世界最強の脳筋先輩たちが完全に脳のキャパシティを突破して行儀よく就寝しに消えていった後、俺もようやく一息つくことができた。
怒涛の一日だった。朝から第一階層でゴブリンと世紀の泥仕合を繰り広げたかと思えば、ザルドさんとパールさんに追い回され、そのまま中層でヘラ・ファミリアの暴君たちに神速で拉致監禁。おまけにカブトムシの体液を飲まされ、メーテリアさんの治療をきっかけに、最悪のシスコン過保護蛮族どものドジっ子コントに巻き込まれる。
常時耐久デバフ付きの十三歳の肉体には、あまりにも過酷すぎるハイテンション・デスゲーム。
俺はダボダボのゼウスのシャツの袖をパタパタとさせながら、自分に宛てられた部屋で今すぐ泥のように眠るべく、新築ピカピカの廊下を重い足取りで歩いていた。
――その時だった。
「おお、ラルゴ。戻っておったか」
廊下の向こうから、いつもの能天気な好々爺の笑みを浮かべた主神、ゼウスの爺さんがのそのそと現れた。
一時は俺の魔法を恐れ世界の果てへと神速の逃亡を図ったはずの最高神だが、嵐が去ったのを見計らってちゃっかりホームへ帰還していたらしい。
「ラルゴよ、初ダンジョンのレベリングはどうじゃった? 世界最強の我がファミリアが誇る引率陣との、夢とロマンに溢れた記念すべき初陣の感想を、ぜひこの儂に――」
「あー、もう面倒くさいんで寝ます。おやすみなさい」
俺は爺さんの言葉を光速でシャットアウトし、一礼すらも省略してそのまま横を通り過ぎようとした。今の俺に、全能神の安っぽいエンタメ精神に付き合うだけの精神力(マインド)は一滴すら残っていない。
「ま、待て待て、ラルゴ! 頼むから待ってくれぃ!」
ゼウスの爺さんは大慌てで俺のダボダボの袖を掴み、涙目で引き留めてきた。天界の絶対王の尊厳など、最初からゴミ箱にでも捨ててきたかのような必死さである。
「せめて! せめてファルナの【更新】だけでもさせて欲しいいぃ! 初陣を終えた我が子の成長を記録するのは、主神としての唯一の義務であり、何より儂の今の最大の娯楽なんじゃよ! すぐ終わるから! 頼むから背中を貸してくれぃ!!」
「……はぁ。本当に、趣味の悪い神様ですね」
泣きつくクソジジイをこれ以上あやすのもエネルギーの無駄だ。俺は渋々とため息をつき、その要求を受け入れることにした。
「分かりましたよ。じゃあ、サクッと終わらせてくださいね」
「ガハハ! そうこなくてはな!」
嬉々として鼻歌を歌い始めた爺さんの後ろに続き、俺たちは主神の私室へと移動した。
相変わらず無駄に豪奢な私室のベッド。俺はゼウスのダボダボなシャツを脱ぎ、ベッドにうつ伏せになって背中を向けた。
ゼウスの爺さんが自身の指先を小さく傷つけ、神の血を俺の背中の神聖文字(ヒエログリフ)へと落とす。
「では、更新じゃ――」
背中がじんわりと熱を帯び、本日経験した過酷な死線、そして命懸けの逃走劇の記憶が、神の恩恵(ファルナ)というシステムを介して数値へと変換されていく。
ステイタスを紙に写していたゼウスの爺さんだったが、突然ピキリと完全に停止した。
「……お主、本当に何をしてきたんじゃ……!?」
ゼウスの目が、本物の化け物を見るかのように見開かれていた。
一日の初陣、それもたったの「ゴブリン一体」を倒しただけである。普通ならオール0が数個上がる程度。にもかかわらず、敏捷だけが一気に急成長 していたのだ。
理由は明白。常時『敏捷』に超高補正と限界解除をもたらす【神代逃走】と、身内の化け物二人に追い回され発動した全能力に超高補正をかける【不戦不縛】。この二つのスキルが、ザルドとパールの「殺意のオプション付きの超爆走大追跡」によって極限状態のまま数十分以上も維持された結果、経験値がバグレベルの限界突破を起こしたのだ。
