神の時代が始まってから千年余り、この迷宮都市オラリオの頂点に君臨し続ける、オラリオ史上最強の『ゼウス・ファミリア』の本拠地。その広大な食堂は、張り詰めた静寂に支配されていた。昨日建て直されたばかりの真新しい白木が、どこか厳かな空気を醸し出している。
主神ゼウスは、ただ静かに昼食のスープを口に運んでいた。白髪と白髭を蓄えたその姿は、世界の行く末を見据える絶対神としての威厳と、千年の歴史を背負う王の覇気に満ち満ちている。
――その静寂を破り、重厚な扉が音を立てて開いた。
現れたのは、一人の少年だった。黒髪を揺らし、まだ十三歳そこそこと思われる幼さを残した風貌。しかし、その足取りには迷いがなく、その身には凡百の冒険者を容易に圧するほどの、堂々たる「覇気」すらまとっているように見えた。
「――ッ、おい、何だあのガキは」
「不審者か? 門番は何をやってる」
「いや、うちに門番なんていないだろ」
周囲に控えていた第一級冒険者たち、世界最高峰の怪物たちが、殺気とも取れる鋭い視線を少年に向ける。一人の大柄な団員が、不審な侵入者を排除すべく声を掛けようと一歩を踏み出した。
「待て」
それを制したのは、ゼウスの低く重みのある声だった。神威すら感じさせる鋭い眼光が、少年の姿をじっと見据える。団員たちは息を呑み、その場に平伏するように動きを止めた。
少年――ラルゴは、周囲の視線など一顧だにせず、真っ直ぐにゼウスの座るテーブルの前まで歩みを進めた。その佇まいは、神の前に立つ一人の人間としては、あまりにも不敵で、あまりにも傲岸だった。
「小僧。儂に何の用じゃ」
ゼウスの問いかけは、静かだが周囲の空気を震わせるほどの重圧を伴っていた。
ラルゴは不敵に唇を吊り上げ、真っ直ぐにその神の目を射抜いて言い放つ。
「入団希望者です」
「ふむ、ならば――」
「ですが」
ゼウスが言葉を続けようとした瞬間、ラルゴはその言葉を冷徹に遮った。神の発言を遮るという暴挙に、食堂の団員たちの間に緊迫した空気が走る。しかしラルゴは構わず、朗々と自身の言葉を紡ぎ出した。
「俺をその気にさせるだけの器が、アンタにあるかどうか。ゼウス、アンタが俺の主神になるのにふさわしい人物か、見定めさせてもらいたい」
「…………」
一瞬の沈黙。その後、食堂に地鳴りのような爆笑が響き渡った。ゼウスが、腹を抱えて大笑いしていた。
「ガハハハハ! 面白い、実に面白い! 千年オラリオの頂点に座っておるが、この儂を『見定めたい』などと言い放った人間は、後にも先にもお主が初めてじゃ!」
主神の笑い声に誘われるように、周囲の団員たちもざわつき始める。だが、その目は決して侮蔑のものではなかった。神の威圧を前にして一歩も引かず、むしろ査定してやると言い放つその胆力。目の前の少年が、ただ者ではないという確信が、その場にいる全員の脳裏に刻まれていた。
「いいじゃろう。して、どうやってこの儂を見定めるつもりじゃ? 実力か? それとも知略か?」
「方法なら、至ってシンプルだ」
ラルゴは不敵に笑い、人差し指を一本、ゼウスに向けて突き立てた。
「俺がこれから、たった一つの問いをする。それに答えてもらえれば、すべてが決まる。アンタが神の王にふさわしい男か、それともただの老害か、な」
「ほう? たった一つの問いだけで、この全能神たる儂のすべてを図れると?」
「ああ。これ以上ないほど、正確にな」
ラルゴの自信に満ちた笑みに、ゼウスは目を細めた。世界の覇者としての矜持が、その少年の挑戦を受け入れろと告げていた。
「よかろう。その問い、受けて立つ。言ってみよ、小僧」
第一級冒険者たちが見守る中、食堂の空気は最高潮に張り詰める。固唾を呑んで全員が少年の次の言葉を待った。世界を揺るがすような哲学か、あるいは深層の謎に迫る叡智の問いか。
ラルゴは深く息を吸い込み、堂々たる覇気と共に、その問いを放った。
「――ゼウス。アンタ、どんな女がタイプだ?」
「…………」
刹那、世界から音が消えた。
張り詰めていたシリアスな空気の糸が、音を立ててぶち切れた。
周囲の団員たちの反応は、劇的だった。
「ほう、そっちか」と俄然興味深そうに身を乗り出す者。
「またこの展開かよ……」と、完全に
そして、「時間の無駄だった」とばかりに興味が完全に消失し、目の前の食事を食い始める者。
しかし、ラルゴの演説は止まらない。彼は前世の某呪術漫画に登場する、京都のゴリラ系呪術師のソウルを完全にその身に降臨させていた。
「いいか、よく聞け。性癖には、そいつの生き様、価値観、魂のすべてが反映される。つまり、そいつがどんな奴か手っ取り早く知るには、どんな女がタイプか聞けばいいんだ」
ラルゴは一歩を踏み出し、神妙な面持ちで語り続ける。
「女の好みがつまらん奴は、そいつ自身の人間性もつまらん。俺はつまらん男の下につく気は毛頭ない。ちなみに俺のタイプを言っておいてやる」
