レグナ様からいただいたスープを一口すする。……美味い。前世を含めて、今までに飲んだどのスープよりも格段に美味いと思える味だった。ラルゴは勢いづいてヘラ・ファミリアの他の料理にも次々と箸を伸ばしたが、どれもこれもが常識外れに美味いと思える味ばかりだった。
「ねぇ、サイラスさん」
ラルゴはサイラスに近づき、声を潜めて尋ねた。
「ヘラ・ファミリアの団員たちって、なんでここまで料理がうまいんですか?」
「ヘラ・ファミリアは料理だけでなく、家事全般すべてを常軌を逸したレベルで習得していますからね」
サイラスが淡答するのを聞き、ラルゴは(さすが婚姻を司る女神の眷属、花嫁修業のレベルが世界最強クラスってわけか)と心底感心した。
「ちなみに、ヘラの眷属と結婚した人って過去に居るんですか?」
「……過去には数人ほど居たそうですよ。ただ、その後の夫たちは全員が消息不明になっています。あまり深く考えるのはやめなさい、ラルゴ」
「…………」
急にホラー映画みたいな事実を告げられ、ラルゴはそれ以上聞くのをやめた。気を取り直して、もう一つの疑問をぶつける。
「それより、ヘラ・ファミリアのスープと、ザルドさんのスープってどっちがうまいんですか?」
「私自身は、洗練された繊細な味を作るヘラ側のスープの方がいいと思っていますよ」
サイラスはそう言って、さらに解説を加えた。「ザルドが作るのは、とにかく男受けがいい、力強くてガッツリとした料理ですからね。住み分けが違うのです」
「そもそも、ザルドさんってなんでそんなに料理が得意なんですか?」
「ザルドのスキルには、食べる(摂取する)ことで自身のステータスを永続的に向上させる能力があるのです。そのため、必然的に料理の腕も相当に高い。ですから、先ほどレグナ団長に『自分よりヘラ側の方がうまい』と言っていましたが、恐らく心の底では自分の料理が一番うまいと思っているはずです。だからこそ、あの発言は嘘だと判断されたのでしょう」
(なるほど、ザルドさん、自分の料理にものすごい誇りを持ってたんだな……。)
ラルゴが一人で納得している間に、食堂の空気は急ピッチで入れ替わっていった。
* * *
場面は変わり、食堂の正面ステージ。審査員席として用意された長机に、ラルゴ、アルフィア、メーテリアの三人が席に着いていた。
(……いや、なんで俺が審査する羽目になってるの?)
ラルゴは引きつった顔で心の中で突っ込んだ。しかも、ふと見渡すと、ついさっきまでザルドの料理を絶賛して地雷を踏み抜いていたゼウス・ファミリアの団員が、十名ほど忽然と消えていた。
近くにいたレグナ様に「あの、先輩たちはどこへ?」と恐る恐る聞くと、彼女は満面の笑みでこうのたまった。
「ああ、あの人たちなら、少しお話をするために我がファミリアの幹部たちとダンジョンへ行ったわよ」
(……うん、お葬式の準備をしておこう)
ラルゴは心の中で彼らの冥福を静かに祈った。
ちなみに、レグナ様がこの三人を選んだのには理由があった。審査員には「ザルドの料理を一度も食ったことがない人物」を選ぶ必要があったからだ。
隣を見ると、メーテリアさんは目をキラキラと輝かせていた。長年、病床にいた彼女は、こういった賑やかな催しに参加したことが一度も無かったため、楽しくてたまらない様子だった。
(まぁ、メーテリアさんが楽しそうなら何でもいっか)
ラルゴも、そしてメーテリアさんの傍らに座るアルフィアも、まったく同じ結論に至って微笑ましそうに彼女を見守っていた。
とはいえ、何が起こるか分からない。ラルゴは万が一に備え、二人に自身の魔法を掛けておくことにした。
「二人とも、ちょっと魔法を掛けるから手を出して」
ラルゴがそう言った瞬間。
ザッ……!!! と、食堂の周囲にいたヘラとゼウスの眷属たちが、一糸乱れぬ超神速の動きで、音もなく素早く距離を取った。
(おかしいな。ただの治癒魔法を使おうとしただけなのに、なんで全人類から生物兵器みたいに警戒されてるわけ?)
