「ひえぇぇぇぇぇぇえええええッッッッ!!!!!!」
「お、お前……! 化けて出やがったなァァァァッッ!!!!」
それは、先ほどまで「天界のラルゴに笑われるぞ!」などと涙を流し、今まさにダンジョン深層へ引きこもるために荷物をまとめていた団員たちの、裏返った野太い悲鳴だった。
一斉に荷物を放り出し、蜘蛛の子を散らすように食堂の壁際へと殺到する世界最強の怪物たち。ガタガタと床を鳴らして震える彼らの視線の先、開いた扉のド真ん中に立っていたのは、他ならぬラルゴだった。
しかし、その姿はあまりにも不吉で、この世の者とは思えない凄惨さを極めていた。
恰幅のいい主神ゼウスがヘラ側の折檻で流した生々しい赤黒い血痕が付着した、あのダボダボのシャツを着て、袖を幽霊のように引きずっている。
「出たァァァァァッッ!!! ラルゴの怨霊だァァァッ!!」
「よりによってジジイの血みどろの形見を身に纏ってやがる!! 呪いの濃度がカンストしてんだろアレ!!」
「ラルゴ、成仏してくれ!! お前のことは二百年に一度のドスケベヒーラー(故人)として、俺たちの胸の奥深くに永久に刻み込んでおくからァァァッ!!」
拉致されたはずの新入りがわずか数時間で、しかも血痕付きの衣装で帰還した姿を見て、脳筋先輩たちは完全に「凄惨なお仕置きの末に絶命し、化物となって化けて出た幽霊(怪奇現象)」だと勘違いして大パニックに陥っていた。数珠を掲げたり聖水を撒こうとしたりする荒くれ者たちを前に、サイラス、ザルド、パールもまた、無傷でそこに立っているラルゴを見て驚愕のあまり完全にフリーズしていた。
「――誰が死んでんだよ、この脳筋ゾンビどもォォォォッッ!!!!」
ラルゴの渾身の地鳴りツッコミが食堂に響き渡る。
「ちょっと夜遅くなっちゃったから、向こうの正面玄関から普通に丁重に送り届けてもらっただけだよ!! 誰が怨霊だチクショウ! まだ13年しか生きてねぇわッ!!」
ラルゴは光の消え失せた死んだ目で先輩たちを一瞥すると、抱えていた妙に豪奢なリボンのついた箱を、信じられないものを見る顔をしているサイラスの前へと差し出した。
「はい、これ。向こうのベッドの美少女……メーテリアさんから『お近づきの印に』っていただいた最高級の焼き菓子です。あと、副団長のメディアルナさんから『乱暴に拉致してしまい、マインドを消耗させて本当に申し訳ありませんでした』っていう、もの凄く丁寧なお詫びの言葉を預かってきました」
サイラスの思考が完全にフリーズした。
「「「「…………」」」」
静まり返る玄関ホール。周りの団員たちが、完全にラルゴのことを「未知の恐ろしい化け物」を見るような目で一斉に引き攣らせた。
あの、入った者を例外なくミンチにして大通りに貼り付ける修羅の化け物たちが、お土産付きで、しかも丁寧な送り迎え付きで新入りを五体満足で解放したのだ。下界の常識が、本日何度目か分からない音を立てて木っ端微塵に粉砕されていく。
「お、おい……! あのヘラ・ファミリアからお土産を毟り取って生還するとか……。これ、ステータス更新したら一発でレベルアップ間違いなしの、千年に一度の偉業じゃねぇか……!?」
「待て、騙されるな! 衣服のサイズもおかしいし、これはヘラの魔女が放った、ラルゴの姿をした高度な生霊(幽霊)か何かに違いねぇ! 触ったら透けるぞ、絶対透ける!!」
全方位から、脳筋先輩たちの恐怖と困惑が入り混じった限界突破のツッコミと怒号が飛び交う。
しかし、ダンジョン13階層での世紀の大追跡劇、レグナ様たちからの殺意1000%の脅迫、アルフィアの暗黒眼光、そして極めつけにあのドブカブトムシ液の味覚崩壊を経験し、心身ともに限界を迎えていた13歳の少年ヒーラーは、そのすべてのガヤを脳内で完全にシャットアウトした。
「あー、もう細かい説明は後回しです! とりあえずお腹空いたんで、ご飯食べさせてください!!」
ラルゴは呆然とする先輩たちをすり抜け、食堂の席へとどさりと着くのだった。
山盛りの肉とスープを物凄い勢いで胃袋に流し込み、ようやく人権(マインド)が半分ほど回復したラルゴは、机を挟んで身を乗り出しているサイラス、ザルド、パールの三人を前に、ヘラ・ファミリアの本拠地で起きたメーテリアの治療についてポツポツと語り始めた。
