合同朝食会が終わり、ヘラ・ファミリアの団員たちは驚くべき手際で食器をまとめ、厨房をピカピカに磨き上げてから帰る準備を整えていた。
「うわ、もう後片付けまで終わってる……」
ラルゴが感嘆の声を漏らすと、レグナ様が当然といった様子でツンと顎を引いた。
「当たり前じゃない、ラルゴ。食事を振る舞うということはね、後片付けまで込みでやるという意味よ。それが婚姻の女神の眷属としての誇りだわ」
(本当に家事全般のスキルが高すぎるな、ヘラ・ファミリア……。あの圧倒的な戦闘力とこの完璧な主婦力のギャップ、完全にバグだろ)
ラルゴが心の中で戦慄している横で、ゼウス・ファミリアの団員たちも、幻の銘酒と手料理で英気を養い、雄叫びを上げながらダンジョンへ行く準備を始めていた。
レグナ様とメディアルナさん以外のヘラ・ファミリアの団員たちが一足先に帰路につく中、メーテリアが双子の姉のアルフィアに付き添われながら、おっとりとした足取りでラルゴの近くへと歩み寄ってきた。
「あの……ラルゴさん。少し、お聞きしてもいいかしら?」
メーテリアさんは大きな瞳を少し恥ずかしそうに揺らし、指先をもじもじと動かした。
「先ほど、レグナさんの料理に対して『毎朝これを食べたい』って仰っていたのは……本当、なのかしら?」
「ええ、本当ですよ! お世辞抜きで、今まで食べた中で一番感動した味でしたから」
「なら……私、が、レグナさんのあの料理を覚えたら……私の作ったオムレツも、毎日食べてくれるかしら?」
「もちろんですよ! 喜んで食べます! 何なら、上手く作れるようになるまでの練習で作ったものも、全部僕が美味しくいただきますからね」
ラルゴはグッと拳を握り、さらに言葉を重ねた。
「それと、できればメーテリアさんが自分で考えた料理も食べてみたいです。あれはあくまでレグナさんの味付けだから、メーテリアさんだけのオリジナルの料理も、僕は食べてみたいなぁって」
「まぁ……! 本当に? 嬉しいわ、私、絶対に美味しいお料理を作れるように一生懸命練習するわね!」
ぱっと花が咲くような満面の笑みを浮かべるメーテリアさん。
しかし、その感動的な日溜まりの光景のすぐ真横で、付き添いの幼女アルフィアがオッドアイを限界まで見開き、この世の全ての生物を絶滅させるかのような怒りの眼光でラルゴをガン睨みしてきた。
(貴様、そうやって優しい言葉で私の最愛の妹をたぶらかすつもりなら、今この場でその喉笛を引き千切ってダンジョンの生贄に捧げてやるからな、雑音!!!)
恐ろしいまでの殺意の視線。ラルゴは冷や汗を滝のように流しながら、「そんなんじゃないですよ! 誤解です!」と必死に目だけで全力否定のサインを送った。
(いやいやいや、僕はロリコンじゃないから! さすがに6歳の子供をどうこうしようなんて下不埒な気持ちは1ミクロンも持ち合わせてないからね!? アルフィアさん、落ち着いて!!)