「おい、ラルゴ、お主……ダンジョンの一階層でゴブリン一体と泥仕合をしただけと聞いておったが、一体裏で何を――いや、この『敏捷』の跳ね上がり方は、いくら何でも可笑しすぎじゃろ……!」
興奮しながら説明しようとする爺さんに対し、俺はベッドから起き上がると、何事もなかったかのようにシャツを羽織り、居住まいを正した。
「あ、説明は明日でいいです。マジで眠いんで。じゃ、失礼します」
俺は爺さんが差し出そうとしたステイタスの写しをポケットへと乱暴に押し込み、驚愕で彫刻のように固まっている最高神を私室に置き去りにしたまま、流れるような動作で部屋を退出した。
静まり返った主神の私室。
一人残された全能神ゼウスは、しばらくの間、言葉を失ってフリーズしていた。
だが、やがてその白髭の隙間から、ククク、と地の底から響くような低い笑い声が漏れ出し、それは次第に、深夜の宮殿を震わせるほどの豪快な爆笑へと変わっていった。
「ガハハハハ!『0』から一気に『92』じゃと!? 成長補正と限界解除があるとはいえ、初陣の、それもLv.1のなりたてが一日で稼いでいい経験値(エクセリア)の枠を完全に置き去りにしておるわい!」
老神が夜の闇の中でニヤリと不敵に口元を歪める。その手にある羊皮紙には、世界の常識を光速で置き去りにし始めた、オラリオ最速(予定)の歪すぎる初期成長が、鮮烈に刻み込まれていた。
ラルゴ(13歳)
Lv.1
• 力 :I 0→2
• 耐久:I 0→2
• 器用:I 0→7
• 敏捷:I 0→92
• 魔力:I 0→8
【魔法】
•【不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)】
• 詠唱呪文:『この手が届くすべての生に、果てなき抗戦の残響を』
• 効果:
• 高位治癒魔法。
• 直接接触をした対象、及び自身へ効果発動。
• 治癒願望を魔力変換。
• 治癒願望の丈により効果向上。
• 負傷が深刻であるほど、治癒速度を上昇。
• 発動時、術者と対象の毒、呪い、弱体化、魅了、精神汚染に対する抵抗力(レジスト)を付与。
•【】
【スキル】
【 神代逃走(レグルス・フライト)】
• 『敏捷』ステータスの限界解除。
• 常時『敏捷』ステータスに超高補正。
• 『敏捷』ステータスの成長補正。
• 常時『耐久』ステータスの低下。
【不戦不縛(トリカブト・ルーツ)】
• 逃走時、全能力に超高補正。
• 逃走時、発展アビリティ『逃走』『隠密』『回避』を一時的に発現、および効果を補正。
• 攻撃行動時、全能力に超低下。
* * *
――次の日の朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさに、ラルゴはゆっくりと自室のベッドで目を覚ました。
「う、頭が痛い……。っていうか、最近一日一日がすべて濃すぎるんだよな……。異世界転生って、もう少しこう、スローライフ的なモブ日常から始まるもんじゃないのか? 頼むからイベントのカルピスをあと十倍くらい薄めてくれ……」
ベッドの中で枕を抱えて嘆いていた、まさにその直後だった。
ゾクゥゥゥゥゥッッッッッッッ!!!!!!!
いきなり、全身の毛穴が総毛立ち、心臓が恐怖で自爆を願い出るレベルの「強烈な悪寒」がラルゴの肉体をロックオンした。本能が、魂が、限界を超えて脳内で最大級の死亡警報を爆音の如く鳴り響かせる。
ベッドから弾丸のごとき勢いで跳ね起きると、正面の窓ガラスを躊躇なく「ガシャァァァン!!」と力任せにブチ破り、そのまま新築ホームの外へと全速力で飛び出した。
直後。
ドガァァァァァァァァァァァンッッッッッッッ!!!!!!!