「……なるほど。貴方の宿した【不屈の福音】が、下界のあらゆる医術を拒絶してきたその『不治の病』に対して、劇的な効果を発揮したわけですか」
サイラスは白銀の髪を軽く揺らし、極めて論理的に状況を納得した。劣化なしの大聖樹の神秘であれば、それも当然の帰結。
一方で、彼はエルフ特有の沈着冷静な瞳を細め、さらなる疑問を口にした。
「ですが、ラルゴ。ヘラ・ファミリアにとって、貴方は最愛の至宝を繋ぎ止めるための『貴重な治療手段(命綱)』となったハズです。あの略奪を美徳とするような傲慢な女帝レグナが、なぜ貴方を監禁もせず、あっさりと手放したのですか?」
「いや、僕だって最初は完璧に終わったと思って絶望してたんですよ。でも、自分でも何が起きたのか完全に整理しきれていないところがあるんです。……あの病室での出来事なんですけど」
ラルゴは少し視線を落とし、あの白いカーテンの揺れる日溜まりの病室での出来事を振り返り始めた。
吹けば飛ぶほどに華奢で、今にも病魔に蝕まれて透き通ってしまいそうな少女、メーテリア。彼女は自分自身が不治の病に苦しんでいる一番過酷な状況であるはずなのに、俺の手を握り締めながら、「私より先に、毎日無理をしている大好きなアルフィアを癒してあげて」と、どこまでも自分ではなく『他者の幸せ』を優先する純粋な慈愛の言葉を紡いだのだ。
その濁りのない純粋な慈愛の光に、ラルゴの図太いオタクの魂は、激しい衝撃を受けていた。悲劇のまま終わる人々を救い、全員が笑って大団円を迎える、ご都合主義のハッピーエンドをこの手で掴む。そのためにこの門を叩いたはずの俺が、目の前で過酷な運命に抗うこの少女を、本気で救わなくてどうするんだと。
(絶対に、この悲劇のヒロインを俺の手で救ってみせる……!!)
魂の底から湧き上がった、純度100%の強烈な『治癒願望(エゴ)』。
【不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)】は、治癒願望の強さによって効果が大幅に向上する高位治癒魔法。メーテリアを救いたいというラルゴの強い願いにより、魔法の効果向上条件が最大級に発動したのだ。
直前にメディアルナから飲まされた、あの地獄の不味さを誇る【ハイマインドポーション(改)】による莫大な魔力補填もあり、ラルゴはマインドダウン(精神疲弊)の危険を抱えながら、そのトリガーとなる詠唱を力強く紡ぎ出した。
「『――この手が届くすべての生に、果てなき抗戦の残響を』」
刹那――メーテリアの身体から、これまでにないほど圧倒的で神聖な「白い光の奔流」が溢れ出し、病室全体を白銀の光の世界へと変えていった。
しかしその瞬間、発動した当の本人のラルゴは、強烈な「違和感」と恐怖に襲われていた。
(……あれ? おかしいぞ、何だこれ……? 体が、急に……っ)
通常の治療では、魔法発動の瞬間に『チリィィィン……』という清澄な鈴の音が優しく響く。だが、今回のメーテリアへの治療において、地鳴りのように重厚に響き渡っていたのは、世界そのものを祝福するような『ゴォォォォォォン……!!!』という巨大な鐘の音だったのだ。
おまけに、通常のマインド消耗に加え、ラルゴ自身の『体力』まで急激に削られていくような異常な感覚が発生していた。マインドが猛烈な勢いで消耗していく一方、身体の疲労も異常な速度で消費していく。精神的な消耗だけでは説明できないほど身体が重く、まるで骨の髄から体力を根こそぎ奪われていくような恐ろしい違和感。
「――というのが、僕の体感なんですけど。あの時、マインドポーションの補填があったからマインドダウン(精神疲弊)だけは回避できたのに、なぜか今回に限って、体力を文字通り根こそぎ持っていかれるような異常な負担がかかったんですよね。理由を考えても、現時点じゃさっぱり原因が分からなくて……」
ラルゴが眉をひそめて語る。単に高出力でマインドを消耗するだけではなく、ラルゴ自身の体力にも異常な負担を強いる未知の現象。しかし、この体力消耗の原因は現時点では不明であり、現在の情報だけで理由を断定することはできないまま、奇跡は完成していた。