ラルゴは必死に自身の潔白を心の中で叫びつつ、正面のメーテリアさんへと優しく語りかけた。
「ええ、楽しみにしています。だから、その美味しいお料理をたくさん作ってもらうためにも、これから一緒に治療を頑張っていきましょうね、メーテリアさん」
「はい! 一緒に頑張りましょうね、ラルゴさん!」
メーテリアさんは元気いっぱいに、満面の笑顔で力強く頷いた。
アルフィアにしっかりと手を引かれ、嬉しそうにパタパタと振り返りながら帰っていくメーテリアさん。その儚くも愛らしい背中を見送り、ラルゴがようやく一息ついた、まさにその時。
「――さて。ラルゴ、そして皆さん。少々、真面目な話し合いを執り行いましょうか」
背後から、副団長サイラスの凛とした美しい声が響いた。
「我がファミリアの談話室へと案内します。ついて来なさい」
* * *
寸分の狂いもなく超高速再生されたピカピカの談話室。
重厚な木製の長机を挟んで、ゼウス・ファミリアからはマキシム団長、副団長サイラス、パール、ザルド。ヘラ・ファミリアからは女帝レグナ様と副団長メディアルナさん。そして、その中央に、新人ラルゴが座っていた。
両ファミリアのトップ幹部(世界最強の化物たち)が勢揃いする圧倒的な威圧感の中、サイラスは手元の書類をトントンと整え、沈着冷静な瞳で全員を見据えた。
「それでは皆さん。少々、真面目な話し合いを執り行いましょうか」
サイラスさんが白銀の髪を揺らし、流麗な動作で進行役を引き受けた。その端正な顔には、ギルドとの事務処理や我が家の爆破で摩耗したはずの疲労を完全に押し殺した、完璧なビジネスの笑みが張り付いている。
「今回の話し合いでは、ラルゴの【不屈の福音】によるメーテリアさんとアルフィアの今後の治療計画や、ラルゴのファミリア内での待遇、協力体制など、いくつか確認しておきたい議題があります。まずは、今後の治療計画からすり合わせを行いましょう」
サイラスさんの論理的な言葉に、ヘラ側の副団長メディアルナさんも仮面の奥から静かに頷いた。
「ラルゴ君の宿した魔法が、劣化なしの大聖樹の神秘であることは確認済みです。ですが、現状の彼はLv.1。あの高位治癒魔法の燃費の悪さは文字通り桁違いであり、一発発動するだけでも彼の精神力(マインド)と肉体に深刻な負荷がかかります。これらを総合的に計算した結果――」
サイラスさんは手元の書類をトントンと叩き、冷徹かつ現実的な数値を弾き出した。
「ひとまず六日に一度、メーテリアさんとアルフィアの両名に魔法を使用する方針を提案します。これ以上の頻度は、彼の成長や精神の許容量を超え、日常生活に支障をきたしかねません。……ラルゴ、この頻度で問題はありませんか?」
「あ、はい! 特に問題ないです。俺としては二人の治療を続けることに抵抗はありませんし、六日に一度のペースなら、問題なく対応できますよ」
俺が胸を張って答えると、サイラスさんは「よろしい。知性派の部下は話が早くて助かります」と満足げに頷き、当面はこの方針で進めることを正式に決定した。
すると、続いてメディアルナさんが静かに話を切り出してきた。
「では、次にラルゴ君の我がファミリアにおける待遇についてです。……先ほどの騒動で多少うやむやになってしまいましたが、貴方がヘラ・ファミリアにとって『最高最上位の特別賓客』であるという扱いは、決して嘘ではありません」
メディアルナさんは品格のある声を響かせ、俺をまっすぐに見つめた。
「今後は遠慮せず、自由に我がホームを出入りしてもらって構いません。また、可能性は低いと思いますが……何か我がファミリアに手を貸してほしいことや、困り事があれば、私たちができる限り協力すると約束しましょう」
世界最恐のヤクザ組織から提示された、破格の白紙委任状(プラチナチケット)。普通なら「じゃあ毎月の小遣いをギルドの予算並みに!」などと要求するところだろう。だが、俺は姿勢をそっと整えると、ごく自然に首を横に振った。
「いえ、メディアルナさん。そんな特別待遇や見返りがなくても、二人の治療への協力は惜しみませんよ。そもそも僕が治療に協力するのは、何かを要求するためじゃないですから。メーテリアさんやアルフィアさんの治療を、何かと引き換えにするような『取引』みたいに考えているわけじゃありません」
不治の病と言う悲劇の運命に抗う少女たちの笑顔を、打算の道具にするほど俺の魂は腐っちゃいない。
すると、その返答を聞いた女帝レグナ様が、完璧な女王の微笑みを浮かべながら不満げに口を挟んできた。
「あら、随分と殊勝なことを言うのね。でも、それだけの奇跡をタダで受け取るわけにはいかないわ。何もなしというわけにはいかないのよ?」
(……いやいや、レグナ様。そこまで負い目を感じてくださる高尚な精神をお持ちなら、まずは『我が家を木っ端微塵に爆破したこと』と、『僕を中層から音速で電撃拉致したこと』について、一文字くらい謝罪の言葉をのたまうべきじゃないですかねぇぇぇ!?)