つい昨日、音速の神速大工ワークによって寸分の狂いもなく完全再生されたばかりの、木の香り漂うピカピカのゼウス・ファミリア本拠地宮殿が、跡形もなく、概念すら残さず、光速の爆炎と共に一瞬で木っ端微塵に爆散した。
「俺、避難の初速だけならオラリオ史上最速の自信があるわチクショウ!!!!」
瓦礫の嵐から間一髪で滑り込み、地面を転がりながらシャツの泥を払うラルゴ。
爆煙の中から、次々と頭にタンコブを作ったり黒煙を上げたりしながら這い出てくるゼウスの先輩団員たち。幸い、常時生存能力がバグっている世界最強のゾンビたちだ。怪我人は一人もいなかったが、流石の彼らも今回ばかりはブチ切れていた。
「おいおいおい!! いくら何でもやりすぎだろヘラの蛮族どもがァッ!!」
「今回は!! 本当に!! 1ミリも覗きをしてねぇぞ!! 現行犯どころか計画すら立ててねぇのにホームを爆散させられる筋合いがどこにあるんだよォォォォッッ!!!!」
「俺たち、昨晩はラルゴの供養(生きてる)で忙しくて、他所のファミリアの湯殿の覗き計画なんて一文字も立ててねぇぞ! 100%冤罪だろーがよォォォォッッ!!!!」
まったく心当たりがない(今回は本当にない)理不尽な100%の爆破に対し、世界最強のプライドを爆発させ、一斉に大剣や籠手を構えて爆煙の奥を睨み据える団員達。
――だが。
晴れゆく爆煙の奥から、高貴な漆黒のドレスを纏い、この世の全ての悪意と怒りを煮詰めたような覇気(神威)を放って歩み出てくる最恐の主神・ヘラ様の御顔を見た瞬間。
「「「「…………っ」」」」
姿を視認したコンマ0.1秒後、マキシム、ザルド、パールをはじめとする世界最強の冒険者たちは、一切の迷いもなく、全員一斉にその場に膝を突き、完璧な正座の姿勢から額を地面に叩きつけた。主神ゼウスを本気で天界へ強制送還(神還し)しかねない最高神の本物の怒りを前に、男のプライドなど1ミクロンも残っていない、完璧なる全面降伏である。
「……五月蠅いわね、あなた達――それより二日前に入ったという、ルゴとかいう子供を今すぐここへ出しなさい」
ヘラ様がニコリと冷酷に微笑むと、背後に控える女帝レグナ様(昨日の魔法使用後のラルゴに対する抱擁や態度を思い出し、羞恥心と怒りで顔を真っ赤にした完全武装モード)たちの殺気が、オラリオの地形を歪める勢いで跳ね上がった。
(あ、ヤバい。あの女神様、100%俺を殺しにきてる。誰が立ち止まるか、最高速度でブチ抜いて世界の果てまで逃げてやるわァァァッ!!)
ラルゴが生存本能のタガを外して、そのまま踵を返して光速の残像となって逃走を図ろうとした、まさにその次の瞬間だった。
――フッ。
一瞬、世界から音が消えた。
気づけば、ラルゴは自分がなぜか、女神ヘラ様のまさに真ん前、目と鼻の先の地面に正座をさせられた状態へと、一瞬でワープしていた。
(……は? 待って。俺、今『キング・クリムゾン』か『ザ・ワールド』でも発動されて、時間を完全にすっ飛ばされた……!?バグにしては理不尽がすぎるだろ……!!)
パニックになりながらラルゴがカチカチと首を回して横を見ると、そこには、ゼウスの第一級冒険者の先輩の一人が、冷や汗を流しながらサムズアップをして立っていた。
「へ、ヘラ様ァ! 新入りのラルゴなら、ここに完璧なセッティングでご用意いたしました! どうぞ、ファミリアの未来のために、このガキをお好きなように磨り潰してくださいッッ!!!!」
そうなのだ。ラルゴがレベル3相当の神速で逃げ出そうとしたコンマ数秒の隙に、背後の先輩団員がLv.6以上の神速の暴力でラルゴを拉致し、ヘラ様の前に丁寧に進呈したのだ。身内の裏切りの初速が恐怖レベルである。
しかも、そのラルゴのすぐ隣には、同じくロープでぐるぐる巻きにされ、ヘラ様の怒りを1ミリでも逸らすための『メインの贄』として地べたを這いつくばっている主神ゼウスの爺さんの姿もあった。
「おいマキシム! お前たち、儂をヘラに売るなァァァッッ!!せめてもう少し葛藤を挟めバガどもがぁぁぁ!!」
「騒がないで、ゼウス」
主神の情けない絶叫に対し、ヘラ様は冷徹極まりない一瞥を投げかけ、吐き捨てるように言い放った。
「貴方の口を磨り潰すのは、後でいくらでもやってあげるわ。……今回は、その隣にいる、この子供(ラルゴ)に用事があるのよ」
「「「「――っ!!!!」」」」
ヘラ様が、あのゼウスへのお仕置き(殺戮)を『後回し』にしてまで、新入りのラルゴを最優先のターゲットに指定した。その異常すぎる大戦慄に、地面に頭を擦り付けている団員たち体が、一斉に恐怖でピクピクと激しく痙攣し始めた。
(マジで殺される……! 今世はここで完全に打ち切り(打ち首)だァァァッッ!!!!)
