――カチャリ、と静かに不壊の監禁部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、廊下で冷徹な処刑用BGMを並行詠唱していたはずのアルフィア。そして、その横には褐色の美しく、しかし底知れない拒絶を体現した仮面を被る【ヘラ・ファミリア】副団長、メディアルナ・コルキスが静かに佇んでいた。
ラルゴは豪奢な机の上で書き終えたばかりの「ゼウス宛ての決死の救出要請書」を掲げ、藁にもすがる思いで彼女に手渡した。
「メ、メディアルナさん! これ、僕の遺言……じゃなくて、主神への手紙です! 届けてもらうか、ここに置いといてもらえますか!?」
メディアルナは仮面の奥から静かにラルゴを見つめ、声を荒らげることもなく、その華奢な手でしなやかに手紙を受け取った。
「ええ、構いませんよ、ラルゴ君。ゼウス様が今どこでどのような醜態を晒しているかは分かりませんが、ギルド経由か、あるいは我が団長が次回ホームを訪問(殺戮)しに赴く際にでも、その枕元へ確実に届けて差し上げましょう」
(お、おおお……! なんて理路整然とした大人の対応! 周りの暴君やシスコン幼女と違って、この仮面のダークエルフ先輩だけはマジで言葉の通じる知性派だ! 一生ついていきます!!)
ラルゴが心の中で五体投地せんばかりに猛烈な感謝を捧げた、まさにその直後だった。
「――では、事務手続きが済んだところで。貴方の背中にある『神の恩恵(ファルナ)』の解析させてもらいますね」
「へ? いや、ちょっと待ってくだ――」
「拒否権はありません。服を脱ぎなさい、ラルゴ君」
メディアルナの静かで落ち着いた、品格のある声が室内に響く。ラルゴが常時耐久デバフの刺さったペラペラな肉体を守るべく、思わず両手で胸元を隠してベッドの後方へと後ずさった、その瞬間。
メディアルナが手元で、その辺の果物皿に添えられていた小さな果物ナイフを、おもむろに順手で軽く握り直した。
シュパパパパッ!!!
「ぶふぇっ!?」
コンマ0.1秒の神速大工ワークすら置き去りにする、Lv.7の超高精度な『刃物の精密操作(器用S)』が部屋の空気を爆裂させた。メディアルナの振るった果物ナイフの切っ先が、ラルゴの肉体を一ミリも傷つけることなく、身に纏っていた服だけを芸術的なまでの精度で木っ端微塵に切り裂いたのだ。前世のラノベのラッキースケベ被災者ばりの全裸一歩手前(上半身裸)の風景が、たった一本の果物ナイフによって一瞬で完成させられていた。
「ひぇっ!? ただの果物ナイフで服だけが強制パージされた!?」
「暴れないでください。少し、冷たいですよ」
ドンッッ!!
次の瞬間、外見年齢15歳ほどの非常に小柄で華奢なはずのメディアルナが、到底信じられない圧倒的な身体能力(Lv.7)でラルゴの胸元を片手で抑え込み、ベッドへと力ずくで強引に押し倒した。常時耐久デバフ付きのLv.1男児など、彼女の前では羽毛よりも軽い。
「うぐっ……! 動けない! 華奢なエルフ美少女なのに力もカンストしてやがる……!!」
ラルゴがベッドに顔を埋めて藻掻く中、メディアルナは懐から怪しく輝く最高級の魔導薬『開錠薬(ステイタス・シーフ)』を取り出すと、冷徹にその液体をラルゴの無防備な背中へと一気に振りかけた。
ジュワァァァ……と熱を帯びた燐光が走り、ラルゴの背中に刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)が、メディアルナの前に視認されていく。
(……あ、前言撤回。この人も話し合いを一秒も挟まずに100%実力行使してくる、生粋のヘラ・ファミリアの傑物(バケモノ)だわチクショウ!!!)
ラルゴが涙目で自身の不明を恥じる横で、ステータスを読み進めていたメディアルナの身体が、明確に、凍りついたようにフリーズした。
「……っ!? これは……【不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)】……『高位治癒魔法』……!?」
仮面の奥の瞳が、驚愕と戦慄で限界まで見開かれる。下界の魔導の全てを統べると言われる『工房の魔女』だからこそ、そのたった一行の文言が持つ、意味をこの場の誰よりも正確に瞬時に理解したのだ。
「メディアルナ、どうした? メーテリアの治療に役立つ内容か?」
扉付近で不快そうに腕を組んでいたアルフィアが冷淡に声をかける。しかし、メディアルナはラルゴをベッドに組み伏せた姿勢のまま、肌寒いほどの戦慄を含んだ声で、隣の「才能の怪物」へと告げた。
「……アルフィア。この少年……劣化なしで、エルフの森の『大聖樹そのものの神秘』を、その場に顕現させているのと同義の魔法を宿している。……魂が離れる前であれば、死者すらも蘇生させかねない、神の領域の禁忌よ」
「――ッ!?」
アルフィアのオッドアイの目が、驚愕の色に染まった。
「この魔法なら……ええ、間違いないわ。血統も種族も、下界のあらゆる医術の常識も無視して……病床にある私たちの最愛の聖域――メーテリアを、劇的に治療・救済できる本物の『鍵』になる可能性が極めて高い!」
メディアルナの確信に満ちた声が響く。
「……メディアルナ。一つ、確認したい」
アルフィアが一歩前に出ると、その小さな顔を引きつらせ、中層で自身の精神が強制的に凪のように沈静化された不気味な現象について問いかけた。
「この雑音が私に放ったあの光……私の精神を強制的に凪のように洗脳(浄化)したあの不可解な力が、メーテリアの精神に悪影響を及ぼす可能性はないのか、もしあの光をメーテリアに浴びせ、妹の心優しき人格に影響を及ぼすようなら、私はこのガキを今すぐ粉砕する」
(あの幼女、さらっと僕の命を粉砕して消そうとしてるんだけど怖っ!!)