喉の奥まで出かかったその最もな合理的正論。しかし、実際に口に出した次の瞬間、レグナ様のレベル8相当の超火力がこの談話室ごと俺を消滅させる未来が確定しているため、俺は実に見事なビジネススマイルを維持したまま、本音を心の中の不壊の金庫室へと静かに封印した。
「それに、ラルゴ」
レグナ様は、少し探るような漆黒の瞳で俺を覗き込んできた。
「確認しておきたいのだけれど……あなた、本当にメーテリアだけでなく、あの『アルフィア』にも、同じように治療を施すつもりなの?」
「え? はい。当然ですけど……なんでそんなことを聞くんですか?」
俺が不思議そうな顔で問い返すと、レグナ様はハァ……とため息を漏らした。
「だって、アルフィア本人のアンタに対する態度、かなり悪いでしょう? メーテリアと違って、あの子はアンタに対して警戒心も敵意も隠そうともしないわ。『雑音』だの『粉砕する』だの連呼するような生意気な幼女なのに、それでも同じように治療するつもりだなんて、少し意外に感じたのよ」
(……いや、それを言うなら、ヘラ・ファミリアの団員はメーテリアさんを除けば、そもそも人類全般に対する態度が致命的にヤクザ組織並みに悪いだろーがよォォォォッッ!!!!)
ザルドさんたちを踏み抜く暴君の女帝にそれを指摘される筋合いは1ミクロンもない。だが、ここで余計なツッコミを入れれば連帯責任でサイラスさんの胃壁が完全崩壊するため、俺は達者な口をしっかりと閉ざし、自身の胸の内にある「本当の願い」をまっすぐに言葉にした。
「……アルフィアさんとメーテリアさんに対する僕の思いに、差なんてありませんよ。どちらか一方だけを特別扱いしているわけじゃないです」
俺は少し照れくさそうに頭を掻きながら、円卓に並ぶ化物先輩たちに向けて微笑んだ。
「アルフィアさんの態度が悪いからって、治療を拒む理由にはなりません。……それに、何より俺自身も、あの二人には健康でいてほしいって、心の底からそう思っていますから。だから、特別な見返りなんていりませんよ。二人が元気に、笑って過ごせるようになってほしい。ただそれだけの、俺の素直な気持ちですよ」
チート能力もボーナススキルもない。一発掠れば即死するペラペラ男。
だけど、この不条理で過酷な修羅の世界の最前線で、悲劇の結末をすべてへし折り、最後は全員が笑って大団円を迎える「全員幸福(ハッピーエンド)」の物語を、この手でこじ開ける。
十三歳の少年ヒーラーが放った、あまりにも不遜で、あまりにも純粋な魂の叫び(エゴ)。
その言葉を受け、静まり返った談話室の面々は、それぞれに言葉にできない強烈な反応を見せ始めるのだった――。
ラルゴが放った、あまりにも不遜で、しかしこれ以上ないほどに純粋なハッピーエンドへの執念。
その言葉が静まり返った談話室に響き渡った瞬間、ヘラ・ファミリアの二人の女傑の空気が劇的に変わった。
「……素晴らしいわ」
女帝レグナ様が、今度こそ目の奥の殺意を100%消滅させ、本物の聖母のような、うっとりとした感動の瞳でラルゴを見つめた。
隣のメディアルナ副団長にいたっては、仮面の奥からジュワァァと再び涙が染み出し、感動のあまり胸元で両手をぎゅっと握りしめている。
「なんて清らかで、気高き魂を持った男の子なのかしら……っ! 見返りも求めず、ただ純粋にアルフィアとメーテリアの幸せを願うだなんて……。ああ、下界の奇跡がここにある!」
「本当にね、メディアルナ。……ねぇ、ラルゴ」
レグナ様は身を乗り出すと、ラルゴの手をそっと両手で包み込み、これ以上ないほど甘い、とろけるような笑顔で囁いた。
「あなた、ゼウスのジジイのところになんているの、もったいなさすぎるわ。あんな万年発情全能クソジジイの泥に塗れるなんて魂の冒涜よ。――どうかしら? 一年後、我が【ヘラ・ファミリア】へ改宗(コンバージョン)して、正式に私たちの『家族』にならない?」
「えっ!?」
まさかの世界最恐ファミリアからのヘッドハンティング。しかも断ったら消されそうな笑顔の圧付きである。