「……あ、れ……? 胸が、痛くない……? ずっと身体にまとわりついていた、あの重い霧みたいなのが……消えていく……?」
メーテリアの透明な白肌に、瑞々しい健康的な赤みがみるみるうちに差し込んでいく。常に彼女を苦しめていた胸の激痛や倦怠感などの症状が一時的に完全消失したのだ。メーテリアは健康を取り戻したような感覚に驚き、大粒の涙をボロボロと流して子供のように喜んだ。
その奇跡的な回復の瞬間を目撃したヘラ・ファミリアの病室は、一瞬にして大混乱と歓喜の渦へと叩き落とされた。
「メ、メーテリアの病気が……治った……!? ああ、ヘラ様、ありがとうございます……っ!」
世界最恐の女帝レグナ様が、完璧な気品をかなぐり捨ててベッドに突っ伏し、大声を上げて子供のように泣き崩れた。仮面の副団長メディアルナさんも、その場に崩れ落ちて仮面の奥から滝のような涙を流し、あのツンツンシスコン幼女のアルフィアにいたっては、「メーテリア……メーテリア……っ!」と妹の身体を抱きしめながら、生まれて初めて見るような年相応の涙顔で激しく号泣していた。部屋の壁際にいた美女幹部から下級構成員にいたるまでの全員が、お互いに抱き合ってワンワンと泣き裂び、歓喜の海に溺れていた。
「みんな、見てて! 私、今ならどこまででも歩けそうなの!! ほら、走ることだって――」
嬉しさのあまりベッドから飛び出したメーテリアさんは、パタパタと部屋の中を走り回って大喜びし始めた。だが、長期間寝たきりの生活を余儀なくされていたため、運動神経と筋力が致命的に追いついておらず、何度も転びそうになる。
「あ、れ……? っとと……きゃっ!?」
その瞬間、泣き崩れていたヘラ・ファミリアの全軍勢の目が、一斉に血走った漆黒の魔王の眼光へと豹変した。
「「「「「メーテリアァァァァァァッッ!!!!(絶叫)」」」」」
「誰か今すぐオラリオ中の最高級のクッションをここに敷き詰め詰めなさァァァいッ!!」
「床!! 貴様なぜそこに硬度を持って存在しているのよ磨り潰してあげるわぁぁぁ!!」
転びそうになるメーテリアさんを床に触れさせまいと、世界最強クラスの美女軍団が、一糸乱れぬ超高速ステップで部屋中を凄まじい残像となって乱舞。メーテリアさんを空中キャッチしてはまた別の場所で転びそうになり、そのたびに世界最強の冒険者たちが転倒防止に全力を注ぐ、過保護すぎるドジっ子コントのような光景が繰り広げられたのだ。
「いや、本当にあいつら落ち着けよって思いましたよ。レベル8相当の敏捷をそんなことで無駄遣いすんじゃねぇよって、内心で激しいツッコミを入れまくりでした」
ラルゴがため息をつく。
しかし、ようやくメーテリアさんをベッドへと安全に回収した面々が、ギラリと光る熱い瞳を一斉にラルゴへと向けた。
「ラルゴ……! アンタ、本当に最高の男の子よ!! 我がファミリアの至宝を救ってくれたこと、魂の底から感謝するわ!!」
女帝レグナ様がラルゴに心から感謝し、あの冷淡だったアルフィアまでもが、顔を真っ赤にしながらラルゴのダボダボの袖をギュッと強く握りしめて、彼をメーテリアのかけがえのない恩人として認めた。
さらに副団長のメディアルナさんも、ラルゴを「最高最上位の特別賓客」と認定。周りの美女団員たちからも、次から次へと熱烈なお礼や抱擁の嵐が巻き起こる。さっきまで「下手なこと口走ったら分子レベルで消滅させるぞ」と殺意に満ちた態度を向けていたはずの面々が、一転して、ラルゴを全力で甘やかす過保護な身内へと完全変貌を遂げていた。
「……っていうか、俺、あいつら(メーテリア以外)には魔法、使ってないんですよ!? なんで魔法受けてないはずの周りの連中まで、こんなに極端に態度を変えてやがるんだよって、本気で恐怖しましたね……」
ヘラ・ファミリアの宿す、身内に対する「情の深さ」という名の別のベクトルの異常性に、ラルゴは肩をすくめた。
だが、そんなあまりにも出来すぎた奇跡は、長くは続かなかった。やがて、メーテリアさんを包んでいた神聖な白い光と、重厚な鐘の音が静かに大気へと霧散して完全に消失し、魔法の持続効果が終了した。