脳筋先輩と蛮族たちの反応をよそに、メーテリアさんは「ふふ、よろしくお願いします」と少し恥ずかしそうに白い手を出した。一方のアルフィアは、大分嫌そうな顔をしながらも、メーテリアの手前、渋々と小さな手を突き出してきた。
ラルゴは二人の手を同時にしっかりと取る。
(今更だけど、これ二人同時に魔法を掛けられるのかな?)
一瞬の不安。だが、やるしかない。ラルゴは魔法の詠唱を魂を込めて紡ぎ出した。
「『――この手が届くすべての生に、果てなき抗戦の残響を』。――【不屈の福音(リザレクション・レジスタンス)】!!」
チリィィィン……。
刹那、食堂に響き渡ったのは、重厚な鐘の音ではなく、どこまでも清澄で優しい『ベルの音』だった。
ごっそりとマインドを消費する感覚がラルゴを襲ったが、ぐっと踏みとどまる。昨日、ゼウスの爺さんにステータスを更新してもらったおかげだろう、魔力の最大値が上がっていたため、何とかマインドダウン(精神疲弊)の闇を免れることができた。
聖なる光の残響が響く。アルフィアとメーテリアの二人の肉体は、淡い白い光と、一歩動くたびに響く綺麗なベルの音を優しく帯びていた。
「すごいわ、ラルゴさん……! 胸の重いのがすうっと消えていく……。ありがとうございます」
メーテリアさんが深くラルゴに感謝し、その横で、聖人化バフによって強烈に精神が安定したアルフィアも、凪のような澄んだ瞳でラルゴを見つめた。
「……ラルゴ。先ほど、魔法を掛けられる際に大分嫌そうな顔をしてしまった。……私の度量の狭さを、深く謝罪する。すまなかった」
「あ、いや、全然気にしてないですから大丈夫ですよ……!」
ラルゴは冷や汗を流しながら、丁重にその謝罪を受け入れた。(バフが切れた後が絶対に怖いなこれ……)という本能的な恐怖を必死に押し殺しながら。
その様子を遠巻きに観察していた周りの団員たちが、自身の精神に異常がないことをしっかりと確認し、「よし、今回は安全なヒールだ!」とゾロゾロと行儀よく席に戻ってきた、まさにその時だった。
フッ……と、二人の体を包んでいた聖なる光が完全に消失し、ベルの音が止まる。
魔法の効果がちょうど切れるその完璧なタイミングを見計らったかのように、食堂の厨房の大扉が左右へと静かに押し開けられた。
ザルドとレグナが、審査員席に座る三人の前にそれぞれ一皿ずつ、出来立てのオムレツを差し出した。
その瞬間、ザルドが充血した恐ろしい目でラルゴをガン睨みし、(頼むからレグナの料理の方がうまいって言え! 口裏を合わせろ!)と必死に視線でサインを送ってきた。自分の料理に誇りはあるが、これ以上こじれて命を落としたくないという、Lv.5の戦士の切実な保身の眼光である。
一方で、レグナ様は小首を傾げ、完璧な女王の微笑みを浮かべながら愛らしく告げた。
「いい、ラルゴ? もし嘘なんか吐いたら……それ相応のお仕置きが待っているからね?」
その愛らしい声音には、ばっちりとオラリオの地形を歪めるレベルの殺意が混ざっていた。さらにラルゴがそっと視線を後ろへ向けると、そこには未だに簀巻きにされたまま、ヘラ様から無表情で「あーん」とスープを容赦なく喉奥へ流し込まれている主神ゼウスの姿があった。神の嘘を見抜く瞳の前に、忖度や誤魔化しは1ミリも通用しない。詰みである。
「……じゃあ、まずはザルドさんのオムレツからいただきます」
ラルゴたちはスプーンを入れ、まずはザルドの料理を口に運んだ。
(……うわ、本当にうまい。ガッツリとした旨味があって、ヘラ・ファミリアのあの常識外れな料理と比べても、まったく遜色ないレベルだぞこれ)