ラルゴが冷や汗を流して固まった瞬間、隣にいたサイラス副団長が、光速で二人の間に割り込み、レグナ様の手からラルゴをスッと引き剥がした。
「お待ちください、レグナ団長。いくら貴方方の至宝を救った恩人とはいえ、我がファミリアの貴重な知性派を引き抜くのは断じて看過できません」
サイラスさんはいつになく必死な、胃壁が崩壊しかけている中間管理職の形相で声を張り上げた。
「我がゼウス・ファミリアにおいて、一から十までまともな言葉が通じ、論理的に会話ができる理性的な団員は、このラルゴただ一人なのです! あとの筋肉だるまどもに毒されないよう、私が大切に保護し、共同研究の同志として育てる約束なのです! ヘラ・ファミリアの圧倒的な待遇は認めますが、これ以上の略奪は組織の存続に関わります!!」
サイラスさんの涙ぐましい部下防衛。すると、長机の向こうでマキシム団長が、ガハハハハ!!と談話室が震えるほどの爆笑を炸裂させた。
「ガハハハ! おいおいサイラス、そんなに熱くなるなよ! っていうかレグナ、お前ら完全に頭がバグってんぞ! 忘れたのか? お前らのところの【ヘラ・ファミリア】はなぁ、千年の歴史の伝統として『女性限定』のファミリアだろーがよ! 男のラルゴが入れるわけねぇだろ、ガハハ!」
マキシムの至極真っ当な、歴史的常識に基づいたツッコミ。
だが、その言葉を聞いた瞬間、女帝レグナ様はフッと不敵に唇を吊り上げ、自身の腰に帯びた護身用の短剣へとそっと指先を滑らせた。
「あら、マキシム。そんな細かい規律、私が『力ずく(レベル8)』でへし折ればどうとでもなるわよ。……それにね?」
レグナ様は完璧な女王の微笑みを浮かべたまま、ラルゴの股間のあたりへと、冷酷極まりない漆黒の略奪者の視線をピタリとロックオンした。
「そんなに性別が問題だと言うのなら――今ここで、その余計なモノを根元から綺麗さっぱり『捥いで(去勢)』、女の子にしてあげれば解決じゃないかしら?」
「「「「…………っ!?!?!?」」」」
その瞬間、談話室にいたゼウス・ファミリアの男性陣――マキシム、サイラス、ザルド、パールの全員の顔面が一瞬で紙のように真っ白になり、本能的な恐怖で股間を押さえながら、ガタガタと椅子の音を立てて全力で一歩後ずさった。
世界最強の化物戦士たちが、一人の美女の放った「捥ぐ」という一言の前に、完全に人権を失って戦慄している。
「ひえぇぇぇぇぇッッ!!! 人道的な尊厳が!! 秒単位で、消滅しかけてるんだけどォォォォッッ!!!!」
ラルゴが涙目で自身の股間を必死にガードしながら絶叫する。
そんな男性陣のドン引きの狂乱を他所に、レグナ様とメディアルナさんは「ふふ、冗談よ」とお茶目におっとりと微笑むと、ラルゴの服を優しく整え、その黒髪をまるで本物の弟を可愛がるかのように優しく撫で回し始めた。
「安心しなさい、ラルゴ。大切な恩人をそんな目に遭わせるわけないじゃない。……アンタはもう、私たちの『身内』よ。困ったことがあれば、いつでもお姉さんたちを頼りなさい。ゼウスの脳筋どもが意地悪したら、いつでもそのホームごと消し炭にしてあげるからね」
「そうですよ、ラルゴ君。私たちの愛しき家族を救ってくれた貴方は、我がファミリアにとっても最上位の宝。これからは優しく、保護して差し上げますからね」
さっきまでの「分子レベルで消滅させるぞ」という圧倒的な殺意の圧が嘘のように、どこまでも温かく、甘やかすような慈愛のオーラで包み込んでくるヘラ・ファミリアの女傑たち。
(……あ、なるほど)
ラルゴは彼女たちの胸に抱かれ、その至高の主婦力と圧倒的な聖母モードのフレーバーを全身に浴びながら、光の消えた目でそっと天を仰いだ。
(初見の時はただの世紀末ヤクザ組織だと思ってたけど……。この人たち、一度『身内判定』を下した相手に対しては、常識の枠を置き去りにするレベルで、どこまでも、どこまでも優しいんだな……)
もっとも、その優しさの裏には「一歩間違えれば物理的に捥がれる」という最高難度の特級デッドラインが常時稼働しているわけだが。