ラルゴが白目を剥きかけていたその時。
最恐の女神ヘラ様が、ゆっくりとラルゴの前へとしゃがみ込み、網膜が焼け焦げそうなほどの漆黒の瞳の顔を、至近距離までじわりと近づけてきた。
「……あなたが、ラルゴかしら?」
「ひ、ひゃいっっ!!!!(光速の高速ヘドバン頷き)」
コンマ0.1秒で100回くらい首を縦に振り、脳震盪を起こしかけながらもラルゴは必死に肯定した。
ヘラ様は完璧な女王の冷酷な微笑みを浮かべたまま、その美しい、しかし世界の終わりを告げるような聲音で、淡々と、致命的な言葉を紡ぎ出した。
「そう……。あなたが、昨日私の可愛い子(眷属)たちを、『洗脳(浄化)』した犯人ね?」
(――あ、死んだわ俺)
ラルゴはこの時、生存することを諦めた。
だが神はラルゴを見捨てなかった。
「……メーテリア、そんなに急に歩いては駄目だと言っているだろう」
「もう、大丈夫よアルフィア。それより、ヘラ様! そこで何をしているの?」
突如として爆炎の跡地に響いた、どこまでも清らかな鈴を転がすような少女の声。
恐怖で白目を剥きかけていた俺が恐る恐る視線を向けると、そこには、双子の姉であるアルフィアに支えられながら、不満げに頬を膨らませて歩いてくるメーテリアさんの姿があった。
「あら、メーテリア。病床から抜け出してくるなんて感心しないわね」
さっきまで世界を滅ぼしそうな暗黒の覇気を放っていた最高神ヘラ様が、一瞬にして「良識ある優しいお姉様」の顔へとジョブチェンジした。声のトーンが光速で3オクターブほど上がっている。
「ヘラ様、質問に答えて。ラルゴさんを、どうしてそんなに怖いお顔で睨みつけているの?」
「どうしてって……。メーテリア、このクソガキはね、わたしの大切な子供(眷属)たちに、正体不明の精神汚染魔法を仕掛けた大罪人なのよ。だから今から、少しお仕置きをするのよ。大丈夫、魔法を使う機能は残すから」
ヘラ様が上品に微笑みながら物騒極まりないことをのたまう。
しかし、メーテリアさんはまっすぐにヘラ様を見つめ、毅然とした態度で言い放った。
「駄目よ、ヘラ様! ラルゴさんは、私とアルフィアを治療してくれた大切な命の恩人です! それに、レグナさんたちに『害があった』なんて、一体何のことかしら?」
メーテリアさんは不思議そうに小首を傾げ、後ろで完全武装したまま真っ赤な顔で震えている女帝レグナ様たちを振り返った。
そう。メーテリアさんからすれば、レグナ様たちは普段から自分の前では完璧な猫(聖母モード)を被っているのだ。
そのため、彼女たちが一時的にラルゴに抱擁や慈愛に満ちた対応をしようと、メーテリアから見れば「いつも通り、ちょっと賑やかで優しいお姉さんたち」と大して変わらないのである。そのため、ヘラ・ファミリアの面々が何をそんなに恥ずかしがり、問題(精神汚染)にしているのかが、本気で1ミリも理解できていなかったのだ。
「え、あ、いや! メーテリア、違うのよ! 別に害というか……その、ね!?」
「そうよ、メーテリア! 私たち、ラルゴ君のあの素敵なヒールに、ちょっと感動して感極まっちゃって! だからこうして、ゼウスのところへご挨拶(爆破)に来ただけよ! 害悪(洗脳)だなんて、そんなわけないじゃない!」
メーテリアさんの純粋無垢な視線を浴びた瞬間、人類最高峰のレベル8である女帝レグナ様やメディアルナたちが、まるで不祥事を起こした中間管理職のように大慌てで手を振りながら、必死になってメーテリアの機嫌を取り始めた。普段の暴君のプライドなど、塵一つ残っていない。
「「「「…………」」」」
土下座をしていたマキシム、ザルド、パール、ゼウス・ファミリアの面々が、一斉に信じられないものを見るような目で顔を上げ、その場に唖然としてフリーズした。
あの、ゼウスすらもミンチにして大通りに貼り付ける、オラリオ最恐最悪のヘラ・ファミリアが、たった一人の少女の視線一つで、ここまで無様に、かつ必死に媚びを売っている。千年の歴史の常識が、音を立てて崩壊していく風景がそこにあった。