世の記憶付きです」
私のブレない笑顔に、男は引き攣った笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と後ずさり始めた。
「あ、そう……。いや、うん、世の中には色んな自殺志願者がいるよな。俺は何も見なかったし、何も聞いてねぇ。関わりたくねぇ……!」
「あ、ちょっと待って――」
「強く生きろよ坊主!! 来世でまた会おうなーーーっ!?」
男は脱兎のごとき勢いで、文字通りそそくさと、全速力で路地の彼方へと逃げ去っていった。一般人にここまでエイリアン扱いされるファミリア、世界広しといえどここだけではないだろうか。
一人、静まり返った路地に取り残された私は、ふぅ、と深く息を吐き出した。
「まぁ、一般人から見れば、絶望へ直行する片道切符を自ら特等席で買いに行くようなもんだよな」
だが、ここで引き返す選択肢は、私の辞書には存在しない。
危険手当とツッコミの労力に見合うだけの対価――『物語の中心(暫定)』という特等席が、あの扉の向こうにはあるのだから。
「それに、どれだけ理不尽な天災が降ろうと……」
私は前世の記憶から、とある大好きな漫画の、大好きな主人公のセリフを引っ張り出し、誰もいない空間に向けて、あえてキザったらしく言い放った。
「――『逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ』……。よし、俺の神速の逃走力(アジリティ)だけを信じて、突撃しますか!」
覚悟を決めた私は、再び新築ピカピカの正門へと歩み寄り、その重い扉を、ゆっくりと押し開けるのだった。