審査員であるアルフィアとメーテリアさんも、予想以上に美味しい出来栄えに、驚いたように小さく目を見張っていた。
次に、三人はレグナ様のオムレツへと手を伸ばした。
一口食べた瞬間、ラルゴはスプーンを置いて、即座に、かつ大声で言い放った。
「レグナ様の料理の勝ちです!! こっちの方が断然うまいです!!」
「あら? 私の殺意に怯えて、忖度したんじゃないかしら?」
レグナ様がジト目で覗き込んできたが、ラルゴは腕を大きく振りながら、これでもかと全力の褒め言葉を並べ立てた。
「違います! この卵の絶妙な火加減、口の中でとろける濃厚なソース、食べた瞬間に脳が『毎朝これを食べたい!』って叫ぶレベルの衝撃なんです! お世辞抜きで、僕のこれからの人生の朝食をすべてこれで固定したいくらいです!!」
達者な口をフルスロットルで回すラルゴ。すると、背後でゼウスを介護(折檻)していたヘラ様が、淡々と声を響かせた。
「レグナ、その子供の言葉に嘘は無いわよ。心の底からそう思っているわ」
「まぁ……そう? そこまで言うなら、大目に見てあげてもいいわね」
神の嘘発見器によるお墨付きをもらい、レグナ様は頬を微かに赤らめながら、悪い気がしない様子でふんぞり返った。
しかし、隣の二人の反応は少し違っていた。
「……確かに美味しいだが、ザルドの料理とそこまで決定的な差があるとは思えない」
アルフィアが冷静に告げ、メーテリアさんも「うん、どちらも甲乙つけがたいくらい美味しいわね」とおっとり首を傾げる。
そんな二人の疑問に対し、レグナ様はツンと顎を引いて、誇らしげにそのロジックを解説し始めた。
「当然よ、アルフィア、メーテリア。私が作ったこの料理はね、繊細な料理じゃないわ。――『男の胃袋を完全に掴んで二度と離さないための特化型料理』よ」
「あの、レグナ様」
ラルゴが冷や汗を流しながら、最も純粋なツッコミを投げかけた。
「審査員にアルフィアさんとメーテリアさんっていう、思いっきり『女性』が二人もいるのに、なんでよりによって男受けを狙った料理をここに提出したんですか?」
「決まっているじゃない」
レグナ様はザルドを鋭く睨みつけ、不敵に笑った。
「ザルド君の料理が、男受けが良い力強い料理だってサイラスから聞いたからよ。なら、あえて同じ土俵、相手の得意分野で完璧に叩き潰して勝ちたかったのよ!」
世界最恐の女帝のプライドは、どこまでも戦闘的だった。
「さあ、判定はどうかしら?」
レグナ様の圧に押されるように、ラルゴ、アルフィア、メーテリアの三人が、一斉にレグナ様の皿を指差した。
「勝ったわ!! 当然の結果ね!」
勝ち誇って満面の笑みを浮かべるレグナ様と、その背後で当然と思いながらも狂喜乱舞するヘラ・ファミリアの美女たち。
一方のザルドは、「……ふぅ」と本日一番の深い安堵の息を漏らしていた。これで命だけは繋がった。
しかし、ザルドの料理に対するプライドに、この結果は確実に「狂った火種」を植え付けてしまっていた。
――この日以降。
ゼウス・ファミリアのホームでは、朝食の時間になるたび、大柄なザルドがラルゴの席の前にガタッと皿を叩きつけ、血走った目で睨みつけてくるという、新たなる不条理な日常が幕を開けた。
「おい、ラルゴ。今日のオムレツだ。……食え。そして言え。――レグナのあの料理より、俺の料理の方が上だよな……!?」
「ザルドさん、もう毎朝その質問するのやめてもらっていいですか!? 僕の精神(マインド)が朝から枯渇しそうなんですけどォォォォッッ!!!!」
攻撃力ゼロの少年ラルゴのオラリオ生活は、最恐女帝の胃袋の呪いと、料理のプライドに目覚めてしまった先輩戦士の執念に挟まれ、さらに騒がしく過ぎていく。