ラルゴがベッドで震える中、メディアルナは冷静に首を横に振った。
「心配ありませんよ、アルフィア。それは魔法の害悪ではなく、大聖樹の魔力そのものが持つ『恐怖や負の感情を退ける安定効果』です。メーテリアの清らかな魂に害を及ぼすようなものではありません。……むしろ、常に病魔の苦痛と戦っている彼女の心を、これ以上ないほど穏やかに包み込んでくれるでしょう」
「……そうか。それなら、いい」
アルフィアがフッと、本気で安堵したように胸を撫で下ろした。
「状況は完璧に把握したわ。――ラルゴ君、その首輪は外してあげましょう」
メディアルナがスッとラルゴの抑え込みを解き、指先でパチンと音を立てると、ラルゴの首に巻かれていた火炎石入りの首輪がカチャリと音を立てて床へと外れ落ちた。
「おぉっ! メディアルナさん、やっぱり話が分かる! ありがとうございます、これで僕は自由の身に――」
「勘違いするな、雑音」
ラルゴがベッドから跳ね起きようとした瞬間、門番のアルフィアが冷徹極まりないジト目で釘を刺した。
「その火炎石入りの野蛮な爆発物を付けたまま、メーテリアの清らかな病室へ近づけるわけにはいかないから外しただけだ」
「その優しさを砂粒一つだけでもいいから俺に分けて欲しいんですけどォォォォッッ!!!!」
ラルゴが頭を抱えて絶叫する横で、メディアルナは容赦なく次の手を打った。
「さあ、ラルゴ君。ダンジョンでかなり消耗しているのでしょう? これを飲みなさい」
差し出されたのは、ヘラ・ファミリアの副団長にして『工房の魔女』が直々に調合した、最高峰の超一級魔力回復薬『ハイマインドポーション(改)』。
「え、あ、ありがとうございます……」
ラルゴがおずおずとそれを受け取り、一気に口の中へ流し込んだ。
直後。
「――ぶふぇぇぇぇぇーーーーーッッッッ!!!!! ッッ!? ッッ!!!(声にならない絶叫)」
ラルゴの顔面が青、紫、緑へと光速で変色し、あまりの強烈な、例えるなら「ドブ川に生息するカブトムシの体液を限界まで濃縮して、さらに腐った生ゴミの汁で割ったような、この世のすべての悪意を煮詰めた地獄の不味さ」に、ベッドの上でのたうち回って激しく悶絶した。
「ごふっ、ごほっ! な、なんですかこれ! 命を削る毒薬ですか!?」
「私の作った特製薬ですよ。効果を限界まで引き上げる事を優先した結果、フレーバー(味)の項目を完全に地の底まで切り捨てただけです。ほら、マインドは完全全快になったでしょう?」
「味覚は完全に崩壊しましたけどねぇぇぇぇ!!」
涙目で泡を吹きかけているラルゴに対し、メディアルナは冷酷に命令を下した。
「さあ、マインドが戻ったなら、さっさと服を着てメーテリアの部屋へ向かいますよ。……あそこのクローゼットにあるものを、適当に使いなさい」
ラルゴは自身の引き裂かれた制服を悲しく見つめながら、部屋の隅にある豪奢な木製のクローゼットの扉をゆっくりと開いた。
だが、その中を見た瞬間、ラルゴの背筋を本日一番の、凄まじい大戦慄が駆け抜けた。
「……ねぇ、メディアルナさん。大変不穏な質問なんですけど」
「何ですか?」
「なんで、この監禁部屋のクローゼットの中に……『血痕がべったりと付着した、大きめの男物の服』が、数着も、特売セールばりに大量に保管されてるんですか……?」
カピカピに乾燥した、生々しい赤黒いシミが大量についた巨大なジャケットやシャツの数々。それを見たメディアルナは、事も無げに信じられない爆弾をのたまった。
「ああ、それですか。ここは元々、主神ゼウス様が我が敷地内へ覗きに忍び込んで捕まるたびに、我が主神ヘラ様が一時的に監禁し、折檻(おしおき)をするための専用の個室ですからね。その血痕は、すべてゼウス様がその身をもって支払われた代償です」
「ジジイがここで、どんな凄惨なバイオレンスを食らってたか透けて見えるわァァァァッッ!!!!」
最高神の血まみれの歴史(黒歴史)を前に、ラルゴはガタガタと震えながら、クローゼットの中から「最も血痕の付着が少なそうな、マシな男物のシャツ」を涙目で引っ張り出し、大急ぎでその身に纏った。
だが、当然ながらそれは恰幅のいいゼウスのサイズ。13歳のラルゴの細身の身体にはあまりにも大きすぎ、袖は手の先を完全に覆い隠して余りダボダボに垂れ下がるという、実に見事な「彼シャツ(ただし血痕付きのクソジジイ仕様)」の不格好極まりない姿がそこに完成した。
「不快だ。早くしろ、雑音。メーテリアをこれ以上、待たせるな」
アルフィアに急かされ、ラルゴはダボダボの袖を必死に捲り上げながら、「へいへい……」と完全に諦めて二人の後に続いた。
衣服を剥ぎ取られた挙句に、主神の血痕付きのぶかぶかな衣装を着せられた、哀れな13歳の少年ヒーラー。
メディアルナとアルフィアの先導のもと、重厚な廊下を踏みしめながら、ラルゴはついに、ヘラ・ファミリアの最深部にして最大の聖域――メーテリアの待つ病室へと、その身を連行されていくのだった。