「あ……、っ……」
床から立ち上がろうとしていたメーテリアさんの身体が、糸の切れた人形のように、その場でガクリと大きくよろめいた。
「――っ!」
だが、その瞬間を、まるで最初から秒単位で予見していたかのように。
隣にいた双子の姉のアルフィアが、神速の残像を残して滑り込み、倒れかけるメーテリアさんの華奢な身体を、その小さな両腕で寸分の狂いもなく完璧にしっかりと支え抜いた。
「無理をするな、メーテリア。……もういい、よく頑張った」
アルフィアは酷く優しい、しかしどこか慣れ親しんだ悲痛さを宿した声で囁くと、メーテリアさんの身体をふわりと抱き上げ、再びあの豪奢なベッドの上へと、壊れ物を扱うようにそっと横たえ、シーツを優しく掛け直した。
すぐに副団長のメディアルナさんがベッドサイドへと歩み寄り、自身のスキル『万象統御』を起動させて、メーテリアさんの肉体の状態を冷徹に、精密に診断し始める。
診断を終え、メディアルナさんは仮面の奥からフゥ……と、少しがっかりとした、どこか切ないため息を漏らした。
「……やはり、そう簡単にはいきませんか。ラルゴ君の魔法のバフ(持続効果)が切れた途端、肉体の数値が元の状態へと引き戻されている。……病そのものが根治(治って)しているわけでは、ありませんね」
その言葉に、病室の他の団員たちからも「やはり、ダメだったか……」「神の恩恵でも治らない呪いだものね……」と、落胆の重苦しい空気が一瞬だけ流れかけた。
だが、メディアルナさんはすぐに、その端正な顔を驚愕と希望の光へと跳ね上げた。
「ですが――! 驚くべきことに、魔法を受ける前の、あの今にも呼吸が止まりそうだった最悪の状態に比べれば、ベースの体力や免疫力が、目に見えて『劇的に向上・改善』されています! 激痛の波も、次回の発作の規模も、確実に以前より小さくなっている! 根治はせずとも、あの子の魔法を定期的に受け続ければ、メーテリアの寿命を、永続的に繋ぎ止めることができます!!」
「「「「――っ!!!!」」」」
病室に、今度こそ本物の、下界の理をへし折った歓喜の嵐が巻き起こった。
「……というわけなんです。メーテリアさんの治療を継続できる確実な見通しが立ったから、向こうのメディアルナさんも、マインドを無理に消耗させたことを正式に謝罪してくれて、お詫びとしてその最高級の焼き菓子を持たせて、丁重に送り出してくれたんですよ。ヘラ・ファミリア側としても、僕を無理に監禁し続ける必要性が完全になくなったんです」
今後は、メーテリアさんの体調や魔法のレジスト持続時間に合わせて、週に一、二回ほど、ラルゴがヘラ・ファミリアのホームを訪問して治癒魔法をかける。不当な監禁や拘束は一切行わないと正式に約束され、ラルゴは無事に解放されたのだった。
「…………」
ラルゴの口から語られた、拉致事件の壮絶な経緯、過保護なドジっ子コント、あまりにも濃密すぎる話。すべてを聞き届けたサイラス、ザルド、パール、そして食堂にいた団員たちは、一人として言葉を発することができず、見事なまでの完全な静黙(フリーズ)に陥っていた。完全に理解の限界を迎えている。
世界最強の怪物たちでさえ、入団わずか二日のLv.1のクソガキが、オラリオ最恐のヤクザ組織【ヘラ・ファミリア】の全構成員を泣き崩れさせ、最高級の菓子を土産に持たされて無事に帰還したという、あまりにも次元の違うラルゴの能力と、ヘラ・ファミリアに起こした影響を理解しきれなかったのだ。
「……あ、ダメだ。これ以上考えたら、俺の脳みそが筋肉に置き換わる……」
「ヘラ側の連中が……ガキを転ばせまいと部屋中を音速で乱舞……? どんな悪夢だよそれ……」
第一級冒険者たちは一様に頭を抱え、思考の限界を迎えながら、各自の部屋へとフラフラと戻り、そのまま就寝していった。
こうして、ラルゴはヘラ・ファミリアとの拉致事件を一応の解決へと導いたものの、周囲の常識と世界の理をへし折り続ける規格外の存在として、ゼウス・ファミリアにさらなる大混乱と、そして世界の運命を変えるハッピーエンドへの第一歩を、最高に致命的な形で刻み込むのだった。