ラルゴは、ビシッと胸を張って言い放った。
「俺は、高身長で極上のプロポーションを誇る、誰もが目を奪われる絶世の美女であり、普段はツンと冷たくて気に入らない奴はブッ飛ばす容赦のなさがあるが、本当は身内をめちゃくちゃ愛してくれる、中身も最高にイケてる女がタイプです」
食堂が、再び静まり返った。
今度の静黙は、先ほどとは意味が違っていた。
「若干十三歳にして、そこまでの境地に至るとは……」と、その恐れ知らずな審美眼に心から感嘆する者。
そして、完全に二人を自身の意識外に置き、スープをすする音だけを響かせる者。
しかし、その言葉を投げかけられた主神ゼウスだけは、違った。
ゼウスは、震えていた。怒りではない。感動に、その魂が震えていたのだ。
「……見事じゃ」
ゼウスは静かに立ち上がり、ラルゴの肩をガシッと掴んだ。その顔は、未知の英雄を見出したかのような、深い慈愛と畏敬に満ちていた。
「小僧……いや、ラルゴよ。十三歳という若さにして、よくぞそこまでの境地に達した。女の暴力性の裏にある至高の母性と愛。それを理解するとは、お主、紛れもなく天才じゃ。……だが!」
ゼウスの目が、ギラリと神の輝きを取り戻す。
「まだまだ甘い。お主のそれは、まだ人間の領域じゃ。真の『神の域』、そしてこのゼウス・ファミリアを統べる主神の答えを、今ここで教えてやろう……!」
全能神ゼウスが、自身の全てを賭けた『理想の女性像』を語ろうと、その口を開いた――。
「儂はな……漆黒の闇を溶かしたような艶やかな黒髪を持ち、普段は大人しく儚げでどこか放っておけない、ツンとは無縁の心優しい大人の女性がタイプじゃ」
それは、婚姻の女神である正妻ヘラの「高貴で苛烈、怒れば神威の嵐を起こす超絶残虐破壊衝動女(ハイパーウルトラヒステリー)」という現実から、光速の速度で真逆に逃避した、純度100%パーセントの妄想と現実逃避の結晶だった。
「おおお……っ! これが、天界の絶対王がたどり着いた深淵……! 常識を超えた神域の性癖を今、俺は覗き見ることができている……!」
ゼウスの口から放たれた現実逃避という名の究極の妄想に、あまりの神々しさと業の深さに打ち震え、涙を流して感動する純粋な団員まで現れる始末。
一方で、シリアスな空気の中で繰り広げられるあまりにもレベルの低い神とガキの問答を前に、一人の幹部が冷ややかな目で呟いた。
「……なぁ、俺、改宗(コンバージョン)を割と真剣に悩み始めてるんだが。どこかにいい神様居ないかな、うちのトップ二人のせいで毎週ホームを建て直すの、さすがに精神がすり減るぞ」
そんな混沌とする食堂の沈黙の中で、ラルゴだけは冷徹に次の手を打った。
彼はゼウスの答えを聞いた瞬間、慈愛に満ちた神のごとき微笑みを浮かべ、ゼウスに近づく。彼はゼウスの答えを聞いた瞬間、それまでの不敵な笑みを完全に消し去った。そして――まるで迷える子羊を哀れむ聖者のような、慈愛に満ちた神のごとき微笑みを浮かべたのである。
「……ゼウスの爺さん。いい答えだ。魂の叫びが聞こえたよ」
ラルゴは一歩、また一歩とゼウスに近づき、その耳元で、周囲の団員たちにもはっきりと聞こえるような、明瞭で、かつ致命的な囁きを落とした。
「『好みの女のタイプ』と聞かれて、ヘラ様と即答しなかったこと。……これを今すぐ隣の宮殿にチクられたくないなら、僕をこのファミリアに入れてください」
「――ぶっ!?」
ゼウスの顔面が、一瞬で紙のように真っ白になった。
もし今の発言がヘラの耳に入れば、高周波の奇声とともにオラリオの地形が変わり、自分の髭がすべて毟り取られた上で天界へ強制送還(神還し)される未来が確定する。
「おっ、お主……! なんという悪魔のような
「さあ、どうします? 拒否権を行使して、今すぐ『ハイパーウルトラヒステリー』の直撃を食らいますか? それとも、僕という優秀な団員を一人雇って、この場を丸く収めますか?」
ラルゴの達者な口から繰り出される無慈悲な二択に、全能の神は完全に、そして無様に屈服した。ゼウスはラルゴの服の裾を掴み、涙目でガタガタと震えながら懇願し始める。
「入ってくれぇぇぇ! 頼むから入ってくれラルゴ!! 儂が悪かった、お主のファルナは儂が責任を持って、今すぐ刻んでやるから!! だからヘラにだけは、ヘラにだけは絶対に言うなァァァッ!!」
世界最古、かつ世界最強のクランの主神が、十三歳の少年に泣きつくという前代未聞の光景。
それを見届けたラルゴは、ゆっくりとゼウスから離れると、食堂の天井に向けて、力強くその拳を突き上げた。
「――よっしゃぁぁぁッ! 『勝ったッ! 第三部完!』」
前世の有名な奇妙な冒険のセリフを全力で叫び、ラルゴはここに、完全なる勝利を宣言した。
チート能力もボーナススキルもない少年が、卓越した知識と